何も無い、白い空間で、 もうずっとうずくまっている。 何も見えない。 何も聞えない。 どこに行ってしまったのですか エクセリオン 私は、これからどうしたらいいのですか 教えてください どこにいるのですか わからない わからないのです なぜ、貴方の隣には行けないのですか 貴方に、話さなければならないことがあるのです とても、大切なことなのです 私は 貴方を失って、生きていけない・・・・ 両手を伸ばして、 あてもなく彷徨い続ける。 寒い 貴方の体温が、失われていく 貴方の、心臓の音が聞えない 貴方の呼吸が、感じられない 小さな四角いドアが見える。 そこから光が差し込んでいる。 グロールフィンデルは、両手を前方にいっぱいにさし伸ばしながら、走っていく。 光 違う。 その先は、闇だ。 どちらでもいい。 ここから抜け出したい。 エクセリオン! 叫んでドアに手をかけようとしたとき、 そのドアは勢いよく閉じられた。 絶望を示す、障壁のように。 両手が砕けるほど、ドアを叩く。 開けて! 開けて! ここから出して! ドアの向こう、 そのドアを閉めたのは グロールフィンデル 自分自身であった。 「弱いお前など、いらない」 ドアを押さえ、呟く。 開けて! 寒いよ! 苦しいんだ! エクセリオンに会わせて! 「そこで朽ち果ててしまえ」 闇の中のグロールフィンデルが手を離すと、 ドアの向うで泣いていた自分がどろどろに溶け出す。 泉の中に身を沈めていったエクセリオン。 その同じ水の中に、光の中の自分が溺れていく。 「何も見なくていい 何も聞かなくていい 寒さも熱さも感じない 喜びも苦しみも感じない それでいい 私は 生きなければならないのだ」 闇の中を、ゆっくりと歩き出す。 もう、苦痛は感じない。 空っぽになっていく。 魂の半分を失ってしまったことを嘆かない。 残りの半分も拒絶してしまったのだから。 薄暗い病室の、窒息しそうな空気の中、グロールフィンデルは、はじめて眠りについた。 目が覚めると、ちょうど看護婦が新しい点滴の袋を持って入ってきた。 両手の拘束が解かれている少年を見て、一瞬怯む。 グロールフィンデルは看護婦を一瞥して、上半身を起した。 「ここは、病院ですね? 私はなぜ入院しているのですか?」 看護婦が点滴の袋を落す。 「・・・・・わかるの? わかるのね?!」 落とした点滴の袋を慌てて拾い、看護婦は医者を呼びに走っていった。 数分して担当医が駆け込んできて、脳波や心音、瞳孔などもろもろを調べた。 「奇跡だ・・・・」 どこにも異常はない。 昨日までうつろだった瞳は、しっかりと自分を調べる医者を見据えている。 「気分はどうだね?」 「悪いです。頭痛がします。吐気も。内臓が弱っているような気がします。 手は、骨折ですね? 指が動きません」 冷静な自己判断に、驚きの声が出る。 「そうだよ。君は重傷を負ってこの病院に運ばれてきたんだ」 「なぜ、どこで重症を?」 「・・・・・・・・・・」 医者は、言葉を止めた。 覚えていないのか? 「君・・・・・自分の名前がわかるかね?」 「わかりません」 少年は、はっきりと言った。 病院からの知らせを受けて、そのスーツの男は昼前に駆けつけてきた。 男は病室に入る前に、彼が記憶の混乱を起していることを告げられた。 「グロールフィンデル、やっと目覚めたな」 少年は男を見やり、わずかに眉を寄せる。 「・・・それが、私の名前ですか」 「そうだ。金華家のグロールフィンデル。 記憶の混乱が見られると聞いたが、いったい何をどこまで覚えているのかね?」 「何もわかりません。身体の記憶している生活習慣は別ですが。 あなたが誰かもわかりません」 男は苦笑した。 「それは、わからなくてよい。私と君は初対面だ」 「そうなのですか」 少年の声色に、安堵の響きはない。感情の欠片も。 「それでは、あなたと私はどのような関係なのでしょうか」 「私は君の身元引受人。今はそれだけでいい。必要なものとか、欲しいものとかあるかね?」 少年は視線を落とし、少し考えてから顔を上げた。 「私自身に関する資料が欲しいです。 担当医はそのうち記憶は戻るだろうと言っていましたが、 悠長に待っているのは好きではありません。私は、私自身をまず知りたいです。 それから、閲覧できるものなら私のカルテも。今後の治療計画とリハビリの予定もです」 驚いたように少年を見つめていた男は、口元を狡猾に歪めた。 そう、それでいい。 冷静で客観的な判断。 あとは、鍛えられたその肉体さえあれば。 「わかった。至急揃えよう」 「それから」 少年は、ベッドサイドのテーブルに置いてあった指輪を差し出した。 「記憶に無いのですが、私のそばに落ちていました。これは、あなたのですか?」 指輪を受け取った男が、じっと少年を見る。 本当に、何もわからないのだな。 「私のものではない。・・・・が、君が必要でないなら預っておこう」 「そんなものに興味はありません」 男は指輪をポケットにしまい、午後には資料を持ってくると約束して帰っていった。 精密検査に一日を費やし、夕方、男の持ってきた資料を受け取る。 ゴンドリンに関する資料。その領主と貴族の間柄と家系。 ゴンドリン陥落についての報告書。等等・・・。 一晩かけて、少年はその資料を読み漁った。 翌日、また男が訪ねて来た。 「何か思い出したかね?」 「いいえ」 グロールフィンデルは答え、資料の束を男に返した。 「しかし、理解はしました。 私の生まれ育ったゴンドリンという街が滅んだ事、私はその街の貴族の首長であったこと。 これだけ知っておけば、今後何かと不自由はしないでしょう。それで、あなたは誰なのですか」 「私はフェアノールの家系の者だ。君を引き取る。君にはしてもらいたいことがあるのでね」 「・・・・・・・モルゴスという組織への復讐ですか?」 「いいや」 男は口元を吊り上げた。 「敵対しているシンダールの抹殺だ」 グロールフィンデルは、新たな主を得た。