「あれ、レゴラスは?」

 エルロンドの屋敷を訪ねてきて、アラゴルン開口一番。

「珍しく訪ねて来たと思えば、目的はそれか?」

「お前、そのうち親父に殺されるぞ」

 双子、溜息。

「いや別に・・・それが目的ってわけでもないが」

 たらりと冷汗を流すアラゴルン。その反応に、双子はクスクスと笑う。

「今、実家に帰ってるぞ。二週間くらいかな」

「二週間も? 珍しい!」

「学校の試験なんだと」

 そうか、あいつ、まだ学生だったか。

「でもなんで試験だと帰るんだ?」

「この家じゃ勉強に集中できないらしい」

 意味ありげに双子、ニヤリ。

「なんで?」

 何でといわれても・・・。

「親父の顔見れば、勉強そっちのけでイイコトしちまうからだろ?」

「そうそう、お前みたいな邪魔者も来るしな」

 ひくり、とアラゴルンは顔を引きつらせた。

 

 

 

 レゴラスがいない間に、できるだけ仕事を片付けてしまおうと、
エルロンドはかなり根を入れて会社に詰めていた。
もともと集中力はある方だし、体力も気力もまだまだ若い。
そんなで缶詰状態で仕事をしていたエルロンドの所に、秘書が電話を回してきた。

 受話器の向うの相手に、一瞬引きつる。が、その顔がついニヤケてしまう。
いや、誰にも見られなくてよかった。受話器を置いた後、秘書が入ってくる。

「スランドゥイル殿は何と?」

 歯に衣着せぬ秘書である。

「うむ。用があるので、今日中に来いと言われた」

 グロールフィンデルは顔をしかめる。
その脇で、エルロンドはやりかけの書類をさっさとまとめて立ち上がった。

「今からお出掛けになるのですか?」

「夜にはまた社に戻る」

 いそいそと出かけていく社長の姿に、秘書はわざとらしく溜息をついて見せた。
まったく、レゴラスのことになると人格が変る。
まあ、二週間も離れていたのだから、大目に見るとするか。

 

 

 

 郊外のスランドゥイルの屋敷は、エルロンドの家に負けず劣らずでかいわけだが、
その半分は工房が占めていた。逆に、工房を入れてこの広さなら、
自宅はあまり広い方ではない。

 エルロンドがここに来たのは初めてだ。宝石屋の本社になら行った事があるが。

 呼鈴を鳴らすと、愛想のいいメイドが出迎えた。

「旦那様、エルロンド様がお着きです!」

 にこやかに笑ってかけていく姿は、エルロンドを少なからず驚かせた。
物静かな動作とか、客人に対する礼儀作法とか、あまり求めてはいないのだろうか。

 にこやかなメイドと反対に、スランドゥイルはブスっとエルロンドを出迎えた。

「早かったな。まだ退社時間でもあるまい」

「夜には会議があるので」

 確かに浮れて早く来てしまった事は認める。で、ちょっと言訳してみる。

「まあいい。レゴラスはまだ寝ている。入って茶でも飲んでいけ」

 

 古風な置物や絵画の飾られた応接室に案内され、テーブルに座ると、
先ほどのメイドがワインとグラスを運んできた。

 まて。茶とか言わなかったか?

 考えが表情に出たのか、スランドゥイルはにやりと笑った。

「わしの茶が飲めぬと?」

「いや、いただこう」

 エルロンドは社交的に微笑んで見せた。

「旦那様、昼間からアルコールはお控になった方がよろしいですわ」

 このメイドは、主人に進言までするらしい。

「うるさい」

 邪険に言うが、険悪な雰囲気ではない。たぶん、日常の会話なのだろう。

「気の利く娘だが、口うるさいのとマナーができていないのが難点だ。
まあ、田舎娘だから仕方ないが」

 そういえば、いつかレゴラスが言っていた。
たった一人のメイドは、移民で田舎者だが気さくで、
スランドゥイルはあまり上品でないそういった者たちを社員として使っているのだと。
本来なら、上流社会とは無縁な者達だ。

 向い合ってワインを酌み交すが、会話の糸口が見つからない。
社交家のエルロンドとしては、なんたる失態・・・なのだが、
公的と私的とでは話が違う。スランドゥイルは自分と年齢が変らないとはいえ、
最愛の奥さんの父親なのだ。これまた複雑。

 こほん、とひとつ、エルロンドは咳払いをした。

「それで、試験の方は終りましたか?」

「ああ、今日な。二週間、ほとんど徹夜してたから、泥のように眠っている。
まったく、馬鹿な息子だ。
一学期分の勉強を二週間で詰めこんでしまおうというのだからな」

 それもこれも、この家を出て行ったのが原因だ。勉強道具一式置いていってからに! 
スランドゥイルが悪態をつく。エルロンドは口元を引きつらせて頷くしかない。

 エルロンドが返答に困っていると、応接室のドアが、ノックもなしに開けられた。

「旦那、来客中にすまないな。例のダイヤ、急ぎの奴な、カットして磨いたんだ。
確認してくれ。よければすぐに加工する。今夜中にはしあげるぞ」

 が体のいい、ずんぐりした男が入ってきて、エルロンドを見て驚いた。

「エルロンドの旦那じゃねえか。レゴラスが世話になってるな。
あいつ、まだ寝てるのか」

 専用の革布に包まれたダイヤを主に手渡して、その男がにっと笑う。
この男も、遠慮というものがない。

「いい出来だ、ギムリ。さっそく加工に入ってくれ」

 ダイヤを返され、その男、ギムリは胸をはる。

 ここには上下関係は存在しないのか。誰も気さく過ぎる。

「すまんな。ギムリはいつもは自分の工房で作業をしているのだが、
緊急な仕事が入ってな。こっちでやってもらっている」

 ギムリが去ったあと、スランドゥイルはおざなりに謝った。

 中小企業じゃあるまいに、なんという環境だ。

「なぜ・・・・レゴラスが家を出たがっていたのか、わかりませんな。
私にはいい環境に思えるが」

 思ったことを口に出してみる。スランドゥイルは意外そうな顔をした。

「あんたみたいなお上品な紳士には、うざったいであろう」

「いえ、決してそんなことは・・・」

 確かに、自分はこの環境では暮せない。メイドはうるさいし、
職人はどかどか入り込んでくる。

「あいつには・・・・静けさが必要なのだろうよ」

 エルロンドの屋敷は・・・まあ、ここよりは静かだ。
双子の息子たちも、領分をわきまえている。

「わしは、これくらいうるさい方がいい。夕食は職人も呼んで宴会だ。
毎日を楽しんでおる」

 スランドゥイルが、ふと遠くを見る。

「わしも、ここの連中も、誰も息子に過剰な期待はしておらぬのにな」

 ただ素直に、環境になじんで楽しんで暮せばいいものを・・・・
レゴラスは自分を追いつめる。自分にハードルを課す。
銃の腕など磨かなくても、父親の助手など勤められなくても、まったくかまわないのに。

「どうせあんたのことだ、調査済だろうから話すが、あいつは昔、営利目的で誘拐された。
犯人は捕まっておらん。それからわしは、あいつを外に出さないようにした。
・・・だから余計、あいつは自分に自信をつけ周囲を納得させるために自分を鍛えた。
あんなふうにしてしまったのは、わしの責任だ」

「・・・お気持はわかります・・・」

 スランドゥイルが、父親としての本音を話すのは、初めてだ。
エルロンドの、取繕った表情も緩む。

「私は昔・・・妻を亡くしました。それで、一番下の娘は義母に預けました。
自分では、娘を守る自信がもてなかったからです」

「・・・・」

 スランドゥイルが苦笑いをする。

「ああ、そうだろうな、ガラドリエルなら神様だって手は出せまい。一番安全だ」

 エルロンドも失笑する。

「わしも、気付いてはいたのだ。陽気で気丈に振舞ってはいるが、
あいつはわしにまで気を使って、休まる時がない。
それでも、こんな形で避難所を見つけるとはな。
よりにもよって、わしの好かない奴などと」

 嫌いだと面と向って言われ、エルロンドの口元が引きつる。

「申し訳ない・・・・」

 思わず謝ってしまう。

「もっとも、あんたほどの男でなければ、
強情で意地っ張りのあいつを保護することなどできぬだろうがな」

 褒めているのか、けなしているのか。いや、褒めているのだろう。彼なりに。

「わしは親ばかだ。息子のためなら、全財産でも捨てよう。
あんたに、その覚悟があるのか。道楽のつもりなら、わしはあんたを追いだし、
息子をまた閉じ込める」

 本気で言っているのだろうか。もちろん、そうだろう。
誇大表現はしているものの、それが親というものだ。
胸の奥で、エルロンドは笑いを感じた。
いつだったか、アラゴルンがアルウェンに結婚を申し込んできたとき、
自分は同じ気持ではなかったか。おかしなものだ。
娘を嫁に出す経験までしておきながら、自分はこんなにも熱く恋をしている。

「一人の人間として、レゴラスを愛している。
もし望むなら、私のもつ全ての権利を譲ってもいい。
だが、そんなことは彼は望まないだろう。もちろん、父親の破産も。
だから、私は自分の生活環境を守るし、身内のようにあなたのことも援助を惜しまない」

「援助など、必要ない」

「もちろん、そうおっしゃるでしょう。私は、レゴラスの望むとおりのことを、望む。
ご理解いただけましたかな」 

 値踏みをするようにエルロンドを見つめていたスランドゥイルは、
諦めたように溜息をついた。そしてワインの瓶を差出すが、
エルロンドは片手を挙げて断った。

「車を運転するもので」

 もっともだ。スランドゥイルはワインの瓶を置き、メイドを呼んだ。

「客人にコーヒーを持ってきてやれ。ブルマンの濃い奴だ」

 エルロンドは驚きを表情に出さないようにしたが、スランドゥイルはニヤリと笑った。

「わしもあんたを調べさせてもらった。どんな趣味を持とうが、かまわん」

 やがてメイドが薫り高いコーヒーを運んでくると、
エルロンドは戸惑いながらも礼を言ってコーヒーをすすった。

「コーヒーの好きな職人もいてな、高級な豆を手に入れたと喜び勇んで自慢してきたが、
レゴラスは顔をしかめて、その匂いは嫌いだとぬかしおった」

「わが家のコーヒーは、ブレンド以外全て捨てられた」

 スランドゥイルが豪快に笑うと、エルロンドもつられて笑んだ。

「金持の家で生まれて、何一つ不自由なく暮してきたが、
あいつは自分自身以外の何も所有していない。あいつの宝物を、
親であるわしでも奪うことは出来ん。
それをなくしたら、きっと今度は立ち直れないであろう。わかっているな?」

「もちろん」

「あいつのために、過去の記憶も愛情も、捨てるか」

「彼と引きかえに、できるものなどない」

「そうとうなばかっぷりだな」

「愛しているのだと、言いませんでしたか」

 自信過剰な返答に、スランドゥイルの方が面を食らう。

「ふん・・・・息子はとんでもない奴に引っかかったものだ。まあいい。
二階の奥が息子の部屋だ。さっさと連れて行け」

 コーヒーを飲み終え、エルロンドは立ちあがった。
応接室の入口で、次の指示を待っていたメイドと会う。

「ごちそうさま。おいしかった」

 そう言ってやると、メイドは嬉しそうに笑った。

 

 案内されなくても、階段はすぐに見つかったし、部屋もわかった。

 ノックもせずにそっと開ける。

 閉切った部屋の空気は淀んでいた。壁一面の本棚。
机の上のパソコンは、電源は落されていたが、
その脇にMOやらCD−Rやらが積み上げられ、ノートやコピーが散乱している。
決して狭くないのだが、粗雑な雰囲気が、レゴラスには似合わない。
辛うじて、窓辺に置かれた観葉植物の鉢植が、レゴラスの住処を主張していた。

 服も着替えずにベッドで眠る少年に歩み寄り、そのはしに腰掛けて寝顔を覗き込む。
さすがに疲れた顔をしている。

 そっとこめかみにキスをすると、レゴラスはうっすらと目を開けて、
寝ぼけ眼でエルロンドを見上げた。微笑み、キスをねだるように両手を持ち挙げる。
二週間分のキス。

「迎えにきた。帰ろう」

 その言葉に、レゴラスは幸せそうに頷いた。

 

 なぜエルロンドが迎えにきたのかを簡単に説明してやると、レゴラスはただ驚いた。

 並んで階段を下りると、父は二本目のワインの封を切っていて、メイドに叱られていた。

「父さん・・・」

 声をかけると、スランドゥイルは振向きもせずに手を振った。

「工房に寄っていけ。ギムリがダイヤの出来を自慢したがってる」

 何気ない言葉に、

「うん」

 と、素直に答えて、レゴラスはエルロンドを工房に案内した。

「おうおう、高級なスーツが汚れるから中には入んな」

 入り口で早速ギムリに捕まる。
それから、待っていたかのようにダイヤとデザイン画をレゴラスに見せて説明をする。

「いいね、この流線のところなんか、難しいんでしょう?」

「俺様を誰だと思ってる? 今夜中には上るぞ」

「朝一で僕が届けるよ。すごいよね、婚約指輪でこんなでっかいダイヤ使うんだから」

「お前さんがどこかのお嬢と結婚でもするときは、
もっと高価なの作ってやろうと思っていたのにな。その気がないんじゃ仕方ない」

 ギムリがエルロンドを見上げると、エルロンドは口元で曖昧な笑みを作った。

「届けるのは他の奴にやらせろよ。少し休め」

「大丈夫だよ」

「いいや、ダメだ」

 それから、ギムリが改めてエルロンドに向き直る。

「頼むぞ、旦那。二三日は肉でも食わせてしっかり休養させてくれ。
旦那の言うことなら聞くだろうからな」

「承知した」

 ギムリがエルロンドの背中をバンと叩くと、そこに金属片のほこりのあとがついた。

 笑ってギムリと別れて、エルロンドの車に乗りこむ。
さりげなくレゴラスはエルロンドのスーツの埃をはらった。

 

 

 

「レゴラスは帰ってきたか?」

 開口一番のアラゴルンに、エルラダンがニヤリと笑う。

「発言に気をつけないと、本当に親父に刺されるぞ」

 アラゴルンは身震いするふりをして見せた。

「昨日帰ってきたが、まだ寝てる」

「まだって、もう夕方だが?」

「レゴラスを連れ帰ってから、親父はまた仕事に行ったんだ。帰ってきたのは真夜中。
それからイチャイチャしはじめて、寝たのが朝方というわけだ」

「詳しいな」

「俺らが寝る前に親父が帰宅して、
俺らが起きて朝飯の支度をはじめる頃寝息が聞えてきた」

 そうですか。そのアツアツぶり、自分も見習わなきゃならんな。

「お前さんも、親父に負けず、ちゃんと妹君を満足させてやれよ」

 そういうこと、兄が言うか? アラゴルンは肩を落した。

「はいはい。帰りますよ。今夜は妻をデートに誘おう」

 双子に追いだされ、アラゴルンは自分の車に乗りこんだ。

「ローストビーフが焼ける頃だ。匂いでレゴラスが起きてくるだろう」

 エルロヒアは片割をせっついて屋敷に戻っていった。