夕食の後、レゴラスはダイニングのソファーで雑誌をめくっていた。

 三流ゴシップ誌。世界中の庶民的流行やそれにまつわる事件などが載っている。
エルロンドなどは決して目にすることはないであろう雑誌。
だが、レゴラスは楽しそうにそれを眺めていた。

 そもそもレゴラスは、流行に詳しい。
宝石屋の御曹司として、一流ブランドの最新作から、若者のチープな流行まで精通している。
父スランドゥイルの古風な好みとは違い、レゴラスは「売れ筋」をよく知っていた。

 その豊富な話題性は、こんなところからも入手しているらしい。

 あと片付けを済ませた双子は、レゴラスの両脇を陣取った。
このふたりも、流行物は大好きだ。堅物のエルロンド父とは正反対に、実に庶民派青年なのだ。

「なんか面白い記事、あった?」

 エルロヒアが雑誌を覗き込む。

「うん」

 にこやかにレゴラスが、今開いていたページを指差す。

 そこには、まるまる1ページを使って写真が掲載されていた。
まるで中世の女中服を着た少女が、にこやかにポーズを決めている。

「日本のアキハバラ。今、流行っているのが『メイド』なんだって!」

「メイド〜?」

 エルラダンが眉を寄せる。メイドとは、俺達のことかー? と。

「メイドカフェ、とかってのがあって、
こんな服を着た女の子達が『お帰りなさいませ、ご主人様〜』
とか言って出迎えてくれるんだって。すごいね!」

 興味深げに双子は両方から記事を覗き込む。

「なんだそりゃー?」

「意味わかんねえー」

 双子は顔を見合せ、首をひねった。

「日本の若い男は『ご主人様』になりたいのか?」

「っつうか、ご主人様ってのはどういうんだ?」

 双子は金持で家柄もよく、セレブな連中とも付き合いはあるし、
「お坊ちゃん」と呼ばれることもしばしばある。

「家にも女中はいるよ?」

 同じく金持レゴラスがにこやかに言う。

「もうオバサンで、こんな服は着ていないけど。
でも、父さんが帰ってくると『お帰りなさいませ旦那様』って言うよー」

 まあ、本来ならこの家にもメイドのひとりもいてもおかしくはないわけだが。
双子が家事をしないのであれば。

 そんなこんな話をしていると、玄関チャイムが鳴り、家主が帰宅してきた。
今日は接待とやらで、外で食事をしてきた。
双子とレゴラスは玄関に飛んでいって、ドアを開けるなり仰々しく

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 と、頭を下げた。

 何のことかと、不快そうにエルロンドが眉を寄せる。また今度は何の冗談だか?

「何のマネだね?」

「メイドごっこ」

 三人は悪びれもなく笑って見せた。

 エルロンドの後では、驚いたように眉を上げてグロールフィンデルが三人の冗談を眺めている。
子供らしい悪戯には、最近は慣れていた。
レゴラスが来てからというもの、双子は本来の若者らしさを見せる。
そういう冗談を、エルロンドは叱ったりはしない。冗談で済む範囲内であれば。

 雑誌で読んでいた記事のことを笑いながら話し、三人はエルロンドとその従者を招き入れる。
エルロンドも納得したようだった。

 秘書兼運転手謙ボディーガード謙ハウスヘルパーのグロールフィンデルは、
エルロンドを送ってくると、コーヒーを一杯飲んで帰ることが多かった。
そうしながら、双子がちゃんと家事をしているかチェックしているのだ。

 ダイニングでそれぞれにコーヒーを配り、双子も腰を落着けると興味の目を父親に向ける。

「親父は、そういうの経験ある?」

 メイドと言う存在だ。

 コーヒーの香りを楽しみながら、エルロンドはちょっと記憶を遡った。

「若い頃住んでいた屋敷では・・・」

 言いかけて、ちらりとレゴラスを見る。
ギル=ガラドの話題にはレゴラスは敏感で、いつも不機嫌になる。
が、それもだいぶ落着いたようだ。不機嫌な素振は見せていない。

「大きな屋敷で、何人も使用人はいたが・・・若い女性を雇ってはいなかった。
だからそのような経験はない」

 先ほどまで三人が見ていた写真のページを指差す。

「興味もない」

 そうだろうなあ。堅物だもんなあ。双子は『うんうん』と頷いた。
やはり、日本人男性のドリーマーな世界なのだ。

 遠巻きに写真を眺めているグロールフィンデルの視線に、レゴラスが気付く。

「グロールフィンデルさんは、こういうの、興味あるんですか?」

 うわー、恐れ多いことを! 双子が口元を引きつらせる。彼にチェックを入れてはいかんよ!

(このような破廉恥な女性に興味などない)

 とかなんとか、一睨みされるものと思って覚悟していた双子は、
次のグロールフィンデルの反応に驚いた。

「懐かしさを感じる」

 懐かしいー?

 グロールフィンデルにふり向いたエルロンドは、事も無げに微笑んで見せた。

「ゴンドリンは古風な風習が残っていたと聞くが?」

「ええ。屋敷にはこのような・・・これほど下品ではありませんが、メイドは大勢いました」

 ええー? そうなのー? それって、いつの時代―――?

 驚く双子は知るはずもない。
否、エルロンドでさえ直接目にしたことはないが、
ゴンドリンの貴族の生活、服装はまさに中世の神話の時代そのものだったのだ。
貴族の正装をしたグロールフィンデルは、さぞ美しかっただろう。

「もっとも、我が金華家ではそれほどメイドの数はおりませんでしたが。
泉家の使用人はほとんどが若い女性でした」

 金華家? 泉家? 双子は顔を見合わせる。
レゴラスは、わからないことはわからないでいいらしい。
というか、話の腰を折るつもりはないらしい。さすが聞き上手。

「その泉家の主という方は、若い女性が好きだったんですか?」

 何気なく怖いことを聞くなあ。
さすがにエルロンドも泉家の宗主の趣味など尋ねられはしない。
その男は、グロールフィンデルの師であったのだから。

「若い女性に囲まれて生活するのは、男のロマンだ」

 意表をつくグロールフィンデルの言葉に、レゴラス以外がわずかに仰け反る。

「と、本人は言っていましたが。
その実、若い女性のよき就職先であったことには間違いがありません。
あらゆる作法や家事が習得できるのですから。
技術を身につけた女性のほとんどは、
結婚をするかもっと技術を生かせる就職先を案内して貰って辞めていきました。
特に貧しい家の女性にとって、身の安全を保障され、
勉学や技術を習得させてくれる場所は貴重ですから」

 なるほどー、とそれぞれは納得して頷いた。

「わかりますー。昔は父さんも働き口のない若い女性を家で雇ってたみたいですから。
もっとも、そのひとりが僕のお母さんなんですけどね」

 ニコッと笑うレゴラスを、微笑ましく思う。スランドゥイルもそうとう苦労してきた男だ。
若者を世話することで信頼を勝ち得てきたのだろう。エルロンドにはわからない苦労だ。
そんなことを思いながらふとグロールフィンデルの方を見て、エルロンドは笑みを凍りつかせた。

 おいおい、今一瞬見せたその表情。
ギル=ガラドの名前を聞いたときのレゴラスみたいだったぞ?

 

 

 

 ベッドの中でまどろみながら、グロールフィンデルは泉家の屋敷を思い出していた。

 メイド服は可愛らしいが機能的にできている。冬はスカートが長く、夏は短い。

(かわいいだろう?)

 と、エクセリオンは子供っぽく笑って見せた。
彼自身はメイドたちに優しかったが、彼女達の間の規律は厳しく、躾けは行届いていた。
そして何より、彼女達は皆主を愛していた。メイドは、誇り高き職業であったのだ。
メイドたちの仕事をさせられるグロールフィンデルを、彼女達は決して軽蔑はしなかった。
ある意味、それらは技術なのだ。

 双子達が持っていた雑誌の中の少女達のような、男の慰み者などでは決してない。

 もちろん、貴族はメイドに手をつけることも可能であったが、
もしそのようなことをすれば軽蔑される。彼女達は、売春婦ではないのだから。
それは、メイドを雇う者の誇りやプライドにも関る。

(グロールフィンデル、ちょっと着てみないかい?)

 そのような冗談は好みません。

(エクセリオン)

 唇がその名前を形度った時、グロールフィンデルは慌てて目を覚ました。
また、無意識に彼の名を口にしてしまったか・・・?!

 目を開け、上体を起す。
不安に噛み付かれたように周囲を見回すと、キッチンに小さな明りが点いていた。

 なんて愚かな。孤独に怯えるのは、レゴラス坊やだけで十分。

 ベッドから降り、その明りに吸寄せられるように歩み寄る。

「起しちまったか?」

「いや」

 久しぶりにマンションを訪ねてくれた恋人は、冷蔵庫からミネラルウォーターを出していた。

「ワインを?」

「いや、水でいい」

 何も身につけない格好のまま、
スランドゥイルはミネラルウォーターのビンを持ったままベッドに戻った。
ペットのイヌのようにグロールフィンデルはその後をついていく。
何か手伝えることはないか、ビンを開けるのでもゴミを捨てるのでも、
毛布をめくってやることでも。
そんなことを期待している自分に気付き、自嘲する。
メイド特訓のおかげか? 長年の習慣か。
そうやってエルロンドの後をついて来たのだから。

 否、違うな。ペットの犬と同じだ。主人にふり向いて欲しいだけだ。

「べったりくっつくな。うっとうしい」

 案の定の反応。しょんぼり肩を落すグロールフィンデルの頭を、
スランドゥイルはくしゃくしゃと撫でた。
気を取りなおしたグロールフィンデルは、スランドゥイルの隣に腰掛けた。

「今日、レゴラスがゴシップ誌を持ってきていた」

「ああ、そういうの、好きだからなあ、あいつは」

 微笑ましく父親顔するスランドゥイル。
グロールフィンデルはちょっとだけ唇をつりあげて見せた。

「日本では『メイド』が流行っているとか。
この家にもメイドが何人かいると言っていたが」

「昔はな。今は一人、通いで来てもらっている。わしは家事はできんのでな」

 確かに。食べた食器を片付けもしない。レゴラスもそうだが。

「………」

 昔、そのメイドと恋仲になったと聞いたが………という言葉が浮び上がるが、
言葉にすることをためらう。 

「お前はメイドにするには、ちとデカ過ぎるな。神経質だし。
もし本当にメイドなんてやったら、家の中の埃ひとつ許せないだろう?」

 思わずグロールフィンデルは苦笑する。確かに、そのとおりだ。

「レゴラスの母は………」

 グロールフィンデルは言葉に詰るが、スランドゥイルはその先を察した。

「彼女は、よくできた女だった。働き者で、一途で。
わしなんかが惚れ込まなけりゃ、幸せな一生を送れただろうよ」

 辛い言葉を出させてしまった。
グロールフィンデルはスランドゥイルの手を握って、首を横に振った。

「お前に愛されて、幸せだったと思う」

 一瞬、スランドゥイルは神妙な表情をし、ニッと笑う。
そして、握られた手を振り解いてグロールフィンデルの肩をバンと叩いた。

「で、お前はメイドになりたいのか? 尽すのが好きなんだろう?」

「それは遠慮する。彼女達の職業意識の高さには感服するが、
主を選べないのは私には向かない」

 ははは、とスランドゥイルは豪快に笑って見せた。

「お前もガキの頃ならメイド服も似合っただろうがな」

「あんな服は、もうこりごりだ」

「着てたんだ?」

「着させられたんだ。ふざけて」

 顔から火が出るほど恥かしかったのを覚えている。

「お前の昔の主は、変り者だったんだなぁ」

 こんなふうに昔話ができるなんて、ちょっと前までは考えられなかった。
それは、至極幸せなことだ。

「空いたビンを捨ててまいります、ご主人様」

 そんなことを言うグロールフィンデルに、スランドゥイルがベッと舌を出す。

「気色悪いわ。わしはお前の主人などではない」

 ミネラルウォーターのビンを受取り、グロールフィンデルはちょっと笑ってキッチンに向った。

 こんな姿、エルロンドが見たら腰を向かすだろうなあ。スランドゥイルはほくそえんだ。 

 

 

 

 数日後。

 エルロンドの家の玄関を開けたグロールフィンデルは、驚いて目を見開いた。

「お帰りなさいませ、ご主人様ぁ〜〜」

 語尾にハートマークをつけて出迎えたのは、
メイド服を着たレゴラスと、ニヤニヤ笑いながら様子を見ている双子だった。
が、玄関に立つのがグロールフィンデル一人なのを見て、三人は笑みを引きつらせた。

 ………まだあの冗談は続いていたんだ?

「あれ、親父は?」

 確認してから出て来い、と、グロールフィンデルはいつもの口調で短く叱咤した。
まったくの部外者だったらどうするつもりだったんだ?

「社長は議員との会合が長引いている。社長に頼まれて書斎の本を取りに来ただけだ。
いったい、どこからこんな下品な服を仕入れてきたのだ?」

「通販―。わざわざアキハバラから取り寄せたんだけどさ。
親父のサプライズにしようと思ってー」

 ちぇー、と三人がすごすごと戻っていく。

 まったく、双子はレゴラスをオモチャにしていると言うより、
レゴラスを使って父親をオモチャにしている。
『尊敬するお兄様たち』がこんなくだらないことを日常行っているとアルウェン嬢が知ったら、
否、ガラドリエルが知ったら、即刻ガラドリエルの屋敷に引取って再教育したがるだろう。
というか、なぜあの生真面目なエルロンドからこんなおちゃらけた息子達が生れるのだ?

「待ちなさい」

 すごすご戻っていくレゴラスの襟首を、グロールフィンデルはしっかと掴んだ。

 

 すっかり会議が長引いてしまった。

 くだらない長時間の会議は、エルロンドを消耗させる。利己主義な議会にも苛立ちを感じる。
今考えなければならないのは、次の選挙のことではなく、経済や外交のことだろう。
そもそも、自分は政治家ではないのだ。なんでも意見を伺いに来ないで欲しい。
同じ問答を繰り返す前に、哲学の本の一冊でも読みたまえ。
そう思い、若手の議員のためにエルロンドは自分の蔵書を一冊プレゼントしてやった。
グロールフィンデルを取りに行かせたのだ。『わざわざ』。
少しは肝に銘じてくれるとありがたいのだが。

 エルロンドの苛立ちは、それだけではなかった。
本を取りに行かせたグロールフィンデルが、『たかがそんなこと』に手惑い、時間をくったのだ。
本の整理の仕方は教えてあるし、書斎のどこに何が置いてあるのか、熟知しているはずだ。
しかも、本を届けるとまたすぐにどこかに消えてしまい、
エルロンドが社長室に戻ってしばらく帰ってこなかった。
おかげで、帰宅の時間が遅くなった。

 ずっしりと感じるストレスに、エルロンドは帰りの車の中、終始不機嫌に黙り続けた。

 やっと家に着くと、恋人の顔を思い出し、少しだけ気分が軽くなる。
レゴラスの存在は、実に有用だった。

 グロールフィンデルが先に立ち、玄関ドアを開けると

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 ピシっとエルロンドは凍りついた。

 髪を綺麗に結上げ、リボンを巻いて止め、
白いブラウス、黒いスカートに白いエプロンドレス姿の愛しい恋人が、
ナナメ45度の完璧なおじぎ姿で出迎えてくれたのだ。

 正確に3秒経ってから顔を上げ、
うっすらとピンク色の口紅をつけたレゴラスがにっこりと微笑む。

 こ………これは?!

「見違えちゃったよ。グロールフィンデルがプロデュースすると、
こんなに完璧に化けるんだもんな。さすが、ホンモノは違う」

 後で双子が感心している。

 つまり、双子の冗談を知ったグロールフィンデルは、
それを完璧なものにするために今夜走り回っていたと言うことか。
同じ冗談でも、グロールフィンデルがやると格が変る。

「ホンモノではない。服の生地は粗悪だし、サイズも合っていない。
貴族のメイドとしては失格だが、早急に手に入るものでもないので致し方ない」

 双子はニヤニヤしながら、グロールフィンデルは冷静にエルロンドの反応を見やる。
石のように固まったまま、エルロンドはレゴラスを凝視している。
そして、無言のままレゴラスの手を取ると、さっさと寝室に上ってしまった。

「社長はだいぶ疲労も溜まって不機嫌だったのでな。これで明日は仕事がはかどるだろう」

 自分の仕事に満足げなグロールフィンデル。双子はパチパチと拍手をした。

「貫徹だったりして」

「ありうる。逆に寝不足で仕事にならないかもよ?」

 グロールフィンデルはしばらく考え、
さりげなくスーツのポケットから何かの錠剤を取出し、双子に手渡した。

「強力な滋養強壮剤だ。明日の朝、これを飲ませなさい」

 どこから仕入れたクスリだー? というツッコミを、双子は控えた。
クスリに関しては、エルロンドはプロだ。どうせ出所はエルロンド本人だろう。

「了解」

 双子は敬礼して見せた。

 

 

 

「で、なんでグロールフィンデルが滋養強壮剤なんかを?」

 ダイニングで音楽をかけながら(寝室からの声が聞えないように)
コーヒーを飲んでいたエルラダンが、何気なく呟く。

「出所が親父だとしたら、グロールフィンデルもドーピングしてるってこと?」

「ドーピング、必要なわけ?」

 双子はそろって頭をひねった。

 

 ドーピングされている方はたまったものじゃない。