「まあ適当に座れ」

 スランドィルは持ってきたワインのボトルをテーブルに置いた。

 

 主に声をかけられ、宴会場から抜け出したのは20分ほど前である。
宴会の主はワインのボトルを2本、片手に持ってぶらぶらと林の中に入っていった。
列席者は、それに気付いても気には止めていない様子だ。
たぶん、途中で抜け出したりするのは年中なのだろう。自由気ままな人物だ。

 どこへ行くのだ、と質問することはしなかった。

 不安はあった。恐れ、かもしれない。

 彼の存在は知っていた。文面で見たときは驚いたし、何故か悲しくもあった。
何度か姿は見ていたが、向うは自分に気付かない。だから、冷静なままでいられた。

 自分は、彼の名前を知っていたが、彼は自分の名前も知らない。

 それにきっと

 覚えてもいないだろう。

 なのに今、その男と二人きりでいる。

 どんな思惑があって?

 今更、何の話もないはずだ。

 

「ああ、嫌だ嫌だ。しかめっ面しっぱなしか? 少しは空を見上げてみろ!」

 歩きながら言われて、グロールフィンデルは夜空を見上げた。

 満天の星。

 銀色の月。

 自然と肩の力が抜ける。

「コンピューターなんぞとにらめっこばかりしていると、肩がこるだろう?」

 視線をその男に向けると、スランドゥイルは唇を吊り上げた。

「久しぶりだな。まだ、お前の名前を聞いてなかった」

「・・・・・グロールフィンデル」

「そうか。グロールフィンデル、ついたぞ。わしの気に入りの場所だ。
星見の小屋と呼ばれておる。ここは、小うるさい息子も来やしない」

 スランドゥイルは、小さなログハウスのドアを開けて、中に入って行った。

 

 電気も水道も通してないのか。スランドゥイルは中央にあるランプに火を灯す。
それから、壁の雨戸を押し開くと、そこは大きな星のパノラマになった。

「何もないから、ゆっくり星が眺められる。まあ、適当に座れ。
星でも眺めながら、ゆっくりワインでも飲むとしよう」

 簡素な木のテーブルに木の椅子が一対。それに、身を横たえるベッド。
それが、ここにある全てだ。

「わしの父、オロフェアがつくった。なんだかんだ言っても、
連れてきた連中を食わせていかなきゃならなかったからな。
あの頃は今よりずっと忙しかった。
疲れたとき、オロフェアはよくここに来てひとりになった。
今はわしが使っている。何もないところで星を眺めていると、気持が癒される」

 椅子に腰をおろし、ワインの一本をグロールフィンデルに差出す。飲め、と。

 グロールフィンデルは椅子に座り、足を組んでワインのボトルを受取った。
綺麗に整えてある髪を掻き上げ、無造作に撫で付ける。
決して人前では見せない癖だった。エルロンドの前でさえ。
長い指で、ボトルの淵を撫で、それをスランドゥイルに押し戻す。

「アルコールは飲まない」

「つまらない男だな!」

「脳神経を鈍らせる」

 昔から。酒、タバコの類は一切手を出さない。体調管理には最善を尽す。
常に俊敏に行動できるように。

「ああ、そうかい。わかった。それを一本空けるまでは、ここを出さないからな!」

「できるものなら」

 挑発的な語尾に、スランドゥイルは高らかに笑った。
それから、自分はボトルを傾けてワインを飲んだ。

「・・・・私を・・・・覚えていたのか」

 グロールフィンデルの問いに、スランドゥイルがワインのボトルをテーブルに置く。
この男、相当な酒豪だ。まったく酔った気配を見せない。

「馬鹿か、お前?」

 邪険な言葉に、グロールフィンデルは眉根を寄せる。

「わしの人生において、後にも先にも強姦されたのなんざぁあれ一回きりだ。
男になど興味はないし、わしを襲おうなんて考える奴はいない!」

 ふん、と鼻を鳴らして、またワインを一口飲む。

 自分の容姿に自覚がないのか。確かに、襲われるだけのスキはないが。

 数秒、グロールフィンデルはスランドゥイルを見つめ、
そして肩を落して笑いを押し殺した。

 そうか、忘れていなかったのか・・・・。

 それがどんな理由であれ。

「では、さぞ私が憎かろう」

「ああ、冗談じゃないね。あんな痛い思いはこりごりだ」

 痛い・・・か。

「ではなぜ、私を誘った?」

 ワインの瓶を抱えたまま、スランドゥイルは笑んだ。
人を見下すような態度とは裏腹に、その瞳は優しい。

「あのあと、わしを殺しそこなった男がどうなったのかと思ってな。
ま、案の定つまらない人間になっていたわけだ」

「つまらない・・・か?」

「満足しているのか?」

 満足。今は、満たされている。与えられた仕事を効率よくこなすことに、快感を感じる。
脳みそに隙間を与えないことに、成功している。

「結婚は?」

「興味ない」

「恋人は?」

「必要ない」

「仕事だけか?」

「十分だ」

 大げさにスランドゥイルは溜息をつく。

「やっぱり、つまらない男じゃないか」

「そういう自分は、どうなのだ?」

「わしか? わしは、恋をした」 

 思い出すように、うっとりと目を細める。

「たぶん、一生分の恋だな。妻を失ってしまったが、今は息子がいる。
仕事も、友人も。趣味を堪能するし、酒も楽しむ。時々女も抱く。
満たされた人生だ。女はいいぞ。暖かいしな」

 それから、ふと息子のことを思い出して頭を振る。

「いや、愛せる対象なら、男でもゆるそう」

 自分に言い聞かせるように呟いて、グロールフィンデルを見る。

「そうだ。誰かを愛することが大切なのだよ。わかるか? 
無機質なものでは、暖めてもらえぬ」

「説教好きだな」

「息子にも言われる。大きなお世話だ!」

 それでも、不思議だ。この男の声は心地よい。

 グロールフィンデルは、窓の外に目を向けた。

 星が、綺麗だ。

「・・・・暴力でないセックス・・・」

「ああ?」

 顔をしかめたスランドゥイルが、立ち上がる。

「まだそんなこと、考えていたのか?」

「・・・・・・」

 星を見つめたままでいるグロールフィンデルに、
スランドゥイルはその肩を掴んで自分の方を向かせた。

「誰も教えてくれなかったのか? かわいそうに。愛そうと努力はしたのか?」

「愛する対象など・・・・・」

 昔と変らない、青い目でじっと見つめられて、目眩を感じる。

「私はたぶん、私が殺しそこなったあの男以外の、誰にも満たされはしない」 

 

 

 重ねられた唇の温もりに、全身の力が抜ける。

 触れたところから、溶け出していくような感覚。

 

 

「先に言っておくがな、わしは男となぞセックスをしたことはないぞ。
したいとも思わん。これからもずっとだ。だが今夜は気分がいい」

 大きくはないベッドに腰をおろし、人差指を曲げて手招く。

「ちょっと来い。教えてやるから」

 月光に透けるスランドゥイルの髪に吸寄せられるように、
グロールフィンデルはその傍らに跪いた。

 再び重ねられる唇。

 苦いワインの香。

 それだけで酔ってしまうそうだ。

 犯したあの体を忘れるのに、いったい何年かかっただろう? 

 否、いまだに忘れはしない。

 夢の中で、記憶を追うように求めた、その男が、今目の前にいる。

 そして、

 記憶しているよりも、ずっと暖かな唇で触れる。

 長い間忘れていた欲望が、また胸の中で渦巻く。

 シャツのボタンを外すのももどかしく、喉元に歯を立てる。

「・・・痛い! 噛付くな、馬鹿者!」

 スランドゥイルはグロールフィンデルの髪を掴んで、自分から引き剥がした。

「お前には優しさってものがないのか!」

 困惑した表情の男に、スランドゥイルは溜息をついた。本当にわかっていないのか。

「こうするんだ」

 ゆるくその頬に手をかけ、うなじをぬるりと舐め上げる。
グロールフィンデルの体が、ぴくりと反応する。
そんなセックスを、本当にしたことがないのだ。

 身を倒したスランドゥイルにまたがり、教えられたままに舌を這わせる。
焦る心を押えながら、ゆっくりと。うなじから胸元へ。
時々唇で吸うと、またスランドゥイルに叱られた。

「痕をつけるな!」

 その言葉に、胸の中でほくそえむ。所有印を残してやりたい欲望。
手も足もぐるぐるに縛って、自分だけのものにしてしまいたい。
そして、肉を食らい尽すのだ。

 そうする代りに、彼の服を全て剥ぎ取って、床に捨てる。

 年齢を感じさせない肉体に、欲望が牙をむく。

「そんな目でわしを見るな!」

 上半身を起したスランドゥイルは、グロールフィンデルの顔を両手で包んで、
じっと視線をあわせる。

「いいか、またレイプするつもりなら、叩き出すぞ!」

 勝てない。

 結局、惚れた方が負けなのだ。

「忘れるなよ、わしはお前以外の男となんか、絶対セックスはしないからな。
特別に許してやるんだ」

「入れても?」

「・・・・強引過ぎるのは好かぬ」

 では、優しくできるように心がけよう。

 体をずらして、腹から下半身にかけてキスをする。スランドゥイルは再び身を横たえた。

 

 硬く閉ざされた蕾を、舌でたっぷりと湿らせる。
自分では十分に時間をかけたつもりだが、進入を試みると、その男は苦痛に顔をゆがめた。
はやる気持を押えながら、なんとか先端部分を押しこむ。

「ま、待て・・・・痛い・・・」

 スランドゥイルはグロールフィンデルの腕に爪を立てた。

「入れてもいいと言った」

「言ったが・・・・とにかく待て!」

 あの時の、初めて犯したときのこの男を思い出す。
きっと、引裂かれるような苦痛だったのだろう。あの時は、今ほど優しくはしなかった。

 言われるままに、しばらく動きを止めて様子をうかがう。

「くそっ・・・やらしてやるなんて、言わなきゃよかった・・・」

「後悔を?」

 ずくん、と胸が痛む。

 やめるべきだろうか。欲望をコントロールできない子供ではないのだから。

「うるさい! 後悔はしているが、わしに二言はない! 動いていいが、ゆっくりだぞ!」

 やっと許しが出たので、再度ゆっくりと身を沈めていく。
少しは慣れてきたのか、諦めたのか、腕の下の男は、目を閉じて何度も深呼吸をした。

 焦って彼を傷つけないように、時々、窓の外に目をやる。
星を見て、心を落ちつかせ、またゆっくりと動き出す。
この繋がった時間を、早く終らせたくはなかった。
できるなら、このまま一生繋がっていたい。

 体を強張らせていることに、疲れてしまったのか、
スランドゥイルはぐったりとしてうつろに天井を見上げていた。

「まだ、痛いか?」

 その瞳を覗き込む。その蒼い瞳は、グロールフィンデルを捕えて、優しげに輝いた。

「ああ、痛い」

「私は、気持いい」

 そう言って、キスを落す。

「こんなに優しく包み込まれるのは初めてだ。ずっとこのままでいたい・・・・」

 スランドゥイルは、グロールフィンデルの髪を掻き上げた。そして、微笑む。

「いいものだろう? 愛されるってのは」

 愛される・・・・・この感覚が?

 繋がった箇所が熱く、体を満たしていく。

「私は・・・・・お前を愛していた。ずっと・・・・・」

 スランドゥイルの指が、グロールフィンデルの頬を撫で、その唇をなぞる。

「わしは、お前は好かぬ。だが、たまには愛されてやってもいい」

 これは、告白なのだろうか。

「もう、我慢できない」

 繋がった部分の衝動に、駆りたてられるように腰を動かす。
スランドゥイルは低くうめいたが、それを無視するように、
グロールフィンデルは最後まで登りつめた。

 

 

 

「中で出すな! 馬鹿者!!」

 引き抜いた瞬間、グロールフィンデルは拳で頭を殴られた。

 

 

 

 ぶつぶつ文句をいいながら、不機嫌そうに服を着るスランドゥイルを、申し訳なく見る。
そうは言われても、どうしていいのか、自分ではわからない。

「お前には、もっと調教が必要だ」

 シャツのボタンを留めて、ベッドから降りたスランドゥイルは
グロールフィンデルの胸を突いた。

「まったく、肉食獣みたいなやり方しか知らん!」

 飲みかけのワインの瓶を傾けて、残りを一気に飲干す。

「教えてくれるのか?」

 嫌味っぽく唇を吊り上げると。スランドゥイルは「ふん」と鼻を鳴らした。

「気が向いたらな」

 昔と変らない少年っぽさを残すスランドゥイルを、抱き寄せてみる。

「次は、お前を満足させたい」

 先ほどの情交で、スランドゥイルはイってない。

「生意気なことを言う」

 手をのばして、スランドゥイルはテーブルの上の、もう一本のワインの瓶を取り上げた。
それを口に含んで、グロールフィンデルの唇に押し当てる。

「・・・・!」

 口移しで飲まされた濃厚な液体に、グロールフィンデルは顔をそむけて咽た。

「わしを満足させるなど、こいつが飲めるようになってから言え!」

 口に手をあてたまま、ふつふつと笑いがこみ上げてくる。

 何故だろう、こんなに素直に、愛しいと思えるなんて。

「いい表情だ」

 スランドゥイルの言葉に、顔を上げる。

「今夜はこれくらいで勘弁してやる。宴会に戻るぞ。すっかり遅くなった。
息子はもういないだろうな。あいつはわしの宴会に、最後まで付き合ったためしがない!」

忘れてた。エルロンド卿を送っていかなければ・・・・。ふといつもの自分に戻る。

「あーまたしかめっ面になった。まあ、いい」

 スランドゥイルはランプを消して、ログハウスのドアを開けて外に出た。

「グロールフィンデル」

 歌うような唇で、彼の名を呼ぶ。

「星が綺麗だ」

 小屋の外で、並んで立ち、夜空を見上げる。

「愛されるってのは、いいもんだろう?」

 繰り返される質問に、

「・・・・ああ」

 と短く応える。

 多分これが、幸福というものなのだろう。