突然彼はやってくる。 「すっかり老けて」 そう言って笑うギルドールは、エルロンドより年上だ。 なのにあの若々しさは・・・たぶん、ガラドリエルと同じだろう。年齢不詳の男。 「私も年を取るわけだね」 相変わらずの子供扱いか・・・。そんなところもガラドリエルに似ている。 「何かお話があるのではありませんか?」 社長室の、来客用のソファーに座り、ギルドールはすっかりくつろいでいる。 「先日ガラドリエルに会ってね、色々昔話をしたんだ。 まあ、昔話に花が咲くようでは、私も年を取った証拠なのだけどね。 で、昔話をしていたら、古い写真の話になって」 うわ、またか・・・・・! エルロンドの後頭部に冷や汗が流れる。 やめて欲しい。そういうの・・・。 「昔の荷物を整理してたら、出てくる出てくる! 楽しくてねえ、君にも見せてあげようと思って」 いや、見せなくていいから、持ち帰ってくれ。 エルロンドの冷や汗を無視して、ギルドールは写真を取り出した。 「ほらほら、珍しいだろう? 君も見たことがないと思ってね。 私もすっかり忘れていたんだよ」 差し出された一枚。 エルロンドは眉をひそめた。 「・・・・・?」 「わからないかい? わからないだろうなあ」 ギルドールは心底楽しそう。 「グロールフィンデルだよ」 そこには、十代半ばの少年。 「昔ね、一度だけゴンドリンに行った事があるんだ。 ゴンドリンが陥落する何ヶ月か前にね。 その時、トゥアゴンがおもしろい見世物を披露してくれてね。 そのときの隠し撮りだよ」 隠し撮り・・・・昔からそういう趣味があったのか。 「すごく綺麗な子だったから」 確かに、綺麗な子だ。 肩まで伸びた、金色の髪。ブルーグレイの瞳。わずかに紅潮した頬。 その瞳は、真直ぐに後にいる人物に向けられている。 「今見ると、まるで恋する瞳みたいじゃないか!」 エルロンドの知っているグロールフィンデルではない。 エルロンドがグロールフィンデルと知り合ったときには ・・・・こんな純粋な瞳はしていなかった。 その時、ちょうどグロールフィンデルが、客にコーヒーを持ってきた。 「やあ、グロールフィンデル」 にこやかにするギルドールに、いつもの無表情。 「この可愛らしい子が、こんなになってしまうんだものな。時代の流れは恐ろしいよ」 グロールフィンデルは、ギルドールの悪態にも無反応。 「これ、この写真、覚えているかい?」 悪戯っぽく、それでいて、どこか挑戦的な表情で写真をグロールフィンデルに見せる。 グロールフィンデルは、写真をちらりと見ただけで、それを手に取ることもしなかった。 「申しわけありませんが、覚えておりません」 「本当に? 君だよ、これ。君の後ろにいるのは・・・・・」 エルロンドは、ギルドールの手から写真を取り上げ、裏返してテーブルに置いた。 一瞬、ギルドールはエルロンドの表情が怒っているように見えた。 「ギルドール殿、グロールフィンデルは、ゴンドリンの記憶を持っていないのです」 ギルドールが、エルロンドにその挑戦的な眼差しを向ける。口元に、笑みを作って。 「ああ、知っている。ギル=ガラドから聞いているよ。 バルログとの死闘で頭を負傷し、記憶の一部を無くしたと」 「ご存知なのでしたら・・・・」 「いやね、この写真を見たら、何か思い出すかと思ってね」 そこに立っているグロールフィンデルを見上げる。 グロールフィンデルは表情を少しも変えなかった。 「失礼します。何かありましたらお呼び下さい」 まるでくだらない話には付き合っていられないというように、 グロールフィンデルは出て行った。 グロールフィンデルがドアの外に去ると、エルロンドは溜息をついた。 「君は、グロールフィンデルに対して強い思い入れがあるようだね。 私だって事情を知らないわけではない。でも、もう時効なんじゃないかな?」 「苦痛に時効などありません」 「ギル=ガラドは、グロールフィンデルの前でゴンドリンの話は禁句だと言っていたよ。 何故かわかるかい? 彼は・・・記憶を無くしたのではなく、自ら封じ込めているからだ。 君も感づいているのだろう? 彼が、自殺騒ぎを起したことも。昔の話だがね」 「それなら尚更、無理に思い出させることはありません。 今は・・・私たちは安定した生活を送っているのですから」 グロールフィンデルの思い人のことは、あえて口にしない。 ギルドールに知れたら、何をからかわれるかわかったもんじゃない。 ギルドールは、にっこりと笑った。 「ああ、そうだったね! エルロンド、君の可愛い恋人の事を思い出したよ! いやあ、君もギル=ガラドに似てきたんじゃないか? 君がギル=ガラドのところに来たのは、 レゴラス君と同じくらいの年齢の時じゃなかったかい? あの時は、ギル=ガラドは酔狂なことをするものだと思ったけど。 まさか親子ほども年の違う君に手を出すとはねえ。 そういう趣味なら、結婚など念頭にないはずだ」 エルロンドの両肩に漬物石がのしかかる。 「それで、まさか君もあんな幼い子に手を出すとは」 いや・・・幼くはないが・・・・。 「犬は飼い主に似ると言うが、その通りだね」 犬・・・・・犬かい? ノックの音がして、グロールフィンデルがドアを開けた。 「社長、来客中申しわけありませんが」 その後から、ひょいと顔を出した少年。 ギルドールは立ち上がると、大げさなほど両手を広げた。 「やあ、レゴラス君!」 「こんにちは、ギルドールさん。お話中すみません」 「いやいや、君ならいつでも大歓迎だよ!」 こいつ・・・・。 エルロンドの顔が引きつる。 レゴラスが入ってくると、ギルドールはレゴラスを抱擁した。 「エルロンドとはうまくやっているかい?」 「おかげさまで」 全然おかげさまじゃない! 「相変わらず可愛いねえ! レゴラス君、どうだい、私のところに来ないかい? これでも私はお金持ちだよ」 それとなく抱擁をすり抜けて、レゴラスも微笑む。 「お金には不自由していませんから」 「うーん、それは残念」 人の恋人にちょっかいを出すな!! 「では食事でもどうだい?」 「ごめんなさい。ちょっと仕事が立て込んでて」 「つれないなあ。デートしてくれたら、何でも好きなもの買ってあげるのに」 援助交際か! 「あ、そうだ、ギルドールさん」 ニコッと笑ったレゴラスは、自分のカバンから小さな箱を取り出した。 「ここにタイピンがあるのですけど、見ていただけませんか?」 ニコニコ笑いながら箱を開ける。 「今流行のブルーダイヤです。 ちょっとした事情がありまして、買い手がつかなくなってしまったんです。 一万、と言いたいところですけど、僕とギルドールさんの仲なので、 五千でいかがですか?」 おいおい、行商かよ? 「色をつけたものではなく、天然のブルーダイヤで、 この大きさのモノは貴重ですよ! もちろん保証書もつけます」 で、ギルドールはダイヤなど見てもいない。 「うーん、買っちゃおうかな?」 「ありがとうございます! グロールフィンデルさん、紙と筆記具ありますか?」 グロールフィンデルが自分の机から、メモ用紙と万年室を持ってくる。 レゴラスはそこになにやら数字を書き込んだ。 「代金はここに振り込んでください。領収書、いりますか?」 「一応もらっておこうかな」 するとレゴラスは、自分のカバンから紙束を取り出し、 そこに金額を書いてサインをした。それを破ってギルドールに手渡す。 「いやあ、おじさん、またやられちゃったな」 ニコニコとギルドールはメモと領収書とタイピンの箱をポケットにしまった。 「いつもありがとうございます」 「で、レゴラス、何か用かね?」 やっとエルロンドが口を開く。 「いえ、ちょっと顔を見に寄っただけです」 ああ、そう。いつもタイミングのいい奴だ。 「では失礼します。エルロンド様、また後で」 ぺこりと頭を下げて、レゴラスは出ていった。 「いやあ、あの子には弱いなあ」 ぽんと五千もの買い物をする、あんたは只者じゃないよ。 そんなことを考えてるエルロンドも只者ではないが。 社長室を出たレゴラスは、唇をゆがめてグロールフィンデルを見上げた。 「あの・・・よかったんですか? 大切なお話の最中じゃ・・・」 「かまわない。どうせギルドールはご機嫌伺いに来ただけだ」 その辺の関係は、レゴラスは知らないし、知ろうとも思わない。 「本当に、迷惑じゃなかったかな・・・」 さっきまでの堂々とした態度はどこへやら。 グロールフィンデルは、溜息をひとつついた。 「本当に大切な話の最中なら、私がお前を中に入れるはずがないだろう」 きょとんとグロールフィンデルを見つめて、レゴラスは 「それもそうですね」 と、笑った。 それから、突然思い出したように自分の携帯電話を取り出して、 何か打ち込み始める。グロールフィンデルが自分の席につくと、 グロールフィンデルの携帯がメールの着信を告げた。 レゴラスからである。 顔を上げて、訝しげにレゴラスを見ると、レゴラスは悪戯っぽくニッと笑った。 いったい何なのだとメールを開くと、そこには写真の添付。 写真を開いたグロールフィンデルは、思いがけず脱力して机に頭を打ちそうになった。 「・・・・・・・・・・何だね、これは?」 心なしか声が震える。 「最新のカメラ付き携帯を買ったんで、試し撮りしたんです」 相変わらず悪びれない。 はあああ・・・と、グロールフィンデルは魂の抜けるような溜息をついた。 「お前は・・・家族の写真しか撮らないのか」 「そんなことはないですけどね。面白かったから。 ウチの社長が仕事中に居眠りしている証拠写真。 社長の盗み撮りは、今ウチの社で流行っているんですよ」 ひーまーじーんーーーー! 「スランドゥイル殿の部下は、暇人ばかりなのか?」 「暇じゃないですけど、社長からしてああいう性格ですから」 ああ、そう。そうだな。 「しかし、なぜ私にこんな写真を・・・・」 「癒し系」 何が癒し系なんだ・・・・? いや、確かに癒されるけど。 「また面白い写真が撮れたら、送りますね」 送らなくていい・・・・・とは、グロールフィンデルは言わなかった。 呆れた顔をしただけで。 「お邪魔しました〜!」 にこやかに、レゴラスは去っていった。 まったく、いつもいつも嵐のような奴だ。 グロールフィンデルは自分の仕事に戻ろうとして、何の気なしにまた携帯を開く。 気持ちよさそうに寝ている男のアップ。 「邪魔したね。また遊びに来るから」 社長室のドアが開いて、グロールフィンデルは慌てて携帯を閉じて立ち上がった。 ギルドールに頭を下げる。 エルロンドの表情は・・・・・もう当分来るな、と言っていた。 「グロールフィンデル、たまにはエルロンドと離れてみては?」 ギル=ガラドにエルロンドの護衛を命じられて何十年。一時も離れた時がない。 大きなお世話だ と、グロールフィンデルの顔に書いてある。ギルドールは笑って見せた。 ギルドールが帰ると、エルロンドはすっかり消耗してソファーにもたれた。 「今、新しいコーヒーをお持ちします」 「・・・ありがとう」 しばらくして、薫り高い熱いコーヒーがエルロンドの前に置かれる。 それを一口飲んで、エルロンドは考え込むようにグロールフィンデルを見つめた。 「何か?」 「いや、なんでもない。仕事に戻ってくれ」 頭を下げて出て行くグロールフィンデルを見送ると、 エルロンドは自分の机の引き出しに入れた、あの写真をもう一度眺めた。 本人が思い出したくないことなら、思い出さない方がいい。 仕事に戻ってしばらくして、エルロンドは用事を思い出して社長室のドアを開けた。 グロールフィンデルは、自分の机に向ったまま、何やらじっとしている。 「グロールフィンデル?」 声をかけながら手元を覗き込んで、・・・・・エルロンドは固まった。 慌てて携帯を閉じたグロールフィンデルと目が合う。 「・・・・・・・・」 エルロンドは無言のままグロールフィンデルの肩をぽんぽんと叩き、 また社長室に戻っていった。 ああ、この幸せが永遠に続きますように。