グロールフィンデルは、ギル=ガラドのそばで働いていた。
護衛として、どこにでもついていく。時には、運転手の役も果たす。

 突然現れた若者が、ギル=ガラドの信用を買い、
側近の位置を与えられたことに不満を示す者もいた。

「若造が」

 悪態をつく者を、グロールフィンデルは気にする風もない。

「ゴンドリンの生き残りだかなんだか知らないが、青二才に何ができる」

 ある晩、屋敷の裏庭で、グロールフィンデルは年配の男に詰め寄られた。

「せいぜい、そのきれいな金髪を振り乱して尻尾を振ればよい」

 何も言い返さず、むしろ相手を馬鹿にしたように見ている青年の、胸元を掴む。

「ガキの身の振り方を教えてやろう」

 ニヤリ、と男が笑ったとき、グロールフィンデルの右手が動いた。

 素早く隠し持っていた銃を取り出し、男の眉間に突き立てる。

「愚弄されるのは、好まない」

 迷いのない指が、引き金にかかる。

「・・・・・・」

 力がこもる寸前、突然背後から伸ばされた手に、右手は跳ね上げられた。

 夜空に、銃声が響く。

 男は蒼白な表情で、ぺたりと座り込んだ。

「私の屋敷で銃を抜くことは、厳禁だ」

 それは、ギル=ガラドその人であった。

「申しわけありません」

 無表情のまま、グロールフィンデルが頭を下げる。

「私の決定に不満があるようだな? 
私に従わない者を屋敷に置いておくつもりはない。君を解雇する」

 ギル=ガラドの言葉に、男は震え上がった。

「・・・・これは・・・違うのです! ギル=ガラド卿!」

「明日の午前中に出て行きなさい」

 部下の謀反に気分を害したギル=ガラドに、取り付く島もない。

 銃声に驚いた住人たちが、ばらばらと出てくる。

「今この大切なときに、私に従う意思のない者は、いつでも出て行きなさい」

 周囲を見回して、ギル=ガラドはきっぱりと言い放った。

「グロールフィンデル、君もくだらない挑発になど乗らないように。
若さゆえの過ちなど、私は認めない」

「はい」

「ついてきなさい。君に話がある」

 ギル=ガラドは屋敷の中に歩き出し、グロールフィンデルはそれに従った。

 

 エルロンドは、自室の窓からそれを見ていた。

 グロールフィンデルは、狂気と紙一重の存在だ。

 危険だ、と思う反面、やはり惹かれてしまう。氷のような美しいマスク。
従順な姿勢。鋭利な刃物のような瞳。

 よほどの者でなければ、彼を従わせるのは難しいだろう。
彼はプライドが高い。己の価値を知っているのだ。

 

 薄暗い夜の廊下を歩きながら、ギル=ガラドは多少の疲労を感じていた。
もっと、足場を固めなければ。ゆっくりとした時間は、ない。

「グロールフィンデル」

 前を歩きながら名を呼ぶと、すぐ後ろでグロールフィンデルは返事を返した。

「今夜から、君はエルロンドに従いなさい」

 さすがに驚いたのか、グロールフィンデルの足が止まる。
ギル=ガラドも足を止め、振り向いた。

 思っていたとおりだ。
グロールフィンデルは、エルロンドを多少頭の切れるだけの学生にしか見ていない。
いや、確かにそのとおりだ。今はまだ。

「お言葉ですが・・・・」

「エルロンドは優秀な私の学生、としか見えないのだろう? 
君が従う価値など、ない、と」

 肯定の言葉を差し控える。

「私は私の後継者としてあれを育てている。充分な資格はある。
だが実際、君の思うように、足りない部分も大きい。だからだ。
君にあれを育ててもらいたい」

 グロールフィンデルは眉根を寄せる。

「君が、君の主たるに足りる存在に、エルロンドを押し上げるのだ」

 どういうことなのだ、と、グロールフィンデルは表情をゆがめる。

「君ほどの者にかしずかれるという事に、エルロンドは慣れなければならない。
紙の上でどんなに学んだとしても、実際動かしてみなければ、
人の動かし方はわからない。エルロンドにはまだ甘さがある。
情では部下をまとめるのにも限度がある。時には非情にもならねばならぬ。
君がそれをエルロンドに教えるのだ。了承は確認しない。これは、命令だ」

 グロールフィンデルは、結んだ唇で、じっとギル=ガラドを凝視した。

「今夜から君は、エルロンドのことだけを考え、彼の命令を最優先するように。
もし仮に、彼と私が同時に命を狙われることがあれば、
君は迷わずエルロンドを援けなさい。
エルロンドに対する非服従は、私に対する裏切りである」

「・・・・・・・はい」

 グロールフィンデルの返答を待って、ギル=ガラドは再び歩き出した。

 エルロンドの部屋の前で立ち止まり、ささやくように命令を下す。

「私が呼ぶまで、ここにいなさい」

「はい」

 グロールフィンデルも小声で答え、
警備兵のように壁を背に、手を前に組んでじっと立った。

 

 ノックもなく部屋のドアが開けられると、
エルロンドは向かっていた机から飛び上がるように立ち上がった。

「ギル=ガラド卿! なにか用がおありでしたら、私から出向きますものを」

 後ろ手にドアを閉めたギル=ガラドは、何も応えない。

「・・・・?」

 ゆっくりと歩み寄ったギル=ガラドが、エルロンドの顎に手をかける。
それが何を意味するのか、エルロンドは察した。

 彼との情事は、慣れたものになっていた。

 痛みは、いつしか快楽に変わる。

 いつも冷静なギル=ガラドが快楽を求めるのは・・・・
そう、グロールフィンデルが薬に手をつけるのに似ている。

 一時の、心の開放。

 それで再び彼が冷静さを取り戻せるなら・・・・それくらいの代償は安いものだ。

 自分は、彼に従うと誓った。自分自身に誓った。
ならば、それくらいの代償は払って当然だ。そう思える。

 それに、欲望を見せられることは、嫌ではなかった。
自分は特別な存在なのだ、その証なのだ。

 

 それでも、自分から肉欲を求めることはない。
天井をぼんやりと眺めながら、これは己の果たすべき役割なのだと、
麻痺する頭で考えた。

 

 行為が済むと、ギル=ガラドは何事もなかったように服を調え、ドアに向かう。
半ば放心したエルロンドは、目だけでそれを追った。

「エルロンド、君に贈り物がある」

「?」

 ドアを開け、振り向いて口元で笑む。

「グロールフィンデル」

 ギル=ガラドが名を呼ぶと、ドアの向こうで立っていた青年が、体の向きを変えた。

「!」

 エルロンドは息を飲み、慌てて毛布を引き寄せた。

「今この時より、グロールフィンデルは君のものだ。君だけに従う」

「ギル=ガラド卿?!」

 驚き叫ぶエルロンドを無視して、ギル=ガラドはグロールフィンデルに入るよう促した。

「エルロンドを清浄してやり、休む準備を整えなさい」

「はい」

 この情景を見ても、グロールフィンデルは片眉ひとつ動かさない。

「ギル=ガラド卿!」

 頬を高潮させ叫ぶが、ギル=ガラドは無視して部屋を出て行った。

 代わりに入ってきたグロールフィンデルが、
状況を確認するようにエルロンドを一瞥し、
タオルを取りにシャワールームに向かった。
濡らした数枚のタオルを手に、エルロンドのベッド脇に跪く。

 そのタオルをエルロンドの汚れた胸に当てようとすると、
エルロンドはそれを取り上げた。

「自分でできる!」

「いけません」

 そっと、強引に、グロールフィンデルがタオルを取り返す。

「あなたは私の主です。あなたは何もせず、ただ私に命令してくださればよいのです」

 何を言っている? こんな恥をさらして・・・・!

 エルロンドの心を読むように、上目遣いでグロールフィンデルは口元をゆがめた。

「な・・・なぜ、こんな・・・?」

「あなたに仕えるよう、ギル=ガラド卿に命令されました。
ですから、今よりあなたが私の主なのです」

「そんな・・・・私がグロールフィンデル殿を・・・」

「呼び捨てで結構です」

 エルロンドの体をきれいに拭いてやりながら、
グロールフィンデルはきっぱりと言った。

「私を従えるだけの価値がないとご自分でお思いでしたら」

 見上げるグロールフィンデルの視線は、鋭い。

「それだけの人間におなりなさい」

 ゾクリ、とエルロンドは身を震わせた。

 

 羞恥に体を硬くし、目を逸らせて屈辱に耐える。

「・・・・君は・・・平気なのか? こんな・・・・」

「こんな、何ですか? 
私自身は性欲を持ちませんが、それは人間本来の生存本能です。
否定するつもりはありません」

「こんなことまでさせられて?」

「こんなこととは、どのようなことでしょう? 
私は主に仕える身。主が必要とするなら、何でもいたします。
いわば、下僕と同じ。たとえ靴を舐めろと言われても、それに従います。
ただし、そのような下劣な要求をする者を、私は主と認めませんが」

 エルロンドは唇を噛んだ。

 体を拭き終えたグロールフィンデルは、エルロンドの新しい着物を揃える。

「お着替えください。その間にベッドをメイクします」

 エルロンドがベッドから降り、新しいシャツに腕を通していると、
グロールフィンデルは器用な手つきでシーツを取り替えた。

 そんなことまでできるのか、この男は・・・。

「もし空腹でしたら、何かお持ちしますが?」

「・・・・君が、作るのか?」

「はい」

 いったい、どんな訓練を受けてきたのか。
主を守るための戦闘訓練だけではないのか。

「グロールフィンデル・・・君は、いったい何ができて何ができないのだ?」

「主に仕えるためのことは、一通り。
欠けているところがありましたら、おっしゃってください。すぐに習得します」

 何てことだ。
欠陥だらけの自分が、こんなに何でも完璧にこなす彼を、
どうやって操ると言うのだ。

「起床は6時ですね? お迎えにあがります。
エルロンド殿が身に付けるものは、私がお選びします。
エルロンド殿は何もなさらなくてけっこうですから」

「・・・・・それでは・・・私はどうしたらよいのかわからない」

 本当に、困惑している。これは、青天の霹靂だ。

「エルロンド殿は」

 グロールフィンデルは、冷たく笑んだ。

「私にかしずかれることに、お慣れください」