闇の森の朝は早い。

 そもそも、昨夜何時まで飲んでいたんだ? なんてツッコミは不要。
彼らはエルフなのである。眠らなくっても大丈夫。
2日酔いなんて言葉も辞書にない。

 夜の明けきらぬ時間を、スランドゥイルは愛していた。
森の木々に朝日が差込む。朝露に濡れた、宝石の草原を、ひとり散策する。
そして、王宮に戻って朝食をとる。

 穏かな一日の始りを、王はこよなく愛していた。

 朝食が済むと、一日の日程を決める。王とはいえ、他の国との交流はほとんどない。
ので、する仕事も少ない。たいてい、のんびりと森を逍遥するとか、
木陰でうたた寝をするとか、狩を楽しむとか。優雅な日常である。

 エスガロスや谷間の国(両方とも人間の国だ)との交易はある。
その書類に目を通して、何をいくらで買取るかなど、簡単で退屈な事務処理はある。
だが、今日は天気もいいし、気分もいい。そんな面倒事は、後に回そう。
スランドゥイルは、午前中は狩に出ることを決めた。

 急ぐこともない。従者を集め、馬に乗り、王宮を出る。

 その日の獲物は少なかった。

 そんな日もある。まあいいとしよう。スランドゥイルは王宮に戻って昼食の席についた。

 

「お食事中申しわけありません」

 警備の者が、軽く会釈をして入ってきた。

「来客です」

「どこからだ?」

「谷間の国の、バルド王です」

 普段、来客は好まないが、あの男は別だ。共に五軍の合戦を戦い抜いた。

「通せ」

 警備の者は頭を下げて、一度広間を出てから、来客を連れて戻ってきた。

「おお、バルド、よく来たな。一緒に食事でもどうだ」

「ありがとうございます」

 あの戦いの時より、かなり年はくっていたが、精悍な顔立ちの人間を、
王はにこやかに招きいれた。

「して、何か用か?」

「いえ。私も年を取りました。自由に遠出できるのも、これが最後になりましょう。
息子に王位を譲る前に、是非一度スランドゥイル王に挨拶をと思いまして」

 有限なる人間の寿命とは、せつないものだ。

「そうか。だが、訊ねてきてくれて嬉しいぞ」

 森の王は、年老いた人間の王と、にこやかに食事を楽しんだ。

「そういえば、王よ、レゴラス殿の姿が見受けられませんが?」

「・・・あれか? あれはじっとしていない性格だ。蜘蛛狩りに出かけていったよ」

「蜘蛛狩り、ですか?」

「知っての通り、昔の街道は蜘蛛だらけだ。弓の練習もかねて、な。
なに、ビヨルンの所にでも行ったら、戻ってくるだろうよ。息子に何か用でも?」

 バルドは優しげに苦笑して見せた。

「これが最後になるかもしれませぬゆえ、共に戦った勇士と、
昔話でもしたいと思っただけです。しかし、レゴラス殿は、
この森を本当に愛しておいでなのですな」

「うむ・・・今更蜘蛛の百や二百、殺したところでどうしようもないのだがな」

「それでも、何かをせずにはおられないのでしょう」

 愛息子をそんなふうに褒められて、王は少し照れくさそうに笑った。

「バルドよ、ゆっくりしていけるのだろう? 今宵は大きな宴を開こう。
楽しんでいってくれ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせていただきます」

 

 

 ゆっくりとした昼食の後は、面倒な執務が待っていた。
が、今日の来客に気をよくしたスランドィルは、気分よくそれに向った。

 この年のワインの出来は、あまりよいものではなかった。
例年より値を下げるべきだろう。しかし・・・スランドゥイルは頭を悩ませた。
そんな年だからこそ、少し多めに支払をして、ブドウ農家をねぎらうべきではないか。
来年、いいブドウが収穫できるように。しかし、エスガロスの頭領は根っからの商売人だ。
甘い顔をみせてはつけ上がる可能性もある。

 書類を前に頭を悩ませていると、また警備の者が現れた。

「王に来客です」

「来客だと?」

「ロスロリアンからの使者です」

「ガラドリエルは好かぬ。追い帰せ」

「しかし、面識のある男です」

「誰だ?」

「ハルディア殿です」

 ロリアンのガラドリエルは好かぬ。
だが、警備隊長のハルディアは、そう毛嫌いしているわけではない。
奴は、話のわかる男だし、なにより生粋のシルヴァンだ。

「わかった。通せ」

 警備の者は、ハルディアを連れてきた。

 ハルディアは丁寧にシルヴァン式の挨拶をした。

「ケレボルン様より、書状を預ってきました」

 やるな。ガラドリエルからと言えば、読みもせずに捨てるところだ。

 スランドゥイルは書状を受取り、嫌な顔をしながら、それに目を通した。

 スランドゥイル同様、森を一歩も出ないガラドリエルが、
どうしてこうも世情に詳しいのか。きっと、何かあらぬ魔法を使っているに違いない。

 書状の内容は、何年も前に討伐されたドル・グルドゥアの話と、
それに続くサウロンがモルドールに君臨し、兵力を集めている、という内容だった。
つまり、だんまりを決めないで、いいかげん手を貸せ、と。

 スランドゥイルはうんざりしたように、書状を放り捨てた。
覚悟していたハルディアは、さして驚かない。
ここで声を荒げて王を非難するようなら、即刻つまみ出されるだろう。

「・・・お気にめしませんか」

「ケレボルンに伝えろ。わしらを放っておけ、とな」

 ハルディアの視線は、悲しげに伏せられた。

「スランドゥイル王、私も、ケレボルン様と同じ意見であります。
私もシルヴァンです。この緑森が闇に犯され続けていることには、胸を痛めております」

「だが、ノルドになど、協力はせぬ。わしは、わしが戦う時は自分で決める」

 スランドゥイルの自尊心は、ハルディアには十分理解できるものであった。
彼もまた、戦士であるのだ。

「私とて、己の戦う時は選ぶつもりです」

 そんなハルディアに、スランドゥイルはニヤリと笑って見せた。

「ゆっくりと、旅の疲れを癒してから帰るがよい。今夜は宴会だ」

 それ以上、書状の話はしないと決めたスランドゥイルに、ハルディアも言及を避けた。

「・・・・スランドゥイル王、レゴラス殿の姿を見ておりませぬが?」

 スランドゥイルは、ひとつ溜息をついた。

「蜘蛛狩りに出ておる。何か用か?」

「いえ、私もレゴラス殿同様、弓を扱う者です。
レゴラス殿と弓の話をすることを楽しみにしておりました。
矢羽の角度や、矢尻に使う毒など・・・・」

 武器オタクが、ここにひとり。

「残念だったな。弓の練習も兼ねて、昔の街道を西に向うと言っておった。
後を追えば、蜘蛛の死骸が山ほど見られるであろう。
だが、ハルディアよ、そなたはそんな道楽にうつつを抜かしてはおれぬのであろうな」

 ハルディアは苦笑して見せた。

「レゴラス殿は、レゴラス殿なりに森を守りたいのでありましょうな」

 スランドゥイルは唇を吊り上げ、ハルディアに部屋を与えるので休むようにと言いつけた。

 

 

 さて、ワインの値段だ。

 どうしたものか・・・・・。

「王」

 スランドゥイルが眉間に皺を寄せたまま顔を上げると、
警備の者が、申し訳なさそうに来客を告げた。

「今度は誰だ?」

「イムラドリスからです」

「追い帰せ」

「それはないでしょう」

 警備のうしろからの、やや明るめの声に、スランドゥイルは肩を落した。

「エルロンドの放蕩息子二人か」

 エルロンドによく似た双子は、招かれるまで待つまでもなく、にこやかに入ってきた。

「何しに来た?」

「レゴラスに会いに。それから、宴会を楽しみに。
ついでに父からの書状も持ってまいりました」

「レゴラスは蜘蛛狩りに行っていて留守だ。宴会は夜まで待て。
書状はそのまま持って帰れ」

「そんな、つれない」

 若い二人のエルフは、顔を見合わせた。

「オーク狩りにうつつを抜かしておるおぬしらに、レゴラスをどうこう言えるか! 
宴会には招いてやる。それまでどこかで遊んでいろ」

 この双子、イムラドリスからの使いとして唯一この国に入れる。
それは、彼らにとってノルドールだのシンダールだのは関係ないからだ。
種族同士の諍いも興味ない。彼らは、自分のために戦っている。
そんなところが、スランドゥイルの気に入るところとなったのだ。
ちなみに、イムラドリスに出入りできる闇の森のエルフも、レゴラスひとりである。

「そうは言わず、受取るだけでも受取ってもらえませんか。
持ち帰っては、父に叱られます」

 仕方なさそうにスランドゥイルは書状を受取った。

 内容はロリアンからとたいして変りはない。
ただ、エルロンドはガラドリエルより譲歩している。
これからのことを話したいので、使いを(レゴラスのことだ)よこして欲しい、
と書いてある。

 スランドゥイルは、書状を丸めて捨てた。

「そんな・・・。返事はいただけないのですか?」

「心配するな。放っておいてもそのうち息子はイムラドリスに行くであろうよ。
あ奴は谷を気に入っておるのでな」

「それを聞いて安心しました」

 双子は嬉しそうだ。こやつらはレゴラスを弟のように可愛がっている。

「ほら、わかったらもう行け。宴会までに、わしは済ませねばならぬ仕事がある」

 双子は嬉々として出て行った。

 

 

 さて、ワインの支払だ。

 もう日は落ちかけている。

 やっぱり例年通りの額でいこう。ただし、と、書類の下に付加える。
来年のワインのできがよければ、倍額支払う。

 これでよし。

 さて、宴会の準備・・・・・・・。

「王よ・・・」

 警備の者が、非常に肩を落して入ってきた。

「今度は何だ!!」

 スランドゥイルも声を荒げる。

「その・・・ら・・・・」

「今日はこれ以上来客は受けつけぬ!」

「しかし・・・ガンダルフ殿の使いと言うことで・・・・ドゥナダンです」

 北方の国亡き民か。ガンダルフの使いとあらば、無下に追い帰すわけにもいくまい。
スランドゥイルは頭をふって、連れて来るように手招いた。

「お久しぶりです、スランドゥイル王」

 髭面の、汚い男が入ってくる。

「アラゴルンか。何用だ! わしは忙しいのだ! さっさと用件を申せ!」

 いつになく冷たい風当りに、アラゴルンは少しばかり驚き、
わざと申しわけなさそうに肩をすくめた。

「ゴラムという者を探しております」

「知らぬな。他をあたれ」

「いえ、そうではなく・・・その者はモルドールから脱獄したと思われ、
私とガンダルフで後を追っております」

「そういう話は、エルロンドにでもしろ!」

「エルロンド卿は知っておいでです。もし捕まえることができたなら、
こちらの土牢をお貸しいただきたいのですが」

「そういう輩は、イムラドリスにでも連れて行くのが道理であろう」

「そうなのですが、非常に姑息な奴でして。
そ奴を引きつれたまま霧ふり山脈を越えるのは、困難かと」

「ではロリアンにでも頼め」

「あそこには、囚人を閉じ込めておく場所はありません。
王よ、ゴラムなる者は、ひとつの指輪に関する情報を持っていると考えられます。
それは・・・・もしかしたら、ビルボ殿の指輪と関係するかもしれません」

 ビルボ、という言葉に、スランドゥイルはぴくりと反応する。

 気のいいホビット。勇敢なホビット。

「して、ビルボは今何処に?」

「ホビット庄で、平和に暮しております。ドゥネダインがその周囲を守っておりますゆえ」

 そうか、と、スランドゥイルは溜息をついた。 

「わかった。その代りそのナントカいう者の責任は、お前とガンダルフに任せる」

「ありがとうございます」

 アラゴルンは頭を下げた。

「ところで、レゴラ・・・・・」

「い・な・い!」