その日、エルロンドは少々頭を痛めていた。

 レストランで開かれた昼食会は、少しばかり苦手な取引先とのものだった。

 何をどうしてもエルロンドの地位を揺るがすものはない。
それでも、だからこそか、嫌味の10や20、並べる輩とはいるものだ。
それでも、エルロンドは時には無表情に、時には微笑みさえ浮べてそれらを流す。
だから、エルロンドは早く己の秘書が迎えに来て自分を連れ去ってくれることを
心待ちにしていた。

 予定の時間きっかりに、
レストランのウェイターがエルロンドに迎えが来たことを告げた。
助かったとばかりに席を立つ。

 が

 当然そこに現れるはずであった男の影はなく、
そこには意外な人物がにこやかに立っていた。

「・・・・・・」

 そんな心境があってこそ、エルロンドは戸惑いを表情に出してしまった。

 もしこの場が、ガラドリエルやキアダンなどの
よく知った者の主催したパーティーであるなら、もっと喜んで彼を迎えただろうし、
周囲の者も驚きはしてもそれを非難することはない。むしろ、歓迎されたであろう。

 だが、今日の相手は・・・・。

「グロールフィンデルはどうした?」

 複雑な気持いっぱいで、それでも冷静にそれだけを質問する。

「所用がありまして、代りに僕が」

 もちろん、レゴラスとてエルロンドが両手を挙げて喜ぶとは思っていなかった。
それでも、今日のエルロンドは迷惑なのか、困惑した表情で肩を落す。

「ご迷惑でしたでしょうか」

 伏せ目がちに問うと、エルロンドは諦めたように「いいや」と小さく答えた。

「これはこれは、エルロンド卿! ずいぶんと若い・・・幼い運転手ですな!」

 ほらやっぱり。

 その男は、鬼の首でも取ったように、嬉しそうに近寄ってきた。

「いいえ、この者は私の運転手ではありません」

「ほほう、では・・・卿とほかならぬ関係のある子供ですかな?」

 エルロンドとレゴラスの関係は、公言こそしてはいないが、知る者は知る。
別に悪いことをしているわけではないが、
それでも、エルロンドほどの立場の中年男性が、自分の息子より若い、
しかも同性と恋人関係にあるなど、ゴシップといえばゴシップだ。

 レゴラスは、なんとかエルロンドの上げ足を取りたい姑息な男を見入った。

 そこで、「僕はエルロンド様の奥さんです」なんて、ばかげたことを言いだすほど、
レゴラスも愚かではない。

 どんな嫌味も慣れているように、レゴラスはパーティーや会議で見せる、
大人びた可愛げのない表情で笑って見せた。

「レゴラス、こちらは取引のある会社の重役で、ロアーク殿だ」

 紹介された男が、卑猥に笑って片手を出す。

「ロアーク殿、こちらは・・・・」

「宝石商をしておりますスランドゥイルの息子、レゴラスと申します。
今、エルロンド卿のところで経営の勉強をさせていただいております」

 にっこりと笑って、その手を握り返す。

「それはそれは! 幼いのに関心ですな!」

 まったく馬鹿にしている。エルロンドは一時間以上、
この下劣な嫌味に耐えてきたのだが、最愛の恋人を卑下されると、
さすがに怒りを感じ始める。

「どうやら私は幼く見えるようですね」

 そういうレゴラスは飄々としている。

「ええ、とても可愛らしい! エルロンド卿のところで勉強とは!」

「帝王学の三原則でも、原理原則を教えてくれる良き師を持つようにと言われております。
他の二つ、良きアドバイザーや讒言してくれる部下なら、私の会社にもおりますが、
エルロンド卿ほどの優れた帝王学や経営学を身につけた者になりますと、
さすがに私の小さな会社などでは望めません。
個人経営の宝石商社ですが、それでも百単位の従業員と職人を抱えております。
私は一人子で後継ですから、早いうちからきちんとした勉学を身につけた方がよいと、
父に出されました。せんえつながら、エルロンド卿の秘書殿の許可を得まして、
その仕事も手伝わせていただいております」

 つらつらと出てくる言葉に、その男は一瞬身を引いた。

「ほ・・・ほう・・・。関心ですな。しかしその若さでは、
勉強なら学校に通った方がよいのでは?」

「もちろん」

 レゴラスはにこやかに一歩踏みこむ。

「学校には通っております。しかしそれ以上に、経営学は実践がものをいう学問です。
私の会社では、事業を拡大し利益をあげることはもちろんのこと、
従属する社員の生活にも責任を荷っております。
私も跡取として、百からの家族の生活の責任を取れる経営者になれるよう、
今から現場での実践を勉強させていただいております。
来年にもMBAの資格を取得するつもりです」

「MBAですと?! その幼さ・・・いえ、若さで、ですか! 
では、グロービスの著書を?」

「もしろん。ロバート・サイモンズやデイビット・ベサンコは教科書のようなものなので、
ほとんど読破しました。他にも、エルロンド卿の蔵書を少しずつ」 

 ロアークは口元をぴくぴくさせている。

「ですが私などまだまだ勉強不足の若輩者です。
今後、どうかお見知りおきいただき、何かとご指導いただけると嬉しいです」

 エルロンドは、吹出しそうになるのを必死で我慢した。

 口で、レゴラスに勝てるものなどいない。
グロールフィンデルなら一睨みで黙らせる相手を、
反論の余地を与えず畳みかける様にして、レゴラスは黙らせる。

「お話中失礼致します」

 黒ずくめの男が、頭を下げながら割って入ってきた。
胸に、マネージャーのバッヂをつけている。

「失礼ですが、レゴラス様、でいらっしゃいますか?」

「はい?」

 レゴラスはにこやかに振向く。

「オーナーがあいさつをしたいと」

 視線をその男の後に向けると、がっしりした体格の、
ブランドのスーツに身を包んだ、少し派手目の中年女性が立っていた。

「エルロンド卿、いつもわたくしのレストランをご利用いただき、ありがとうございます。
このたびはご満足いただけましたでしょうか?」

 エルロンドも少し頭を下げ、本日のコースメニューを褒めた。
オーナーの女性はにこやかに微笑んで、視線をレゴラスに向ける。

「お久しぶりね。最近、顔をみせてくださらないじゃない?」

「いつもごひいきくださり、ありがとうございます、奥様。
このところ、奥様のお気に召すようなルビーがなかなか手に入りませんで」

「それは残念だわ」

「いいものが入りましたら、すぐご連絡さし上げます」

「お願いね。今日は、食事に? それともお仕事? エルロンド卿のお供かしら」

「秘書の真似事を少々」

 子供が背伸びをして大人の真似事をする、そんな態度を見ているように、
その女性は愛しげに笑った。

「今度は是非食事にいらして」

「ガールフレンドと一緒でも?」

「それはだめよ。妬けてしまうもの」

 それから、その女性はまたエルロンドに向き直る。

「エルロンド卿、あまりこの子に営業のノウハウを教えないでいただきたいですわ」

「何故ですか」

「これ以上商売上手になられては、わたくしが破産してしまいますもの!」

 ホホホ・・・・と笑って、オーナーは丁寧に挨拶をして、戻っていった。

 嵐が過ぎ去ったように、ロアークは呆然と立ち尽している。

「お前の容姿は、接待の最大の武器だな」

 エルロンドの言葉に、レゴラスは憤慨したように見上げる。

「そのような不確かなもので、この先やっていけるほど社会はやさしくありません。
私は、自分の容姿を好みません」

「そんなことを言ってはいけない。親のくれたものだ。
使えるものは最大限に利用するのだ。それから、もう少し口を慎みなさい。
男はしゃべりすぎるものではない」

 レゴラスは頭を下げ、エルロンドと、そしてロアークに口が過ぎたことを謝った。

「ロアーク殿、申し訳ないが、次の会議の時間があるので、失礼する」

 エルロンドは、美しい付人を従えて、駐車場に向った。

 

 

 二人きりになり、レゴラスは溜息をついた。

「ご迷惑でしたか?」

「いや」

 さっきまでの不機嫌が吹飛んで、エルロンドはにこやかに答える。

「車の運転は、私がしよう」

 そう言って、運転席に乗りこむ。レゴラスは助手席に身を埋めた。

「で、グロールフィンデルはどうしたのだ?」

「ちょっとだけ、僕の仕事と交代しました」

「お前の仕事?」

「父の護衛です」

 エルロンドはエンジンキーから手を滑らせて、危くハンドルに額をぶつけそうになった。

 スランドゥイルの護衛だと?

 そんなエルロンドを、レゴラスが不思議そうに眺める。

「僕がお願いしたんです。エルロンド様に会いたくて。いけませんか?」

「・・・・・・いや、かまわん」

 平日の昼間の、ちょっとした息抜というところか。

 しかし、レゴラスはわかってやっているのか?

 改めてエンジンをかけ、エルロンドは軽くレゴラスにキスをした。

「会えて、嬉しい」

 照れたように言って、車を発進させる。

 そもそも、一緒に住んでいるのだから、夜にはまた会える、なんてツッコミは、
このバカップルには通用しないらしい。

 

 恋とは、盲目なのだ。