マグノールが死んだ。 マエズロスと共に、彼自身が予見したとおり、その罪に身を焼かれた。 葬儀は行われなかった。 エルロンドにとって、それは悲しむべき事なのか、 それとも、母を死に追いやった人物の死を喜ぶべきなのか。 そのどちらも感じない。 それはひとつの事実でしかなかった。 それよりも、己の主がその知らせに胸を痛めてはいないかと、その方が心配だった。 エルロンドは、ギル=ガラドが完璧な王でないことを悟り始めていた。 彼は、完璧な王を演じているのだ。 周囲が求める「ギル=ガラド像」を、演じている。だが、舞台から降りることはない。 眠っている時でさえ。彼本人、それに気付いているのか。 そして彼の側近は、彼が演じていることを知っている。 そして、その演技がつつがなく行えるようにサポートをしている。 彼は、ノルドの生贄、なのか。 彼が自由意志で行っている行動は、ただひとつ。 結婚をしないこと。 その地位は血族に引き継がれてきたと言うのに、なぜ自分の血を絶やそうとするのか。 フェアノールはすでに亡く、その意思を継ぐ者も絶えた。 ギルドールは運命の輪から外れ、ガラドリエルもまた、血縁より愛を選んだ。 後継者としてエルロンドを選んだのは、彼らの運命の流れを変えるためか。 なら、エルロンドもまた、彼らの生贄となるのか。 それでもいい、と、エルロンドは考えていた。 エルロンドは、ギル=ガラドを敬愛していた。自分を育ててくれたマグノール以上に。 否、生んでくれた母親以上に。 彼の言動の全てが、自分の全てであった。 マグノールらの死の知らせは、エルロンドを悲しませるものでも喜ばせるものでもなく、 ギル=ガラドの心痛の心配の種であった。 その晩。 エルロンドはいつものようにギル=ガラドの書斎を訪れた。 屋敷は静まり返っていた。 この時間、いつも静かではあるが、今夜は特に重たい空気に包まれ、沈黙をしている。 薫り高いコーヒーを持ち、ドアをノックする。 返事が無い。 もう一度ノックをして、エルロンドはドアを開けた。 「・・・・・・・」 ギル=ガラドは、椅子にもたれかかり、瞳を閉じていた。 (眠っていらっしゃるのか・・・) コーヒーをいつもの場所に置き、肩にかける物を探して周囲を見回す。 何もないなら、せめて自分の上着でも。そう思ってスーツの上を脱ぎ、そっと近寄る。 「・・・・・!」 突然腕を捕まれ、エルロンドは息を飲んで一歩あとずさる。 「・・・お休みになられているのかと・・・」 「考え事をしていただけだ」 ギル=ガラドの瞳は、どこか遠くの宙を見ていた。 「あと・・・数年だ。数年で、私の使命は終わる。サウロンが、私を追ってくる。 だが、勝利するのは私だ。兵を集めなければならない。・・・金華公はどこに行った? トゥアゴンの最も誇るべき守護者は・・・」 腕を捕まれたまま、エルロンドは机の端に背をぶつけた。 「ギル=ガラド卿・・・?」 「ギル=ガラド? 誰だ、それは? 誰が私をそう呼んだ? ・・・・エレニオン・・・そうだ、私は、そう名付けられた」 彼は、何を見ているのか・・・? 机に押し付けられ、上半身を倒す。鈍く光るギル=ガラドの瞳を、直視できない。 感情に支配されたその瞳に、エルロンドはきつく目を閉じた。 乱暴に剥ぎ取られる衣服。エルロンドは目を閉じたまま歯を食いしばった。 殺される。 そう思った。 だが、抵抗はしない。 彼は・・・限界に近付いている。 己の激しい感情をコントロールすることに、疲れきっている。 もし、自分を殺すことで彼の理性が保たれるのであれば・・・甘んじてそれを受けよう。 まだ、王は必要なのだ。「ギル=ガラド」と言う存在が、必要なのだ。 与えられる激しい痛みに、うめきを押し殺す。口を開けば、悲鳴をあげてしまうだろう。 ただ目を閉じ、感情と言う激流に息を殺す。 どれくらい痛みに耐えていたのか。 エルロンドは急に解放され、カーペットの上に崩れ落ちた。 いつまでも痛みだけが残る。 重い静寂に、両手をついてエルロンドは目を開け、主を見上げた。 ギル=ガラドは息を整え、乱れた衣服を正常な状態に戻していた。 その表情は、理解しがたい。 「エルロンド」 乾いた唇が彼の名を呼ぶ。エルロンドは、痛みを耐えて立ち上がった。 ギル=ガラドがエルロンドの服の乱れを直す。 「部屋に戻り、休養を取りなさい」 それは、いつもの口調。 エルロンドは頭を下げ、痛む下半身を引きずるように書斎を出て行った。 部屋に戻ると、エルロンドはそのままベッドに横たわった。 頭の中が混乱し、整理しようとすると真っ白になる。眠りたいのに眠れない。 ようやく朝方になって、エルロンドは自分が陵辱されたのだと知った。 朝食の席はいつもと変らず、エルロンドは多少青ざめながらもその席につく。 ギル=ガラドは、いつもと変らぬ口調で一日の予定を告げた。 昨夜のことは、いったい何であったのか。 悪い夢だったのか。 エルロンドは、いつもと変らぬ一日を迎えた。