続き 「子供が小さいんだから、早く家に帰れ」 「そんなことをおっしゃるなら社長、会議に遅れないで下さい」 部下に叱られ、スランドゥイルはしゅんと肩をすくめる。 その部下の運転する車で屋敷に帰りつくと、居間の明かりが煌々と点いていた。 「あれ、坊ちゃん、お帰りになっているんですか?」 「らしいな」 「どこかの女が押しかけてきてたりして」 スランドゥイルは部下の頭をグーで殴った。 「レゴラス、帰っているのか?」 玄関を開け、居間に行くと、息子はダイニングテーブルの端にちょこんと座っていた。 その前に、色とりどりの皿が並んでいる。 「・・・・・・・・」 スランドゥイルは脱力した。がっくりと肩を落としながらも、皿を運んでいる奴を睨む。 「なぜ貴様がここにいる?!」 勝手知ったる他人の台所。料理を作っているのは、グロールフィンデルである。 「今夜はエルロンド様も双子もいないんだ」 にっこりと笑う息子。 「そんなことはどうでもいい!!」 「でね、グロールフィンデルさんがご飯作ってくれるって・・・」 「だから、なぜそうなる!」 スランドゥイルは持っていた革カバンを床に投げ捨てた。 「迷惑なら・・・」 言いかけるグロールフィンデルを、レゴラスが制する。 過剰に反応する父に、ムッとする息子。レゴラスは唇を尖らせた。 「なんだよ。父さん、喜んでくれると思ったのに・・・」 腕を組んで鼻を鳴らし、スランドゥイルは「何がだ!」と凄む。 「ローストビーフ」 言葉と共に、肉登場。 ねこじゃらしを目の前に出された猫同様、スランドゥイルの目の色が変る。 レゴラスはニヤリと笑った。 「・・・・・うむ」 ちらちらと肉を気にしながら、スランドゥイルはなんとか威厳を保とうと姿勢を崩さない。 「まあ、どうしてもというなら、食べてやらんでもない」 にぱーっとレゴラスが満面に微笑む。そして、するりと椅子から降りると、父に抱きついた。 いつもの抱擁。 が、突然レゴラスは腕を放した。 「・・・・女の匂いがする」 スランドゥイルは顔をしかめて、自分の腕の臭いをかいだ。 「そうか?」 「安っぽい香水」 鼻の頭に皺を寄せる息子に、スランドゥイルが首をひねる。 「その匂い、嫌い。シャワー浴びて、着替えてきてよ」 「なんだ、面倒くさい」 「とにかく嫌なの!」 スランドゥイルは息子の後ろのグロールフィンデルに視線を走らせる。 グロールフィンデルは、関係ないというようにそっぽを向いてキッチンに入って行った。 「わがままだなぁ」 「わがままでもいい! 着替えてきて」 ぷいと後ろを向いたレゴラスは、グロールフィンデルの運んできた皿に手をのばした。 盛り付けた肉をつまもうとして、グロールフィンデルその人にぺしと手の甲を叩かれる。 「味見」 「だめだ」 拗ねた子供のような表情で、背の高いグロールフィンデルを見上げる。 溜息をついたグロールフィンデルは、まだ盛り付けていない肉をフォークの先に刺してきて、 レゴラスの口に入れてやった。 スランドゥイルは、その光景をぼんやりと眺めた。 在りし日の光景が、そこに重なる。 何故? 似ても似つかないというのに・・・。 「まだボーっとしてるの? 料理が冷める前に、着替えてきてってば!」 息子にどやされ、スランドゥイルは頭を振って寝室に向った。 「それでね、双子に料理を教えたのはグロールフィンデルさんなんだって」 ぺらぺらしゃべりながら、レゴラスは次々と肉を口に運ぶ。 「すごいよね」 「わしには関係ない」 反対にむすっとした表情のスランドゥイルは、 それでも肉を食べながらワインをがぶ飲みしている。 「グロールフィンデルさんにも苦手なこととかってあるのかな」 興味津々のレゴラスの視線を無視して、グロールフィンデルは優雅に食事をする。 その表情には、僅かに緊張の色がうかがえる。ほんの僅かだが。 「酒が飲めない」 手酌でワインを注ぎながら、スランドゥイルが言う。 「なんで知ってるの?」 レゴラスの問いに、スランドゥイルは瓶の先でグロールフィンデルの前を指す。 そこには、水の入ったグラス。 そういえば、エルロンドもあまり酒は飲まない。 レストランで出てくる食前酒以外は水を飲んでいる。 エルロンドもグロールフィンデルも、食事光景が似ていることにレゴラスは気がついた。 ヘルシー思考で野菜がメイン。何より、食べてて美味しいんだか不味いんだかわからない。 味を楽しむより、食べるという動作を重視しているみたいだ。 常に完璧なマナーを守っている。家での食事でさえ。 「・・・・グロールフィンデルさん、美味しい?」 エルロンドの前で秘書にじゃれ付いたりはしないが、 レゴラスは人懐っこい表情でグロールフィンデルを覗き込んだ。 まさしく小鳥がついばむように少しずつ口に運んでいるグロールフィンデルは、 食事中に会話は厳禁という表情を返す。 「つまらない男だ」 スランドゥイルはグラスのワインをごくりと飲んで、それをテーブルに置いた。 スランドゥイルにしてみれば、今あまり口を開きたくないという グロールフィンデルの心境もわからないでもないが。 二人でいる時は、もうちょっと愛想がいい。 が、わかっていてもそうなると苛めたくなるのがスランドゥイルの性格。 「もうひとつあるな、苦手なのが」 何を言い出すのかと、グロールフィンデルの指先が止まる。 「ナニナニ?」 ニコニコしてレゴラスは父親に身を乗り出す。 「子供が作れない」 ・・・・・・・・・・ グロールフィンデルは落としそうになるフォークをしっかりと握った。 「え、それってセ・・・・・・」 「男が子供を産めないのは当然だ」 レゴラスの言葉をさえぎって、グロールフィンデルがきっぱりと言う。 レゴラスは、ぽんと手を叩いた。それはそうだ。 肩を震わせて笑っていたスランドゥイルは、パッと息子の襟首を掴んで引き寄せる。 「今、何を言おうとした?」 「え? だから・・・ナニを・・・・」 「わしはお前をそんなに下品に育てた覚えはないぞ」 「僕、エルロンド様の奥さんだもん。それくらいとうぜ・・・・・」 父のグーパンチが脳天に命中。 「なんだよ! 昨日女のトコで何してきたのさ! 自分だってやることやってるくせに!」 「わしはいいんだ! 大人だからな」 「大人だって、そんな浮気性でいいと思ってるの?」 「いいも悪いも、特定の相手がいなきゃ浮気とは呼ばん!」 「開き直るつもり? 裏、取るよ!」 さすがにスランドゥイルも「うっ」と詰まる。 レゴラスがその気になればいくらでも調べはつく。 っていうか、今まで真剣に調べていなかったのか。関心関心。・・・・感心している場合か! 「レゴラス」 それまで黙っていたロールフィンデルが、手の震えを押えて静かな声で指摘した。 「付け合せの野菜を食べなさい」 グロールフィンデルに向き直ったレゴラスが、不満の声を上げる。 「えー」 「えーじゃない」 小さく噴き出したスランドゥイルも、グロールフィンデルの声色を真似る。 「そうだ、野菜食え、野菜」 「なんだよ、父さんだってにんじん食べてないじゃない」 「わしはいいんだ」 「ずるいよ! グロールフィンデルさん、父さんにも言ってやってよ」 スランドゥイルは、言えるもんなら言ってみろという表情をする。 グロールフィンデルは言葉に詰まった。 無表情で困惑するグロールフィンデルに、スランドゥイルはニヤニヤと笑う。 その隙に、レゴラスは父親の皿から残りのローストビーフを掻っ攫った。 「あ! 何をする!」 「いいじゃない。父さん、ワインでも飲んだくれてれば!」 「よくない! わしの肉だぞ!」 レゴラスがべっと舌を出す。 グロールフィンデルは、目を丸くしてその光景を見つめた。まるで、子供が二人だ。 きっと、彼の妻は幸せだっただろう。 この男に愛されて。 「食事中にやめなさい」 軽くたしなめてみる。 「わしの肉! お前は年中美味いもん食わせてもらってるんだろうが!」 「悔しかったら作ってもらいなよ!」 なんなんだ、いったい。たかが一切れの肉くらいで・・・。 グロールフィンデルが呆然としている間に、その皿の上から残りの肉は消えていた。 食べてしまったのは、父親の方である。 「あー父さん、ずるい!」 今度は父親の方がべっと舌を出した。 「やめなさい! また作ってやるから・・・・」 げんなりしたグロールフィンデルの言葉に、欠食親子は 「本当に?!」 と、同時に叫んだ。 まあ、何と言うか・・・ここまであからさまに喜んで食べてもらえれば、 作ったかいもあるってものだ。 エルロンドとその息子たちに食事を用意してやってきたが、 マナーを叩き込まれている彼らは、こうもはっきりと喜びを表現してはくれない。 ああ、これが主婦の喜び? ・・・・主婦じゃないっての。 「なんなら、毎日作りに来てもよいのだぞ?」 ワインを飲みながらニヤニヤするスランドゥイルに、 グロールフィンデルの表情が引きつる。 「私はメイドではない」 「なに、告白?」 意味深ににやけるレゴラスを、グロールフィンデルはキッと睨んだ。 「私はそんなに暇ではない」 「それは残念だ」 スランドゥイルの言葉に、グロールフィンデルはふるふると震える。 どこまでからかえば気がすむのか・・・。 「まあね、一日おきに宴会と称して大量の料理を作らせられるのは、酷だよね」 うんうんとレゴラスが一人納得して肯く。 「グロールフィンデルさんをナンパするのは、ちょっと無理があるんじゃないの? 父さん」 「無理だったか」 「ま、その前に女性関係を清算するんだね」 「それは無理だ」 「なんで?」 「女がわしを放っておかん」 さすがに、がしゃん、と音を立ててグロールフィンデルがフォークを置く。 「数多い女の一人に数えてやってもよいがな」 殺気。 レゴラスは父親とグロールフィンデルを交互に見て、 それからグロールフィンデルの腕にしがみついた。 「失礼だよ! じゃ、僕がもらってく」 いや、それはそれで問題が・・・。 「私は、エルロンド卿に殺されたくはない」 レゴラスを見下ろすグロールフィンデル。 スランドゥイルは、テーブルの上のナフキンを息子に投げつけた。 「わしの前でべたべたするな」 「女の匂いをぷんぷんさせて帰ってくるよりマシ! それとも、嫉妬してるの?」 どっちに? 軍配はレゴラスに上った。 がたっと立ち上がったスランドゥイルは、 腕にぶらさがってるレゴラスを押しのけて、グロールフィンデルの手をとった。 「わしにメシを作ってくれ」 ・・・・・・・・・・ 蒼白するグロールフィンデル。 レゴラスはぱちぱちと手を叩いている。 「じゃ、僕もご飯食べに帰ってくるね」 「お前は帰って来んでよろしい」 真っ白になって固まっているグロールフィンデル。 スランドゥイルの蒼い瞳が、じっと見つめる。 こ・・・これは・・・・・・・ 「さあ、冗談はさておき、腹も膨れた。向うで飲みなおすか」 ぱっと手を放したスランドゥイルは、ワインの瓶を持ってソファーに移動して行った。 冗談だったのか・・・・・・・・・ 「飲みすぎだよ! 明日こそ会社に遅刻しないでよね」 父のジョークに慣れているのか、レゴラスも平然としている。 「モーニングコール、誰かに頼んでおくか」 「僕はダメだよ」 「そんなことはわかっておる!」 ひょいひょいとレゴラスも父についていく。 一人残されたグロールフィンデルは、卒倒しそうになるのを必死でこらえた。 「じゃ、僕は帰るね」 「泊って行かんのか?」 「だって、エルロンド様帰ってくるもん」 そそくさと帰り支度をはじめる。 「・・・・・私も失礼する。送ろう」 やっと復活したグロールフィンデルが、冷静さを取り戻して自分の荷物を取りに行く。 「いいです。大丈夫です。バイクがありますから。 今夜は直接帰ってくださいって、エルロンド様も言ってましたし」 「そうだそうだ。もうちょっとゆっくりして行け」 今度はどんなイジメかと、グロールフィンデルは警戒した視線を送る。 「誰が皿を洗うんだ? わしはやらんぞ」 やっぱりそうか。 グロールフィンデルは手にしたカバンを、再び下した。 「用があるなら、無理には引き止めん。明日、メイドが来てやってくれるからな」 なんて姑息な奴。 「気にしないで帰っちゃっていいですからね。じゃ、お先に! おやすみなさい」 にこっと笑って、レゴラスは父親にキスをして出て行った。 バイクのエンジン音が遠ざかる。 肩を落としたグロールフィンデルは、食べ終わった皿を運び始めた。 「そんなものは後にして、まあ、こっちに来て少し休め」 言われるままに、ふらふらと近寄る。 その腕をぐいと引っ張って、スランドゥイルはグロールフィンデルを隣に座らせた。 「すまんな、息子のわがままにつき合わせて」 いや、レゴラスのわがままよりお前の言葉の方が心臓に悪い。 緊張が解けて、ぐったりと脱力する。 そんなグロールフィンデルの整った髪を、スランドゥイルはぐしゃぐしゃと撫でた。 「ありがとう。美味かった」 そんな顔でそんなことを言われたら、どんな女だって落ちる。 スランドゥイルは、グロールフィンデルの疲れきった顔を両手で包んで、自分の方を向かせた。 「息子が、誰かとわが家で食事しようと言い出したのは、初めてだ。あそこは、妻の席だ」 訝しげにスランドゥイルを見る。 「今夜は、ゆっくりして行け」 蒼い瞳を細めて、彼は笑った。