「違う。もう一度」 学園都市、ドリアス。美しく壮健な街並み。芸術をこよなく愛する民。 陽光降り注ぐ公園で、もう1時間もそれは繰り返されている。 「お辞儀の練習ばかり、もう百回もやっている」 少年スランドゥイルは、うんざりして言った。 「百回やってもできないなら、千回やるしかない」 少年の父、オロフェアは、腕を組み、苛ついた表情一つ見せない。 ここでは、優雅な振る舞いが求められる。 「優雅さの欠片も無い。そんなことでは、シンゴル殿に会わせる事はできない」 勉学も、武術も、ここでは最上のものを与えられるチャンスがある。 それを身につけた者だけが、シンゴルの側近となることができる。 オロフェアは、シンゴルの側近の一人であった。 シンゴルの血縁でない者が近くで使える、それは稀な事であった。 それだけの学術と技術、武術、身のこなしを、オロフェアは兼ね備えていた。 当然、彼の一人息子にも、それは求められる。 彼の息子、スランドゥイルは、学術は常にトップクラスであったし、 運動、武術にも優れていたが、いかんせん、自由な気質であった。 「指先にまで神経を注いで、畏敬の念を表すのだ。形ばかりのものではない」 「そんなことを言われても」 「言い訳はしない。さあ、もう一度」 自慢で尊敬できる父ではあったが、躾けには厳しかった。 深呼吸をして心を落ち着かせ、胸に手を当て、ゆっくりと頭を下げる。 「…上手ですよ」 静かな声色に、スランドゥイルは驚いて顔を上げ、再び頭を下げる。 「ケレボルン様」 「顔を上げなさい、スランドゥイル」 恐る恐る父の顔色を伺ってから、ゆっくりと頭を上げる。 ケレボルンはシンゴルの血縁で、高い地位にある。 「厳しいね、オロフェア殿」 「まだまだです、ケレボルン殿」 厳しく感情を表に出さないオロフェアに比べ、 ケレボルンはいつも穏やかに微笑んでいる。優しげな御仁だ。 ケレボルンはゆっくりとスランドゥイルに近寄ると、その手を取った。 「肩に力が入りすぎているね。力を抜いて。 そう。 風に揺れるように。木の葉が風になびくイメージで」 優しく導かれ、目を伏せて腰を折る。 「うん。いいよ」 にっこりと微笑み、ケレボルンはするりとスランドゥイルの手を離した。 「……ありがとうございます」 「真面目だね。すぐに側近に上がれるようになるだろう」 「甘やかさないでいただきたい」 「可能性の話だよ。オロフェア殿、あなただって、 そう思うから厳しく教えているのではないかね。 彼と同世代の子どもたちから比べると、彼の才能は群を抜いている」 オロフェアに歩み寄ったケレボルンは、 すらり、と、身につけていたナイフを抜き、蝶が舞うような仕草で切りかかる。 オロフェアは、やはり携帯しているナイフを抜き、それをかわす。 切り合い、というより、二匹の蝶が、ひらひらと舞うようだ。 二人の銀色の髪が、風に揺れる。思わず、感嘆のため息が出る。 優雅、とは、こういうことなのだ。 「お戯れを」 「スランドゥイルに、身のこなしを見せてあげたのだよ」 オロフェアは、ナイフを戻しながらため息をつく。 スランドゥイルは二人のやり取りをじっと見つめていて、その動きを指先で表現している。 「頭のいい子だ」 ケレボルンもナイフを戻した。 「ところで、何か私に用でも?」 オロフェアの言葉に、ケレボルンはちらりとスランドゥイルを見てから、小さく頷く。 「話があるのだけど、場所を移してもかまわないかな?」 「もちろんです」 オロフェアは息子を見やる。 「練習していなさい、スランドゥイル」 「はい」 スランドゥイルは、自分に内緒の話には興味が無い様で、先ほどの父の動きを模倣している。 ケレボルンは、オロフェアと連れ立って、その場を離れた。 陽の光の遮断された回廊で、連れ立って歩きながら、ケレボルンは告白する。 「正式に結婚が決まった」 相手は、言わずと知れたガラドリエルだ。 「それは、おめでとうございます」 微笑こそせぬが、オロフェアはケレボルンを心底祝福する。 「よからぬ噂は、キミの耳にも届いているだろうね」 「………」 オロフェアの足が止まる。 「もし、何かあったとき………今すぐでない事を祈っているがね、 厄災が起こった時、私は、妻を守るために、ここを出る。 軽蔑してくれてもかまわない。だが、私は彼女を愛している。 わかってくれるか」 オロフェアは、日陰になった屋敷の奥を、じっと見つめている。 「オロフェア………」 「わかっております」 「スランドゥイルには、辛い思いをさせるだろう」 振り向いてケレボルンを見たオロフェアは、はじめて笑みを見せた。 実に優しく、慈しみ深い笑み。 「あれは、私の自慢の息子です。私の意思を理解し、私の右腕となりましょう」 ケレボルンの笑みは歪み、口許に手を当て、俯く。 「大丈夫です。ケレボルン殿。その時は、迷い無く決断されますように」 「………ありがとう」 公園に戻ってきたオロフェアは、芝生の上で寝転がっている息子を見つけた。 「やはり、サボっていたな」 寝転がって空を見上げていたスランドゥイルは、 父を見上げて、ニッと笑う。 オロフェアは、その隣りに腰を下ろした。 「スランドゥイル」 「なに?」 「私は、お前を誇りに思う」 突然の言葉に、スランドゥイルは驚いて目を見開き、父を凝視する。 「お前はきっと、私を理解し、私に助力してくれるだろう」 「もちろん」 強く返し、スランドゥイルは上体を起こした。 「父さんの誇りになれるように、努力する」 ああ、そうだろう。この子は決して裏切らない。 オロフェアは、息子の背をそっと撫でた。 そしてわたしは、この子の自由の翼を、もぎ取ってしまうのだ。