その男は、いつも苦渋に満ちた表情をしていた。

 何がそんなに、この男を苦しめているのだろう。

 若きエルロンドには、それを知るすべはなかった。
が、双子の兄弟であるエルロスは、それを感づいていた。

 マグノールは、与えられる全てを、この双子に与えてきた。
それは、罪の意識からか。欲しいものは何でも買い与え、愛情さえ惜しみなく注ぎ込む。
それでも、そこは愛に満ちた家庭ではなかった。

 なぜなら、彼らの養父は常に苦痛に苛まれていたからである。

 

 結局、マグノールの父の残した遺産に、彼は捕えられ、
そこから逃げ出すことができないのだ。

 

 エルロンドらが義務教育を終える頃、マグノールは最後の決断をすることとなった。

「お前たちは、もう自分で考えて自らの歩む道を決められる。
だから、私はお前たちに選択を与えることにする」

 この日が来ることを、双子はずっとわかっていた。
いつまでも、この男と暮らすことはできない。
自分たちの存在は、この男を縛り付ける鎖でしかないのだ。

「自立し、自らの生計を立てるというのなら、私は援助を惜しまない。
私のもつ財産を分け与えよう。しかし、私はもうひとつの道も勧める」

 マグノールは顔を伏せ、心を決めるように深呼吸すると、双子をゆっくりと見渡した。

「ギル=ガラドという男がいる。知っての通り、地位も財力もある男だ。
私は、彼にお前たちを託したいと思う」

 エルロンドもエルロスも、ただじっと養父を見つめた。

「明日の朝までに、答えを決めてくれ」

 

 

「俺は、ギル=ガラドなんて奴のところには行かない」

 二人に与えられた寝室で、エルロスは言った。

「エルロンド、お前もわかっているはずだ。母さんは鳥になんかなったわけじゃない」

「わかってる」

 わかってる。母は、死んだのだ。あの日、あの港で。

「でも、殺されたわけじゃない。自ら死を選んだ」

 エルロンドは、マグノールに愛情があった。それは、与えられたものだ。

「エルロスは、恨んでいるのかい?」

 エルロンドより、少しだけ大人びた兄弟は、表情をゆがめた。

「恨んではいないさ。あれは、母さんが選んだことなのだからね。
それに、マグノールは俺たちに十分償いをしたと思う。そういうわけじゃない。
俺は・・・・もう、関わりあいたくないんだ。いやなんだよ、しがらみに縛られるのが。
自分で自分の道を切り開きたい」

 エルロスの気持ちは、エルロンドには理解できる。逃げるわけじゃない。
ただ、別の生き方をしたいだけ。
マグノールは、何年にも続く派閥の争いに倦み疲れている。
そこから、この被害者である子供らを解き放ちたいとも望んでいる。

「僕は、ギル=ガラドという人のところに行くよ」

 エルロンドの気持ちは決っていた。エルロスの決心と同じように。

「僕はね、最後まで見届けたいと思う。自らに課せられた運命を」

運命に絡め取られた人生を、真直ぐ見つめていきたい。

エルロスは悲しげに微笑んで、兄弟の肩を抱いた。

「お別れだな」

 違う道を選択した兄弟は、きつく抱きしめあった。

 

 

 

 別れはすぐにやってきた。

 兄弟はお互いの愛情を信頼を確かめ合い、二度と交わる事のない道を、歩みだした。

 

 エルロンドは、その屋敷の大きさに驚かされた。

 まるで、王国の宮殿だ。

 それは、ギル=ガラドの地位を表すものだ。

 出迎えた男に、圧倒される。

(王、だ)

 エルロンドは直感した。彼は、間違いなく王だ。

 マグノールより若いが、その姿は尊大で自信に満ちている。
表情は若々しく、知的で、見るものを魅了する。

 マグノールはエルロンドを紹介した。
ギル=ガラドは微笑みこそしないが、優しそうな愁いを帯びた表情でエルロンドを見つめた。

「私は君をずっと探していた。キアダンから君らが連れ去られたと聞き、心を痛めていたのだ」

「マグノールさんは、親切にしてくださいました」

 エルロンドは、養父を誘拐犯のようには言われたくなかった。
彼は、本当に親切だったのだ。

「わかっている。だから私は、マグノールに君らを託していたのだ。
このような形で私の元に来てくれたことは嬉しい。歓迎しよう、エルロンド」

 片手を出し、握手を交わす。その手は大きく、暖かく、力が満ちている。

「エルロスのことは聞いた。もちろん、私もできる限りの援助はするつもりだ」

「・・・・ありがとうございます」

 ここには来なかった兄弟のことを気にかけてもらえて、エルロンドは嬉しかった。
薄情と罵られることも覚悟していたのだ。

「まずは、ここでの生活に慣れなさい。それから、私の在籍している大学に通うといい。
必要なものは何でも言いなさい。遠慮はせずに。今日からここが、君の家になるのだ」

 エルロンドは頭を下げた。

 自分はきっと、この人についていくだろう。

 初対面から、エルロンドはギル=ガラドに忠誠を誓った。

「マグノール、ここに移り住んではもらえないのか」

 ギル=ガラドの言葉に、エルロンドの養父は辛そうに首を横に振った。

「お言葉はありがたいのですが・・・私にはまだしなければならないことがあります」

「フェアノールの遺産の事、諦められぬのか」

「私はもう、あれの呪縛から解き放たれることはできません。
兄のマエズロスと共に、最後の罪を犯しましょう。そして、その罰に身を焼きましょう」

 マグノールは苦しげに言葉を吐き、エルロンドに微笑みかけた。

「幸せにおなり」

 そして、振向きもせずに去って行った。

 

 別れは辛いものではあるが、そこにどれだけの価値があるというのだろう。
エルロンドは、冷めた自分の心を恨めしくは思わない。運命に流されていく。
ただ、それを受け入れるだけ。きっと・・・・エルロスは温かな心を手に入れるだろう。
運命の呪縛から解き放たれて。

 自分は、運命の流れの中に留まることを、自ら選んだ。

 自ら選んだのだ。

 

 ノルドールと呼ばれる大きな派閥の頭首であるギル=ガラドに、忠誠を誓ったのだ。