「やあ、社長!」

 なんだか機嫌のいいエレストール副社長がやってきた。

「グロールフィンデルは?」

「コーヒーを入れに」

「それはちょうど良かった!」

 何がどうちょうどいいんだか? エルロンドは眉根を寄せた。

「最近、お疲れでしょう?」

 疲れているといえば疲れ気味かもしれないが、いつものことといえばいつものこと。

「疲れているときには、甘いものが一番ですよ!」

 にこやかにエレストールが出したのは、ゴディバの箱。
エルロンドだって知っている。それが何であるのか。

「ゴディバのビター、お好きだったでしょう?」

 好き・・・・・だったかな?

「まあ、食べてください」

 怪訝な目でチョコレートの箱を眺めながら、眉間にまた一本皺が増える。

「・・・・・で、何の用なのだ?」

「いえ、だからゴディバの・・・・」

「こんなものの為に、わざわざ?」

「実は、部下の男が直営店の販売員に惚れましてね、毎日大量に買い込んで来るんですよ。
で、それのおすそ分けです」

 エルロンドと違い、両手いっぱいの部下の面倒を見ているエレストール。

「お嬢さん・・・・アルウェン嬢もお好きでしたら・・・・」

「いや、娘は勝手に買ってくる。心配無用だ」

「そうですか」

 ちょっとがっかりして、エレストールは社長室を去っていった。

 

 入れ違いで入ってきたのが、コーヒーを持ったグロールフィンデル。

「エレストールが何か?」

 コーヒーを、脱力しているエルロンドの前に置く。

「チョコレート・・・・ですか? 何か問題でも?」

 目線をあげたエルロンドは
「聞いてくれるか? 聞いてくれるのか?」と表情が訴えていた。

 

 

 

 それは日曜日の午後。

 レゴラスは仕事、双子の息子たちは友人と出かけて留守だった。
そこに尋ねてきたのが、娘夫婦。まあ、たまにはこんな取り合わせも悪くない。
エルロンドの機嫌は上々であった。

「ゴディバの新商品ですのよ、お父様! でも、お父様はビターがお好きなのでしたわね? 
たしか、これ」

 いくつか出した箱のひとつは、昔からある定番のビターチョコレートだった。

「へえ、チョコレートがお好きとは知りませんでした」

 アラゴルンもにこやかに訊ねる。

「ああ、昔・・・・私の恩師は、
疲れたときには少量のチョコレートをつまみながらコーヒーを飲むのが常だったのでな。
その影響だろう」

 何気なくそんなことを言って、エルロンドは背後に殺気を感じた。

 振向くと、そこにはいないはずの恋人の姿が・・・・・・。

 鼻先をひくつかせているレゴラスの姿に、アラゴルンもビビっている。

「レゴラス! お帰りなさい。一緒にどう?」

 にこやかなアルウェンに、レゴラスは見るものを凍らせるような笑みを作った。

「いいえ、忘れ物を取りに来ただけですので」

 普段なら、エルロンドにキスの一つもしてから出て行くのに、
その時はそんな素振を微塵にも見せてはくれなかった。

 

 

 

 つまり、その問題のチョコレートと同じものが、今机に乗っているそれなのだ。

「チョコレートに、嫉妬ですか」

「・・・・・そういう奴なのだ」

 なんて馬鹿げている。
たかがチョコレートひとつのことで、富豪エルロンド卿ともあろう男がおたついている。

「では、これは私が処分しておきましょう」

「頼む」

 グロールフィンデルがチョコレートの箱を取り上げた時、
ちょうどいいタイミングで社長室のドアが開いた。

「!」

 エルロンドは一瞬引きつってから、恋人の名を呼ぶ。

「レゴラス!」

「エルロンド様、ちょっと前を通りかかったので、顔を見に来ました」

 ニコニコと愛らしい笑顔。

「ああ、私もお前の顔が見たかった」

 なんて、歯の浮いた台詞を言ったりする。

 

 人、彼らをバカップルと呼ぶ。

 

 が、レゴラスはそれほど馬鹿ではなかった。
グロールフィンデルがさっとジャケットのポケットに手を入れたのを見逃さない。

「なーにーかー隠しました?」

「いや」

 平然とグロールフィンデルは答える。

「えー、じゃあ、そのポケットの中は何ですかー?」

 明かに、確信を持っている。

 溜息をついて、グロールフィンデルはチョコレートの箱を出した。

 

 目が怖いよ、レゴラス・・・。

 

 エルロンドが引きつっている。

「私のだ」

 そう言うグロールフィンデルに、疑いの笑みを向ける。

「本当にー? グロールフィンデルさんって、チョコレートなんか食べるんですか?」

「高カロリーで非常食になる」

 そう言って、グロールフィンデルは箱を開け、ひと欠片口に放り込んだ。

「社長、失礼します。何かありましたらお呼び下さい」

 出て行くグロールフィンデルに、エルロンドの後頭部に冷や汗がたらり。

「レゴラス・・・今日は10時には上がれると思う。その後食事でも?」

 ぱあっと恋人の顔が輝く。何かあったら食べ物で釣るに限る。

「スキヤキレストランの予約を、グロールフィンデルに入れさせよう。
先月行ったとき、気に入っていただろう?」

「はい!」

 機嫌の直った恋人は、エルロンドに抱きついてキスをした。

 

 

 

 その夜。

 グロールフィンデルは何気なくジャケットを脱いだ時、
ポケットに入れっぱなしだったチョコレートの箱を思い出して取り出した。

「ほう、ゴディバのビターか」

 ニヤニヤした男が、ソファーに寄りかかって見ている。

「好きか?」

「別に自分で買ってまでは食べないが、嫌いじゃない」

「では、やる」

 グロールフィンデルは、
着替えもせずにワインを喰らう男にチョコレートの箱を投げ渡した。

 スランドゥイルは箱を開けると、繊細なつくりの高級チョコレートを口に入れた。

「食わないのか?」

 ひとつ差し出す。グロールフィンデルは、首を横に振った。

「甘い物は、好きではない」

 それは、生易しい言い方だ。正直言って、嫌い、である。

 しかし、そんな楽しいことを聞いて黙っているスランドゥイルではない。
口いっぱいチョコレートを入れると、思いっきり抱きついてキスをした。

「・・・・・!!」

 いや、これは・・・・・・。

 1分位・・・・・それくらいまでは、意地と根性で我慢できる。が・・・・・。

「・・・・・」

 結局、愛しい人の唇から逃れ、グロールフィンデルは洗面所に走った。

 

 本当に、だめなんだって。

 

 涙目で咽るグロールフィンデルに、悪戯成功ご満悦のスランドゥイルは優しくキスをした。

 

 

 

 翌日社長室。

 レゴラスと仲直りしたご機嫌のエルロンドと、
悪戯のお詫びに楽しませてもらったご機嫌のグロールフィンデル。
一見無表情の二人だが、仕事のはかどりがいい。

「グロールフィンデル、昨日は・・・すまなかった」

「何がですか?」

 甘いものの苦手なグロールフィンデル。
あの後洗面所に駆け込んだことはエルロンドには想像がついていた。

「チョコレート・・・」

「ああ、そのことですか」

 何か楽しいことでも思い出したのか、グロールフィンデルに嫌悪の表情はなかった。

「あと10年は口に入れたくないですね」

 軽口を叩くとは珍しい。

 だが、エルロンドはそれ以上ツッコミを入れるのはやめておいた。

 そこへタイミングよくノック音。にっこり笑って入って来たのは、問題の張本人。
しかも、抱えている紙袋の派手なロゴ・・・・。
エルロンドもグロールフィンデルも、一瞬引いた。

「どうしたのだ? その・・・・大量のゴディバ・・・・」

「これね、いただいたんです」

 高級チョコレートであるが故、普通入れてある紙袋は小さいものだが、
それはまるで巨大ケーキでも入っていそうな大きさだった。

「お得意先の奥様に。
どうして女性はこうもチョコレートとか人にあげたがるのでしょうかね?」

「・・・・・で、もらってきたのか」

「喜んで、頂いてきましたよ。喜んであげることが、先方の満足に繋がるのですから。
まあ、チョコレートくらいならもらっても問題ないでしょう? 
たまに、ティファニーの高級時計とかシャネルのスーツとか、くれる人もいるんですよ。
それはすっごく困るんですけど」

 ホストだ・・・間違いなく、ホストだ。
そもそも、レゴラスは自分のところの職人の作った時計しかしないし、
好きなブランドはヴェルサーチで、そこのデザイナーの一人がレゴラスに惚れ込んでて、
パーティー用は全て特注という噂もある。
おかげで、エルロンドはレゴラスに何か身につけるものを買ってあげた事がない。

 いや、そんなことはどうでもいい。

「どうするんだ?」

「家に持って帰って父にあげてもいいんですけど、糖尿病になられても困るんで・・・」

 レゴラスは紙袋をグロールフィンデルに差し出した。と、いうより押付けた。

「差し上げます。お好きなのでしょう?」

 

 エルロンドは卒倒しそうになるのを感じた。

 で、当の本人は。

「・・・・・・・・」

 数秒引きつって固まった後、

「ありがとう」

 そう言って、大量のチョコレートを受け取った。

 

 どうするのか、どこに行くのか・・・・。

 エルロンドは聞かないことにした。

 

「あ、食べきらなかったら、棄てちゃっていいですからね。
ちなみに、父さんはウイスキーやらワインやらが練りこんだのが好きなんで、
・・・・たぶん入ってると思いますから、気が向いたら分けてあげてください」

 にっこりとレゴラスは笑った。