そもそものきっかけが何であったのか、思い出せない。 きっと、くだらないことだ。 スランドゥイルは一週間ほど海外を回っていたし、 取引先のマダムと夜を楽しんだりもしたし、 バーで飲んでいて携帯電話にカクテルを零してしまったが、 そのまま飲んでて放置してしまったせいで携帯が故障してしまい、 息子にどやされてスマホに買い換えたはいいが、 使い方がわからず、面倒なので放置して、 部下や取引先から「連絡が取れない」と叱られ、 逃げるようにまた海外に旅立ち、 追いかけてきた息子に捕まって連れ戻され、 社長室でみっちりスマホ講座が開かれ、 気づくと開いていない私用メールが数十件、留守電がさらに数十件。 (仕事用携帯電話は健在なので、まだ何とかなっていたのだが) つまり、 私用携帯電話が故障した事を知っていた知人友人社員仕事関係者などは、 仕事用携帯電話にかけることで用事を済ませていたが、 私用電話しか知らされていない、 あるいは私用電話にしかかけてこない女友達やホステスや飲み仲間などにとって、 スランドゥイルはひと月近くも行方不明だったわけである。 で、メールや留守電にメッセージを残して来た者には、 息子の指導の下、連絡を返した。が、着信履歴のみのものは放置した。 必要なら向こうから電話をかけてくるだろう。 最近レゴラスはタブレットにはまっていて、 ノート型パソコンと併用しながら、 「早くタブレット型パソコンが出ないかな」 なんて呟き、電機メーカーの新作発表に飛びついたりしていた。 「父さんも、タブレットくらい使いこなさないと、時代に置いて行かれるよ」 「うるさい」 スマホ騒動で、すっかりこの手のものが嫌いになったスランドゥイルである。 「あーこれ、この新型のパソコン、売り出すのいつかな?」 「知るか」 「アップルの新作発表会、行きたかったな」 「エルロンドにでも頼んでおけ」 ぽん、と手を叩くと、レゴラスは早速エルロンドに電話をかけた。 『今夜ゆっくり話そう。スランドゥイル殿は捕まえたのかね?』 「そうなんです。 昨日捕獲して、さっきまでスマホの使い方を教えていたんですけど。 …今日は夕方には帰りますから。 …さあ、父さん、すっかりへそ曲げてるから、 私用電話にかけても当分出ないと思いますよ。 ……もういいです。とにかく会社で仕事してもらわないと。 ………ええ、じゃあ、また今夜」 にっこりと自分の私用スマホの画面をタップする。 「んじゃ、父さん、お得意さん回り行って来るね。 もう逃げないでよ? それから、僕は直帰するから。 何かあったら僕のス・マ・ホに連絡してね!」 「うるさい! ばか者! とっとと失せろ!」 不機嫌極まりないスランドゥイルは、 手元の消しゴムを息子に弾き飛ばし、 レゴラスはドアに隠れてそれをやり過ごした。 「あ、父さん、着信履歴、もっとちゃんと確認しないと。 大事な人から電話あったかも」 「知るか!」 ぷいとソッポを向く。レゴラスは肩をすくめて出て行った。 「知らないから。もう、ホントに」 ひとりごちる。 スランドゥイルの着信履歴に、見知った電話番号があった。 あえて名前を入れてないところが父らしいところなのだが、 レゴラスは数字に強いし、暗記力もある。 「叱られてしまえ!」 ちょっと不機嫌に、レゴラスは社長室を後にした。 その夜。 エルロンド家のリビング。 「へえ、それでスランドゥイルの親父さん、スマートフォンに替えたんだ?」 「だけど、使いにくいって、触らないんだよ? 馬鹿じゃないの?」 エルロヒアの言葉に、レゴラスが不満げに応える。 「電話くらいで、そう怒るな」 エルロンドは、コーヒーをのんびりと口に運びながら、レゴラスを窘めた。 「そうそう。親父もホラ、まだフツーの旧式の携帯電話だし」 エルロンドが片眉を上げ、何かモンクでも?という顔をする。 双子は、ほらね、と肩をすくめる。 「グロールフィンデルさんはスマホなんでしょう?」 レゴラスの問いに、エルラダンがぐいと上半身を乗り出した。 「iphone予約なしに並ばずに買える、数少ない人物だ」 「そう、オレたち苦労して予約したのに」 エルロヒアも頷く。 「なんだあ。僕も頼めばよかったなあ」 「欲しかったら、取り寄せよう」 エルロンドの言葉に、双子抗議。 「差別反対!」 「甘やかし反対! 息子にはくれないくせに!」 エルロンドが、少し困ったように唇をあげる。 「エレストールに、息子たちを甘やかすなと言われている」 エレストールもまた常識人で、 エルロンドの息子には普通の生活を身に着けさせようとしてくれている。 おかげで、自販機でジュースも買えるし、銀行でCDに並んでお金もおろせる。 「そういえば、グロールフィンデルさんの姿見ないけど?」 「ああ、そうだな。そういえば、ウチにコーヒー飲みに来ないな」 レゴラスも双子もあっけらかんとしている。 「あ」 エルロンドは口を開きかけ、三人の注目を浴び、 慌ててなんでもないと取り繕った。 「………明日の会議を思い出した。電話してくる」 エルロンドはそう言って、自分の携帯電話を持って書斎に向かった。 さて困ったものだ。 スランドゥイルは私用スマホには出ないらしい。 かと言って、仕事用携帯電話にはかけられまい。あの男。 あの男にとって、スランドゥイルは今、行方不明も同然なのだ。 自分からそんなことは話さないので、エルロンドもすっかり念頭になかった。 とりあえず、事情説明だけでもしてやろうとグロールフィンデルに電話をかける。 不機嫌に電話に出た男に、エルロンドは一通り事の顛末を説明してやった。 が、どうやら珍しくグロールフィンデルはへそを曲げてしまったらしい。 もう自分から電話をすることはないようなことを言って、電話を切られた。 まったく、中学生か? いい大人なのだから、これ以上世話をしてやることもあるまい。 エルロンドはため息をつき、傍観を決めた。 翌日夕方。エルロンドの社長室。 定時の就業時間が過ぎ、人気のなくなった社内にレゴラスは転がり込み、 社長室の来客用ソファに座り、最近お気に入りのタブレットを膝の上に置いた。 今日はグロールフィンデルに、 会社で使うパソコンをリニューアルするのに、 どんな機種がオススメかを聞きたいらしい。 グロールフィンデルも自分のタブレットを持ってきて、 レゴラスと膝をつき合わせた。 その間、エルロンドは自分のデスクで自分の仕事をする。 「勘違いしてはいけない。最新のものが全て良いわけではない」 タブレットの画面に最新機種のカタログを映しながら、 グロールフィンデルは言った。 「真に使いやすいものと、将来性を見極めなければならない。 まだタブレットは使い辛い所があるからな。 私は試しに使っているが、社長は今までのパソコンで十分だ」 そう言って、エルロンドを見やる。 レゴラスもそちらを見て、仕事をするエルロンドにハートマークを投げかけた。 「仕事を合理化したい気持ちはわかるが、 それを使わされる身にもなった方がいい」 確かに、若い連中はともかくとして、 父を筆頭に機械は苦手な年配者も多い。 「そうかあ」 もっともらしい事を指摘され、レゴラスは頬杖をついた。 「時代の流れは、どんどん速くなっていく。足をすくわれるな」 グロールフィンデルの言葉にレゴラスは頷き、 ソファにもたれかかった。 「…グロールフィンデルさん、アイフォンなんでしょ? 双子が教えてくれましたよ、予約なしで買ったって」 グロールフィンデルは、軽いため息をつく。 別に欲しかったわけではない。 仕事の付き合い上、持たされてるようなものだ。 「欲しいのか?」 「残念〜買っちゃいました。予約に並んで」 「そのような無駄な時間をかけることはない」 「無駄じゃないですよ。一般市民の意識調査です。 ほら、僕なんかは宝石屋の行商ですから。 流行とか知っておかないと」 楽しそうにニヤッと笑う。 レゴラスのそういうところ、憎めない。 「でも、父さんにスマホ買ったのは失敗だったなあ」 ぴくり、とグロールフィンデルの頬が引きつる。 「あ、グロールフィンデルさん、 申し訳ないんですけど、実家まで送ってもらえませんか? バイクを取りに帰りたいんです。明日用事があって」 困ったようにグロールフィンデルがエルロンドを見る。 エルロンドはそ知らぬ顔をする。 「こちらはまだ時間がかかる。そうしてやってくれ」 渋々立ち上がると、レゴラスは申し訳なさそうに頭を下げた。 レゴラスの自宅の敷地内に車を乗り入れると、 「渡したいものがあるので、ちょっと待ってて下さい」 と言って、家の中に駆け込んで行った。 待つ事5分。 何やらどやどやと騒がしく、レゴラスは戻ってきた。 片手に金髪の中年男を引きずって。 「離せ! 離さんか! 馬鹿息子!」 「もーホントうるさい!」 イライラしながら、その男をグロールフィンデルに差し出す。 「ついでと言ってはなんですが、 この機械オンチにスマホの使い方を教えてやってください!」 「ああ???」 グロールフィンデルとスランドゥイルが、 同時に間の抜けた声を出す。 が、かまわずに、レゴラスは車の助手席に父親を押し込み、 その胸にスマホを押し付ける。 「もう本当に、これが最後だからね! これでまだスマホ嫌いとかわからないとか言ったら、 会社のパソコン全部タブレットに買い換えてやる!」 それ、意味不明だし。 「じゃ、僕はバイクでエルロンド様の所に帰るから!」 ぷい、と振り向きもせずにレゴラスは去っていく。 スランドゥイルは怒り気味に車のドアを開けようとするが、 運転席側で「がちゃり」とロックされる。 「ふざけんな! こんな…」 怒ってグロールフィンデルを見たスランドゥイルは、 言葉を止めて、すとんと座る。 前方をじっと凝視したままのグロールフィンデルの表情は、 怒っていた。 ああ、とスランドゥイルは思う。 なんでこうなるんだ? たかが携帯電話じゃないか。 ちょっと電話に出なかっただけで、 ちょっと電話をかけなかっただけで……… 「……悪かったよ。お前さんをないがしろにしたわけじゃないんだ。 その、スマホって奴が嫌いで」 「スマホって奴が嫌いで、それだけの理由、なんだな?」 「……ああ」 「そうか。わかった」 また、がちゃり、と音がして助手席のロックが外れる。 もう、面倒な奴!! スランドゥイルは頭を抱える。 「そうじゃない。お前の存在が、 わずらわしいスマホ以下だって言ってるんじゃない」 グロールフィンデルは前方を向いたまま。 スランドゥイルは肩を落す。 「悪かったよ」 それでもグロールフィンデルの表情は変わらない。 「………いい機会なのだろう。 スランドゥイル、 お前が私を煩わしく思っているのは知っているつもりだ。 もう、関わらない」 だーかーらー スランドゥイルは身を乗り出して、 グロールフィンデルの顔を両手で包んで自分の方を向かせ、キスをした。 「拗ねるな。謝っているだろう? わしにはお前が必要だ。愛している」 そう言って、もう一度キスをする。 その体は強い腕に絡めとられ、息ができないほどの口づけを交わす。 やっと唇を離した時、 「!!!」 スランドゥイルは前方の窓ガラスの向こうに絶句した。 (グッジョブ) 親指を立てた指がにゅっと現れ、 かさこそと音がしたかと思うと、 レゴラスのバイクの走り去る排気音がした。 やられた 呆然とするスランドゥイルの顔を、怪訝に覗き込むグロールフィンデル。 なんでこんなことになっちまったんだ? スランドゥイルは泣きたい気分になった。