うららかな日曜の朝。

 のんびり過していた双子は、玄関の呼鈴に嵐の気配を感じた。

「おはようございます、グロールフィンデルさん」

「おはよう」

 いつもと変らず、無表情。

「あ、親父仕事なんだ?」

「社長は?」

「まだ寝てるよ。起してこようか」

「いや、けっこう。コーヒーをいただけるか?」

 おや、珍しい。双子は顔を見合わせると、いかつい秘書殿を居間に招いた。

「すみません、ブルマンは切らしてて」

 エルラダンが意味ありげに口元をゆがめて見せる。
付合いの長いこの秘書殿の好みは、心得ている。

「レゴラスが、全部捨ててしまったんですよ」

 エルロヒアの言葉に、グロールフィンデルは片眉を上げる。

「社長の好みなのに?」

「いや・・・その、親父の趣味じゃなくて・・・なんつうか、な?」

 エルロヒアが相棒に助けを求める。エルラダンも腕を組んで頷く。

「まあ、親父が昔を思い出すようなものは、だいたい処分されたな」

 何が言いたいのか察して、グロールフィンデルは肩を落した。

「なんでもけっこう」

 なんでも・・・っても、インスタントじゃまずいよね。さすがに。

 双子は、ドリップを落しにキッチンに向った。

 濃い目のブレンドを持って居間に戻ると、
グロールフィンデルはテーブルの上の経済新聞を読んでいた。

「座りなさい」

 そう言われて、ちょっとドキドキしながら双子は並んで座る。
この秘書、苦手だ。家庭に口を出さないエルロンドや優しかった母と比べて
・・・・とにかく厳しい。躾やマナーに関して。
母親亡き後、かなりこの秘書殿に学ばされた。

「最近、社長は羽目を外しすぎるようだ」

 自分たちのことではなくて、ほっとする。

「そうかな」

 双子は顔を見合わせて、にやりとした。

「まあ確かに、レゴラスが来てから少しトチ狂ってる感じはあるけど」

「あのくそ真面目な親父が、あんな若い男の子と結婚宣言だもんな」

 うんうんと頷きあう。

「でも、これくらい色ボケしてくれた方が、
親父も人間だったんだなって思えて親近感が沸くよな」

 コホン、と咳払いをされて、双子が慌てて背筋を伸ばす。

「朝は寝坊をする、車や社長室は汚す。度が過ぎている」

 社長室! そんなトコでもやってたのか?! 双子はまた顔を見合わせる。

「あなたたちからも、少し注意しなさい」

 もしかして・・・・・今日の秘書殿は、不機嫌?

「一応、パーティー用のスーツではやらないように言ってあるけど」

 洗濯が面倒だし、クリーニングに出す時も、なんだか気恥ずかしい。

 秘書殿に睨まれて、双子は背を丸めた。

 

「おはよう」

 そんな時、助け舟のようにエルロンドが居間に下りてきた。

 よかった。ちゃんと仕事用のスーツを着ている。
まあ、親父が乱れた服で部屋を出てくることはないが。
・・・って、レゴラスは大丈夫なんだろうな? いつもいいかげんだから。

「待たせたな」

 コーヒーを飲んでいる秘書に、何気ない顔で言う。

「おはようございます。朝食をおとりになってください。
本日は会議や接待で夜までかかります」

 秘書に言われて、ダイニングテーブルの方に座る。
グロールフィンデルもそちらに席を移す。

「グロールフィンデルさんも、食べます?」

 双子に尋ねられ、秘書殿は頷いた。

「ところで親父、レゴラスは寝てるのか? 
朝飯作るなら一緒に作っちまった方が楽なんだけど」

 朝から大食漢だからな、あいつ。

「今来る」

 エルロンドの言葉通り、レゴラスはにこやかに下りてきた。

「おはようございます! あ、グロールフィンデルさん、おはようございます」

 まあ肌の艶やかなこと。双子の心配を他所に、今朝のレゴラスは、ちゃんと服を着ていた。

「朝飯作るから、たまには手伝え」

 双子がレゴラスの襟首を引っぱる。

「えーーー?」

 あからさまな不満顔。甘やかされ過ぎだっての。

「あのな、親父の奥さん宣言してんだから、愛する旦那の朝飯くらい作れっての」

「僕、卵割れないよ」

 エルロンド以外の全員が、信じられない、と目を丸くする。
何故エルロンドだけ驚かないか。そう、この男も台所に立ったことがない人種なのだ。

「教えるから来い!」

 双子はレゴラスをキッチンに引きずっていった。

 

 この家では、新聞は地方紙も含め、5種類ほど取っている。
そして、レゴラスを含め、全員がそれを毎日読破していた。

 グロールフィンデルは、コーヒーを飲みながらまだ新聞を読んでおり、
エルロンドも別の新聞を広げて読み始める。

「社長、夜はあまりご無理はなさらず。朝の仕事に影響します」

 とげとげした言葉が、新聞の向うから飛んでくる。

「仕事の能率は落ちていないはずだが?」

 先端の丸いとげが、返って来る。

「私は社長のお体のことを心配しているのです。もう、お年なのですから」

 とげとげが撃ち返される。

 エルロンドは、ふと小さく溜息をついた。

「レゴラスと一緒のつもりでいては困ります」

 彼は若いのですから。

 とげの追討ち。

 エルロンドは、新聞をテーブルに置き、じっと秘書を見た。

「レゴラスは、スランドゥイルの若い頃に似ているのか?」

 エルロンドの投げた爆弾に、
グロールフィンデルは手にしていたコーヒーカップをテーブルにたたきつけた。

 あ、やば・・・・。

 爆弾を投げたエルロンドの方が、さすがに怯む。

「朝から不機嫌になるようなことは、謹んでいただきたい」

「・・・・・・すまない」

 エルロンドは、威厳のかけらもなく謝ってしまった。

 

 気まずい沈黙。

 新聞から目を離さないまま、グロールフィンデルはポツリと呟いた。

「あれは、母親似でしょう」

 怒りがとけてくれたので、エルロンドも肩をなでおろす。

「ケレボルンもそう言っていた」

「あの男の眼光は、見る者を貫く」

 低くうめくような言葉。

「レゴラスが銃を構えるとき、私はあの男の息子だと実感させられるが」

「あんなものではありませんよ」

 ぱた、とグロールフィンデルは新聞を下した。

「あなたはあの男をご存知ではない。ずっとギル=ガラド殿のそばにいましたから」

 冷酷な瞳が、きらりと光る。エルロンドは、それを苦笑で受けとめた。

 

 

 

『銃口では、何も変えられない』

 硝煙の匂いのする男に、彼は言った。

 照準を眉間にぴたりと合わされても、ほくそえんでさえいる。

 あの時、彼は今のレゴラスと同じくらいの年齢ではなかったか。

『やってみれば、わかる』

『ならやってみろ』

 

 

 

 ガシャン、とキッチンで何かが割れる音がして、二人の男は我に返った。

 冷汗をたらして立ちあがろうとするエルロンドより先に、
グロールフィンデルが素早くキッチンに入っていく。

 そこは・・・酷いありさまだった。

 双子は両手を広げて肩をすくめる。

 ひっくり返った調理用具に、床に落ちて割れた卵。

 グロールフィンデルは一度大きく深呼吸してから、声を上げた。

「レゴラス!!」

「はい!」

 けっしてふざけていたわけではないが、真面目でもなかったレゴラスが直立不動する。

「ボウルを洗って水気をふき取る!」

「はい!」

 言われたとおりに、ひっくり返ったボウルを流しで洗う。

「卵は両手でしっかり持つ! 手首に力を入れない!」

「はい!」

 冷蔵庫から出してきた新しい卵を、不器用そうに持つ。

「平面で割れ目を入れてから、親指を差込んでゆっくりと開く! 
かき混ぜる時は丁寧に泡を入れない!」 

 言われたとおりに、てきぱきと動く。双子は感心して見つめる。

「塩、湖沼! 入れすぎない! フライパンは強火で暖める! 
卵液を入れるときは火力を落す! 自信がなければ、フライパンを一度火から下す!」

「はい!」

 言われたとおりにして、フライパンをコンロに戻すと、
グロールフィンデルは後からレゴラスの両手を支えて、
卵をかき混ぜ、器用にフライパンを揺すってひっくり返した。

「この感覚を忘れないように」

「はい!」

 それを皿に移すと、グロールフィンデルは皿をレゴラスの両手に押しつけた。

「持っていきなさい」

「はい」

 皿の空いたところにフォークを乗せられ、レゴラスはふらふらとキッチンを出て行った。

 双子は、ぱちぱちと拍手をしている。

「早く片付けなさい。生卵は乾くと落ちにくくなる」

「はーい」

 双子は引きつりながら返事をして、キッチンの後始末に取りかかった。

 

 エルロンドは、レゴラスの持ってきたプレーンオムレツを口に運んだ。

「グロールフィンデル、お前の作ったモノを食べるのは久しぶりだな」

「グロールフィンデルさんって、料理もできるんですか!」

 ひたすら感心しているレゴラス。
何でもできる男だとはわかっていたが、家事までこなせるとは知らなかった。

「妻が亡くなって、息子たちが自炊できるようになるまで、
グロールフィンデルが家の事をしてくれていた」

 エルロンドに教えられ、レゴラスはまたびっくり。

「それくらいできて当然です。それに、その卵はレゴラスが焼いたものです」

 グロールフィンデルの言葉に、エルロンドは隣のレゴラスに微笑んで見せ、
レゴラスは恥かしそうに目を細めた。

「レゴラス、最低限の家事くらいは覚えてもらわなければ困る」

 ピキっとレゴラスの笑みが固まる。

「社長と同棲を続けるつもりならば、だ。
エルラダンとエルロヒアはいずれ結婚して出て行く身だ。
私は社長の老後まで面倒を見るつもりはない」

 レゴラスが現れなければ、老後まで面倒見るつもりでいたのかもしれない。
と、レゴラス本人は思う。
エルロンドは、そうは言ってもきっと老後まで見てくれるだろうとタカをくくっていた。

 双子は、さっさと人数分の朝食を作り終えて、それをテーブルに運んできた。

 優雅な手つきで卵とベーコン、クロワッサンを食べるグロールフィンデルは、
さながらどこかの貴族のようだ。
ひとしきり食べ終え、ナフキンで口元をぬぐうと、
まだソーセージに食らい付いているレゴラスをじっと眺める。

「本当に、生活に無頓着なのだな。お前を見ていると、昔のエルロンド卿を思い出す」

 へええ? と双子とレゴラスの視線が集中する。エルロンドはそ知らぬ顔で視線を外す。

「ギル=ガラド殿は、あなたを甘やかし過ぎたのです」

 さーっと視線がエルロンドに移る。双子はかなり引きつっている。
その名前を出すか、グロールフィンデル? レゴラスの鼻先がひくついている。

「じゃあ、本当に一緒に住んでいたんですね」

 明かに平静を装ったレゴラスの声色。エルロンドが弁解を考えている間に、
グロールフィンデルが口を開いた。

「ギル=ガラド殿は生涯独身でいらしましたから、
エルロンド卿は事実上義理の息子ということになる。そうですよね?」

 エルロンドは、無理矢理食べていたモノを飲みこんで、頷いた。

「私も両親を早くに亡くしているのでね。教授に育ててもらったようなものだ」

 ふうん・・・と、納得しきっていないようなレゴラスの返答。

「それはそうとレゴラス、お前のお父上は料理をなさるのか?」

 エルロンドの反撃。レゴラスは、ぱっと表情を変えた。

「父さんも、まったく家事ができないヒトです。包丁も握れませんよ」

 エルロンドがグロールフィンデルに勝誇った視線を送る。
その視線の意味は、二人にしかわからない。

「住込みのお手伝いさんとかいるわけ?」

 双子も話題の転換に大賛成。

「通いだけ」

「自分じゃ何もできないのに?」

「僕のね、お母さんが住込みの家政婦だったらしいよ。
お母さんが死んでから、父さんは誰も住まわせなくなっちゃったんだ」

「何もできない男二人で、普段の食事はどうしてたんだよ?」

「まあほら、普段は大抵お手伝いさんか職人か職人の奥さんとかが世話を焼いてくれるから。
なんか、父さんって放っておけないタイプらしくてね。
不器用なところが保護本能をくすぐるみたい。
それでも誰もいないときは、僕はハンバーガーとかジャンクフード買ってくるし、
父さんは飲んだくれてるよ」

 金持の食卓か、それは?

「父さん、外食好きじゃないんだ。自分の家での宴会は毎日だけど、
招待されたパーティーとかはほとんど出ないしね」

 変ったオヤジだとは思っていたが、本当に変ってる。

「家事のできる奥さん、もらえばいいのに」

 双子に言われて、レゴラスも「そうだよね」と返す。

「再婚に関しての考え方は、人それぞれだからな」

 ちょっと耳の痛いエルロンドは、一応たしなめてみた。
自分だって・・・・ヒトのことは言えない。

「食事が終りましたら、出かけます。もう、予定より1時間も遅れていますので」

 不機嫌そうにグロールフィンデルは立ち上がった。
エルロンドも、コーヒーの最後の一口を飲んで立ち上がる。
秘書殿に急かされて、玄関に向い、そこで立ち止ってレゴラスの頬にキスをし、
秘書の運転する車に乗りこんでいった。

 玄関先で車を見送った後、双子は大げさなほど溜息をついた。

「弱みを握り合ってる大人の会話は、恐ろしいな」

「いつもあんなけんかをしているのだろうか」

 ぶるっと身を震わせる。

 隣でレゴラスはきょとんとしていた。

「ところで、グロールフィンデルの不機嫌の原因は何だったんだろう?」

 三人は腕を組んで頭をひねり、レゴラスは思い出したように口を開いた。

「やっぱり、アレかな? 昨夜、社長室でカップラーメン食べてて、
スープをこぼしてカーペットにシミを作ったの」

・・・・・汚れって、そっちの汚れかい?!

「あああ・・・親父の社長室でそんなもん食うのは、お前くらいなものだからな。
もっとマシなもの食えよ」

「一昨日はフライドチキン食べてて、デスクに油べっとりつけちゃった」

 双子は、体の力が抜けるのを感じた。
完ぺき主義のあの秘書殿がおかんむりなのも頷ける気がする。

「でも、どうして今朝に限ってエルロンド様は父さんの話なんかしたんだろう?」

「さあな」

 そんなことはどうでもいいと言うように、
双子はレゴラスの背中を押して部屋に戻っていった。

「ゆっくり、朝飯の続きをしよう」