「はあああ」 王の寝室で、王子は盛大にため息をつく。 自室でワインを楽しんでいるスランドゥイルは、ため息をついてぼんやりする息子に、顔をしかめていた。 このところ、ずっとこんな感じで、警備の役に立ちやしない。まあ別に、王子が警備兵として働かなくても何の問題もないが。 「父上」 両手で頬杖をつきながら、夢心地な表情でレゴラスは呟いた。 「父上は、恋をしたことはありますか」 「!!!!!!!」 スランドゥイルは氷点下に固まる。 「あ、いえ、なんでもないです」 頬を染めてうつむく息子。 こ………これはっ?! 勉学のためにイムラドリスにやって、帰宅してからずっとこんな感じで、おかしいとは思っていたが…この感じは………!!!! スランドゥイルはワイン飲みかけのまま、すっくと立ち上がった。額に縦線くっつけて。 「…父上?」 「ちょっと出かけてくる」 「?」 イムラドリス。 最後の憩いの館。 館主はエルロンド。 知的で物静かで誰からも好かれる半エルフ。 今日も今日とて谷に面したお気に入りの部屋で、ゆっくりと読書を楽しんでいる。水の流れる音と谷からの風が心地よい。 「くぉらぁエルロンドぉーーーーーーーー!!!!!!」 ひくり、と頬を引きつらせ、振り向く。 そこには鬼の形相のスランドゥイルが息を切らせて仁王立ちしていた。 「こ、これはスランドゥイル殿。って、幻影ではなくホンモノですか?」 「ったりまえだ!!! 貴様らのように3D映像なんか送れるか!!!」 うんまあ、王族でもないし血筋的には一般庶民。 「それで、わざわざこのような場所へ? 御付きの方は? うちの警備の者は? ………もしかして、お一人で?!」 ふん、とスランドゥイルはふんぞり返る。 「…どうやって、館の者に見られずここまで…」 「馬鹿者! イムラドリスの構造など3000年前から変わっておらぬわ!」 そういえばギル=ガラド王がこっそり抜け道作って当時スランドゥイル王子に教えていたっけ。 「まあ確かにそうですが…。して、何用ですか?」 「貴様ぁっ! 息子にヘンな事しておらぬであろうな?!」 「はい〜?」 さすがのエルロンドもフクロウのように頭をひねる。 「イムラドリスから帰宅してから様子がおかしい」 おかしいとか言われても…。 「よいか、ここには勉強のために来させるのであって、それ以外の余計な事を教えるでない!」 「余計な、とは…」 「息子に指一本触れるなと言うておる!!!!!」 ぽん、とエルロンドは手を打つ。ああ、なるほど。 「息子におかしなことをしてみろっ貴様の首をかき切って、天上から吊るして、ノルドールの血を全て抜いてやる!!」 うーん、それでは半分も血を抜けないのでは? 「レゴラス殿に触れてはおりません」 私は。 「本当だろうな?!」 「ヴァラールに誓って」 ぎりぎりと歯軋りをして、スランドゥイルはくるりと背を向けた。 「お帰りですか? 食事でも用意させますが」 「ノルドのメシなど胸くそ悪い!」 悪態をついて、「邪魔した」と吐き捨て、どかどかと出て行くスランドゥイルを、エルロンドは微笑んで見送った。 「また、いつでも来てください」 「はて、見知った者がいたようですが」 スランドゥイルが出て行った隠し扉の反対側から、湯気の立つハーブティーを手にしたグロールフィンデルが現れる。 「スランドゥイル殿のことか」 ひくり、とグロールフィンデルの片眉が上がる。 「報告は受けておりませんが。警備は何をしているのでしょう」 「警備のいない抜け道がある」 「ほほう、そんなものが………あるのは存じておりますが、なぜスランドゥイルが知っているのです?」 「ギル=ガラド王が教えた」 ほう、と顎を上げて見下ろすグロールフィンデルの表情は、(あのガキ余計な事を)と言っている。 くわばらくわばら。エルロンドはグロールフィンデルと目を合わせないようにハーブティーを受け取った。 「スランドゥイルは何を?」 「レゴラス王子に指一本触れるなと」 その親馬鹿っぷりは、むしろ微笑ましい。エルロンドも三児の子持ちだ。 「それは、触れるのを前提に話しておりますね? ではご期待に違わぬよう、次王子が来訪した折には色々楽しませていただきましょう」 否、駄目だから。 「あのような若いエルフにはここ数千年お目にかかっておりませぬゆえ」 あ、うちの子供たちはカウントされないんだ? 「若葉を貪るのも久しぶりに悪くありませんな」 だから、駄目だから。 「本気か?」 「もちろん」 さすがのエルロンドも、ぎろり、とグロールフィンデルを睨む。 「冗談です」 平然とグロールフィンデルは言ってのける。エルロンドはため息をつく。 「ちなみに、聞くのも怖い気がするが、そなたが食した最も若い者は誰かね? 私の知らぬ者ならよいが」 「よく知っておりますよ。エレイニオン坊ちゃんです」 エルロンドは頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られた。 やっぱり…やっぱり…そうなんだ?! だからギル=ガラド王はグロールフィンデルにいつもびくびくしてたんだ…。 【回想】 「グロールフィンデル、エレギオンにエルロンドと共に赴くように。エルロンドを主とし、その身を守れ」 (何言ってるんだ、ガキがっ。当たり前じゃないかっ) (うわ〜ん、ごめんなさいごめんなさいっ) 「御意」 「うーん、ミントティが美味しい!」 エルロンドは脳ミソに冷や汗をだらだら垂らしながらハーブティーを手に取った。 「して、冗談はさておき、スランドゥイル王自らこのような場所まで来られるとは、いったい何が目的なのでしょう?」 エルロンドは、香り立つ澄んだ茶褐色のお茶をしばし見つめた。 「グロールフィンデル、スランドゥイル王は、愚かではない」 「存じております。何を勘ぐっているのか、何を知っているのか、です。あるいは、何を牽制しているのか」 ぱたぱたと軽い足音がして、エルロンドとグロールフィンデルは一斉に部屋の入口を見た。 「エルロンド卿!!」 息を切らせて走り込んできたのは、まだ幼い黒髪の少年。人間の。 「エステル、卿の御前では静かに」 グロールフィンデルに窘められ、少年はあからさまにしょげる。 「かまわぬ。エステル、何用かね?」 エルロンドが少年に微笑みかけると、少年は握っていた手のひらを広げた。興奮して瞳がきらきらしている。 その輝きは、エルロンドに、今は亡き兄弟エルロスを思い出させた。 「ドングリがあったんです!」 「ほう? 木の実が茶色く熟すにはまだ早いが」 「そうですよね?! まだこの辺の木の実はみんな緑色で小さいんです! これだけが茶色くて大きいんです! 何でですか?」 「なぜかな」 エルロンドは曖昧に答え、グロールフィンデルは、そんなことより読むように言ってあった歴史書はちゃんと読んだのか、 と少年をたしなめる。少年は唇を尖らせ、自分で見つけたドングリに見入る。 「レゴラスならすぐ答えてくれるのに。レゴラスは木の事とか森の事とか、何でも知ってるし。 ねえ、エルロンド卿、レゴラスは次はいつ来るんですか?!」 「それはわからない」 「じゃあ、すぐ会いに来てって手紙を書いたら、来てくれるかな。手紙を書いたら、届けてくれますか?」 「そうだな、エルラダンとエルロヒアに届けさせよう」 ぱあっと少年の表情が明るくなる。 「じゃあぼく、手紙書く!」 踵を返して、パタパタと走り出て行く。エルロンドは少年を微笑ましく見送る。 「あれ、ですか」 ふとエルロンドは笑みを消した。 「ある意味、私が陵辱するよりたちが悪い」 グロールフィンデルの冷たい言葉に、エルロンドの中の冷静なノルドールの血が囁く。 「我らが王子を陵辱したところで、王子の肉体を傷つけるに過ぎないが、 希望の子、エステルに心を奪われれば、魂をも破滅しかねない」 エルロンドの冷酷な部分に触れるとき、グロールフィンデルはちくりと胸を痛めた。 「運命は変えられぬ」 エルロンドは、開いたままになっていた本を、ぱたり、と閉じた。 「グロールフィンデル、レゴラス王子に指一本触れるでないぞ」 「スランドゥイル殿の怒りかいますからな」 「いいや、王子はエステルのものだからだ」 エルロンドは、意味ありげに微笑んで見せた。