その家のリビングに入った時、グロールフィンデルは顔をしかめた。 「クサい」 「ああ?」  不機嫌な声が返ってくる。 「いい匂い、っつうんだ」  リビングのテーブルにはいっぱいにラベンダーの花が置かれていた。 「何をしている?」 「ポプリを作っている」  ポプリとは? と、グロールフィンデルは頭の中で検索をする。花を乾燥させたものか。 「何にするんだ?」 「だから、ポプリ」 「いや、そのポプリを何に使うのだと聞いている」 「別に」  花を選り分け、糸で結び、リボンで飾る。  そんなことをするスランドゥイルを初めて見たが、器用なものだ。それに、  この男は花が似合う。 「手伝うか?」 「いや」  花を愛でる趣味はない。 「夕食の支度をしよう」 「嬉しいね」  顔も上げずにスランドゥイルは花を束ね続けている。  なんでそんなに熱心に?  とも思うが、聞いたところで「別に」しか返ってこないだろう。  グロールフィンデルは買い込んできた食材と共に、キッチンに入った。 ******  ああ、これは夢だ。  夢を見ている。  グロールフィンデルは、『夢』を自覚した。  なぜなら、見知らぬ土地に立っているからだ。  夢なのに、匂いだけは強烈に感じる。  花の匂い。  目の前にラベンダーの茂みがあり、少年が花を摘んでいた。  明るい太陽の様な髪の色と、澄んだ空の色の瞳。雲のような白い肌。  洗いざらしのシャツ。 「何をしている」  少年は顔を上げて微笑む。 「花を摘んでいる」 「それで?」 「リースを作るのだ。ガラドリエル様が誕生日だから」  ガラドリエル………。  その名前を頭の中で探る。よく知っている名だが、もやがかかったようにその顔が思い浮かばない。  フィナルフィンの娘で、確か、ドリアスのメリアンのところに勉強に行っていると聞いた。  ということは、ここはドリアスか。 「お前、ゴンドリンの新兵だろ?」 「新兵ではない」 「軍服着てるけど、ガキじゃないか」  ガキ? グロールフィンデルは眉を寄せた。そんな風に呼ばれたことはない。金華家は由緒ある貴族だ。  少年は器用に花を編み、輪を作った。そして、緑香る草原を、まるで風のように歩いて来て、その花の輪をグロールフィンデルの頭に乗せる。 「似合わないな」  そう言って、少年は笑った。  屈託のない笑いだ。 「お前、鉄と硝煙の匂いがする」 「私は衛兵だ。国と主を守るために、訓練は欠かさない」 「鉄と銃で国と主が守れるのか」 「そうだ」 「そうか」  少年の真っ青な瞳がグロールフィンデルの金色の瞳を捉える。 「俺は」  するりと少年は一歩下がる。 「国中を花で満たしたい」  風が少年の髪を巻き上げ、キラキラと光る。 「世界中を花でいっぱいにしたら、争いなんて無くなるんじゃないだろうか」 「稚拙な妄想だ」 「そうかな」  風の行方を、少年は眺める。 「いつか大人になった時、お前は俺に銃を向けるかもしれない。でも俺は、お前に花束を贈るよ」  真っ青だった空に、陰りが訪れる。  嫌な湿気を含んだ黒雲が、少年の背後から忍び寄り、足元の緑が茶色く変色していく。 「スランドゥイル!」  思わずその名を叫ぶも、少年はずぶずぶとその腐った草の中に沈んで行った。  最後に白い指だけが空を指し示す。 「お前が守ろうとしているものは、なんだい? 国? 主? 違うだろう? 愛した人、なんじゃないかな?」 *******  ふと目を開けると、目の前に金糸があり、そっと指で掬って鼻に寄せる。 (ラベンダーの匂い) 「ん」  眠たげな声がして、髪を弄るグロールフィンデルの手を払いのける。 「夢を、見た」 「んん?」 「子供のお前が、闇に沈んで行った」 「…夢だろ」  顔も上げないまま、スランドゥイルは応える。 「花で世界を守ると言っていた」 「意味がわからん」 「私もわからない」  それじゃらちが明かないじゃないか。気だるげにスランドゥイルは起きだして、ベッドを降りた。 「ラベンダーの匂いに当てられたんじゃないか」 「そうかもしれない」  何も身に着けないままキッチンに降りていくので、グロールフィンデルも後を追う。  リビングにはラベンダーの花で作ったリースやポプリの束が山積みされている。 「あれをどうするのだ?」 「知り合いの娘が誕生日なんでな。子供部屋をポプリでいっぱいにする」  自分でわざわざ手作りして? 宝石屋の社長が?  スランドゥイルは冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、瓶に直接口をつけて飲んだ。 「スランドゥイル」 「うん?」 「お前は、花が似合うな」  突然何を言いだすのかと眉を上げた後、スランドゥイルはふわりと微笑んだ。  あの、夢に出て来た少年と同じ笑みだ。  思わず駆け寄り、強く抱きしめる。 「痛いぞ」  そう言いながらも、スランドゥイルもグロールフィンデルの背に腕を回す。    もう二度と、お前に手に銃を握らせない。  その指がいつまでも花を編んでいられるように。  机の端に、小さなポプリの花束が置いてあって、エルロンドにコーヒーを出すグロールフィンデルの手が止まった。 「社長、これは?」 「うむ、昨夜レゴラスにもらった」  だからって会社に持ってくるなよ? と、眉を寄せる。 「レゴラスが自分で作ったのですか」 「ああ、あれは器用でな。スランドゥイル殿の為にたくさん作ったそうだ」  だから、エルロンド様にも一つ差し上げますね、と。 「あの親子は、突然何をしだすかわからん」  レゴラスが作ったという花束を手に取り、グロールフィンデルはそれをつくづく眺めた。 確かに器用だ。スランドゥイルと同じ作り方をしている。きっと、スランドゥイルが教えたのだろう。 向かい合って、あるいは並んで、花を編む二人が容易に想像できる。  そうして無邪気に笑い合う二人を思うだけで、癒される。  グロールフィンデルはそっと花束を机の上に戻した。 「例の話ですが」  花束を見つめたまま、グロールフィンデルは声をひそめて言った。 「モルドールの残党狩り、私が行って片づけてきましょう」 「お前が出ることはない。ガンダルフが探っているが、アラゴルンを使うつもりだろう」 「アラゴルンが出れば、必ずレゴラスが付き従います。私なら一人で片づけられます」  エルロンドの表情が、策士のものになる。 「数日開けますが、ご容赦ください」 「グロールフィンデル、私は、お前にももう銃を握らせたくないと思っている」 「守りたいもののためなら」  グロールフィンデルは唇を吊り上げた。 「私はいくらでもこの手を血に染めましょう」