「では、商談に入ろうか」 一泊何万するんだろうという最上階のスウィートで、スランドゥイルは呆れるように考える。 狭っ苦しい所にはいられない性分なのはわかるが。 「座れ。酒は後だ」 おや、珍しくまともな商談をするつもりらしい。もちろん、それはそれで大歓迎だ。 「朝まで恋人の真似をしよう」 「は?」 「面白いだろう?」 なんだ。どういう意味だ? 面白いのか、それ? 「楽しかったら紹介状書いてやる」 「それは………プロポーズのつもりか?」 「5、6時間なら、耐えられるかと思って」 「耐えるものなのか、それは」 「そう、苦行だ。しかし、お前となら楽しめるかもしれない」 「楽しくなかったら?」 グワイヒアは両手を広げて肩をすくめる。 また面倒くさい難題を。 スランドゥイルはため息をついた。 一方。 ホテルに置いてきぼりのレゴラス。 冷蔵庫にストックしてあるワインの小瓶を自棄酒一気飲み。 せっかく せ っ か く ! 父さんとらぶな夜を過ごそうと思っていたのに!! ベッドにダイブして、スマホを操作する。 数秒の呼び出し音の後、その男は出た。 『なんだ、今親父さんと旅行中じゃないのか?』 「うるさいばか」 『???????』 「今すぐ来てよ。会いたいんだ」 『はあ?』 「僕の事愛しているなら今すぐ来て」 『何言って…』 「ホテルの場所と部屋番号はメールするね」 そして、唐突に電話を切る。 電話の先、アラゴルンは、通話の切れたスマホをしばらく呆然と眺めていた。 え〜と、これは………。 すぐにレゴラスから住所の書かれたメールが来るが、住所しか記載されていない。 たしかに、明日は休みで、夜の飛行機に乗ればレゴラスのいるドレスデンに朝には着く。 そして、その日の夜便に乗れば、休日明けの朝には戻れる。 0泊3日?! ぐらぐらと目眩をさせながら、とりあえず自宅に電話をする。 明日は休みだから、ショッピングに付き合う約束をしているのだ。妻と。 『あら大変! きっと何かあって寂しがっているのよ! すぐに行ってあげて!』 妻はレゴラスを猫可愛がりしているのだ。うんでも、0泊3日になるんだけどね。 『航空券が取れないようなら、お父様にお願いしてみるわ』 「あ〜、エルロンドには一応黙っていてもらえるかな」 うん、あのだな、一応レゴラスはエルロンドの恋人であって、本来ならあっちにかけるべき電話なのであって。 とはいえ、エルロンドが仕事放り投げて飛んでいけるわけもなし。 「………明後日には戻るから」 『私は大丈夫よ。おばあさまの所に行っているから。気をつけてね』 妻よ、優しい心使いありがとう。くれぐれも、ガラドリエルにも言わないでおいてくれ。 「で、恋人というのは、何をするものなのだ?」 結構真顔で尋ねられて、スランドゥイルはうーむと頭をひねる。 改めて聞かれてもなぁ。 「一緒に食事をしたり、他愛ない会話を楽しんだり」 「で?」 「でって、だから、一緒の時間を過ごすだけで楽しいのが恋人ってものだろう?」 「つまらん」 「お前が言い出したんだ」 ソファに座って腕を組み、スランドゥイルは考える。 「グワイヒア、お前は、空にいるとき、ただそれだけで幸せだろう?」 「そうだな」 「その空が恋人なんだ」 グワイヒアはじっとスランドゥイルを見つめ、ふむ、と曖昧な返事をする。 ただ、そこにいるだけでいい。 そいつのためなら、そいつと一緒にいる時間を守るためなら、どんな煩わしい仕事もしよう。そう思える相手。 「わかった。つまり、やはり俺には恋人などという存在は無用だ」 ほう、理解が早い。 「では紹介状を」 「理解しただけで満足したわけじゃない」 うう…やはりそうだろうな。 「恋だの何だの、面倒だ。手っ取り早く性欲が解消されればいい」 「はいはい」 子供のわがままを聞くように、スランドゥイルはため息をついて立ち上がった。 「でもまあ、今夜は趣向を変えよう」 グワイヒアも立ち上がり、スランドゥイルを引き寄せる。 「お前をイかせてやる。恋人のようにな」 ひくり、とスランドゥイルは頬を引きつらせた。 数時間後。 ベッドでiPadで遊びながら不貞寝していたレゴラスのスマホが、着信を告げる。寝ぼけ眼で通話ボタンを押す。 「ん〜? アラゴルン? なに、いまどこにいるの?」 『部屋の前だよ』 え? と慌てて飛び起き、レゴラスはホテルの部屋のドアを開けた。 そこには、疲れた顔のアラゴルンがスマホを握ったまま立っていた。 「おまえなぁ、ヒトをこんな所まで呼び出しておいて、寝てたのかよ」 「まじ、来たの? ばかじゃないの?」 「お前が呼んだんだろうが」 とりあえず早朝なので、口論もそこそこにレゴラスはアラゴルンを部屋に招き入れる。 「親父さんは?」 「知らない〜」 「知らない?」 またブッチョウ面でレゴラスはベッドに座る。 「ナンパされてついて行った」 スランドゥイルの女好きにも困ったもんだ。 なんとなく、アラゴルンはグラマラスなドイツ美女がバーで胸を揺らしながらスランドゥイルを誘う姿を思い浮かべた。 いやいや、きっと違う。スランドゥイルの事だ。そんなこと言いながら、秘密の商談にでも出かけたのだろう。 そういうことにしよう。 「で、寂しくなったのか」 「暇になったんだよ」 レゴラスの隣りに座り、何気なく部屋の中を見渡したアラゴルンは、おや、と思う。 「この部屋、何で部屋の真ん中にシャワールームがついているんだ?」 「知らない。どこぞのデザイナーの渾身の一発芸なんじゃない?」 なんだその言い方? ゼンゼン意味がわからん。 すっくと立ちあがったレゴラスは、服を脱ぎだす。 「?」 「シャワー浴びてくる」 言うなり、ガラス張りのシャワールームに飛び込む。 ほほう、これはなかなか。 レゴラスのシャワーシーンを眺めて、旅の疲れも飛ぶアラゴルンであった。 そして… シャワールームから出てきたレゴラスと、そのままベッドイン。 「ただいま…いい子にしてた…」 か? と、言葉の途中で、スランドゥイルは顔を引きつらせた。 早朝のホテル。 目の前のベッドでは、息子の上に男。 「………アラゴルン…なぜお前がここに?」 呆然としているのは、アラゴルンの方。真っ白になるというのは、こういうことなのか。 「とりあえず、抜け」 で、ベッドの上に正座するアラゴルンと、不貞腐れるレゴラス。 「何でお前がここにいるんだ?」 この状況でよくもこんなに冷静でいられるものだ。スランドゥイルは壁に寄りかかってミネラルウォーターの瓶を傾けている。 「…いや、その…」 口ごもり、一度小さく深呼吸してから、アラゴルンはキッと顔を上げた。 「レゴラスに会いたかったから、追いかけてきた」 ほう? とスランドゥイルはアラゴルンを見下すように眺める。 「本当か?」 レゴラスの方を見ると、レゴラスは「知らない」とソッポを向く。 スランドゥイルは瓶をサイドテーブルに置くと、アラゴルンに歩み寄り、首に手をかける。 「前歯の2,3本は折られる覚悟があるんだろうな?」 「前歯で済むなら安いものだ」 虚勢でない言葉が、本心が、すらりと口をついて出る。 スランドゥイルは、指に力を入れる。 「そうだな。前歯では安すぎる。首の骨を差し出せ」 アラゴルンは、苦しげに顔を歪めるも、抵抗はしない。 「ほんとに殺す気?」 レゴラスは不安げに眉を寄せる。 「レゴラス、お前はわしに、こいつを殺させたいのか?」 レゴラスの表情が固まり、息を止める。 スランドゥイルは手を離し、アラゴルンは苦しげに咽た。 「おおかた、馬鹿息子が冗談半分で呼び出したんだろう?」 「……ちが…」 ケホケホと咳をしながら、アラゴルンは否定する。 「…俺が……」 「いい根性だ。今回は見逃してやる。夜の飛行機で、どうせ寝ていないのだろう? 上のベッドを貸してやる」 は? と、アラゴルンは首を傾げるが、 「わしは眠いんだ」 アラゴルンをロフトになっている上のベッドに押しやり、 スランドゥイルは下のダブルサイズのベッドにもそもそと潜り込んだ。 「え? あ?」 「いいから寝ろ」 言われるがままにロフトに上がる。 上のベッドから下のベッドは丸見えなのだが、 下を覗くとベッドの上で丸くなるスランドゥイルに、嬉々としてレゴラスはしがみついていた。 (う〜ん、これは何の罰ゲームだ………) 拷問だ拷問! こんな所まで夜通し飛行機に乗って!! 胸の中で悪態をつきつつ、ベッドの中に入ると、とたんに睡魔に襲われ、そのままアラゴルンは寝入ってしまった。 「…ゴルン…アラゴルン」 耳元で囁かれる声に、うっすらと瞼を持ち上げる。 「オハヨ」 これは夢か幻か。 目の前数センチのところで、レゴラスが微笑んでいる。アラゴルンの唇に、チュっとキスをする。 「もうお昼だよ。ゴハン食べに行こう」 なんでそんなにご機嫌なんだ? 何かいいことでもあったのか? 夢現で、思ったことをそのまま口に出したらしい。レゴラスは笑みを深めた。 「だって、きみが来てくれたじゃない」 何の話だ? お前に呼ばれたら、どこにだって行くし、そんなの当たり前じゃないか。 あくびをしながら体を起こす。レゴラスは、人差し指を口に当て、「シ」とゼスチャーする。 ロフトの下に目配せするので、アラゴルンもそちらをちらりと見る。スランドゥイルは毛布を被って眠り込んでいた。 「途中だったでしょ、口でしてあげようか」 耳元でレゴラスが悪戯っぽく囁く。頬を撫でながら軽くキスをし、アラゴルンはニヤリと笑った。 「それもいいが、せっかくだから旅行を楽しもう」 ドレスデンの街をぶらぶら散策しながら、目に付いた店で食事を取る。 こんな無計画な旅行など、した事がないなとアラゴルンは思う。旅行を楽しむための旅行。 まるで恋人のようにレゴラスはアラゴルンにじゃれつき、無邪気に散策を楽しむ。 夕方、空港までレゴラスはアラゴルンを送ってきた。 軽くハグをし、微笑む。 「ありがと。楽しかった」 やけに素直だな、と、レゴラスの額にキスをする。 「帰ったら、連絡するよ」 「ああ」 もう一度ぎゅっと抱きしめ、アラゴルンは搭乗手続きに向かった。 いつだって、必要とするのは俺の方で、呼び出すのは俺の方で、 こんなふうに必要とされることは、ほとんどなくて、会いたいと言ってもらえるのが、なにより嬉しくて。 振り向くと、レゴラスは小さく手を振っている。アラゴルンも片手をあげてそれに返し、帰国の途に着いた。 レゴラスがホテルに戻ると、スランドゥイルはベッドサイドでPCを膝に乗せてなにやら作業している。 「今夜の夜行列車でロシアに向かう」 顔を上げずにスランドゥイルが言う。 「グワイヒアとの交渉は、うまく行ったんだ」 傍らの手紙を、スランドゥイルは掲げて見せる。レゴラスはそれを手にとって中を確認する。 「ロシア語…?」 「紹介状だ」 また丁寧に折りたたんで、スランドゥイルに手紙を返す。 「ロシア語も読み書きできるんだ? グワイヒアって」 「世界を飛び回るビジネスマンだからな」 眉を上げて驚いたふうを見せる。 「……悪かったな」 「なに?」 「一人にして」 一瞬考えをめぐらせ、レゴラスは肩をすくめた。 「まったくだよ。ひどい目にあった」 「アラゴルンの奴にも迷惑をかけたな」 それは、父さんがアラゴルンの首を絞めたこと? 顔をゆがめて無言の質問をする。 「無泊でこんな所まで呼びつけた」 レゴラスはスランドゥイルの隣りに腰を下ろす。旅程の計画を立て、旅券の手配をしていたスランドゥイルは、PCを閉じた。 「うん」 「あのあと、奴とヤッたのか」 「してないよ。父さんに邪魔されたし」 それに、 「それに、そういうことは、いつでもできるし」 そんなにがっついてもいないし。 「父さんは、グワイヒアとしてきたんでしょ」 嫌味っぽく言うと、スランドゥイルは顔を背けて立ち上がった。 「チェックアウトの仕度だ」 いそいそと荷物をまとめ始める。 「父さん」 「お前も早く支度しろ」 「父さんは本当に、アラゴルンを殺せるの?」 一瞬動きを止めるも、スランドゥイルは背を向けたまま、すぐにまた荷仕度を進めた。 「父さん」 「お前が、それを望むならな」 そう、と、呟いて、レゴラスも腰を上げた。 「ロシアは寒いかな」 そんなことを言いながら、レゴラスも荷物をまとめた。