珍しく内勤が続いている。

 ボロミアは、ふと窓の外を見て、雨が降りだしたことを知った。

 閉めきられた社長室で、主の仕事を整理している。
社長は、めったに会社に居続けていない人物だ。
なんだかんだといつも飛びまわっている。じっとしていられない性格なのだろう。
その分、補佐である自分が書類を片付ける仕事に追われる。
自分とて、本当は椅子に座ってじっとしているより、外に出る方が好きなのだが。

 内線が鳴って、受付嬢が来客を知らせる。
アポイントがない場合、断るか違う部屋で待たせるのが当然だ。
が、見知った来客なのだろう。受付嬢は、なぜか苦笑していた。

 

「アラゴルンは?」

 ノックもせずに入ってくるなり、その少年はボロミアに尋ねた。

「お久しぶりです、レゴラス殿。・・・雨に、降られましたか」

 頭からびっしょり濡れている。ボロミアは、乾いたタオルを用意していた。
それをレゴラスに渡す。

「社長は会議です」

「なんだよ、約束してたのに」

「長引いているのです。申訳ありません」

「いいよ、謝らなくて」

 人懐っこくにっこり笑いながら、受取ったタオルで髪を絞る。

「帰ってきたんだね、よかった」

 ボロミアは、しばらく出張に出ていた。帰ってきたのはこの数日だ。

「まいったよ、君の代りの秘書ときたら、ココアとかケーキとか、
そんなのばっかり出してくるんだよね。だから、
ボロミアが帰ってくるまでアラゴルンの会社には行かないって言ってあったんだ」

「それは、すみませんでした」

 想像するだけで、おかしい。
きっとレゴラスは、にっこり笑って大嫌いな甘いモノを食べていたのだろう。

「君の責任じゃないよ。ああ、でも安心するね。
相手が君だと、緊張しないで済むもの」

 懐いた人間には無防備な性格だ。それは、喜ぶべきなのだろう。
ボロミアも口元をほころばせる。

「まいったーーーー!」

 と、社長室のドアが開いて、アラゴルンが帰ってきた。
周囲の目がなくなるので、こいつも無防備は表情になる。

「くだらない議論のくり返しだし、煙草は吸えないし」

「禁煙を決定なさったのは、社長ご本人です」

 けっと悪態をついて、さっそく煙草に火を付ける。

「おう、レゴラス、待たせたな。雨、降ってきたのか」

 ボロミアに向けるにこやかさとは変り、
ムッとした表情でレゴラスはソファーから立ちあがった。

「アラゴルン、服、脱いで」

「は?」

 唐突な要求に、顔が引きつり、頬が染まる。

「・・・・いや、嬉しいが、こんな所で?」

「馬鹿言ってるんじゃないの。シャツ貸して。寒いから」

 はいはい、そうですか。

「ボロミアに借りろよ。俺は一応社長だぞ? 社長が裸でうろうろ出来るか?」

「ボロミアは仕事中なの。君みたいに遊んでるわけじゃないんだよ」

「俺だって、遊んでない!」

 ムッとして言い返す。ボロミアは肩を丸めて笑いを押し殺していた。

「気付きませんで。何か着替えを探してきましょう」

「いいのいいの、気にしないで」

 レゴラス、ボロミアには愛想がいい。
それでも、咥えタバコのまま、アラゴルンはジャケットとワイシャツを脱いだ。
案の定、その下は普通のTシャツである。アルウェンの目利なのだろう。
それ一枚でも十分さまになるブランド物。それを見抜いているレゴラスもさすが。

「ズボンもいるか?」

 ニヤリと笑って見せると、レゴラスは顔をしかめた。

「君のパンツ姿は見たくないから、けっこう」

 ボロミアは、また肩を震わせて笑う。

 レゴラスは、自分のジャケットを脱いでワイシャツのボタンに手をかける。
と、あわててアラゴルンがその腕を引きずって部屋の隅にあるトイレに向った。
洗面所に引きずり込まれて、レゴラスが唸り声を上げる。

「ばかか! ボロミアの前で着替えるつもりか?」

「なんだよ、馬鹿って!!」

 怒るレゴラスのシャツのボタンを、アラゴルンは外して鏡の前にその体を向けた。

「お前な、朝、自分の体とか見ないのか?」

「ナルシストじゃないもん」

「じゃあ、今見ておけ!」

 言われて、しぶしぶ鏡を見ると、鎖骨や胸のあたりにしっかりと所有印が。
服を着てしまえば見えないように計算されているところが、エルロンドらしい。

「あ」

 レゴラスははじめて気付いたようだ。驚くとか恥かしがるとか、しろよ。
アラゴルンは溜息をつく。当の本人は、昨夜の情事を思い出してウットリしている。

「ったく、さっさと着ろ! ボロミアに見せるなよ」

「なんで?」

「あいつは免疫がないんだ」

 首をひねりながらも、レゴラスはだぶだぶのアラゴルンのシャツを着込んで、
袖をたくし上げた。

「タバコ臭い!!」

 悪態をつきながら洗面所を出る。

「借りておいて、言う言葉か?」

「アルウェンはよく我慢できるね?」

「ふん。お前と違って、妻は出来た女なんだ」

 これでも、アラゴルンは愛妻家で通っている。

 だぶっとした男物のシャツを着るレゴラスは、なんとも艶かしい。
ボロミアはつい視線を外してしまい、アラゴルンは「ほらな」とレゴラスを肘でつついた。
が、レゴラスはまったく気にしていない。

 可愛そうなボロミア。アラゴルンは同情した。

「そういえば、ボロミア、弟さん、結婚するんだって?」

 話題を変えてにこやかに近付く。
ボロミアは、テーブルにコーヒーと紅茶を用意してくれていた。
コーヒーはアラゴルン、紅茶はレゴラスだ。
さすがに、エルロンドの社長室のようにレゴラス用のコークは常備されていない。

「ええ」

 弟の話題に、ボロミアは自分のことのように嬉恥かしの表情をする。
この男、自分は女に興味がないが、弟のことは滅茶苦茶可愛がっているようだ。

「体をこわして入院していた時、同じ病院で知合ったそうです」

「へえ、ロマンスだね。ファラミアさん、だっけ? どんな人なの?」

 にこやかにアラゴルンを見ると、アラゴルンもよく知っている人物らしい、
顔がほころぶ。

「ファラミアは、そうだな、ボロミアに似ているよ。
もっと若くてギラギラしたところがないがな」

 ボロミアだって、そんなに野心家というわけでもない。レゴラスにはそう見える。
まあ、普段、あの父親やグロールフィンデルなんかとつきあっていれば、
ボロミアは全然好青年に見えるわけだが。でも、普通の女にてみれば、
仕事一筋のボロミアはとっつきにくい男だ。

「彼女は?」

「しっかりとしたキャリアウーマンだよ。
夫婦一緒にウチの支社を一つ任せることにしている」

「支社長なら、ボロミアの方が向いていそうだけど?」

「いや、俺としては有能な秘書を失いたくはない。ボロミアにはすまないが」

 ボロミア本人も、独立するよりアラゴルンを補佐している方がいいらしい。

「社長は、エオウィン嬢は苦手なようですが」

 ボロミアが苦笑いをする。

「なんで?」

 レゴラスが首をかしげると、
事情を知っているらしいボロミアは片手を口に当ててそ知らぬふりをした。

「いや、・・・・ちょっと、な」

「なんだよ?」

 そういう秘密めいたことを言われると、イライラする。
問いただすようなレゴラスの視線に、アラゴルンは観念したように肩を落した。

「エオウィン嬢のお父上に用があって、まあ、何度か会ったんだが・・・・・」

「弟と知合う前、エオウィン嬢はアラゴルン殿に気があったのですよ」

 ボロミアの言葉に、レゴラスが驚く。

「いや、そんなものは単なる憧れだ。
真に愛する者と出会ってしまえば、どうでもよくなる」

 あわててアラゴルンが付け加える。

「アラゴルン殿は、女性に好かれるのですな」

「えええーーーー?」

 あからさまに、馬鹿にした声色。

「こんなののどこがいいわけ? 信じられない。
アルウェンだって騙されているんじゃないかって思っているのに」

「酷いな。お前には、俺の魅力がわからないんだ」

 むすっとしたアラゴルンに、レゴラスは「信じられない」を連発する。
子供の喧嘩か? ボロミアは見ていられず、仲裁に入った。

「ボロミアだって、いけ好かない奴だって思うでしょう?」 

 レゴラスに指摘され、ボロミアが顔を引きつらせる。
確かに最初は・・・気に食わない男だと思った。
自信たっぷりの堂々とした姿が、鼻についた。
降ってわいたようなこんな男が、
自分が努力して守ってきた会社の社長の座に納まるなど、納得できなかった。

 だが、以前の話だ。

「今は、私はアラゴルン殿を信頼していますよ」

 今は、ね。レゴレスは不満げに呟いて見せたが、
一番アラゴルンを信頼しているのは、レゴラス本人なのかもしれない。
ボロミアは、そう思うと笑えた。

「まあいいや。寿だもんね。結婚指輪のご用命は、是非僕にお申し付けください」

 白々しく笑ってみせる。

「おいおい、こんな所で行商か?」

 アラゴルンの突っ込みに、商売人の顔になる。

「宝石類の値段なんて、あって無きに等しいからね。
高価な買物は、信用の置ける店でどうぞ」

 急にしおらしく態度を改め、手を前で組んで腰を低く微笑んで見せる。
商売人の作り笑顔。レゴラスは、自分を綺麗に見せる方法を知っている。
金持のマダムに媚びるように、身をかがめて見上げる視線。
しかも、今のこのスタイル! だぶっとしたシャツの襟元から、白い肌が見え隠れする。

 ボロミアは、急に顔を真赤にさせて背を向けた。

 冗談のつもりだったレゴラスは、意外な反応にきょとんとする。

 かわいそうなボロミア。アラゴルンは、同情して溜息をつく。
レゴラス的には、何か突っ込みを入れて欲しかったのだろう。
アラゴルンなら押倒すふりをして殴られるし、双子相手ならもみくちゃに撫で回される。
グロールフィンデル相手なら、厳しく叱られるだろう。
レゴラスは、ボロミアの純情ぶりを理解してあげていない。

「・・・・お、弟に伝えておきます」

 しどろもどろなボロミアの言葉に、レゴラスは「よろしくね」とにこやかに返した。

「お前、デート商法で一財産稼げるな」

 アラゴルンが代りに突っ込んでやる。

「酷いな。正当な商品を正当な値段でお分けしてるだけだよ。みんな喜んでくれるよ?」

「それがデート商法だっての。いや、お前の場合、ホストか。
売ってるもの以上に貢がせてるだろ?」

「失礼な!」

「この前もティファニーの腕時計、
けっこういい値段の奴もらったって言ってたじゃないか」

「あれ? ウチの職人にあげちゃった。趣味じゃなかったから」

 ひでえ・・・・。貢ぐマダムにも同情する。
そもそも、金に困ったことのないこんな奴に、貢ぐ方が間違ってはいるのだが。

「それはそうと」

 がっくり肩を落しているアラゴルンを無視して、レゴラスはボロミアに話しかけた。

「弟さんの結婚式、何かプレゼントするよ。アクセサリー一式任せてくれる? 
ウエディングドレスのデザインが決ったら教えてね。それにあわせて作らせるから」

「そんな・・・・とんでもない!」

 ボロミアは振向いて、慌てて手を振った。
フェイクじゃあるまいに、レゴラスが手がける宝石類の値段を、
いくらボロミアだってまったく知らないわけじゃない。
レゴラスは、そんなことまったく気にしていない様子。

「いいんだよ。僕の愚息がお世話になってるからね」

「「愚息???」」

 アラゴルンとボロミアが声を揃えるが、たぶん、二人の考えていることは違う。
最近、アラゴルンは義理の息子呼ばわりされるのに慣れてきた。
双子が息子呼ばわりされるのに慣れてるように。

「え、だってエルロンド様の義息は僕の・・・・・」

 平然と話すレゴラスの口を、アラゴルンは片手でふさいだ。

「わかったから」

 アラゴルンの手を振り払って、レゴラスは不満げにぶーたれて見せた。

 

 内線が鳴って、何とか気を取りなおしたボロミアが取りあげると、
受付嬢のかなり緊張した声で来客を告げられた。

「少しお待ちいただけるようお願いしたのですが・・・・・」

 どうやら有無を言わせない雰囲気を持つ者らしい。

 時間をおかず、切れのいいノックの音がして、ボロミアが開けると、
そこにその男が立っていた。思わずアラゴルンもレゴラスまで直立不動してしまう。

「迎えにきました」

「・・・・・グロールフィンデルさん、よくここがわかりましたね?」

 私の眼は節穴ではありません。あなたの行くところなど、すぐにわかります。
・・・・と、態度が言っていた。

「雨に降られましたね? シャツをアラゴルンに返しなさい。着替えを持ってきました」

 なんという手際。ボロミアは引きつったまま立ち尽した。
ボロミアは、この男が苦手らしい。いや、アラゴルンも苦手だが。
そもそも、グロールフィンデルとエルロンドが並んで立っていると、
誰も近づけない。端整な顔立ちが、余計に怖いのだ。

「キアダン殿から会食の招待を受けました。
社長と個人的に付合いがある方なので、あなたの列席も希望されています」

「キアダン・・・って、あの海運会社の?」

「そうです。時間がありません。脱いでください」

 有無を言わせず、レゴラスのシャツのボタンを外す。
自分でできると拒否することも出来ず、
レゴラスはただ黙ってされるがままになっている。
レゴラスが逆らえない、数少ない人物・・・・というか、
この男に逆らえる者など、いないだろう。

「あ・・・・」

 アラゴルンは、止める間もなかった。露になった胸に残る、朱色の痕。
固まったボロミアが、余計引きつる。

(あー・・・・)

 やってしまった・・・・と、アラゴルンの顔に出る。
アラゴルン的には、ボロミアを不純なものから守るのは、自分の役目だと思っている。

「し、失礼します。何か飲物でも・・・・」

 引きつったボロミアの声に、グロールフィンデルが振向く。

「いえ、けっこうです」

 こ・・・・怖い・・・・。

「では、私は隣の部屋で仕事をしておりますので、なにかありましたらお呼び下さい」

 そそくさと出て行くボロミアを、羨ましいと思うアラゴルンであった。

 持って来ていたスーツケースから、次々とレゴラスのスーツを出してくる。
その手際には、驚嘆するばかり。

「アラゴルンと仕事の話は済んだのですか?」

 言われてはたと気付く。

「あ、忘れてた。そこに僕のかばんがあるから、MO出してPCに入れて。
今説明するから」

 真顔に戻ったレゴラスも、グロールフィンデルに着替えさせられながら、
次々と指示を出してアラゴルンと話しあう。
こんな状況で仕事の話が出来るようになった自分も、
たいしたものだとアラゴルンは自分を褒めた。

 ネクタイを締め、ソファーに腰掛けるレゴラスに靴をはかせる。

「ちょっと、きつい」

 そう言うと、グロールフィンデルは別の革靴を出して、その足にあわせた。
いったい、そのスーツケースにはどれだけの荷物が入っているんだ? 
横目で見ながら、アラゴルンは思った。

 着替えが済むと、今度は髪を整える。さっき雨に濡れたので、長い金髪がもつれている。

 スタイリストにヘアデザイン。グロールフィンデルに苦手なものなど在るのだろうか?

 器用に髪を編み、最後に顔に汚れが無いか、じっと見つめる。
今日は何も食べていないらしく、唇の端も汚れてはいない。

「肌が荒れていますね」

 その一言に、アラゴルンも「は?」とPCから顔を上げた。

「夜、十分睡眠を取っていませんね? あれほど言ったのに」

「・・・・ごめんなさい・・・・」

 しおらしく縮こまる。

 レゴラスが寝不足気味なら、エルロンドは大変だろう? 
なにせ年だし。とか、突っ込む勇気は、アラゴルンには無い。

「今社長には仮眠を取ってもらっています。仕事に支障は出ていませんが。
あなたを連れて帰ったら、すぐに出ます。いいですね? 
整えた髪を乱してはいけませんよ?」

 それは、抱きあったりキスしたり・・・を、控えろということか。

「はい」

「あなたのことですから、空腹でしょうが、夜まで待ちなさい。
会食では我慢して前菜も食べること」

「はい」

「会食のあとは、私が屋敷まで送ります。何もかも、それまで我慢しなさい」

「はーい」

「今夜は寝なさい」

「出来るだけ早く・・・・・」

「一日くらい我慢できないのですか?」

「無理です。車の中でしてもいいなら・・・・」

「車を汚してはだめです」

「汚さなければ、いいんですね?」

「服を汚すと、双子に叱られますよ」

「それも気をつけます!」

 どういう会話なんだ、どういう?!

 っていうか、後部席でやられても、平気で運転できるのか、この男は? 
さすがだ、グロールフィンデル!

「アラゴルン、失礼する。
あなたの秘書に、騒がせて申し訳なかったと伝えてくれたまえ」

「わかりました。エルロンド卿によろしくお伝えください」

 ポーカーフェイスで見送る。社長室を出たところで、
ボロミアも立ちあがって頭を下げた。
グロールフィンデルの後のレゴラスは、愛想良く手を振ってみせる。

「レゴラス」

 たしなめられて、慌てて手を下す。

「お邪魔しました、ボロミアさん」

 躾中の猫みたいに頭を下げて、
レゴラスはちょこちょこグロールフィンデルの後をついて行った。

「すまなかったな、ボロミア。奴がここまで来るとは思っていなかった」

 緊張していたボロミアも、肩を落す。

「いえ・・・あの方を見ると、いつも自分が若輩者であると思い知らされます」

「いいや、お前は立派だ。俺にはもったいないくらい。・・・・・奴が特別なんだよ」

 アラゴルンとボロミアは、互いに顔を見合せ、無言で仕事に戻っていった。