続き。

 

 月曜日。

 エルロンドはいつものように午前中の執務をこなしていた。

 そろそろ昼休みだという時間に、一人の男が社長室を訪ねてきた。

「エレストール、何か?」

 副社長のエレストールである。会合の予定は入っていない。

 エレストールは来客用のソファーに深く腰掛け、ひとつ溜息をついた。

「グロールフィンデルの機嫌が悪い」

 ぼそり、と呟く。エルロンドは何の話かと首をかしげる。

 グロールフィンデルはもともと愛想が悪い。無口だし。普段から怖がられる傾向がある。
それを、何を今更?

「そうか?」

 エレストールは上目使いにエルロンドを見上げ、また溜息。

「今朝、ウチの者が書類を届に行ったのですが、突っ返されて来ました。
理由は、書類のスペルがひとつ間違っていたからです。
社長に提出する書類だから、ミスは許されないと」

 そりゃそうだ。

「お恥ずかしい話ですが、今までその程度のミスは、グロールフィンデルが自分の判断で
全部直してくれていました。おかげで、部下が怯えてしまって。
まあ、ミスの件は仕方ないとしても、あんなしかめっ面で社内を歩かれては、
みんなが怯えて仕方がないのですよ」

 言われてみれば、少々機嫌の悪そうな態度ではあるかな?

「ここ最近、ちょっとは温厚そうだったから余計にね。何か心当たりはありませんか?」

 確かに、ここ最近は長年の片想いが成就して、なんとなく丸くなっていた気もする。

「・・・・金曜から私は休暇で、グロールフィンデルとは会っていなかったが」

 エレストールは、また大きく溜息をついた。

 エレストールほどの幹部たちは、ギル=ガラドの時代からの付き合いである。
当然彼はグロールフィンデルの過去を知っている。エレストールにしてみれば、
グロールフィンデルは野生の獣で、エルロンドがその飼い主ということになる。
エルロンドがグロールフィンデルを手元において、手綱を握っていると言うわけだ。

「わかった。気をつけておこう」

 宜しく頼みます、と言い残して、エレストールは出て行った。

 

 昼食のために社長室を出ると、グロールフィンデルは黙々とエルロンドに回す書類を
チェックしていた。その無表情さはいつものことだし、仕事熱心さにも変りはない。

「レゴラスと約束をしているので、外のレストランに行くが、お前も・・・・・」

 一応誘ってみよう・・・として、
顔を上げたグロールフィンデルにエルロンドは一歩後ずさった。

 なるほど、機嫌が悪そうだ。当社比10倍目つきが悪い。

「私はここで食事を取るので、お気遣いなさらずに。
始業時間の5分前には必ずお戻りください」

 いや、そんなこと言われなくてもわかっている。
エルロンドのムッとした感情を(普通の人は、エルロンドの表情を読めない)
グロールフィンデルは察して、釘をさした。

「レゴラスを相手になさると、社長は少々理性的でなくなるようですから」

・・・・・・・・・・痛い。

「気をつけよう」

 それだけ言って、エルロンドは出て行った。

 

 

 

 約束のレストランに、レゴラスは先に来ていた。

 向かい合って座り、メニューを注文する。

「何か心配事でも?」

 エルロンドの雰囲気を察したレゴラスが、質問を口にする。レゴラスも鋭い。

「いや別に・・・・」

 誤魔化しきれないことは、わかっている。

「・・・・・グロールフィンデルの機嫌が悪くてな。それだけのことだ」

 少し考えるように首をかしげたレゴラスは、思い当たるふしがあるのか、
眉間に皺を寄せた。

「金曜、射撃場でグロールフィンデルさんに会いました。
それで、いろいろ教わって・・・」

 銃を撃ってきたのか。なら、ストレス発散されて機嫌もよくなるだろうに?

「筋トレの話をしたんです。僕はもっと筋力をつけなきゃ命中率はこれ以上上らないって」

 グロールフィンデルらしい。レゴラスに教えられるのなど、奴くらいなものだろう。

「それで、・・・・たまたまグロールフィンデルさんに腹筋を見せている時に
父さんが迎えに来て・・・・僕、父さんに連行されちゃったんです」

 エルロンドは眉根を寄せた。グロールフィンデルに腹を見せた? 
いや、別にグロールフィンデルに他意はないだろう。
そう、レゴラスの肌など、何度も見ているはずだ。あえて注目すべき点ではない。
エルロンドは自分にそう言い聞かせる。

「別に父さんが誤解したとか、そういうのじゃないんですけど・・・・
グロールフィンデルさん、気を悪くしちゃったと思うんです。
父さん、ああいう態度をとる人ですから」

 それは、どう捕えていいのか? 
スランドゥイルは、グロールフィンデルがレゴラスを襲うとでも思ったのか? 
そう誤解されたことにグロールフィンデルは憤慨しているのか?

「スランドゥイル殿は、なぜそのようなことを? 何か話はしなかったのか?」

「何も。僕、引っ張って行かれちゃって。
グロールフィンデルさんに謝らなきゃいけませんね」

「スランドゥイル殿は、何か勘違いを?」

「いいえ。・・・・なんていうか、
父さんはもともと僕が誰かに肌を見せるのをすごく嫌っているんです」

 まあ、その理由はわかるが。

「いつものことなんです。僕がふざけているつもりでも、父さんはちょっと神経質になって。
アラゴルンなんか、何回父さんに殴られたことか」

 ぴくり、と口元が引きつる。スランドゥイルの前で、
アラゴルンはそういうことをしているのか。今度喝を入れてやらねば。

「でも、アラゴルンなら問題ないんです。
きっと、グロールフィンデルさんだから、父さんちょっと本気だったんじゃないかな」

「何故だ?」

「だって、僕、アラゴルンには絶対負けませんもの」

 ニヤリ、とレゴラスが笑う。

「体格差がどうであれ、僕はアラゴルンの手の内を知っていますし、
不意をつかれたって勝てます」

 たいした自信だ。が、たしかにその通りだろう。
それに、体力だけでなく口先でもアラゴルンはレゴラスには勝てない。

「だけど・・・僕、グロールフィンデルさんには勝てません。
父さんも、それがよくわかっているから」

 グロールフィンデルがその気になれば、レゴラスを組み敷くのは容易いだろう。
鍛え方が違うのだ。場数も。

「スランドゥイル殿は、グロールフィンデルを恐れているのか」

「いいえ。父さんは誰も恐れたりはしません」

 きっぱりと言うレゴラスの瞳は、父を信頼しきっている。

「父さんが恐れているのは、僕を失うことです」

「それで、グロールフィンデルがお前に危害を加えるとでも?」

「そうじゃなくて」

 どう説明してよいのか、レゴラスは視線を漂わせた。

「・・・・ただ、誰であっても僕に触るなっていう意思表示です。
ちゃんと説明しない父も悪いんですけど。
もしグロールフィンデルさんに対して敵意があったら、あんな子供じみたまねはしません。
父さんも、もうそのことは気にしてません。
でもグロールフィンデルさんは真面目な方ですから」

 お気に入りの玩具を誰かが触ろうとしたから、有無を言わせずそれを取り上げただけ。
そんなカンジか。

 グロールフィンデルがシャイなだけだ。
思えば、エルロンドも何度もスランドゥイルに同じようなことをされたな。
ただエルロンドは、逆にレゴラスをさらって威嚇して見せるが。
そういうことがグロールフィンデルにはできないのだ。

 そういうことなら、解決は簡単だ。スランドゥイルは根に持つ男ではない。

「グロールフィンデルさんには、悪いことしちゃいました。あとで僕、謝ります」

 エルロンドはふと笑い、レゴラスの髪を撫でた。

「大丈夫だ。お前が気にすることではない」

 レゴラスははにかんで笑い、運ばれてきた食事を食べ始めた。

「レゴラス、お前は・・・グロールフィンデルを怖いと思うか?」

 レゴラスはフォークを止めてエルロンドを見た。少し考えて、ニコリと笑う。

「怖くはありません。ただ・・・・」

「ただ?」

「グロールフィンデルさんが銃を撃つ時の目・・・・
自分も銃を撃つ時あんな目をしているのかと思うと、それに恐ろしさは感じます」

 硝煙に感じる快楽。

「お前は、銃を持つ時だけに快感を感じるわけではない。大丈夫だ」

 はにかんで笑い、レゴラスは再び食事をはじめた。

 

 

 

 言われた時間前に会社に戻る。グロールフィンデルは、まだ同じ姿勢で仕事をしていた。
ちゃんと食事をとったのか、気にはなるが、自分の体調管理には気をつけている男だ。
そんなことをあえて口にすることもあるまい。

「レゴラスに金曜の話を聞いた」

 顔を上げたグロールフィンデルの視線は、相変わらず鋭い。

「スランドゥイルに謝ってしまえ」

 自分で言っておきながら、エルロンドはグロールフィンデルの視線にたじろぐ。

「あなたには関係のないことです」

 いや、確かにそうなんだが・・・・。

「お前が不機嫌だと、エレストール以下全員が怯える」

 グロールフィンデルは小さく溜息をつき、手元の書類をエルロンドに押し付けた。

「・・・・問題はありません。2時までにサインを」

 書類を受け取ったエルロンドは、大きく溜息をついた。

 

 

 

 その夜。

 グロールフィンデルの運転する車で、エルロンドは帰宅した。

 車が止るや否や、屋敷のドアが開いてレゴラスが駆け出してくる。

「お帰りなさい、エルロンド様! グロールフィンデルさん、僕、謝らなきゃ・・・!」

 車から降り、エルロンドの座る後部席のドアを開けたグロールフィンデルが、
騒々しいレゴラスに顔をしかめる。

「金曜日、父が失礼しました。別に、悪気はないんです。父は、ああいう性格なので」

 グロールフィンデルはレゴラスを見下ろし、目を細めた。

「気にしてはいない」

 ・・・・・・ああ、無理してる。エルロンドは頬が引きつるのを感じた。

「父を誤解しないで上げてください。グロールフィンデルさんのこと、
嫌いなわけじゃなくて・・・・悪ふざけみたいなもので・・・。本当にごめんなさい」

 なにも、レゴラスがそこまで謝る事もないのに・・・。
グロールフィンデルは小さく溜息をついた。

「本当に、もう気にはしていない」

 パッとレゴラスが笑う。

「また、イロイロ教えてもらえますか? 僕、すごく楽しかったです。勉強になるし。
今度、また一緒に・・・・」

 グロールフィンデルが、僅かに微笑んだ。そんな優しげな表情に、エルロンドの方が驚く。
レゴラスはグロールフィンデルに飛びついて、頬にキスをした。

「・・・・・!!」

 戸惑い気味に抱擁を返すグロールフィンデルの腕から、エルロンドはレゴラスを奪った。

「スランドゥイル殿の気持ちがわかった。グロールフィンデル、レゴラスに触るな」

 きょとんとするレゴラスの頭上で、大人の火花がぱちぱちとあがる。

 グロールフィンデルは、狡猾そうに口元で笑い、レゴラスを手招く。
素直に応じるレゴラスを、グロールフィンデルはひょいと抱き上げて肩に乗せた。

 普通、これだけ大きい少年を肩車なんかしない。

 レゴラスは幼い子供のように歓声をあげて喜ぶ。

 グロールフィンデルがエルロンドに向ける視線は
「どうです? あなたにはできないでしょう」という、勝ち誇ったもの。
エルロンドは表情を引きつらせた。

 グロールフィンデルがレゴラスを下すと、笑いながらレゴラスはエルロンドの元に戻った。

「鍛えれば、これくらい造作もない」

「はい! がんばります!」

 スランドゥイルに対しても、同じくらい強引な態度をとってみろ・・・・と、
言いたいのを、エルロンドは必死で押える。

「ではまた明日。おやすみなさい」

 車で走り去るグロールフィンデルに、レゴラスは手を振った。

 

 エルロンドは悟った。

 レゴラスの言っていたことは、確かに正しいだろう。だが、それだけではない。

 嫉妬、だ。

 エルロンドはグロールフィンデルの完璧なほどの肉体美を知っている。
そのしなやかな肉体の使い方も。

 レゴラスは純粋に強いものに憧れる。グロールフィンデルに惹かれても不思議はない。

 スランドゥイルも知っているのだ。グロールフィンデルの鍛え抜かれた美しさを。

 

 そして、レゴラスだけがわかっていない。

 

 不機嫌そうなエルロンドを、レゴラスは不思議そうに見上げた。

「グロールフィンデルさんって、すごいですよね! 憧れちゃいます」

 それから、エルロンドに抱きついてキスをする。

「グロールフィンデルさんが従うのって、エルロンド様だけなんですよね。
僕、本当にすごい人を好きになっちゃったんですね」

 エルロンドに、余裕の笑みが戻る。

 レゴラスの肩を抱き、エルロンドは屋敷に入って行った。

 

 

 

 翌日の朝。

 グロールフィンデルがエルロンドを迎えに行くと、
レゴラスは居間で携帯で誰かと話をしていた。
呆れたように携帯を切り、グロールフィンデルに気付いて笑顔で挨拶をする。
食事の支度をしていた双子が、なんだったんだと尋ねる。

「父さん、珍しく朝早く出勤したと思えば、腰痛だとか言ってごろごろしてるんだって。
そんなことでいちいち電話しないで欲しいよね」

「やりすぎじゃないのか?」

 ニヤニヤする双子。

「知らないよ」

 レゴラスはプンプン怒っている。

「背筋が足りないから腰痛になどなるのだ」

 無表情でグロールフィンデルは言って、双子からコーヒーを受け取った。

 エルロンドは、犯人はお前だろうという視線をグロールフィンデルに向ける。
グロールフィンデルはそ知らぬ顔をしてコーヒーを飲んだ。

(でも、とりあえず機嫌は直ったようだな。よかったよかった)

 エルロンドの気苦労も、ひとつは取れたわけだ。

「社長も基礎トレーニングは欠かしませんように」

「私は、腰痛になどならぬ」

 言い返すエルロンドに、双子は意味知り顔でニヤニヤ笑う。

「えー、じゃ、グロールフィンデルさん、今度父さんの背筋でも鍛えてやってくださいよ」

 レゴラスの言葉に、グロールフィンデルはコーヒーを噴出しそうになり、
慌ててカップをテーブルに置いた。

(今日はフォローなどしてやらん)

 エルロンドは、一人優雅にコーヒーを飲む。

 確かに、今は椅子に座っている時間が長いが、体力にはまだまだ自身はある。
なにせ、若いレゴラスを愛人にしているのだ。

 そんな自信たっぷりな視線をレゴラスに向けると、
恋人の視線にとろけるようにレゴラスは笑った。

 

 お前には負けないぞ。