旅立ちの日を決めてしまうと、その晩の宴会は中止された。

「本当なら、派手な宴で送りだしてやりたいのだがな」

 王は残念そうに言った。

「人間もホビットも、夜は寝るものだ。
騒ぐのもほどほどに、早く床についてゆっくり睡眠を取った方がいいだろう」

 そうして、旅立ちの準備が進められた。

 ホビット達は、この数日ですっかり癒され、本来の目的が夢であったらよかったのに、
と愚痴をこぼした。メリーやピピンのみならず、サムまで。
裂け谷では、エルフは確かに美しいが、早くシャイアに戻りたいと言っていたのに。
ここの王は気さくな上に植物に詳しく、本来庭師であるサムの好奇心を
十分に満たしてくれたようだった。王は、フロドとも好んで話をした。
ここを去ってからのビルボのこと、ホビットのこと。
本当に、指輪の存在を忘れてしまったかのように。

「レゴラスさんは、ここに来てから、ずっと働いていますね?」

 サムに言われて、レゴラスはにっこりと笑った。

「君だって、自分の家に帰ったら、休む間も惜しんで庭の手入れをするでしょう? 
それと同じです。もっとも、ひと月もいれば、私はまた暇を持余して
彷徨に出てしまうでしょうけどね」

 旅の間中、ほとんど口を開かず、アラゴルン以外と話もせず、
近寄りがたい雰囲気を出していたあのレゴラスとは、別人のようだ。

「レゴラスさんって・・・なんていうか、寡黙で厳しいヒトだと思っていました。
エルフって、みんなそうでしょう?」

「寡黙だって?」

 話を聞いていたアラゴルンが、割って入る。

「レゴラスは間違いなく、スランドゥイルの子だよ。口は悪いし、自己中心的だし、
子供っぽいし。サム、見解を変えたほうがいい。
こんなエルフは、闇の森にしかいないがね」

「ひどいな。エルフってのは無邪気なものなんですよ? 
エルロンド卿や裂け谷のお堅い顧問たちに慣れすぎてしまっているんじゃないですか?」

 会話を聞いていたフロドもくすくすと笑う。

 ビルボの教えてくれた、陽気な闇の森のエルフたち。
感情的で、怒りっぽいが無邪気そのもの。
もう一度会いたがっていた、明るく陽気で優しいエルフ。

 ボロミアでさえ、そんなやり取りに笑っている。

「私は、父上のように酒乱ではありませんからね」

「そのかわり、放浪癖があって、年中貴族たちを心配させているじゃないか」

「貴方に言われたくないです!」

 痴話げんかともとれる口論に、誰もが荷造りの手を止めて笑った。

 笑いながら周囲を見回し、アラゴルンは思った。

 笑っていられるのも、ここを出るまでだ。

「アラゴルン、貴方が今何を考えているか、当ててあげましょうか?」

 腰に手を当てたレゴラスが、アラゴルンを覗き込む。アラゴルンは一瞬ギョッとした。

「アルウェン嬢のことでしょう? 
人間とは、いつも女性のことばかり考えているようですから」

 間近で見つめるレゴラスの瞳が、

『今は、余計なことを考えちゃ駄目。みんなを不安にさせる』

 そう訴えていた。

「・・・失礼な。女性のことを考えるのは、礼儀だ」

 レゴラスは、パッとボロミアに振向いた。

「そうなのですか?」

 ぴくっとボロミアの口元が引きつる。

「いや・・・私に聞かれても・・・。私はあまり女性に興味がありませんから」

「それはいけないよ!」

 ピピンがボロミアに飛びつく。

「サムなんかねぇ・・・」

「わーっ!」

 サムが慌ててピピンに駆寄り、また笑いを誘った。

 

 

 

 すっかり心和んだ旅の仲間は、宴会で酒が入らなくても、
十分に会話を楽しむ余裕がうまれていた。

 アラゴルンとボロミアに急かされて、楽しみ足りないホビット達も寝所に追いやられる。
レゴラスは所用があると席をはずし、最後にアラゴルンとボロミアが残った。

「本当なら・・・・もっと前にちゃんと話しておくべきだった」

 アラゴルンの言葉に、ボロミアは無言のまま盾を磨き続けている。

「正直、俺には迷いがある。あんな形でガンダルフを失うとは思ってもいなかったし。
はっきり言おう。今はまだ、お前と共にゴンドールに向うことに躊躇がある。
フロドのことも気がかりだ。いま少し、時間をくれないか? 別れ道にさしかかるまで」

 ボロミアは応えない。

「お前が、共に旅をしてくれることを、感謝している。
俺一人では、ホビット四人を抱えきれない」

「・・・・ドワーフとエルフがおるでしょう」

 投やりな言いぐさに、苦笑する。

「カラズラスでの二人を見ただろう? 
二人ともマイペースで、戦いでは戦力になっても、ホビット達を抱えて歩いてはくれない」

 ボロミアは失笑した。たしかにその通りだ。

「今しばらく・・・せめて別れの道に来るまでは、お前の手を貸して欲しい」

 盾を磨く手を止め、ボロミアは顔を上げた。

「私を、信用なさるか、アラゴルン殿? それとも、信用ならぬ者へ釘をさすつもりか?」

 ボロミアが何を言いたいのか、わかる。

「おまえ自身、不安に思っていることはわかるつもりだ。
指輪の誘惑を受けるのは、なにもお前だけではない。
エルロンドも、ガンダルフでさえ、あの指輪に触れることを恐れている。
たぶん、ロリアンのガラドリエルも、闇の森のスランドゥイルでもだ。
お前だけが特別なのではない。みんな、己の誘惑と戦っている」

「貴方は、どうなのですかな?」

 アラゴルンは少し考え、口元をつり上げた。

「俺も、例外ではない」

 最も恐れていながら、誘惑の声を耳にしてしまう。
フロド以外の、誰もあの指輪には触れることができない。

「アラゴルン殿、貴方には秘密が多すぎるようだ」

「そうかもな」

 会議の場でレゴラスが失言をしなければ、
アラゴルンがイシルドゥアの末裔であることさえ隠されていただろう。

「今はまだ、多くを明かすことはできない。だがボロミア、勝利の暁には、
互いにビールでも酌み交しながらすべてを打明けることができるだろう。
俺はまだ迷っているが、この先どのような道に進むことになるにせよ、
決してゴンドールを見捨てるつもりは無いことは、覚えていて欲しい。
たとえ一時期道を違えても、俺は必ずゴンドールに赴く」

 ボロミアは、磨き上げた盾と、紋章入りの剣、そして、角笛を見やった。

「何故貴方は・・・・そうまでして戦うのか?」

 アラゴルンは、胸に手を当て、服の下のオブジェを触った。

「結婚を、約束した女性がいる」

「恋人のために?」

「不確かな人間の未来より、ぬくもりをもつ女性を信じる方が容易い。
俺は、彼女のために戦う。意外だと思うか?」

 目に見えず、触れることもできない不安より、
目の前の愛すべき者を守りたいと願う方が、確かで心強い。

「お前は、そういう女性はいないのか?」

 口調を軽くして言うと、ボロミアはほくそえんだ。

「あいにく、私は女性に興味がありませぬ。だが・・・・そうだ、弟は違う。
平和が訪れれば、いずれ良い嫁を探すであろう。
そうだな、私はさしずめ、弟の結婚式を見たいというささやかな夢でも持つとしよう」

 結局、ヒトは世界の未来より、そんなささやかな夢によって立ちあがる力を得るのだ。

「ファラミアの結婚式には、是非呼んでくれ。俺も妻と参列しよう」

 穏かな朝の光のような夢物語に、二人の人間は笑いあった。
ふとボロミアが笑みを止める。

「弟を・・・存じておるのか?」

 つい口を滑らせてしまったことに、アラゴルンは苦笑いをして見せる。

「ゴンドールの後継の名前くらいは、知っている」

 そう言って誤魔化す。本当は、幼き頃の兄弟が非常に仲が良かったことまで
知っているのだが。

「お休み、ボロミア。大きい人も、寝るとしよう」

 ボロミアは立ち上がり、先に己の寝所に向った。
ひとつ溜息をついて、アラゴルンもその後に従う。

 ボロミアが部屋に入ってドアを閉めると、アラゴルンは壁によりかかって、暗闇を見た。

「よくできました、エステル」

「からかうな」

「ボロミアは貴方を信用するよ、きっと」

 暗闇から現れたエルフは、ふわりとアラゴルンに抱きついた。 

 

 

 

 旅立ちのときが訪れた。

 名残惜しさを残しつつ、旅の仲間は大広間の王の玉座の前に現れた。

「メリアドク、ペレグリン、今度森を訪ねてくるときは、事前に知らせるが良い。
湖の町からしこたまビールを取り寄せておくでな」

 メリーとピピンは嬉しそうな歓声をあげた。

「サムワイズ、今度は春に来ると良い。おぬしの興味を満たしてくれる
草花が見られるであろう」

 是非、とサムも答える。

「ギムリ、約束を忘れるでないぞ」

「おう、落ちついたらきっと仲間を連れて来る。内装の手直しにな」

 王は、にっこりと笑った。

「ボロミア」

 ボロミアの表情が、一瞬強張る。

「おぬし、少し宝石に対する目利を磨いた方が良いぞ。そうだな、
おぬしが結婚するときには、奥方にとびきりの首飾をプレゼントするとしよう」

 拍子抜けして呆然とするボロミアに、ホビット達がくすくすと笑う。

「それから、アラゴルン」

 王はアラゴルンをギロリと睨んだ。

「昨夜のことは目を瞑ってやろう。特別にな。だが、次は無いと思えよ」

 アラゴルンは顔を引きつらせた。王はにやりと笑い、
まるでくだらない世間話をするような表情で、エルフ語で言った。

『気をつけてゆくが良い。かの忌わしき王は、心弱い者から食らい尽す』

 フロドの表情が曇り、王ははじめてフロドもエルフ語がわかることに気がついた。
フロドに向き直り、目を細める。

『フロド、案ずるな。おぬしは強い。きっと、誘惑に打ち勝てる。仲間を信じるのだ』

「ビルボに会えなかったのは残念だ。寿命のある種族は不便であるな。
だがおぬしは、きっとまたわしの国を訪ねてきてくれ。約束だぞ」

 共通語に切り変えて言う。フロドは切なげに『はい』と返事をした。

「レゴラス」

 最後に息子の名を呼ぶ。

「この親不孝の放蕩息子が! 帰ってきたら、一週間は宴を続けるからな、
覚悟しておけ。のどか枯れるまで歌わせてやる」

 レゴラスはにっこりと微笑み、父に歩み寄り、しっかりと抱擁した。

『愛する息子よ、わしに無断でマンドスなどに逝くなよ』

『父上も。帰れる場所があるから、私は旅立てるのです』

 エルフ語で短い会話を交し、親子はそっと離れた。

「馬を貸してやる。森を抜け、アンドゥインに出るがよい。
船はくれてやるので、そこから川を下ればよいであろう。
馬は放せはまたここに戻ってくる。信じる者に道は開かれる。
わしは、再会のときを楽しみに待っておるぞ」

「ありがとうございます」

 一同は頭を下げ、広間を出て行った。

 

 そして、苦難の旅は再開した。

 

 

 

 

 余談

 君たち、重要アイテムをもらっていないよ? 玻瑠瓶ないと、この先困らないかい?