宴会はいつ果てるとも無く続いていたが、すでにうつらうつらし始めたホビット達は、 退出を許された。 レゴラスは、一度も座ることなく、楽団に混じったり、給仕にいそしんでいる。 王に目配せされ、アラゴルンがメリーとピピンを抱え、 サムとフロドは並んで王に暇を告げ、広間を出て行った。 宴会を楽しんでいたギムリも、さすがに疲れを見せ始める。 「ドワーフよ、部屋に戻って寝るがいい」 王に告げられ、心残りを見せながらも、ギムリも出て行く。 一人残ったボロミアは、所在無さ気に出ていった者たちを見送る。 「ボロミアといったな。おぬしに話がある。わしの部屋まで来い」 立ちあがった王に、ボロミアは躊躇しながらついていく。 レゴラスとすれ違ったとき、戸惑った表情を彼に見せた。 レゴラスは、一瞬神妙に王とボロミアを見、そしてボロミアの肩に軽く触れた。 「王は、あなたを取って食べたりしませんよ。それでも不安なら、ご一緒しましょうか?」 王も立ち止り、レゴラスを見る。 「父上、彼はエルフと言う種族に慣れていません」 息子の言葉に、王はおかしそうに鼻で笑った。 「人間よ、わしが恐ろしいか?」 恐ろしい? 武士としてのボロミアのプライドがくすぐられる。 「いいえ」 威厳を持って答えると、王はレゴラスに宴会に戻るように身振りをした。 ボロミアも、ひきしめた表情をレゴラスに向ける。 レゴラスは軽く頷き、王と客人のいなくなった宴会に戻っていった。 王の私室は、美しい宝石で飾られていた。特に緑色の石で、 木の葉や草花を模倣している。まるで、宝石の森にいるようだ。 王はクロゼットの引出しを開け、そこから一粒の大きな緑色の宝石を出し、 壁に飾られた剣をもう片方の手に握って、ボロミアの前に戻ってきた。 それを大理石のテーブルに並べて置く。 「ここにエメラルドと剣がある。どちらかをおぬしにやると言ったら、 おぬしはどちらを取る?」 「剣を」 ボロミアは即答した。宝石は確かに美しいが、ボロミアにとって宝石とは 『美しい』以上の意味を持たない。 「なぜだ?」 「私は武人です。磨かれた剣は我とわが国を守ってくれますが、 宝石にはただ眺めるしか用がありませぬ」 その答えに、スランドゥイルは嬉しそうに高らかに笑った。 「このエメラルドは、とても価値のあるものだぞ? そうだな、好きな者なら全財産さえなげうつだろう。それでも、おぬしは剣を選ぶか?」 「はい」 ボロミアの返答に、迷いは無い。 王は笑うのをやめ、真剣な面持でボロミアの目を直視した。 「おぬしは正しい。そのおぬしが、なぜ指輪を欲しがる?」 ボロミアは、冷水を浴びせられたかのように、血の気が失せるのを感じた。 ほんの数秒、まったく言葉を失う。 「・・・・・あれは・・・眺めるだけの宝石とはちがいます」 「違わぬ」 きっぱりとスランドゥイルは言った。 「昔話をしよう」 テーブルの前の肘掛け椅子に座るよう、ボロミアに手振りする。 半ば放心したように、ボロミアはすとんと腰掛けた。 「人間の生まれる前の話だ。エルフは、貴重な宝石を作り出した。 美しいだけの宝石だ。だが、それがもとで世界を変える戦いが起った。 何千年も、何千年も、戦いは続いた。多くの血が流れた。 エルフが最も栄えた時代、わしの生まれたエルフの王国は絢爛豪華で、平和だった。 だが、そのときの王の欲から、その呪われるべき宝石がわが国に持ちこまれた。 結果、どうなったか? 王はドワーフに殺され、国は同じエルフによって滅ぼされた。 愚かな歴史だと思うであろう」 ボロミアは答えない。 「あの宝石、シルマリルは力の指輪と同じだ。欲する者には多大な利益を与えよう。 だが、平和に暮すために絶対的に必要なものではない」 「しかし!」 ボロミアは、やっと重い口を開いた。 「ゴンドールは・・・今、『力』を必要としておりまする! モルドールの総攻撃は間近! このままでは、ただ滅ぼされるのを待つばかり! エルフの王よ、貴殿のご好意はありがたく思いますが、言葉の慰めなど、 今のゴンドールには不必要! 目に見える『力』こそが必要なのです!」 熱く燃える瞳に、スランドゥイルはしばし口をつぐんだ。 「・・・ボロミアよ、ゴンドールの子よ、おぬしはわしが地獄を見たことがないとでも 思っておるようだな」 王は目を閉じ、かつての王国に思いを馳せた。辛く悲しい敗北のくり返しに。 もし・・・自分のこの手にシルマリルがあったら、もっとうまく立回り、 王国を滅ぼすことはなかったか。力の指輪があれば、 最後の連合の戦いで大敗を帰さなかったか。この緑森を闇から救うことができたか。 もし、フロドからあの指輪を譲り受ければ・・・ この森は救われ、光を取戻すことができるか。 答えは、否、だ。 「わしは預言者ではないが、これだけは言える。 もしおぬしが力の指輪をゴンドールに持ち帰ることがあれば・・・ 間違いなくゴンドールは滅ぶであろう。これは、過去の過ちからの教訓だ。 サウロンの脅威に曝されているのは、わが国も同じ事。 おぬしがすがりつこうとしている『希望』は、偽りだ。 国を守るのは、剣と勇気であって、偽りの愚物ではない。 もし・・・今のゴンドールが壊滅的な被害を受けたとしても、 希望と勇気を捨てさえしなければ、再建の道はある。 わしとわしの父が、ごく僅かなシンダールの生き残りを率いて、 この森に新たな王国を建てたようにな。わしは、何度も敗北を経験し、 わしの父である先王を目の前で殺されたが、偽りの指輪に希望を託そうとは思わぬ。 一握りでも民が残っている限り、国は生き続けるのだ。わかるか? わしの『希望』は、息子であり、国民だ。おぬしの父にとってもそれは同じ事。 それに気付かぬだけだ。おぬしが指輪を持たずに国に帰っても、希望は残される。 だが、おぬしがそんな愚物のために命を落せば、おぬしの父、 ゴンドールの執政は大きな希望を失うこととなろう」 ごくり、とボロミアは息を飲んだ。 「わしは何千年も生きていて、やっとわかったのだよ。 悪は常にヒトの心の中にあるのだと。サウロンはその具現化したものに過ぎない。 身を滅ぼすのは、常に己の中にある悪が原因だ。最大の敵は、サウロンではなく、 己自身なのだ。それこそが、モルゴスの悪行の成果なのだ」 震える指を握り締め、ボロミアはうつむいた。否定する言葉が見つからない。 それでも・・・ゴンドールには、力の指輪が必要だと、 胸の中で誰かが悲鳴をあげている。それは、はたして自分自身なのか? 「ゆっくり休んで、考えるがよい、人間よ。おぬしが本当に愛しているものは何なのか。 この旅の意味も。もし強い衝動に囚われるのであれば、それはおぬし自身ではなく、 忌わしき指輪の誘惑なのだと思え。立ち止って考えれば、 何が一番正しいのかがわかるはずだ。わしは壮健なゴンドールの街を見たことはないが、 おぬしがそれを愛する気持はわかるつもりだ。 わしも、美しかったかつての王国を愛していた。今は海の底だがな。 失ってみてはじめてわかる。守るのは、国ではなく、民だ。民とは、最も愛するもの。 家族や友人。彼らの信頼。忌わしき愚物を、そこに持ち込んではならぬ。 種族は違えど、ヴァラールが与えたもうた愛情の対象に違いはない」 唇を引締め、拳を作ったまま、ボロミアは立ち上がった。何の言葉も出せず、 軽く一礼だけして、王の私室を出る。スランドゥイルは、その後姿を見送った。 ボロミアの出て行ったドアが閉められたあと、大きくため息をつく。 そして己も立ちあがり、薄暗い廊下に出た。