とあるパーティー会場。

 エルロンドは退屈を極めていた。
仕事柄金持の暇つぶしに付き合うのは仕方がないが、
こうパーティーが重なるとうんざりする。

 帰って残業していた方が気が楽だなー帰りたいなー
なんてぼんやり考えていると、秘書にじろりと睨まれた。
常にポーカーフェイスの彼の感情を読み取ることができるのは、
双子の息子とこの冗談の通じない秘書くらいである。もっとも、
エルロンドが冗談を言うことなど皆無だったが。

 秘書に耳打されて、宝石商の社長に挨拶をする。
一代で地位を築き上げた男だ。かなりのやり手である。
お互いうわべの挨拶を交す。仕事の話はまた後日、
というのが暗黙の了解ごとになっている。
宝石商の男は、自分の右手である息子を連れてきていて、
彼も紹介された。

(幼いな)

 エルロンドの第一印象である。かなり着飾って大人顔負けの
態度をとってはいるが・・・エルロンドには驚くほど子供に見えた。

 

 シャンパングラスを片手に、挨拶をして回っていると、
先ほどの少年が目に入った。中年の「いかにも」ってジジイと
なにやら込入った話をしている。

「ですからその件につきましては、違約金を支払うということで
納得していただけたかと思っておりますが」

「先日の会議ではな。だがわしが言っているのはそのことではない。
君の心つもりひとつで、今後の契約について考え直してもよいと
言っているのだ」

「私どもはそちらに敬意を表してはおります。
ですが、そのような個人的な申出となりますと、私の一存では・・・」

 からまれてるな。エルロンドは思った。
さて、どうしたものか・・・?

 エルロンドの視線に、少年が気付いた。
一瞬、助けを求めるような表情をする。

(そんな顔をされても・・・お前の父と私ではたいした面識もないぞ)

 そう思いながらも、ついつい近寄ってしまう。

「エルロンド卿!」

 初めて気付いたように、少年がぱっと表情を輝かせた。

「ぜひお話をしたいと思っておりました」

(そうなのか?)

 訝しがりながらも、そういう感情は表情に出ない特異体質。

「丁度よいところで会った。先ほど君の父上と話をしたのだが、
言い忘れていたことがあってな」

 少年を手招く。それから、いかにも助平そうなジジイに
商業的威圧的笑みを送る。

「失礼。彼を借りてもよろしいか?」

「・・・これは、これは、エルロンド卿。勿論ですよ」

 ジジイは怯えた顔をして去っていった。うむ、いい対応だ。
奴の顔は覚えておこう。

 爵位などもたないのに、何故「卿」付けで呼ばれているか。
それはエルロンドの財界への強い影響力からである。

 少年はエルロンドのそばに来ると、あたりまえの顔をして
さらさらと仕事の話をした。一見真面目な取引の話のようであるが、
実際は意味のない話であった。

 にこやかに仕事の話をしながら、少年はウエイターから
グラスを受取り(というか、無理矢理さらい)ぐっと飲み干すと、
そのグラスをダンッとテーブルに荒々しく置いた。

(今のはブランデーじゃないのか?)

 さすがに口には出さずともエルロンドは驚いた。
テラスまで歩いてきて、他の誰からも見えなくなると、
少年は深々と頭を下げた。

「たすかりました。ありがとうございます」

「いや、かまわないが・・・・何者なのだ?」

「海運会社の重役です。先日ちょっとした行き違いがあって
・・・違約金を支払うことで話はついていたのですが」

「おおかた私的につき合えとでもいう話なのだろう」

「そうなんです。本当にしつこい。父に話せば契約会社を
替えると言うでしょうが、・・・私一人のために他の社員の手を
煩わすことになるのはどうかと。手はつくしているのですが」

 そりゃあ無理だ。ああいう輩は、話合いで何とかするつもりなど
毛頭ないのだから。この少年は経営の裏取引をわかっているのか
いないのか・・・?

「ご迷惑をおかけして、本当に申訳ありませんでした」

 もう一度頭を下げて、少年はふらふらと会場を出て行った。

(ふらふら・・・って)

 酔ってるじゃないか!

 なんとなく保護欲を掻き立てられて、
エルロンドは後をついていってしまった。

 

 ホテルのエントランスに少年の姿はなかった。
帰ったのか? と、思いつつさりげなく見回していると、
かすかな歌声が聞えてきた。中庭に続く木立からだ。
思わず吸寄せられてしまう。誰もいない暗がりで、
少年はぼんやり座り込んでいた。

「無茶をしたな」

 つい声をかけてしまう。少年はエルロンドを見上げ、
にっこりと微笑んだ。

(酔ってる・・・)

 本来酔っぱらいは嫌いだが、この場合話は別だ。

「だってやってられないんだもん。仕事にかこつけて
言寄ってくる奴って、一人二人じゃないんだもん」

(子供だ子供だ)

 なぜかおかしくなって、エルロンドはクスリと笑った。

「あ、笑った。
エルロンド卿は絶対笑わない怖い人だって聞いていたのに」

「私も笑い時くらいある」

 少年は嬉しそうににっこりとして立上った。

「失礼をお許しください」

 また敬語に戻る。
ふらつきながらパーティー会場に戻ろうとするところを、
エルロンドは腕を掴んで引きとめた。

「車で送ろう。もう帰ったほうがいい。子供は寝る時間だ」

 驚いたように少年はエルロンドを見つめ、ぼろぼろと涙を零した。

(あ、まずい)

 焦りを感じたのは、泣かせてしまったからではない。
言わずと知れた何かが心臓に突き刺さったからだ。

 とりあえず携帯電話を出して、会場に残っている
己の秘書に電話をする。

 ちなみに、普通パーティーに同席するのは
恋人か奥さんと決っているのだが、どちらもいない堅物の社長は
なぜか秘書官が同席していた。

 宝石商の息子を車で送ると告げると、案の定嫌みな声が返ってきた。
それから少年の父親にも何とか言訳をしておいてくれとも告げる。
決して声色を荒げることをしない秘書の声は、それだけに痛い。
が、何とかしてくれる手腕を持つのも確かだ。

 

エントランスに戻って車を持ってこさせ、
少年を助手席に入れて走りだす。

 少年は流れる夜景をぼんやりと眺めていた。
少年の自宅は高級住宅街にあって、エルロンドの邸宅から
そう遠くはなかった。

 車内では交す言葉も見つからず、エルロンドは運転に集中し、
少年は窓の外の流れる夜景をぼんやりと眺めていた。

 住宅街の少し手前で、少年は車を停めてくれるよう頼んだ。
暗がりで人通りもない道路わき。
ここから歩いて帰ると少年は告げた。

「家まで送るが?」

「いえ、十分です。誰かに見られたくありませんから」

 何を警戒しているのだか?

「・・・本当に嫌なら、ちゃんと父上にも話した方がよかろう。
私が言うべきではないが、君は目立つ。
外交は他の者に任せた方がよい」

「好きでしている仕事です。でも・・・自分の顔は嫌いです」

「そのようなことは、言うものではない」

 少年は、酔いの覚めない表情で、じっとエルロンドの顔を見つめた。

(その表情がいけないのだ。その表情が!)

 思っていることを見透かすように、少年は顔を伏せた。

「すみません、本当に。ご迷惑をおかけして・・・。
ありがとうございました」

 車から出ようとする少年を、思わず引きとめてしまう。

「迷惑では・・・ない」

「いいえ、私の様な者がエルロンド卿に言寄ったと見られては、
すぐによからぬ噂が立ちますから」

 自分はいったい何をしているんだと自問する間もなく、
エルロンドは少年の顎を掴んで引き寄せた。

(よせ、やめろ)

 頭の中の冷静な部分が警告する。しかし身体は警告を無視して、
少年と唇を合わせていた。

 


 それからのことは、ほとんど記憶にない。
否、驚くほど鮮明に刻印された。

(・・・やってしまった・・・)

 脳みそがだらだらと冷汗をかく。

(車の中で)

(年端も行かぬ少年と・・・)

 エルロンドの胸の上で、うっとりと身体を預ける
少年の髪を撫でながら、脳みそがぐるぐる高速回転をする。

(×××なんて・・・何年ぶりだろう)

 奥さんに先立たれてから、
性欲なんてものとは無縁だったような気がする。

 それを今更なぜに?!

 顔を上げた少年は、哀しそうな顔をした。

(また心を読まれている)

 そう感じる。無表情だの、何を考えているかわからないだの、
常日頃言われ続けているが、顔を見ただけで感情を読み取るように
反応されるのは、身内以外では初めてかもしれない。

 少年はすぐに服を着て俯いた。

「・・・すみません。ご自分を責めないで下さい。私が悪いのです」

 いや違う、と思いつつも言葉が出ない。

 ドアを開けて車から出た少年は、よろけてぺたりと座り込んだ。
立ち上がれないらしい。

(は・・・)

「初めて・・・だったのか?」

 さすがに狼狽する。気付けよ、自分!!

「みんな、そういうふうに見るんですね」

(やばい、泣かれる)

 がらにもなくエルロンドは車から飛び降り、
座り込む少年をぎゅうっと抱しめた。知り合いが見たら驚くに違いない。
そういう感情的な行動を取る人間ではないから。

「すまない」

「謝らないで下さい」

「いや・・・やさしくしてやれなくて。
その・・・自分でも制御がきかなかった」

(何を言訳しているんだ?!)

 だらしない!

 少年はエルロンドに抱きついた。

(なんで公道でこんなことをしているのだ、私は)

 成人する子供を三人も持っているというのに。

「・・・後悔、しているのではありませんか?」

「していない」

「僕を嫌いにならない?」

「ならない」

「また抱いてくれる?」

「何度でも」

 少年は顔を上げてエルロンドを見つめた。
見透かすようなその瞳の色がたまらない。

「私は独占欲の強い男だ。私だけのものになるか?」

「はい」

 そう言って二人は口づけを交した。

 

 

 

 翌日。

 会社の車庫で、秘書殿はエルロンドの車に毛叩きをかけていた。

「社長、車内のクリーニングは済ませて置きました」

(・・・怒ってる・・・)

 経済新聞片手に聞かぬふりをする。

「以後車内で行為をなさるときは十分お気をつけ下さい。
一応公用車なのですから」

(耳が痛い・・・)

「即断即決は悪いことではありませんが、
いつもの社長らしからぬ行動はどうかと思います」

(わかった、悪かったよ)

「責任は当然取られるのでしょうね?」

(そんな性犯罪者のような言い方をしなくても
・・・いや、犯罪かもしれないが)

「あの宝石商の社長に、できるだけ早くアポを取ってくれ。
個人的な話だが、仕事がらみでもかまわん。
それから、これから言う海運会社の重役を至急調べてくれ」

「何をなさるおつもりで?」

「前者には頭を下げ、後者は潰す」

 グロールフィンデルはエルロンドの考えを探るように、
鋭い視線を向けた。

「御意のままに」

 

 エルロンドが「再婚」の言葉を出して彼の息子たちを驚かせるのは、
それから半月先の話である