「アルウェン! 聞いて! 酷いんだよ、アラゴルンったら!」
 屋敷の庭で優雅にお茶をしていたアルウェンに、レゴラスが駆け寄ってくる。
「いらっしゃい、レゴラス。どうしたの?」
 白いワンピースにさらさらの黒髪。少女のような純粋な瞳を持つ美女。
「アラゴルンが、僕のお願いを聞いてくれないんだ」
 レゴラスは、姉に甘える弟のように、アルウェンに抱きつく。
「まあ。いけない人ね」
 レゴラスの髪を優しく撫でながら、息を切らせて追いかけてきた男を見る。
もちろん、美女といえば野獣。
「卑怯だぞ! レゴラス!」
「何が卑怯なんだよ! 僕はいつもキミのお願いを聞いてあげてるのに、
キミが僕のお願いを聞いてくれないから、アルウェンに叱ってもらうんじゃないか!」
「なぜレゴラスのお願いを聞いてあげないの?」
 叱るというよりは、穏やかにたしなめる口調。
「いや、だから、別に聞いてやらないとか、そう言っている訳じゃ…」
「面倒だからイヤだって、そう言うんだよ? 酷いでしょ? アルウェン!」
 アルウェンは優しくレゴラスの頬を両手で包み、その額にキスをする。
「本当ね。こんなにかわいいレゴラスのお願いを、面倒だなんて」
 レゴラスもアルウェンの頬にキスをする。
 そうする姿は、姉と弟、というより、禁断の姉妹レ○……
 ぶるぶるとアラゴルンは頭を振る。何を考えているんだ、俺は?!
「こんな薄情な男とは、別れた方がいいよ」
「そうね」
 なんでそうなる?!
 アラゴルンの心境は複雑怪奇。
そう、アルウェンとレゴラスのツーショットは、美しいのだ。
秘密の花園。ずっと眺めていても飽きないくらい。
が、今の二人の話題は、自分の悪口なのだ。
「アルウェン、違うんだ」
「では、レゴラスのお願いを聞いてあげるのね?」
「………それは…」
「聞いてあげないの?」
「いや、聞く」
「そう。よかった」
 花がほころぶように、アルウェンが微笑む。ああ、我妻は美しい。
「じゃ、アラゴルンと話をしてくるね」
 レゴラスがにこやかに離れる。
「いってらっしゃい。あ・な・た、お夕食には帰っていらっしゃる?」
 あなた、だなんて。にやけるアラゴルンの頬を、レゴラスが抓る。
「わー、でれでれしちゃって、みっともない」
「うるさい。帰るよ。今日は、帰る」
「よかった」
 嬉しそうにアルウェンが手のひらを合わせる。
「おばあさまに伝えておくわ。一緒にお夕食をとりましょう」
 おばあさま…にやけたアラゴルンの頬が、引きつる。そうか。
今夜はガラドリエルと一緒か。嫌いではないんだ。うん。嫌いでは。
「じゃあね、アルウェン。今度は僕もディナーに誘って」
「ええ、もちろんよ」
 にこやかに、ヒラヒラと手を振って、
レゴラスはアラゴルンと連れ立って、アルウェンの元を去った。



 昼食時のステーキレストラン。
アラゴルンとレゴラスは、向かい合わせで座って、肉を頬張る。
「ラダガストの連絡先ってなあ」
 この期に及んで、アラゴルンはごねている。
「僕のお願い、聞いてくれるんじゃないの?」
「そりゃあ、聞くけどな。ガンダルフが教えてくれるかどうか」
「だからキミに頼んでいるんじゃないか」
 うーん、とアラゴルンは頭を抱える。
「お礼はするよ」
「お礼って、何だよ? また俺を騙すつもりだろ?」
「騙すってナニ? 僕がキミを騙した事ある?」
「いつも適当にはぐらかすじゃないか」
 付け合せの野菜は避けて、肉だけを食べるレゴラス。
「じゃあ、前払いするよ」
 席を立ち、アラゴルンの隣に座る。
そして、すっと顔を寄せると、軽い口づけ。アラゴルンは目を瞬かせる。
「足りない?」
 そう言って、今度は、濃厚なキス。
「………」
 人目を気にせず、アラゴルンはレゴラスの首筋を掴み、深く強く唇を重ねる。
 唇を離した後も、間近で見詰め合う。
「そういえば、ねえ、僕たち、ちゃんと愛し合ったこと、ないよね」
 レゴラスの言葉に心臓が高鳴り、アラゴルンは俯いた。
「そうやって、いつもキミは目を逸らせる」
「…………」
 それは、誘惑。甘美な、破滅への誘惑。
 唇を噛み、息を呑む。
「レゴラ…」
 顔を上げたアラゴルンは、
「…って、オイ!」
 鼻先をひくつかせた。
レゴラスは、アラゴルンの皿から、残った肉をきれいさっぱり食べてしまっていた。
「俺の肉、食うな」
「目を逸らせたキミがいけない」
 唇についたソースを舐めながら、レゴラスはにやりと笑った。
「卑怯な」
「卑怯じゃないよ。僕のキスは高価なんだ。
これくらい、なんだよ? あ、支払いは宜しく」
「宜しくって、…お前、俺におごらせてばかりだな。
ちょっとは出そうと思わないのか?」
「思わないね。お金あるんでしょう? 社長」
「お前だって持ってるだろうが。宝石屋の御曹司」
「ウチの会社はね、役員報酬が異様に低いの。僕、ビンボー。
この前はグロールフィンデルさんが靴買ってくれた。
底が磨り減っているからって。双子は服買ってくれるし。
あ、アルウェンにシャンプーももらったよ。髪がさらさらになるって。
アルウェンが使っているのと同じ奴」
「だからアルウェンと同じ匂いがするのか」
「ベッドで間違わなくていいよね」
「あほか。逆に間違えるっての」
「間違えるの?! サイテー! ベッドで別の人の名前を呼ぶなんて!」
「呼んでないし!」
 アラゴルンの脳天から湯気が上がる。
レゴラスは、さっと立ち上がると、自分のジャケットを手に取った。
「ご馳走様。お願いね」
 ニッと笑う。
 ああ、本当に、こいつには勝てない。アラゴルン脱力。
「時間、かかるかもしれないぞ? まずガンダルフを探さなきゃならん」
「いいよ」
 レゴラスは、アラゴルンの頬にキスをして、レストランを出て行った。



 二週間後。
 早朝のカフェに、アラゴルンはレゴラスを呼び出した。
「うわー、いつにも増して、ムサイ顔!」
 開口一番、レゴラス。
「朝までガンダルフと飲んでたんだ」
「不健康だね」
「誰のせいだ? 誰の!」
 レゴラスはアラゴルンの正面に座り、紅茶を注文する。
アラゴルンは、眠気覚ましのエスプレッソを飲んでいる。
「ほら」
 内ポケットから、折りたたんだメモを差し出す。
「ガンダルフを探すのに一週間。説得するのに一週間」
 はあ、と大きくため息を出す。
「よく教えてくれたね」
「最終的にはな、スランドゥイルの頼みだからって。そうなんだろう?」
 レゴラスは曖昧に微笑む。
「父さんは、そんなこと、頼まない」
 アラゴルンはレゴラスをじっと見つめ、小さくため息をつく。
そんなアラゴルンの手に、レゴラスはそっと手を重ねる。
「誰も教えてくれない事は、知っちゃいけないことなんだと、父さんは知ってる。
ヒトのプライバシーには足を踏み入れないんだよ。父さんは。
でも、僕は違う。僕は、欲しいもののためには、土足で踏み込んでいく。
父さんは汚さない。泥だらけになるのは、僕だけでいい」
「そんなふうに、言うな」
「キミと、同じだよ」
 レゴラスの手を一瞬だけ握り返し、アラゴルンは手を引いた。
「今回はな、ガンダルフがラダガストに直接伺いを立てて了承を得たそうだ。
その気があれば、会ってもいいと言っていたらしい。もう大丈夫だろうと。
意味はわからんがな。
こんなの、泥に汚れた仕事じゃない。
で、お前はラダガストの連絡先を、どうするつもりだ? お前が会いに行くか?」
「まさか。僕が行っても、会ってはくれないよ。
これはね、父さんのご機嫌取りに使う」
「ご機嫌取り?」
 アラゴルンから受け取ったメモを、大事そうにポケットにしまう。
「うん。これから、父さんの嫌がること、するから」
「何をするつもりだ?」
 アラゴルンは眉を寄せる。レゴラスは、悪戯っぽく、ニッと笑う。
「たいした事じゃないよ。グワイヒアに会いに行くだけ」
「グワイヒア? 何故?」
「ちゃんと話した事無いからね。ロンリーマウンテンで助けてもらったお礼」
「随分前の話じゃないか。何を考えてる?」
 レゴラスは人差し指を立て、アラゴルンの唇に触れる。
「キミには関係のないことだよ。暗殺に行くわけじゃない。
興味があるんだ。天空の王にね」
「レゴラス」
「ここの支払いは僕がするよ。もう一杯飲む?」
「レゴラス」
 立ち上がったレゴラスを、強引に引き寄せ、髪に鼻先を埋める。
アルウェンと、同じ匂い。
「俺に、できることがあれば、何でもする。だから、行くな」
「ばかだね、ナニ勘ぐってるの? 話をしたいだけだよ」
「スランドゥイルも同じことを言う。
だから、ご機嫌取りのアイテムが必要なんだろう?」
「アラゴルン」
 両手をアラゴルンの胸に置いて、そっと体を離し、
レゴラスはアラゴルンを見上げた。微笑んで。
「僕はね、父さんのために命はかけるけど、父さんのためには死なない。
絶対に。
でも、キミのためなら、死んでもいいと思う。
だからね、君の知らないところで、僕は死んだりしない。
 何もないよ、本当に。約束するよ。ただ、話をするだけ。
グワイヒアは、酷いヒトじゃない。僕に何かをするわけじゃない。
むしろ、門前払いの可能性の方が高い。心配することは、何もない。
 だから、行くな、なんて言わないで。僕は、キミの命令には逆らえない」
「………お前、本当に卑怯だな。殺し文句だ」
 微笑んでアラゴルンの頬にキスをし、レゴラスは一歩下がった。
「またね、アラゴルン。ありがとう。帰って来たら、気持ちいいことしてあげるよ」
「期待しないで待ってる」
「やっぱり、お茶代出しておいて。持ち合わせ、ないや」
「いいよ。お前におごってもらおうとは思わない」
「アリガト。愛しているよ」
 ヒラヒラと手を振って去っていくレゴラスを見送った後、
アラゴルンは座りなおして、大きなため息をついた。
「逆らえないのは、俺の方だ」