エルロンド家のいつもの朝。

 グロールフィンデルはいつものように、エルロンドの出勤時間の少し前に迎えに来た。

「エルラダンとエルロヒアはどうされました?」

 いつもなら玄関で出迎える双子の姿が、今日はない。

「友人と約束があるとかで、朝早く出て行った」

 それでも、ちゃんと父親の朝食の支度はしていったらしい。
エルロンドは一人、空の皿の前で冷めたコーヒーを飲んでいた。

「時間があるなら、コーヒーを入れてくれないか。暖かいのが飲みたい」

 グロールフィンデルは腕時計をちらりと見た。
それから、キッチンに向かい、しばらくして煎れ立てのコーヒーをふたつ持ってくる。

「時計を変えたのか?」

 エルロンドは新聞から目を上げた。
グロールフィンデルは自分の腕をちょっと見下ろし、何食わぬ顔でコーヒーを飲み始める。

「お前がアンティーク趣味だとは知らなかった」

 今までグロールフィンデルがしていたのは、
機能性重視のわりとごつい感じのオメガだった。
が、今しているのは古風なデザインのシックな腕時計である。

「それ、アンティークじゃないですよ」

 突然背後から声をかけられ、それでも驚いた素振は見せずに二人の男はレゴラスを見た。
エルロンドより遅く起きた少年は、用意されている冷めた朝食の席に着く。

「スイスの一流の時計職人の作った一点ものです。先月の展示会に出品されたもので、
余分な装飾を省いて時計本来の機能を重視した作品なんです。
小さなねじの一本まで手作りですから、性能は保証付です。
有名な技術者の作品ですから、これほどのものになりますと
ダイヤのはめ込まれたロレックスより高価です」

 さすが宝石屋・・・・・って、なぜお前が知ってる?

 エルロンドはレゴラスを見、グロールフィンデルを見る。

「めずらしく父さんが時計なんかに興味を示しているから、
どこに転売するのかと思ったら、ここに来てたんですね」

 レゴラスにっこり。

「スランドゥイル殿が?」

「ええ。先月父さんの出張について行ったでしょう? その時展示会をしてたんです。
もちろん宝石のどっさりついたブレスウォッチが目的だったんですけどね。
そっちではちゃんと商売してきたんですよ。
それで、それとは別にその時計、買ってたんです。
まあ、もともと職人技の好きな人ですから、それが目当てなのかと思っていましたが。
でも、父さん、ああ見えて自分で好きにできるお金ってあんまりないんですよ。
それひとつ買ったら、もう破産状態。一緒に行った部下にご飯おごってもらってました」

 さもおかしそうにレゴラスは笑う。
屈託ない表情からするに、そういうことはよくあるのかもしれない。
スランドゥイル、豪儀な男だ。

「社長なんだから、経費で落すことくらい簡単なのにね」

 そう言いながらも、会社のお金には絶対に手を出さない父親を、
レゴラスは誇らしく思っているようだ。

 さて、この状況。

 エルロンドが察するに・・・というか、
どう考えてもグロールフィンデルがスランドゥイルから買ったとは思えない。
それくらい、レゴラスにだってわかるだろう。転売するなら経費で買うはずだ。
それに、グロールフィンデルがそのような高級品を買う男でないことは明らかだ。
エルロンドにはあれこれと高級品を持つように指示するくせに、自分はあくまで性能重視。

 で、レゴラスは父親が、
自分のポケットマネーをはたくほどの高級腕時計をプレゼントしている・・・・
という状況を、どう見ているのか。もうこれは、認証済みなのか?

 興味津々、エルロンドは冷静なふりをしながらコーヒーを飲む。

「似合ってますね。使い心地はどうですか?」

 まるで行商人のようにレゴラスはグロールフィンデルに笑いかける。

「見た目より頑丈で軽い」

 グロールフィンデルも真面目に答えている。市場リサーチか?!

「腕の曲面にもフィットするよう綿密に計算されている。
大量生産では作り出せない技だろう」

「そう! よかった! 
じゃ、さっそく父さんの方にも報告して、あちらの職人と契約結ぶように勧めますね! 
これくらい高価なものだと、グロールフィンデルさんくらいの人でなければ
正確な使い心地のリサーチはできませんものね」

 そうきたか・・・・・?

 レゴラス、何をどこまで知ってて言っているのだか。

「それほど高価なものなら、相当な礼をせねばなるまいな」

 おや、認めたか?

「あ、父さん、金品は受け取りませんよ。ヘンにプライド高いから。
宝石屋だから装飾品もらっても喜ばないし。・・・・あ、そうだ。
ウチのメイドが孫が生まれるとか言ってました。
それで、しばらく休暇をあげたいとか父さん言ってたから・・・
10回くらいご飯を作ってあげればチャラになるんじゃないですか?」

 にこにこしているレゴラス。ちょっと驚いたようにじっと見つめるグロールフィンデル。
エルロンドは口元がニヤケそうになるのをこらえる。

 完全にバレてるな。

 というか、遊ばれてる。

 そもそも、息子が一目見てわかるような品物を送っているスランドゥイル自身、
堂々とバラしているようなものだ。

「・・・・・私はそれほど暇ではない」

 拒絶するか、グロールフィンデル?

「そうですよね。冗談です。
・・・・父さん、グロールフィンデルさんのこと気に入ってるみたいだから、
相手をしてもらえたら嬉しかったんですけど」

 心底残念そうなレゴラス。

「有給休暇なら、20年分は貯まっている」

 そんなレゴラスに助け舟を出したくなるエルロンド。
グロールフィンデルは己の上司をキッと睨んだ。

「私が1日でも休んで、社長の仕事が円滑に進むとお思いですか?」

 ごもっとも。グロールフィンデルなしでは、エルロンドは一日たりとも過せないだろう。
そういう関係なのだ。

「では、ワインの一本でも」

 妥当な申し出に、グロールフィンデルはクソ真面目な表情でコーヒーを飲み、肯いた。

「お時間です、社長」

 やれやれ、とエルロンドは立ち上がった。

 もっと素直になればいいのに、と思いながら。

 

 グロールフィンデルが車を回しに先に出ると、
エルロンドはレゴラスを抱き寄せてキスをした。

「僕もエルロンド様に贈り物ができるといいのですけど」

 はにかむように笑って、エルロンドの腕時計を見る。

「それ、大切なものなのでしょう?」

 自分の時計を見て、ふと考える。

 ずいぶん長い間、何気なく使っているから気にしたことはなかったが・・・・・

「・・・・妻にもらったものだが、処分してもかまわない」

 最初の結婚記念日に、妻から送られたものだった。

(そういえば、ギル=ガラドからもらった時計は、壊れて棄てたのだっけ)

 出会ってすぐに、時間は厳守するように言われもらった腕時計。
あの戦いの時壊れてしまった。

「エルロンド様の大切な時間を刻んできたものです。そんなこと言わないで下さい」

 そういうふうに考えるのか。

「ロマンチストだな」

「宝石屋ですから」

 たぶん、そういうところは親譲り。

「スランドゥイル殿は、なぜグロールフィンデルに時計を?」

 いいかげん、レゴラスの口から二人を認める発言を聞きたかった。が、

「僕が世話になってるお礼のつもりじゃないんでしょうか。
直接言葉にできないから、遠まわしに」

「・・・・・・それだけか?」

「何でもよかったけど、たまたま目に付いて気に入ったから、とか。
気に入ると値段とか気にしない人ですから」

 ・・・・・・・・・まて。本当にそれだけか?

「レゴラス・・・・・・」

 あの二人は付き合ってて、それで・・・・・・・

 エルロンドが言葉を探しているうちに、車のクラクションが鳴らされる。

 大きく溜息をついて、エルロンドは頭を振った。

 まあ、いい。

「では、私からも礼を言っておこう。私の秘書に気を使ってもらって」

「いいんです。父さんの道楽みたいなものですから」

 にっこり笑うレゴラスにもう一度キスをして、エルロンドは車に乗り込んだ。

 

「いい時計だな」

 多少疲れ気味に言うエルロンドに、グロールフィンデルは無言で口元を吊り上げて見せた。

 ああ、喜んでる喜んでる。

 なんにせよ、幸せそうでよかったよかった。