「お久しぶりです、スランドゥイル殿」
 人の良さそうなほんわかした笑顔に、スランドゥイルも思わず微笑む。
「久しいな、ビルボ」
 新緑の季節。
 ビルボは旅の途中、スランドゥイルに電話をしてきて、予定を合わせてランチを一緒にすることにした。
「連絡してくれて、嬉しいぞ。エレボールの帰りなのだろう?」
「ええ。ダインにね、会って来たんです。それから、バルドにも」
 ビルボの住むシャイアは、ここマークウッドからは遠い。
スランドゥイルはシャイアまで行く事はない。
が、こちら側に知り合いの多いビルボは、たまにこうして旅行して回っている。
「レゴラスさんは?」
「ああ、息子は相変わらず跳ねまわっている」
 くすり、とビルボは笑う。
屈託なく優しげな彼は、誰より芯が強く、スランドゥイルは尊敬していると言ってもいい。
 ビルボの好きな素朴なオーガニックレストラン。緑鮮やかなサラダが運ばれてくる。
「奴も来ればいいのに」
「誘ったんですけどね、どうしても貴方に会うのは嫌だって」
 クスクスと笑う。
それからしばらく、何の変哲もない雑談に興じる。
ビルボは話すのも聞くのも上手で、一緒にいて飽きない。
 小一時間ほど雑談と料理を楽しんだあと、ビルボはウエイターに持ち帰り用のサンドウィッチを注文した。
「それで、奴とは一緒に住んでいるのだろう?」
「んー…」
 曖昧にビルボは首をひねる。
「腰の落ち着かない人で。あちこちの親戚を訪ねたり。
まあ、ぼくも一緒に旅することもあるんですけどね。こんなふうに。でも基本、ぼくはぼくの家が好きなので」
 家にいて、帰って来るのを待っている。
 帰って来る、という表現は、おかしいかもしれない。
 そこは、もともと彼の家ではないのだから。
 でも彼は、『帰って来る』のだ。
「貴方は、あの人のこと、嫌いじゃないんですか」
「嫌いだ」
 キッパリという。そのスランドゥイルの表情を、ビルボはニコニコと覗き込む。
「だが、幸せになって欲しい」
 ぱあっとビルボの笑みがひろがる。
「あの人、苦労しているから」
「ああ」
 肯定して、スランドゥイルは彼を思う。
 境遇は、似ているところがある。だから余計、お互いに反発するのだ。
しばらくすると、ウエイターがパックされたサンドウイッチを運んできた。
「ソーセージとフライドポテトもつけてくれ」
 スランドゥイルが追加注文する。
「ぼくより貴方の方が、あの人のこと、よくわかるかも」
「わしの差し出した手は払いのけられた」
「貴方の言い方も乱暴ですものね」
「まったく、ビルボ、お前さんには敵わん」
 顔を見合わせて、クスクスと笑う。
「わしは奴は嫌いだ。嫌悪する。まったく、人の話は聞かないし。
だがな、本当に、お前さんがいてくれてよかったよ、ビルボ。
お前さんだけが、奴を変えられた。
お前さんが、奴の帰る場所になって、奴は幸福の本当の意味を知っただろう。
まあ、奴の世話は大変だろうがな」
「そうでもないですよ」
 にっこりと笑って、ビルボは窓の外を眺める。
「ぼくもね」
 窓の外を、風が木の葉を運んでいく。
「あの人に出会って、ぼくも変った。あの人と一緒にいると、楽しいんです」
「あんな仏頂面が?」
「あれ、笑うとけっこうかわいいんですよ」
「その趣味だけはわからんな」
「優しいし」
「まったく、惚れてるのか」
 窓の外から、視線を戻し、ビルボは一瞬だけ真顔を見せた。
「スランドゥイル王、これは、夢ですか」
「わしは王ではない。単なる宝石屋だ。それにこれは夢ではない。
ビルボ、二度とそれを口にするな」
 手を伸ばし、スランドゥイルはビルボの頬に触れ、顎を持ち上げて親指でその唇に触れた。
「俺のビルボに触るな!」
 低い唸り声に、二人は同時に入口から入ってきた男を見る。
「トーリン! 車で待っているんじゃなかったの?」
「遅いから様子を見に来た」
 スランドゥイルはからからと笑った。
「素直じゃないな」
 そこに、ウエイターがソーセージとポテトを持ってきて、困ったようにおろおろする。
「そら、ちょうど料理も来た。座って喰っていけ」
 不機嫌そうに、その男はビルボの隣りに腰を下ろす。
「ここのソーセージ、美味しいよ。冷めないうちに食べたら?」
 ビルボに勧められ、仕方なさそうにその男は料理を口に運ぶ。
「わしはビルボが好きだ」
 スランドゥイルの言葉に、トーリンは眉を寄せる。
「だが、わしはわしの家から離れないし、ビルボも自分の家から離れない。
守ってやりたくても、どうにもならん。お前がそばにいて守ってやれるなら、わしは安心だ」
「ぼくは、べつに守ってもらわなくても」
 ビルボの言葉に、スランドゥイルは片手をあげて制する。
「お前には関係ない。ビルボは俺が守る」
 不機嫌そうに言ったあと、トーリンはさっさと食事を平らげた。



 レストランを出ると、心地よい風が吹いていた。
 レストランを囲む木々を、ざわざわと揺らす。
それをしばらく眺めていたトーリンは、ゆっくりと口を開いた。
「一族の事は、ダインとバーリンに任せた。これでよかったのかと、今でも時々思う」
「いいだろう? お前はやるべきことをやった。
もう、自由に自分の好きなように生きればいい。
ああ、お前のような生き方を選んだ奴を知っている。
高貴な王族の血を引いているのに、すべて放棄して女と駆け落ちした奴をな」
「それは?」
 ビルボの問いに、スランドゥイルはニッと笑う。
「今はガラドリエルの旦那だ」
 ビルボもトーリンも、驚いたように眉を上げ、それきりそれには触れなかった。
「それからな、お前のところの若いの、お前の甥っ子だったかな、
ウチの若いのに求婚しているそうじゃないか」
「………ああ…」
「気が強いがいい娘だ。不幸にするなと伝えておけ」
 トーリンは、初めて口許に笑みを作った。
「ビルボ、また会いに来てくれ」
「必ず」
 硬い握手と軽いハグをし、スランドゥイルはひらりと手を振って自分の車に戻っていった。



「ぼくは、スランドゥイル殿は好きだよ」
 車の助手席に納まったビルボは、にこやかに呟く。
「そうだな」
 トーリンは短く答えただけで、車を出した。