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「それで、金華家の跡取はどうだね?」
ゴンドリンの領主、トゥアゴンはチェスのコマをひとつ動かしながら言った。
「有能ですよ。ええ、とても」
「エクセリオン、君がわざわざ手元に置く必要があるのかね?」
「金華家の宗主の座は、未だ空いたままです。
一日でも早く、その座についてもらいたいのでね。
直接私が指導するのが、一番手っ取り早いかと。
まあ、あと三年・・・三年もすれば、襲名できるでしょ」
エクセリオンはにっこりと笑い、
「チェックメイトです」
チェスのコマをはじいた。
ゴンドリンを守る貴族の家系はいくつかある。
その中でも、エクセリオンを宗主とする泉家と、
今はまだその座は空いている金華家は、代表的なものだった。
金華家の次の跡取は、まだ若干15才のグロールフィンデルであった。
「我が愛しのゴールデンフラワーはどこかな?」
屋敷に戻ってきたエクセリオンは、にこやかにメイドに尋ねる。
「道場の方に」
屋敷には、室内に訓練用の道場が作られている。
エクセリオンは上着を脱いでメイドに渡し、道場に向った。
道場は広く、床はピカピカに磨かれている。
そこで、靴底がきゅっきゅっと小気味よい音を立てる。
それと、練習用の剣のはじきあう甲高い音。
入り口で立ち止まり、おもしろそうにエクセリオンは訓練風景を眺めた。
もう、屋敷の者で彼にかなう奴はいないだろう。
指導に当っていた者の剣が弾き飛ばされる。
背の高いほっそりとした少年が、形式ばった礼をする。
エクセリオンは、立てかけられていた剣のひとつを掴むと、
大股で少年に歩み寄った。少年が振向いた瞬間、剣を振り上げ、
ぎりぎりのところで少年が剣を防ぐ。
「遅い!」
口元に笑みを浮かべたまま、次々と刃を繰り出す。
さっきまで余裕を見せていた少年の剣さばきが、乱れていく。
「足がついていっていないぞ? ほら、ほら」
楽しそうに笑いながら剣を繰り出すと、
ついに少年は足をもつれさせ、床に転んだ。
己の剣を少年の喉に突き付け、エクセリオンは顔を寄せた。
「走り込みが必要なようだな。今、毎日何キロ走っている?」
「・・・・5キロ・・・です」
「全然足りない! 明日から10キロに増やしなさい。
基礎トレーニングを欠かさないように」
悔しさに唇を結ぶ少年の、
その唇にそっとキスをしてエクセリオンは体を起した。
「片付けを済ませたら、私の部屋に来なさい」
グロールフィンデルがエクセリオンの元に来させられたのは、
ほんの数ヶ月前であった。貴族の跡取として、なに不自由なく育てられてきた。
もちろん、勉強や剣術体術といった訓練も受けてきた。
だが、ここでの生活はその上を行く。ずっと上を。
宗主のエクセリオンは、ゴンドリンの警備隊長でもある。
忙しい仕事の合間、常にグロールフィンデルと接し、
あれをしろこれをしろと指示を出した。
時間の許すかぎり、自らその訓練に加わった。
どんなに厳しいことを言われても逆らえない。
それは、立場の優劣ではない。エクセリオンが「しろ」と言った事は、
すべて彼が簡単にこなしてしまうことなのだ。
一緒にロードワークをする。同じ距離を走っても、
エクセリオンは息も切らさない。
本を読めと重たいハードカバーをいっぱい渡される。
そのどれも、エクセリオンは暗証できる。
グロールフィンデルは、絶対自分がかなわない相手、
と、エクセリオンを見ていた。
そして、なにより、彼は美しかった。
若干17才でその名を継いだ天才。非の打ち所のない肉体と頭脳。
流れる銀色の髪。傷一つない白い肌。
そして、音楽にも優れ、剣を握るその指でフルートを吹きこなし、
気が向けば美声で歌も歌う。
誰もが憧れる存在。
いつもにこやかで、微笑を絶やさない。
だが、決してグロールフィンデルを甘やかしたりはしなかった。
「きゃああ!」
エクセリオンに言われ、食事を運んできたメイドは悲鳴を上げた。
「エクセリオン様! なんてことを!!」
そこには、メイド服を着せられ、
恥ずかしさに俯いたグロールフィンデルがいた。
「いや、汗をかいたからね。着替えが他になくて。
ほら、私の服では大きいだろう?」
エクセリオンは実に楽しげだ。
メイドは食事をテーブルに置くと、
グロールフィンデルに駆け寄って頭につけられたカチューシャを外してあげた。
「お洋服ならいくらでもおありでしょうに!
おかわいそうに! こんなに遊ばれて!」
顔を真っ赤にさせているグロールフィンデルの
フリル付きのスカートを脱がしにかかる。
「ああ、もったいない。似合っているのに」
「男の子にこんな格好をさせるものではありません!
おふざけが過ぎます!!」
メイドは、すぐに代わりの服を持ってくるからと部屋を駆け出していった。
「冗談なのに」
グロールフィンデルはふるふると震えながら、シャワールームに駆け込んだ。
容姿端麗で文武に優れ、地位も名誉もある彼が敵を作らないのは、
その冗談好きな性格にあった。メイドのスカートをめくって、
子供のように走って逃げたり、
屋敷中の絵画をひっくり返して執事に叱られたり。
今はやたらとグロールフィンデルをオモチャにして遊んでいる。
「だって、可愛いから」
なんてことを言って笑う。
「笑ってくれないんだよ」
無口で真面目な少年の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「・・・・・・髪を、切りたいのですが」
肩まで伸びた金髪をうざったそうにするグロールフィンデルに、
エクセリオンは笑いながら
「だめ」
と言った。
「訓練の邪魔です」
反抗的なグロールフィンデルに、
エクセリオンは自分の長い銀色の髪をかきあげて見せる。
「中途半端に長いから邪魔なんだよ。
私みたいにこれくらい伸びてしまえば、邪魔でなくなる」
なんで髪型まで指図されなければならないのか。
ムッとするグロールフィンデルの代わりに、メイドが代弁してくれる。
「髪の長さくらい、自由にさせてあげればいいではないですか?」
「だ〜め〜」
グロールフィンデルのさらさらの金髪に指を絡めながら、弄ぶ。
「こんなに綺麗な髪なんだから、切ってしまったらもったいないではないか」
グロールフィンデルは嫌そうに頭を振った。
「三年後の襲名式には、正装して私の隣に並ぶのだよ? 見劣りされては困る」
ニヤリ、と笑うエクセリオンに、確かに気後れを感じる。
彼は、美しいのだ。
年に一度の夏至の祭りで、彼の正装姿を見ることができる。
去年、グロールフィンデルは正装したエクセリオンに見惚れてしまった。
大きなダイヤモンドのついた宝冠、銀糸の織り込んだマント。
中世の騎士のように腰に宝剣を下げ、威厳ある領主の隣に立っていた。
その、もう片側にグロールフィンデルは立つのだ。
今のままでは、堂々とその位置に立つことはできない。
「襲名式までは私の指示に従ってもらうよ。その後は、好きにすればいい」
自分は、果して彼と同じ所までいけるのか、
グロールフィンデルには自信がなかった。
肉体の訓練や勉学の他にも、あらゆる日常生活も管理されている。
特に、食生活にはうるさい。肉体を作る基本は、食物にあるという理念からだ。
昼食後、家庭教師のもとで帝王学を学んだ後、
午後のティータイムだとリビングに呼ばれる。
仕事の合間に戻ってきていたエクセリオンは、もうテーブルについていた。
グロールフィンデルは所定の位置である彼の隣に座る。
すると、メイドがケーキと紅茶をグロールフィンデルの前に置いた。
「・・・・・・・」
やっぱり・・・と、グロールフィンデルはげんなりした顔をした。
グロールフィンデルは、甘いものが苦手だった。
なのに、エクセリオンがいるときは、
かなりカロリーの高そうなごてごてのチョコレートケーキやらムースやらが出てくる。
「食べないのかね?」
優雅な手つきで、エクセリオンはチョコレートクリームを口に運んでいる。
「・・・・・チョコレートのケーキは・・・・苦手です」
フォークを持ったまま、ケーキとにらめっこをする。
それまでにこやかだったエクセリオンは、
ふと笑みを消し、グロールフィンデルに真面目な視線を向けた。
「チョコレートに含まれるカカオ・ポリフェノールは活性酸素を押える働きがある。
また、心理的ストレスに対する抵抗力も強まり、細菌感染にも効力を発する。
糖質においては、人体の生命維持や活動のエネルギーになるほか、
消化吸収が早いので、疲労時の栄養補給には最適だ。
脳や神経のエネルギーになるのはブドウ糖だけで、
脳、内臓、筋肉の活動には糖質を補給しなければならない」
講義するエクセリオンの気迫に、押される。
「味の好みによる嗜好は、克服しなさい」
きっぱりと言われ、また甘ったるそうなケーキに目を移す。
嫌々ながらクリームをすくって口に入れる。
べったりとした濃厚な甘さに、グロールフィンデルは眉を寄せた。
「ポリフェノールなら他の食材にも含まれておりますし、
無理に砂糖を取らなくても炭水化物を摂取すればよろしいのではありませんか」
見るに見かねたメイドが、
グロールフィンデルの前からケーキの皿を取り上げた。代りに、別の皿を出す。
「また私の楽しみの邪魔をする!」
エクセリオンは、またニコニコと笑い出した。
「嫌がりながら食べる姿を愛でていたのに!」
「エクセリオン様はグロールフィンデル様に意地悪のしすぎです!」
目の前に置かれた皿の上のものに、グロールフィンデルは首を傾げた。
「これは?」
「ライスボールですわ」
にっこりとメイドは答えた。
「日本という国の食べ物だよ。見たまま、ライスを丸めて味をつけたものだ」
エクセリオンはニヤニヤしている。
「確かに、ライスは炭水化物の塊だね。美味しそうだな」
グロールフィンデルの皿から、ひとつ盗んで口に入れる。
「うん、いい味だね」
さらにまたひとつ。
「エクセリオン様! これはグロールフィンデル様の分ですわ!
さっきからケーキをおいくつ食べましたの?」
「チョコレートのケーキとフルーツのタルトの二つだけだよ」
「カロリーの取りすぎですわ! 太ってしまいますわよ!」
メイドに叱られても、ニコニコと悪びれない。
「私は他の人より運動量が多いからね。カロリーもよく消費するんだ」
今のうちにとおにぎりを食べるグロールフィンデルに、
エクセリオンはわざとらしく耳打ちをした。
「仕方ないから、これを食べたら少し走ろうか。カロリーを消費する為にね」
ギクリ、とグロールフィンデルの手が止る。
「ライフル担いで一時間くらい走れば、ちょうどいい運動になるだろう」
グロールフィンデルは、唖然とした表情でエクセリオンを見る。
ただのロードワークではない。ライフル装備一式担いで・・・・?
「その後私は、警備隊の訓練に付き合わなきゃいけないからね。
そのくらいでやめておこう」
この人の体力はバケモノ並か・・・。
「夕食前に、チョコレートのひとつでも食べたくなるかもな」
確かに、そうでもしなければ身体が持たない。
「限界を知れば、今自分の身体に何が必要なのかわかるだろう」
同じ装備を担いで、同じ距離を走る。
グロールフィンデルはスタミナ切れを痛感する。
エクセリオンは、多少息を荒げても平然としていた。
「食べるかい?」
一欠けらのチョコレートを差し出す。
さすがにグロールフィンデルはそれを食せずにはいられなかった。
べたべたの甘さにはたまらないものがあるが、
身体が糖分を要求しているのだ。仕方ない。
あまり味わうことはせず、飲み込む。
エクセリオンはグロールフィンデルの口元に鼻を近づけて、にっこりと笑った。
「甘い香りがする。食べてしまいたくなるよ」
ギョッとしてグロールフィンデルが身を引く。
「私は仕事に戻るから、君は30分休憩した後、
そのライフルで射撃練習をしなさい。夕食前に上達を見てあげるから、
サボらないように」
ひらひらと手を振って去っていくエクセリオンに、
グロールフィンデルは自分の未熟さを思い知らされた。