普段出歩いてばかりいるアラゴルンは、そのしわ寄せで、
その晩は遅くまで残業していた。ボロミアも先に帰り、今は社長室に一人きり。
目を通す予定の書類に一区切りつき、机に突っ伏してうつらうつらする。

 夢だとわかっている夢なので、多少羽目を外してもいいだろうなんて考える。
心地よい疲れの見せる夢は、少しばかり色気があった。

 アラゴルンは自分の服を脱いだ。その裸の胸に、見入っている一人の少年。

「いい体してるね」

「抱かれてみるか?」

 少年は微笑み、自分のシャツのボタンを外す。

 彼の胸は、白く、滑らかだ。

「こんな細い体の、どこにあんな力が隠されているんだ」

「きっと、僕と君とでは人種が違うんだよ」

 そう言って、紅い唇を舐める。
濡れた唇を味わいたくて、アラゴルンは少年を抱き寄せる。

 

 殺気に目を開けたアラゴルンの目の前に、ナイフが突き刺さっていた。

「・・・・・机に傷をつけるな」

 寝ぼけ眼で顔を上げる。

「だったら、そのだらしない口元とよだれを何とかしたら?」

 可愛げのない口調に、現実に引戻される。レゴラスはナイフをしまった。

 今夜、会う約束はしていなかったはずだ。唐突な来訪は、別に珍しくもないのだが。

 レゴラスは机に腰をおろしている。

「何か用・・・・・」

 訊ねようとして、アラゴルンは眉間に皺を寄せた。

「・・・・・血の匂いがする」

 さすがに鋭いね、と、レゴラスは口元をつり上げる。

「ちょっと蜘蛛狩りにね」

 

 闇の帝王と呼ばれた麻薬王サウロン。
その彼がギル=ガラドらによって滅ぼされた後も、彼の悪意は生き続けた。
自らサウロンの僕と名乗る者も多く、闇に手を染めた者の中で、
これといった統率者を持たない連中を「蜘蛛」と呼んだ。

 特に蜘蛛は街中より郊外に巣を張る。
街中の彼らは、蜘蛛よりは少し上で「ゴブリン」と呼ばれた。
エルロンドの双子が目の敵にしているのは、主にこの「ゴブリン」であった。

 

「呼んでくれれば手伝ったのに」

「君の手を煩わすほどのことじゃないよ」

 そう言うレゴラスの瞳の色は、まだ鈍く光っている。

 

 彼は時々、一人で何かをしようとする。

 

「大丈夫か?」

 心配げに問うアラゴルンに、レゴラスは応えずに、手持ちの武器を机に並べる。
二丁のロングナイフ、ハンドガン、弾倉・・・。
そして最後にジャケットを脱いだ時、そこにぽつぽつと赤黒いシミがあった。

「洗面所貸してよ。着替えたいし、手も顔も洗いたい」

 薄汚れたデイパックから、洗いざらしのシャツを出す。そしてそのまま洗面所に向う。

 鉄の臭いのするシャツを脱いで、いっぱいに出した水道から水をすくって顔を洗う。
消毒液臭い洗剤で、腕をごしごしと洗う。

「レゴラス」

 その姿を、アラゴルンはドアに背を持たせかけて見つめていた。

 美しい体だと思う。

 だがその肉体は、戦う事に慣れている。

 愛人の前では淫靡に震えるであろう白い肌は、見た目よりずっと鍛えられている。

 もし自分が彼の愛の全てを受けることができたら、
彼に銃を持たせることはしないだろうか。否、それは無理だ。なぜなら・・・・

 

 彼の愛情の根源は、肉親にあるのだから。

 

「ナニ?」

 自分を見つめる男に、振り返る。

「本当に大丈夫なら、俺のところに来て着替えたりしないだろう? 
エルロンドに、もっと弱みを見せてもいいんじゃないのか」

 レゴラスは水道の蛇口を開け放したまま、鏡の中の自分を見る。
緑色の瞳は、何を見つめているのか。

「だって」

 唇が、小さく動く。

「エルロンド様は、ノルドだもの」

 水音にかき消される声。が、アラゴルンは息を飲んだ。

 彼ら、昔の学派の抗争は知っている。
アラゴルンとて、エルロンドの元で幼少の時を過し、そして勉学の基礎を学んだ。
エルロンドは、知識の人だ。当然、彼らの抗争のことも教わった。

「レゴラス」

「アラゴルン、これはプライド、なんだよ。
祖父が築いたものを、父が、僕が、守っていく。誰にも手出しはさせない。
これは、僕の中に流れる血のプライドなんだ」

 そうやって・・・・レゴラスの祖父オロフェアも、スランドゥイルも、
孤独に戦ってきたのか。

 

 どんなに愛し合っていても、それ以上立入れない場所が存在する。

 

 レゴラスは新しいシャツに手を通し、汚れた服をアラゴルンに押付けた。

「棄てといて」

 そして武器を再び装着する。

「俺にできることは?」

「ないよ」

 邪険に返す。身支度を終えたレゴラスは、アラゴルンの椅子に身を埋めた。

「十分したら起して。エルロンド様のところに帰るから」

 

 これは、レゴラスの甘えだ。

 アラゴルンは、彼らの血の争いには、何の関係もない。興味もない。

 

 応えを待たずに寝息を立てるレゴラスを、じっと見下ろす。
溜息をついて携帯のアラームをセットし、アラゴルンは客用のソファーに寝転がった。

 うつらうつらし始めると、夢を見る間もなくアラームが鳴る。
飛び起きてレゴラスを起すと、彼はいつもの無邪気な表情を取戻していた。

 力に絶対的自信を持つレゴラスにとって、そのサポートは必要としない。
彼に必要なのは「心休まる場所」なのだ。

 その片鱗でも荷うことができるのは、
彼を愛するもにとって非常に名誉なことかもしれない。

「レゴラス、こんな生き方・・・」

 あくびをして、レゴラスはアラゴルンを見る。

「辛くはないのか」

「なんで?」

 速答して、にこっと笑う。

「愛している人がいて、帰る場所があって・・・こんなに幸せなことはないよ」

 仮眠を取ってすっきりしたのか、
起き上がったレゴラスはアラゴルンの頬に素早くキスをした。

「世話かけたね」

 笑いながらひらひらと手を振り、レゴラスは現れた時と同じように、
余韻を残さず去っていった。

 レゴラスに翻弄されているのはわかっている。

 それでも、そんな彼に惹かれる自分を押えきれない。

 

 頼られているのが、わかっているから。

 

 アラゴルンは、書類の束に目を止めた。

「徹夜で終らせるか」

 ひとりごちて、椅子に座る。

 レゴラスの触れた頬に手を当て、ニヤリと笑いながら。