「どうだね?」 なにがどうなのか。 いつものように夜コーヒーを運び、 目の前の椅子にいつものように座るよう促された後、 ギル=ガラドは開口一番そう尋ねた。 質問の意味はわかっている。 グロールフィンデルが自分に張り付いて、3日が過ぎた。 それまで、そのことに関して、ギル=ガラドは何の発言もしなかった。 一日目から、なんど意図を尋ねようと思ったか。 だが、エルロンドも発言の機会を待った。 張り付いた翌日にそれを口にするのは、逃げ腰ととられるようで、嫌だった。 「・・・・どうも・・・落ち着きません」 エルロンドは、この屋敷では、むしろ孤独な方であった。 友人と呼べる者がいるわけでもなし、むやみやたらと誰にでも話し掛ける性格でもない。 それに、その方が気が楽だった。思う存分、自分の勉強に時間を費やせる。 グロールフィンデルがそれを邪魔するわけではない。 彼もまた、無駄な発言はしない人物だ。ただ黙ってエルロンドの後ろに立っている。 それがまた、威圧感がある。 「プライベートと言うものが・・・・」 「プライベート?」 エルロンドの言葉に、ギル=ガラドは失笑した。 「そんなものは、ない。人の上に立つとは、そういうことだ。 常に誰かから見られ、監視されている。 少しでもおかしな行動をとれば、その地位が揺らぐ」 つまり、グロールフィンデルがエルロンドに完全に張り付いているということは、 エルロンドの個人的時間を剥奪したと言うことになるのか。 「それゆえ、側近を選ぶのには慎重にならざるを得ない。 最も信頼のおける者しか、そばに置くことができない。 わかるね? 君はまだ、グロールフィンデルを信頼していない。 私は彼を信頼している。だから、私の個人的な時間に立ち会うことも許す。 私は、君のことも信頼している。だから、君とプライベートな時間を過ごせる。 言っている意味がわかるか?」 信頼・・・・。 「私はコンピューターでもロボットでもない。人間とは、信頼関係で成り立つものだ。 たとえ、その一面しか垣間見ることができないとしても。 グロールフィンデルは、決して信頼を裏切らない。 不必要なことを口外することもない。味方につければ、これほど有能な存在はない」 じっと聞き入りながらも、エルロンドはそこに矛盾を感じる。 言っていることは、確かに正しい。だが・・・・。 ギル=ガラドは常に他人に対してその一面しか見せない。 グロールフィンデルもそうだ。表向きだけの信頼関係。あるいは・・・? 「君は、グロールフィンデルを恐れている」 恐れている。そして、惹かれている。 「彼は、私を認めておりません。まるで・・・教育前の子供か何かのように扱います」 「それは、君の責任だ。エルロンド」 ギクリ、と胸が痛む。 「私は賭けているのだよ。 グロールフィンデルが君を潰すか、君がグロールフィンデルを飲み込むか。 それは、君しだいであり、私が助力することではない。 前にも言った筈だ。私について来られないのであれば、 いつでもその立場を放棄してよい。強制はしない。 君が別の道を歩きたくなったのであれば、私は非難しないし、 別の道を歩む君に援助を惜しまない。君の兄弟が、己の選んだ道を歩むように」 不意に、その名を思い起こされる。 エルロス・・・・・・ 一度、手紙をもらっただけだ。 そして自分は、返事を書いていない。 決心が揺らぎそうで。 「質問は受けるが、愚痴は受け付けない。私は君に、嫌々ここにいて欲しくはない」 唇を結び、ぎゅっと握った手を見る。 「ギル=ガラド卿は、グロールフィンデルを理解していますか」 質問の意味を探るように、ギル=ガラドはエルロンドを見つめる。 「理解はしていない。彼を操る方法を知っているだけだ」 果たしてそれを、信頼と呼ぶのだろうか。 「考える時間を、ください」 エルロンドは、やっとそれだけ呟いた。 ゴンドリンに関する資料を集めて、一晩中エルロンドはそれに読みふけった。 トゥアゴンは、すばらしき武人であり、領主であった。 彼と彼の貴族たちとの絆は深い。なぜそうあることができたのか。 トゥアゴンは、貴族たちに何を与えたのだろう。地位、権力、財産・・・・? そんなもので、彼らは真からの忠誠を誓っていたのだろうか。 12ある貴族の家系も、何度も読み返す。 もっとも高い地位にあったのは、泉家と金華家。 その金華家の宗主がグロールフィンデル。・・・に、なるはずであった。 彼の襲名式の当日、ゴンドリンは陥落した。 泉家の資料の中に、ひときわ目を引く写真があった。古いものだ。 泉家の最後の宗主であったエクセリオン、彼の襲名式の写真だ。 年は今のエルロンドと同じか、もっと若い。気品のある顔立ち。 そして何より、自信に満ちている。きっと、すばらしい人物であっただろう。 グロールフィンデルが横に立ち並ぶだけの・・・・。 彼は、いったい何を失ったのだろう。 家族、友人、忠誠を誓う領主・・・・。 何が彼を狂わせるのだろう。 すべてを失った彼に、何を与えられるのだろう。 何を与えたら、彼は狂気の淵から立ち戻れるのだろう。 エルロンドは、頭を抱えて突っ伏した。 自分に、何ができるのだろう、と。 「・・・・・・・」 ふと、ひらめきを感じて顔を上げる。 自分は、いったい何をしているのか? グロールフィンデルが手の内にあるということは、 ずっと気にかかっていたことを実行できるチャンスではないか。 エルロンドは急いで自分の手帳を漁った。 昼食の後、エルロンドはグロールフィンデルを自室に呼んだ。 グロールフィンデルは、エルロンドが自ら出向くことを良しとしていなかった。 「明日、午前10時に大学病院に行きなさい。診察の予約を入れてある」 グロールフィンデルは眉根を寄せた。 「君の過去のカルテは入手して読ませてもらった。 君は重傷を負っていて、その後医師の診察は受けていないね? 今回、外科と内科の予約を入れた。一日かけて精密検査を受けなさい」 冷静ではあるが、グロールフィンデルの表情は憤慨しているようであった。 そのような命令を受ける覚えはない、そう言いた気に。 「理由をお聞かせください」 反発されることはわかっていた。 「私は君の主人である以上、君の健康管理も私の責任である。 あれだけの外傷を負った後の経過が知りたい」 「どこにも問題はありません」 「これは、命令、だ」 命令、という言葉は、極力使いたくない。 きっと、トゥアゴンという人物は、そんな言葉を使わずに貴族たちを動かしていただろう。 それでも、その言葉に忠実にならざるを得ないグロールフィンデルの性質は、わかっていた。 不満げに、それでもグロールフィンデルは了承した。 グロールフィンデルの検査の結果が出ると、 エルロンドは頼んでおいた外科医の元を訪れた。 彼には、それとなく精神分析も頼んでおいた。 「以前のカルテと比べても、驚異的な回復力を見せている」 外科医は言った。 「もうほとんど問題はない。完治といっていい。 基礎的な鍛え方の違いと、若さゆえだろう。 それに、かなりリハビリも積んでいると見える」 エルロンドは、ふと肩をなでおろす。 「体力テストは行なっていないが、左手な、骨が砕けていたようだが、 今では日常生活に支障がないだろう。たいしたものだ」 「ありがとうございます」 外科医は検査の結果をエルロンドに手渡した。 「しかし、精神科の受診を勧める」 検査結果の紙を眺めながら、エルロンドはその指先に力をこめた。 「私は専門家ではない。 だが、問診のとき、外的症状以外の質問をすると、態度がこわばる。 記憶喪失とあったが、特にその点を口にすると、 わからない、覚えていないの一点張りだ。 現在の体調を尋ねても、問題ないとしか答えない。 普通記憶の混乱があると、思い出すことに必死になるものだ。 むしろ、思い出すことを拒んでいるようにも見える。 はっきりとは言えないが・・・・うつに近い症状があるのではないか? 精神科のカウンセリングを受けた方がいい」 エルロンドは記された数値を見つめたまま、ゆっくりと首を横に振る。 「本人が、それを望みません」 「精神病患者のほとんどは、己のそれを認めないのだよ。 誰かが引きずってでも連れて行かないと、治らない場合が多い」 顔を上げないまま、深くため息をつく。そんなことは、わかっている。 「エルロンド君」 「申しわけありませんが、私にはできません」 外科医は、自分の机を『バン』と叩いた。 「血液と尿の検査から、薬物反応が出ている! 見てのとおりだ! 中毒患者だぞ! 放っておけば、内蔵がやられるかショック症状を起こす! 君は医者ではないが、医学を学ぶ者として見て見ぬふりをするのか? 本来なら、強制入院を勧めたいくらいだ! 外的症状など問題にならない!」 検査結果の紙を、エルロンドはぐしゃっと握りつぶした。 「精神科の診察は受けさせません」 「ギル=ガラド教授に報告を」 「ご自由になさってください。私は、ギル=ガラド卿から彼を一任されています」 強い声で言った後、エルロンドは落ち着くように深呼吸をした。 「・・・・すみません・・・・」 外科医もため息をつき、頭を振った。 「いや・・・私こそすまなかった。役に立てなくて申しわけない」 ぐしゃぐしゃになった紙を広げ、丁寧に折りたたむ。 「一般的な中毒患者とは違う。しっかりした青年だ。 多分彼は、己の精神力で己をコントロールしている。 それだけに、どこかに逃げ道を見出したいのだろう。 他の事に目を向けられれば、薬などに頼らなくて済む」 診察結果をしまうと、エルロンドは立ち上がった。 「ありがとうございます」 頭を下げ、出て行く。外科医は深くため息をついた。 その日のうちに、エルロンドは自室にグロールフィンデルを呼んだ。 怪我の完治を知らせる。グロールフィンデルは、当然だと言う顔をした。 「君の所有している薬を、すべて没収する」 そう告げたとき、明らかにグロールフィンデルは狼狽していた。 「頭痛、不眠等、症状があるときは、私に申し出なさい。そのたびに私が処方する」 グロールフィンデルはエルロンドを見つめるだけで、何も答えない。 それは、心臓病患者が発作の薬を取り上げられたかのようであった。 あまりに、その表情は痛々しく、エルロンドは決心がぐらりと揺れるのを感じた。 今まで、ギル=ガラドでさえ、 彼が己を保つために必要だったものを取り上げたりはしなかった。 私は間違っているか・・・・? 間違っているのか? 「拒否したら・・・?」 「君を精神病棟に縛り付ける」 あれだけあれば、立っていられる。誰の役にも立てる。誰の命令も受ける。 「あなた方が必要なのは、今こうしてかしずく私であるはず。 私は私に与えられた責務をこなしています。問題はないはず」 あなた方、・・・そう言ったか? そうだ、グロールフィンデルにしてみれば、 自分に命令する者は、誰だって同じなのだ。誰でもいいのだ。 誰でもよくなんて、ない。 エルロンドは、胸に湧き上がる感情に、自ら驚いた。 これは、嫉妬、だ。 彼は私のものだ。 誰のものでもない。 ギル=ガラドの所有物でもない。 あの港町を出てから、初めて手にした、自分だけのもの。 私だけのものだ。 「私は君の主だ。私の指示に従いなさい。口答えは許さない。 君の持っている薬を、今すべてここに持ってきなさい」 エルロンドの瞳の色に、グロールフィンデルは何を感じたのだろう。 調子に乗ってる馬鹿な子供か、気取った独裁者か。 どちらにせよ、グロールフィンデルはくるりと背を向けると、 エルロンドの部屋を出て行った。 そして、数分後、両手いっぱいの薬ビンを持ってきて、エルロンドの机の上に投げ落とした。 半分は空になっている。 「すべてなくなったら、どうするつもりだったのだ?」 一つ一つラベルを確かめ、机に並べながらエルロンドは尋ねた。 ここでは誰も、彼に薬の調達などしないはずだ。 「入手方法なら、いくらでも」 いぶかしげにエルロンドがグロールフィンデルを見上げる。 「カランシア殿の所では、報酬をもらっていたのか」 「そうです」 「それがすべて、薬代になっていたのだな?」 「・・・・・・・」 グロールフィンデルは答えないが、彼に一歩踏み込んだ感触はあった。 すべて並べ終えると、エルロンドはメモ用紙の上に頭痛薬数錠と、睡眠薬を出し、 折り紙のようにそれを包んでグロールフィンデルに手渡した。 「今夜の分だ。追加は出さない。明日の分は明日渡す」 受け取ったグロールフィンデルは、不思議そうに紙の包みを見つめた。 「私は鬼畜ではない。今すぐ君に薬をやめろとは言わない。 私が管理すると言っているのだ」 「・・・・・不思議な、折り方だ」 呟いたグロールフィンデルに、エルロンドは少し哀しげに口元をゆがめる。 「折り紙・・・母は器用で、よく白い紙を折って遊んだ。知らないのか?」 紙の包みからエルロンドに視線を移したグロールフィンデルは、 はじめて見るほど純粋な瞳をしていた。 それは、はじめて見るものに興味を示す、子供のようだ。 そうか、これだ。 厳しい教育を受けてきたグロールフィンデルは、 きっと新しいことを学ぶことに喜びを感じていただろう。 だからこそ、何でもこなせるようになったのだ。 過去の模倣を強要してはいけない。 彼が消し去りたい過去なら、思い出したくないことなら、思い出さなくていい。 新しいことを、はじめればいい。 しかし、そんなに簡単に、上手くいくか? いや、何かに興味を持てば、とりあえず頭痛薬が1錠減るかもしれない。 「おしえてあげよう」 エルロンドは、何枚か新しい紙を出し、グロールフィンデルに手渡した。