「作戦に失敗した? 目標を逃したのか」

 暗殺目標を逃したことに、グロールフィンデルは言い訳をしなかった。

 与えられた任務を遂行できなかったのは、初めてだ。

「・・・・・まあ、よい。逃したとしても、さして問題のない人物だ」

 何も言わず、グロールフィンデルはたださめた視線をその男に向けている。

「次の指示があるまで、休んでよろしい。何か必要なものはあるかね?
・・・・たとえば、女、とか」

 唇を吊り上げる男に、グロールフィンデルは表情を変えない。

「今の私に必要なのは、睡眠と頭痛薬だけです」

 部屋を出て行くグロールフィンデルに、男は嘲るように鼻で笑った。

「女だと?」

 同じ部屋にいた別の男が、驚いたように吐き捨てる。

「以前無理矢理女をあてがってやったことがあっただろう? 
あの後、その女は怯えて泣いてたんだぞ」

「商売女、だったのだろう? 何かされたのか?」

「いいや、・・・・殴られたわけでも蹴られたわけでもない。
あの目が、怖いのだと。
行為の最中でさえ、ガラス玉みたいに感情のない目であらぬところを見ている。
もう二度とごめんだと泣きつかれた」

 感情のない、ガラス玉のような瞳。

「そろそろ、限界ではないのか?」

 誰もが、あいつに怯えている。

 殺戮のための人形のような、あいつを、いつまで制御し続けられるだろう。
彼自身の、何らかのタガが外れたら・・・・狂った暗殺者になりかねない。

「ギル=ガラドが、ゴンドリンの生存者を探している」

 

 

 

 グロールフィンデルは、自分に与えられた部屋に入ると、膝を折って両手をついた。

 息苦しい。

 胸が痛い。

 頭痛がする。

(お前は、誰にも愛されていない)

 頭の奥に響く声が、内側から頭を破裂させそうだ。

(かわいそうにな)

 体を引きずって洗面所に行き、メディカルボックスを開くとその中の物を床にぶちまける。

(一緒に来い)

「チッ」

 舌打ちして、ばら撒かれた薬ビンの中から、アスピリンを探し当てる。

 ふたを開け、手のひらに乗る分すべてを口に入れ、噛み砕く。

 飲み込めない薬が、唇から零れ落ちる。
洗面台に寄りかかるように体を起こし、鏡を見ると、青ざめた自分がそこにいた。

 

 誰だ、お前は?

 

 鏡の中の自分に問い掛ける。

 

 なぜ銃を握る?

 

 なぜ人を殺す?

 

「誰に教わった」

 

 呟いた言葉に吐き気がして、今飲んだばかりの鎮痛剤と胃液を、洗面所に流す。

 

 頭が痛い。

 

 傷のせいだ。

 そうだ、以前負ったという、傷のせいだ。

 自分は、自ら望んでそうしているのだ。

 誰に強制されたわけでもない。

 

 何も・・・・・

 

 何も、思い出すことなど、ない。

 

 今がすべてだ。

 

 

 

 その屋敷の執務室に、グロールフィンデルは現れた。

 髪も衣服も整っている。

「何かね?」

 優しさのない声色で尋ねる男、グロールフィンデルの後見人である男に、
グロールフィンデルは薬ビンを差し出した。

「頭痛薬を補充してください」

 

 

 

 数日後、男たちが寄り集まって会議を開いていた。

 グロールフィンデルの今後の処遇についてである。

「こちらの仕事は、あらかた片付いた。シンゴルのあとを継ぐ者は、もはやいない。
わずかに残った者たちは、街を出た」 

「グロールフィンデルを、いつまで手中に留めておく?」

「鎮痛剤を常用していることは、周知の事実だ。そろそろ潮時ではないか」

 現在の統率者であるカランシアは、顎に指を当てて考えあぐねていた。

「マグロールは、エルウィングの息子をギル=ガラドに預けたそうだ。
マエズロスとマグロールは、覚悟を決めている」

 父の遺産であるシルマリルを取り戻す。
本来の目的は、収拾のつかないまま終わりを告げようとしている。

「グロールフィンデルは、危険だ」

 奴は、ゴンドリンの陥落の際、一度死んでいる。

 金華家の宗主は、もはや存在しないのだ。今あるのは、その抜け殻。

「ギル=ガラドは最後の戦いに備え、兵を集めている。
彼なら喜んでゴンドリンの生存者を受け入れるだろう」

「精神の壊れた者でも」

 潮時・・・・。そう、もう、限界かもしれない。

 しかし、ギル=ガラドに、グロールフィンデルが扱えるのか。
確かに奴は、主に対して絶対服従を誓う。
その主が変わったとて、奴自身に問題はない。

 なぜなら、

 グロールフィンデルが心から忠誠を誓っていた主は、もうこの世にはいないのだ。

「ギル=ガラドが、金華家の宗主を探している」

 結局は、こちらの身の安全のためにも、それが最善なのかもしれない。

 

 

 

 さらにその数日後、カランシアの屋敷に高級なリムジンが乗り付けられた。

 出迎えた男たちが、驚き、後退る。

「・・・・ギル=ガラド卿!」

 黒髪の、背の高いその男は、背後に従者を従え、周囲を見回した。

「カランシアと話がしたい」

 

 応接室で向かい合って座る。
ギル=ガラドの後ろに、彼の学生と思われる若い男が立っている。

「噂は耳にしていると思う。私は、金華家の宗主を探している」

「グロールフィンデルに、なにか?」

 ギル=ガラドの視線は厳しい。

「引き渡してもらいたい」

「何故にですか」

 ギル=ガラドは、ゆっくりと部屋を見回し、
そこにいる男たち一人一人に威嚇するような視線を向けた。

「マエズロスとマグロールは死んだ。
一年程前、マグロールは保護していたエルウィングの息子を私に託した。
・・・・もう、無駄な殺戮を楽しんでいる暇はない。
私とて、君たちの愚行を放っておくにも限界がある。
シンゴルの最後の有力者たるケレボルンは、私が保護している」

「・・・たしか、ガラドリエルと結婚したと聞きましたが」

「そうだ。居場所を知っているのは、私とギルドールだけだ」

 ガラドリエルがその地位を放棄し、
ギルドールは一ヶ所に留まることを止めてしまった。
フィンナルフィンの家系は、全権をギル=ガラドに委ねた。
トゥアゴンのゴンドリンは滅び、フェアノールの家系の者も残り少ない。

「結束せねば、モルゴスには勝てまい」

 ゴンドリンを滅ぼした後の、次の狙いはギル=ガラドであることは確実だ。

「兵をそろえるためにグロールフィンデルを必要としているのですか、
それとも、我々を牽制するためですか」

「両方だ」

 マエズロスは、己の殺戮を悔いていた。マグロールとて同じこと。

 もう、限界なのだ。

「言っておきますが、
グロールフィンデルはあなたの想像しているようなゴンドリンの貴族では、
すでにありません。ゴンドリンが陥落した際、心を死なせてしまったのです。
あなたは勘違いしているかもしれませんが、
私たちは彼に生きる術を与えたのですよ。
私が病院で彼を見つけたとき、彼は狂気の最中にありました。
精神病棟に移される直前だったのです。
私は彼に、身に付いた習慣を全うさせるだけの環境を与えてやりました。
・・・・そうです。彼がそうあるべく訓練されたように、戦場に置いてやったのです。
今それで、かろうじて正気を保っています」

 ギル=ガラドの後ろの青年が、わずかに眉を寄せる。
そういう血なまぐさいことには、慣れていないようだ。

「・・・・・・とりあえず、会わせてもらえるか」

「もちろんです。自室で休んでいます」

 カランシアは男たちを手招きし、
ギル=ガラドをグロールフィンデルの部屋に案内するように指示をした。

 

 

 

 指示を受けた男は、グロールフィンデルの部屋の前で立ち止まると、躊躇を示した。

「何か問題でも?」

 ギル=ガラドの問いに身を震わせる。

「・・・・・いえ・・・・ただ・・・・もう三日、姿を見ておりませんので」

 何を怯えているのだろう。ギル=ガラドは男を押しのけ、ノックをした。

 返事がない。

 二度、三度、繰り返すが、やはり返答はなかった。

「本当にいるのかね?」

「ええ、います。彼は、主の許可なしに外出はしませんから」

 ギル=ガラドはさらに強くドアをたたき、返答を待たずにドアを開けた。

「・・・・・・・」

 閉め切った、淀んだ空気の匂い。

 確かに、ベッドに金色の髪をした青年が横たわっている。

 その周囲の床に、

 

 あらゆる薬ビンが転がっている。

 

 案内してきた男は、息を飲んで立ちすくむ。

「エルロンド」

 ギル=ガラドは、背後にいた青年に声をかけた。
その青年は金髪の青年の横たわるベッドに走っていき、瞳孔や脈を確かめる。

「異常はありません。脈も安定しています。・・・・眠っているだけです」

 エルロンドは顔をあげ、報告すると、床に散らばった薬ビンのラベルを一つ一つ確かめた。

「・・・・・エルロンド・・・?」

 集まってきていた者たちが、驚きの声をあげる。カランシアでさえ。

 

 マグロールが育てていた、エルウィングの息子、か?

「彼には医学の知識を学ばせている」

 ギル=ガラドはそう説明した。
エルロンドは、深く眠るグロールフィンデルを揺り起こす。

「・・・・・・いったい、どれだけの量を飲んだのですか? 
常用しているのですか? 医師の処方は・・・・」

 医学をかじる者として、この状態は尋常ではないとエルロンドの声は震えている。

 カランシアは、ギル=ガラドやエルロンドを押しのけ、
眠るグロールフィンデルの傍らに立った。

「こうするのです」

 サイドテーブルの引き出しを開けると、
そこに装てん済みのハンドガンが入っている。
何の躊躇もなく、安全装置をはずすと、
カランシアはグロールフィンデルの頭部、十数センチの距離で引き金を引いた。

「!」

 銃声が部屋にこだまする。

 エルロンドはよろめいて後ろに下がった。

「・・・・・・起きなさい、グロールフィンデル」

 主の言葉に、その青年は目を開けた。

「・・・・・次の、仕事ですか」

 驚きもなく、唇が動く。

「君に客人だ」

 顔を上げたグロールフィンデルは、ギル=ガラドを、そして、エルロンドを見た。

「私の、知っている人、ですか?」

「いいや、初対面だ。着替えて応接室に来なさい」

「・・・・・わかりました」

 ハンドガンをテーブルに戻し、カランシアはギル=ガラドらを促して部屋を出た。

 

「いつも、ああなのかね?」

 さすがにギル=ガラドも驚きを隠せない。

「きつい作戦の後だけです。
さっきも言いましたが、グロールフィンデルはゴンドリンのトゥアゴンと共に、
心は死んでいます。病院で目覚める以前の記憶も、ないのですよ」

 応接室に戻る途中、用を思い出したとカランシアは一瞬姿を消し、
次に現れたときには、手に小さな箱を持っていた。

「どうしても引き取りたいとおっしゃるなら、彼を連れて行くといいでしょう。
これは・・・」

 箱を開いて、中をギル=ガラドに見せる。

「彼の唯一の所持品です。グロールフィンデル本人は、何も覚えていませんが」

 そこには、ゴンドリンの貴族の証、泉家の紋章の入った指輪があった。