エルロンド、今夜も残業。もともと「定時退社」なんて言葉はない。
書類に会議に接待。とにかく毎日分刻みのスケジュールで、夜遅くまで働いている。

 で、夜もういい時間というのに、社長室で書類の山に埋れている。
社長室で一人で仕事をしているというのは、けっこう気楽でいい。
それに今夜は、この社長室に猫が一匹おとなしく座っている。
エルロンドの邪魔にならないように、隅の方のソファーで本を読んでいる。

 先に仕事を終えたレゴラスが、おとなしくエルロンドの終業を待っているのは珍しくない。
ふと目を上げるとそこにレゴラスがちょこんと座っていて、視線に気付いてにっこりと笑う。

(ああ・・・なんて幸せなんだ・・・)

 男とは単純な生物である。

 嫉妬深い女のように「仕事と私、どっちが大切?!」なんて野暮なことは、
絶対に口にしない。おとなしくいい子に待っている。

 

 そんな至福の仕事時間を過し、そろそろ終りにしようかと思っていると、
レゴラスの携帯が受信を告げた。もちろん、マナーモードになっているので、
音はしないが、レゴラスが慌てて立ち上がって携帯をとりだした。
そして、電話がかかってきたから外に出ると身振りして、そっと社長室を出て行く。

 社長室のすぐ外は、秘書室になっている。
何人たりとも秘書の顔を見ずに社長室に入ることはできない。

 レゴラスは静かにぴったりとドアを閉め、
そこで仕事をしていたグロールフィンデルにも携帯を指差す。
グロールフィンデルは無言で反対側の壁際を指差した。
レゴラスは、そこでやっと通話ボタンを押した。

「・・・・・あ、父さん?」

 トーンを落した声に、グロールフィンデルがぴくりと反応する。

「え? 今夜? ・・・・もちろんこっちに泊るよ。なんで?・・・・・」

 グロールフィンデルは、パソコンに向いながらも息を潜める。
酔って機嫌のいいスランドゥイルの声が、かすかに耳に届いてくる。
どうやら、自分も今夜は家に帰らないからと言っているらしい。

「なに、いつもの店で飲んでるの? ・・・・・うん、そう・・・・。
え? バーのウエイトレスをナンパする?」

 キーボードの上で止ったグロールフィンデルの指先に、レゴラスが気付くはずもない。

「いいけどさ、先月も同じ事言って失敗してない? 
・・・・・花? ・・・・花贈るの?」

 レゴラスの眉間に皺が寄る。

「やめた方がいいよ。父さん、センスないから。
・・・・・わ、わ、怒らないでよ。ホントなんだからさ。
また真赤なバラの花束とか買おうとしているんじゃないでしょうね? 
・・・・やっぱり。花屋、近くにあるの? 
じゃ、さ、ちょっとこれから言うの、注文してみなよ。・・・・いいから」

 それからレゴラスは、あまり聞き馴染みのない(男には)花の名前と色、
大きさを連ねていった。

「こんなカンジで。・・・・うん、大人の女性好みだと思うよ。
・・・・だからさ、父さんも少しは女性の好きそうなもの、研究した方がいいよ。
営業に役立つから」

 それからもしばらく女の口説き方を伝授する息子。
仕事にキリをつけたエルロンドが、そっと顔を覗かせる。
パソコンの前でグロールフィンデルは固まっている。

(あ〜・・・・・)

 気の毒に。エルロンドはそう思うが、レゴラスは知らないのだ。致し方ない。

 電話を切ったレゴラスに、エルロンドはそ知らぬ顔で電話の相手を尋ねた。

「父さんの行きつけのバーに、キレイなウエイトレスがいるんです。胸が大きくて」

 レゴラスは苦笑する。

「僕も会ったことありますけど、いいカンジの女性ですよ。
大人で、割りきった付合いのできる女性です。
だから、時々ゲーム感覚で、父さん、デートに誘うみたいなんですけど、
いつも上手いこと断られちゃうんですよね」

「スランドゥイル殿でもフラれることがあるのか」

 冗談めかしたエルロンドの言葉に、レゴラスはクスクスと笑う。

「結局、本気じゃないんですよ」

 誘ってベッドインできればラッキー・・・程度。

「花などではなく、宝石でも送ってみてはどうだね? その方が女性は喜ぶだろう」

「・・・父さん、絶対に女性に宝石とかアクセサリーとか送らないんです。
もったいないとか本人言ってますけど。
・・・・きっと、本気になった人にしか送らないんじゃないですか?」

 軽薄そうに見えて、あの男、純情一徹なところがある。

 固まったままの秘書をちらりと見て、エルロンドは小さく咳払いをした。

「行きつけのバーと言ったな。近いのか?」

「ここからそんなに遠くはないですよ。
×××通りの繁華街を抜けた先の、小さなワインバーです」

 それから携帯をしまいながら、
レゴラスはエルロンドに「仕事は終ったのですか」と訊ねた。
エルロンドは頷いて見せ、秘書を横目でちらりと見てから

「何か、食べて帰るか?」

 と言ってみる。案の定、レゴラスは嬉しそうに瞳を輝かせた。

「グロールフィンデル、私はレゴラスと食事をするので、先に帰らせてもらう」

 秘書はまだ少し引きつり気味に頷いた。

「・・・・それから、今日フランスから届いた荷物だが、先方の社長に見本をもらってある。
私は要らないから、適当に処分しておいてくれ」

「よいのですか?」

「かまわん」

 てきぱきと帰り支度をし、エルロンドはレゴラスの肩を抱いてドアに向った。

「社長、明日の予定ですが・・・・・」

「いつもどおりであろう? 迎えに来なくていい。明日は直接社に来てくれ」

 グロールフィンデルは立上がり、退社の挨拶をした。

 レゴラスと駐車場に向いながら、エルロンドは小さく溜息をついた。

 スランドゥイルは、なぜわざわざレゴラスに連絡をよこしたのだろう。
彼がここにいることを知っているはずなのに。
そして、ここにはグロールフィンデルもいる事をわかっているはずなのに。

「・・・・・・・・」

 意外と姑息な男なのかもしれない。

 そう思うと、妙におかしかった。

 

 

 

 スランドゥイルは、バーの前の通りで、お目あての女性が出てくるのを待って、
いつもの口説きにかかっていた。脈がないわけではない。
彼女も宝石屋の社長を好いてはいるのだが、ほいほいとついて行くより、
こんな戯れを楽しんでいる。

 お互いに。

 花も貰ったし、今夜はオッケー・・・・・と返事をしかけたところ、
二人の背後で黒塗りのリンカーンが停まった。

 そこから出てきたのは、高級なスーツに身を包んだ長身の男。
若くはないが人目を引く美貌に、女は一瞬息を飲んだ。

「お取り込中だったかな」

「ああ、取り込中だ」

 振向きもせずに、スランドゥイルは邪険に言う。

「邪魔だ。用がないなら、どこかへ行け」

 長身の男の目つきは鋭く、女はハラハラドキドキしながら見守っている。

「ご婦人が怯えているではないか!」

 振向いたスランドゥイルの目の前に、一本のワイン。

「解禁前のボージョレヌーボー」

 真新しいそのラベルを見たとき、スランドゥイルの目つきが変った。
まるで、ねこじゃらしを前にした猫のように。

 スランドゥイルはくるりと向きを変え、今まで口説いていた女の手を握った。

「すまない。今夜は急用ができた」

 女はスランドゥイルと長身の男を見比べる。男の目つきは、勝誇ったように輝いていた。

 彼女は大人である。

 にっこりと微笑むと、スランドゥイルの手を握り返した。

「残念だわ。今夜はちょっといい気分だったのに」

 上品な赤い唇をスランドゥイルの手に押し当て、キスマークをつけると、
大きな胸を揺するように彼女は背を向けて去っていった。

「うーん・・・もったいないことをした・・・・・」

 あの巨乳には未練があるようだ。

「で、どこで飲むのだ? それ」

 でも花より団子。きらきらと瞳を輝かせるスランドゥイルに、
グロールフィンデルは車に乗るように促した。

「私のマンションだ」

「・・・・あそこはあまり好かぬが・・・まあいい」

 機嫌よくスランドゥイルは乗りこみ、
グロールフィンデルは口元をほころばせながらエンジンをかけた。

 

 ナンパ成功。