ギル=ガラドが死去した。

 

 彼の地位と財産、そして担ってきた責任を誰が受け継ぐのか。
それは、すでに決っていた。

 ギル=ガラドが彼の叔父からその地位を受け継いだように。

 生涯独身であった彼は、養子を一人迎えており、それがエルロンドである。
エルロンドは幼少の頃からギル=ガラドの意思を継ぐべく教育されていた。
よって、彼が後継者に選ばれた時、それに反論する者はいなかった。

 

 グロールフィンデル、彼はゴンドリンの生還者であった。
彼はもともと高貴な家で生まれたが、麻薬王サウロンによってゴンドリンが滅ぼされた時、
その全てを失った。幼いながらも戦い抜いた彼は、若き英雄と呼ばれるようになった。

 悲しみや怒り、憎しみを銃弾に込める彼を、周囲は利用していたのかもしれない。

 クールな殺戮者となる彼を英雄と祭り上げ、いつしか少年は、
感情というものを忘れていった。

 それでも彼は、優美なる容姿と、教養、そして身のこなしを持っていた。

 エルロンドは、グロールフィンデル以上に美しく完璧な人間を見たことがないと思った。
たとえ、笑うことがないとしても。

 最後の麻薬戦争の少し前に、グロールフィンデルはギル=ガラドに会うことになる。
ギル=ガラドは、エルロンド同様彼を一目で気に入り、その側近の座を与えた。

 グロールフィンデルが与えられた任務は、他の側近たちとは違っていた。

 それは、「エルロンドを守ること」。

 ギル=ガラドの後継者を守る責務が、グロールフィンデルに与えられた。

 そして彼は、それを完璧にこなした。

 

 ギル=ガラド亡き後、残された側近たちの地位はすでに決っていた。

 全ての中心となる彼の残した会社の長の座は、もちろんエルロンドが受ける。
副社長にはエレストールが任命された。が、エレストールは少々不満があった。
なぜなら、家柄の立場的にはギルドールの方が上であったのである。
しかし、ギルドールは役員になることを辞退した。
次に注目されるべきは「英雄グロールフィンデル」である。
エレストールがそれを口にしたとき、エルロンドは首を横に振った。

「エレストール、貴方以上の適任者はいない。
グロールフィンデルには、引続き私を守ってもらいたい。私の最も近いところで」

 それは、肯ける判断であった。

 

 エルロンドは、たぶんグロールフィンデルの唯一の理解者であっただろう。

 エルロンドもまた、幼くして両親を亡くしていたのだから。

(そうだ、私は・・・私の目の前で母が海に飛びこんだときのことを、
忘れることはないだろう)

 エルロンドは、絶望を憎しみに変える事はしなかった。
少なくとも彼は、(エルロンドの母を追いつめた犯人でもある)彼を拾った養父に愛され、
ギル=ガラドに必要とされてきた。

 そのエルロンドにとって、グロールフィンデルは尊敬し信頼していると同時に、
苛立ちも感じていた。それゆえ、最も近い存在であり、
また、本音を語れる友人でもあったのだ。

 

 

 

 エルロンドは、ギル=ガラドから受け継いだものの大きさを理解していた。
あまりに偉大だった彼の跡を、継がねばならない。

「ガラドリエルの娘と婚約する」

 エルロンドは、自室にグロールフィンデルを呼んでいた。

 自分が期待しているのは、彼の鋭い刃のような言葉だ。それは、自分の本音でもある。

「シンダールとの和解のためですか」

 両手に顔を埋め、違うと嘯く。

「結婚して家庭を持つことが、ギル=ガラドが私に望んだ事でもあるのだ」

「ギル=ガラドのためですか」

 そうだ、心の葛藤を、貫いてくれ。

 エルロンドは顔を上げ、グロールフィンデルの感情のない瞳を見た。

「私は、ケレブリアンを愛している」

 まるで、蔑むようにグロールフィンデルの目が細まる。

「愛しているから、結婚を望むのだ」

 ギル=ガラドの愛人であったあなたが? 女を本気で愛すると?

 口にしない蔑みの表情。

 エルロンドをそんな目で見るのは、彼だけだ。
グロールフィンデルは主に絶対服従を誓うが、決して完全に従属しているわけではない。
ギル=ガラドに対してでさえ、そうであった。エルロンドなど、尚更である。

「私を、軽蔑するか」

「貴方の生き方です」

 彼女は美しい。愛している。それは本当だ。

 エルロンドは、全ての完璧なるものを身につけなければならないのだ。
幸せな家族像も、その中に含まれている。時代は変るのだ。今までとは違う。
英雄は単なる犯罪者。その身を隠すための盾が必要だ。
それが、エルロンドの秘書という役職。

「お前は、私が気に入らないようだな。
今までの生き方を変える事を強要する私に、不満があるか」

「そのようなつもりは・・・・」

 図星だな。グロールフィンデルの口元が冷たく微笑む。

「エルロンド殿、貴方が私を気に入らないのでしたら、
いつでも解任して頂いてけっこうです」

 なぜ、そんなことを言う? 

 それは、あまりに自虐的だ。

「私から離れて、お前に生きる術があるものか。私はお前に対して責任がある。
お前を放すわけにはいかない」

「貴方には、何の責任もありません」

 平穏を知らないグロールフィンデルが、どうやって一人で生きて行けるのか。
孤独にこめかみを撃ち抜くのが関の山だ。

「お前には、私を守る義務がある」

「義務? どこに?」

 彼は、ギル=ガラドに従っていたのではない。彼の下でしか生きられなかったに過ぎない。
彼亡き後、エルロンドはどうやってグロールフィンデルを繋ぎ止められるのだろう。
彼の今までの生き方を否定してまで。

 だが、エルロンドにはグロールフィンデルが必要だった。

 彼の腕も、知識も。それ以上に、自分に堂々と物言いしてくれる人物が必要だった。

 

 エルロンドは、グロールフィンデルを尊敬していた。

 彼ほどの美しく完璧な人間はいない。

 感情に揺れ動く自分を、制御してくれるのは、彼しかいない。

 

「グロールフィンデル、何が望みだ? どうしたら私に服従する?」

 エルロンドを見つめるグロールフィンデルの瞳は、どこか途方もない彼方を彷徨う。

 欲しいものなど、何もない。

 金も、地位も、名誉も・・・・。

 

 ふと、緑の景色が思い浮ぶ。

 

「では、今宵一晩、貴方の肉体を」

 エルロンドは驚いて眉を寄せた。

「何を・・・・・」

「勘違いしないでいただきたい。私は欲しいものなど何もない。
だから、どうしてもと言われるのなら、肉体の欲求を満たしたいと思っただけです。
もちろん、そんなものは貴方が相手でなくてもよい。
しかし、この場合、貴方が相手でなくては意味がない」

 体を開け、と?

 愛情もないのに?

 

 少なくとも、エルロンドはギル=ガラドを愛していたのだと思う。

 だから、全てを許せると思った。

 愛情を伴わないセックスなど、考えたこともない。

 

「お嫌なら、けっこうです。無理強いはいたしません」

 はたして、今まで自分に選択権などあっただろうか。

 今までも、そして、これからも。

 それは、グロールフィンデルと変わりない。定められた道を、歩いていくしかないのだ。

 しかし、そんな運命を嘆くことはないし、傷を舐めあうほど弱くもない。

 

 お互いに、同情などしない。

 

「他に望みはないのか」

「私は何も望んでいません」

 彼の心臓は、氷でできているのか。

 それはあくまできっかけで、交換条件など何でもよいのだ。
たとえば、会社内の地位であるとか、家や車といった高級品でも。
エルロンドは何でも与えてやることができる。彼に従う女でさえ。
何でも与えてやることができる。

 その全てに興味がないから、目の前にあったものを口にしたまで。

 それを否定すれば、彼の全てを拒絶することになる。

 

 それでもためらうのは、肉体の必要以上の接触は、
自分でも気付いていないかもしれない自分自身を、相手に曝け出すことになるからだ。

 同時に、そうやって相手を知ってみたいとも思う。

 

 安易に与えられるものを与えても、そこに意味はない。

 彼を服従させるということは、己の全てを許すことと同じ。

 

「もうお話がないのでしたら、私は下がらせていただきます」

 ほんの戯れを口にしただけのように、グロールフィンデルは体の向きを変える。

 試されているのだ、と、エルロンドにはわかっていた。

「待て」

「まだ、何か?」

 迷いを断ちきるように、エルロンドはグロールフィンデルの美しい流れる金髪を眺める。

「お前の要求を飲もう。夜明までだ。夜明まで、私はお前に従う。
お前の望むようにするがいい」

 本気か、と問い掛けるように、グロールフィンデルは少し目を見開く。

 絶対的立場にあるあなたが、屈辱を受けるというのか。

「いいか、グロールフィンデル。お前にはそれだけの価値がある。
私は、何としてもお前を手に入れたい」

「私の言葉が過ぎたようです。私は貴方の肉体にそれほど興味があるわけではありません。
何もなさらなくても、私はあなたに従います」

「それではダメなのだ」

 椅子から立上がったエルロンドは、上着を脱捨て、シャツのボタンに手をかけた。

「私は、お前を私のものにしたい。そのための交換条件だ」

 グロールフィンデルは、己の口にした戯れを後悔しているのか。
エルロンドに近寄ろうとしない。

「私は抵抗しない」

「貴方を、殺すかもしれませんよ」

 殺す? エルロンドはほくそえむ。
そうか、彼にとってのセックスとは、そういうものなのか。
愛情の表れではない。相手に与える暴力としての認識なのか。

「これは命令だ。グロールフィンデル。私にお前の全てを見せてみろ」

 

 

 

 後悔という言葉があるなら、それはすぐに訪れた。

 自分が自分の師に抱かれた時、そこには愛情があったのだと認識する。

 グロールフィンデルには、愛情なんて言葉はない。

 乱暴で、粗雑で、肉欲だけの行為。

 優しく愛撫されることもなく、相手の痛みを考慮に入れない。

 エルロンドは、痛みをこらえるのにシーツを噛締めた。

「・・・く・・・ぅ」

 低くうめきながら、自分に押入ってくるものに耐える。

 やめてくれと哀願すれば、すぐに止めてもらえるだろうか。
それとも、始ってしまった暴走に、火を付けるだけだろうか。

 頭の中で、ぐるぐるといろんなことを考える。
戦いに明け暮れていたとしても、ギル=ガラドに守られ、愛され、
知識を身に付けることに費やした日々が懐かしい。

 そういえば、彼が死んだ時、自分は悲しんだだろうか。涙を流した記憶はない。
悲しむ余裕もない。

 一方的な暴力は、エルロンドの欲情を掻き立てはしなかった。
気分は萎えるばかりで、終りばかりを待ち望む。
むしろ、そうされることを望んでいるのかもしれない。
悲しみなんて感情を、殺してしまうために。

 うつ伏せに肩を抑えつけられ、腰だけを浮かす屈辱的な格好で、
エルロンドはその男に犯され続けた。相手の動きが早まり、体内に欲望を吐き出される。

「・・・・・・」

 動きが止ったことに安堵して、体の力を抜いて横たわる。

 が、エルロンドは肩口を掴まれ、仰向けにされた。

「まだ、夜は明けていませんよ」

 その言葉に驚いて、目を開ける。
グロールフィンデルの表情は、相変わらず冷たく、快楽に溺れていない。

 そのまま膝を持ち上げられ、再びねじ込まれる。

「!」

 思わず悲鳴があがる。その口に、グロールフィンデルはシーツの端を突っ込んだ。

「お静かに願います。誰かに踏みこまれては厄介ですから」

 冷静な声で言われ、肯く代りに目を閉じる。

 彼の体力を、甘く見すぎていたのか。夜明まで何時間? 
それまでずっと、犯され続けるのか。休む間も与えられずに。

 

 この男の欲望は、どこまで続くのか。

 

 数えることはできなかったが、エルロンドの体内から、彼の吐き出した体液が溢れている。
意識は朦朧とし、強制的に慣らされた体は、痛みをそれほど感じなくなっていた。

 

 そうか、彼の欲求はここにはないのか。

 だから、何度肉体が達しても満足できないのだ。

 

 悲鳴をあげることもなくなっていたので、エルロンドは布きれを吐き出し、
空気を求めて荒い息をくり返していた。

「誰かの代りに・・・・私を抱くのではないのか・・・・」

 うめくように呟く。

 グロールフィンデルの表情が、僅かに曇った。

「愛している者は・・・・いないのか」

「愛などという幻想」

 怒らせた? エルロンドが顔をしかめる。
グロールフィンデルの細くて長い指が、エルロンドの首にかかる。

「私は信じていません。本能の欲求に従っているだけです」

 

 うそだ。

 

 エルロンドは気付いていた。
グロールフィンデルが達する時、無意識にエルロンドの知らない誰かの名前を
唇が形取ることを。

 グロールフィンデルは、指をエルロンドの首から外した。

「私を苛立たせるような発言は、控えた方が賢明です。
私は、本当に貴方を殺してしまうかもしれない」

 

 そういうことなのか。

 

 満たされぬ欲求を、暴力という形でしか現せない。

 エルロンドは、グロールフィンデルの冷酷な理由を、理解した気がした。

 それでも自分は、彼を満たすことはできない。
少なくとも、彼が自分でも認めていない枯渇した愛情を。

 なら、他の方法で彼が生きていける術を差出すまで。
それは、たぶん、自分同様、余計なことを考えずにすむようにすること。

 

 何時間も何時間も、続けても満たされぬことをわかっていながら、
何故この男はやめないのだろう。  

 それだけきっと、不器用なのだ。

 なら、やめさせてやろう。

「夜が明ける」

 うつろな目つきで、エルロンドは窓の外を視線で指した。
グロールフィンデルが窓に目をやる。
ぶ厚いカーテンの隙間から、淡い光が差込んでくる。

「これで終りだ」

 最後の力でエルロンドは上体を起し、グロールフィンデルを押倒して馬乗りになる。
突然の体制逆転に、グロールフィンデルは口元を引きつらせる。

「あまり、私を甘く見るな」 

 抵抗はしないと言った。だが、自分から誘わないとは言っていない。

 エルロンドはグロールフィンデルの上で、彼の欲情を誘い、最後の一滴を搾り取った。

 

 

 

 もう、下半身に力が入らない。このまま横になって、泥沼のように眠りたかった。

 エルロンドが上から降りると、グロールフィンデルはベッドから抜けて立上がり、
窓辺のカーテンを引いた。そこから、朝の光が溢れて、疲れきった目を刺激する。
エルロンドは目を細めた。

 約束を果した。彼の要求を打ち負かしたのだ。

 グロールフィンデルは自分の服を探り、そこからコルトを取りだすと、
窓から差込む朝日の中、それを自分のこめかみに当てた。

 

 彼は、美しい。

 これは、神の悪戯か。

 決して温かみのない瞳の色は、彼を完璧な彫像へと押し上げる。

 

 指先で銃をまわし、
その銃口を握ってグロールフィンデルはエルロンドにコルトを差出した。

「私の命は、あなたのものです」

 それでいい。

 エルロンドは唇を吊り上げ、銃を受取った。

「これから先、私の許可なしに銃を握ることを禁ずる。
お前は常に私のことだけを考えて、私に尽せ。一週間の猶予を与える。
私の会社の詳細を全て頭に入れ、週明けまでに私のスケジュールを組みたてろ」

 グロールフィンデルは頭を下げた。

「・・・早速ですが、社長、シャワーを浴びてきてください。
その間にベッドを整えておきます。社長がお休みになったあと、
私はエレストールと今後の話合いを持ちます。昼食には呼びに参りますので」

 言われたとおり、エルロンドがシャワーを浴びて出てくると、
ベッドは何事もなかったかのように整い、サイドテーブルには氷の入った水が置かれていた。

 それを一口飲んで、ベッドに潜り込む。

 服を整えたグロールフィンデルが、疲れて眠りに落ちるエルロンドの傍らに跪く。

「・・・お前は・・・何を見ている?」

 グロールフィンデルは、目を伏せた。

「貴方だけを、見ましょう。・・・私を、光にお導き下さい」

 エルロンドは、目を閉じた。

 

 私とお前は、同類なのだ。

 共に、光を目指そう。