うららかな日曜日の午前中。

 双子は図書館に行っていて留守。お昼には帰ると言う。

 エルロンドは、いつものように書斎でのんびり読書。

 その周囲を、邪魔にならない程度にレゴラスがうろちょろしている。
まあ、拾ってきた猫みたいなもので、回りをうろついてみたり膝に乗っかってみたり。
それがまたかわいいわけだが。
猫本人も、時折頭を撫でてもらうだけでごろごろ喉を鳴らしたりする。

 ああ、至福の時間。

 うろつくのにも飽きて、窓から外を眺めていたレゴラスは、
ちょこっとエルロンドに振り向いた。

「・・・・・グロールフィンデルさん、何をしているんですか?」

 ちょうど見下ろせる中庭で、
めずらしくスーツでないグロールフィンデルがうにょうにょしている。

「ああ、グロールフィンデルの住まいはマンションだからな。
時折うちの中庭で体を動かしているのだ」

 じっと見ていれば、それは拳法か何かの型のよう。

「へええ!!」

 歓声をあげ、レゴラスは窓枠にかじりついた。

 

 書斎に、本のページをめくる音だけが響く。

 

 30分もしただろうか、熱中していた本からエルロンドが顔を上げる。
と、レゴラスは同じ姿勢で窓枠にかじりついている。
しっぽをフリフリしながら。(いや、それは犬だ)

「・・・・・・・」

 楽しいのか?

 立ち上がったエルロンドが、レゴラスの隣に立つ。
ニコニコ楽しそうにレゴラスはグロールフィンデルを見下ろしている。

「面白いか?」

「はい! すごいですよね! ホント、すごいな〜あの筋肉・・・・」

 グロールフィンデルは、決して筋肉質ではない。
スーツ姿はほっそりとして見える方だ。でも、

(私脱ぐとすごいんです)

 プロレスラーのような筋肉のつき方ではなく・・・・
あえて言うならブルース・リー?

 そこまでぎっちぎちでもないが。

 そりゃあ、エルロンドだってその肉体は美しいと思うが・・・・

「レゴラス?」

 これほどうっとりと眺められると嫉妬する。

「気になるなら、降りていってはどうだね?」

「あ、ダメですよ。邪魔をしたくありません。見てるだけでいいです」

 楽しそうに微笑まれると、胸が痛い。
だから・・・・そんな目で眺めてるくらいだったら、
そばに行って話でもしててくれた方がマシ。

 エルロンドは窓からグロールフィンデルの名を呼ぶ。
動きを止めて見上げるグロールフィンデルに、ちょいとレゴラスを横目で見る。
グロールフィンデルは頷いて、ここに来るように目で合図をする。

「行っていいそうだ」

「わあ! すごい! 以心伝心ですか?!」

「・・・・まあ、あいつとの付き合いは長いから・・・」

 いや、誰だってわかるだろう? この状況だったら。

 スキップでもしそうな勢いで、レゴラスは階下に駆け下りていった。

 

 心配するまでもないのだが、エルロンドもゆっくりと後を追う。

 エルロンドが中庭に着いたときには、レゴラスは上着も靴も脱ぎ捨てていた。

「やってみたいか?」

「はい!」

 グロールフィンデルの問いに、嬉しそうに返事をする。

 グロールフィンデルは立ち方を教え、呼吸法を教え、体の動かし方を教える。
レゴラスは真剣そのものだ。エルロンドは腕を組んでそれを眺めた。

 レゴラスも楽しそうだが、グロールフィンデルも楽しそうだ。
この点だけは、二人は似ているのかもしれない。己を鍛えることが、大好きだ。

「指先に神経を集中しろ」

「はい」

 レゴラスは、できのいい生徒だ。
しばらくそうしているうちに、基本的な動きをマスターしてしまう。

「私の動きを見て、次の動きを先読みしてみなさい」

 気がつくと、簡単な組み手になっている。レゴラスの学習能力は高い。
それに、運動神経も。

「ほう」

 さすがのエルロンドも感嘆のため息をつく。
二人の金色の髪が宙に舞い、白い指先が円を描く姿は、美しい。

「上出来だ」

 グロールフィンデルがニッと笑うと、レゴラスも嬉しそうに笑った。

 微笑ましいんだか妬けるんだか・・・。
エルロンドの心境はちょっと複雑。
このところ、レゴラスは非常にグロールフィンデルになついている。
グロールフィンデルも、レゴラスに向ける目が優しい。

(いや、これは・・・グロールフィンデルにとってレゴラスは息子みたいなものだ)

 エルロンドは自分に言い聞かせた。

 最愛の恋人の一人息子なのだから・・・。

 って・・・レゴラスはそれを自覚しているのか? 
それとも、エルロンドの秘書としてグロールフィンデルになついているのか?

 ちょうどそのとき、生垣の向こうから談笑しながら双子が帰ってきた。

「ただいま」

 まず目に入った父親に、双子は手を振る。
それから、生垣を乗り越えて(ちゃんと門から入ってきなさい)
中庭に入り込んだ双子は、顔を引きつらせた。

「ちょうどいい、二人にも・・・・」

 グロールフィンデルの目が、キラリンと光る。

「あ、昼食のしたくしなきゃ」

 逃げようとする双子を、グロールフィンデルは捕まえた。

「最近運動不足ではないかね?」

 ちょろちょろするねずみを見つけた猫のように、
グロールフィンデルが狡猾に微笑む。

「うひゃあ〜」

 逃げそこなった双子は、あっさりグロールフィンデルに投げ飛ばされた。

「来てると知ってれば、帰ってこなかったのに〜」

 後悔先に立たず。
二人でなんとかもがくが、レゴラスほど俊敏には避けられない。

(まあ、それでも普通の大学生よりははるかに運動神経はいいのだが)

 グロールフィンデルにおもちゃにされる息子たちを、
エルロンドは苦笑しながら眺めた。
レゴラスは、がんばれーとかそこだーとか、双子を応援している。

 息を切らせた双子が立ち上がれなくなった時、
グロールフィンデルは腰に手を当て「ふん」と鼻で笑った。

「まったく運動不足だ。もっと鍛えなさい」

「いやあ、ほら、俺たち学生だし〜」

 引きつる双子。

 逃げるように父親に駆け寄り、その後ろに隠れる。

「親父―グロールフィンデル、なんか変わった? 
スゲー楽しそうなんだけど」

 そりゃあ、双子にあらゆる運動(勉強もだが)
教えたのはグロールフィンデルである。

「どうかな」

 曖昧に微笑みながらエルロンドは首を横に振る。

「社長も少し体を動かしますか?」

 視線を向けられ、エルロンドは思わずぶんぶんと首を横に振った。

 そりゃあたしかに、ギル=ガラドの所でエルロンドに護身術を教えたのも
グロールフィンデルではあるが・・・。
今あのハードな訓練を受ける気にはなれない。

 年をとったものだ・・・。

 つまらない、というように、グロールフィンデルがレゴラスを見る。

「はいは〜い! 僕、やります!!」

 元気いっぱいに両手を挙げるレゴラス。

 若いな。

 エルロンドも双子も、感心せずにはいられなかった。

 

 組み手はだんだんハードになっていく。
余裕を見せていたレゴラスの動きが、だんだんとついていけなくなり、

「あ」

 三人が声を揃える中、レゴラスは足払いを受けて地面に転がった。

 本人、あまりの素早さに何があったのか一瞬理解できないでいる。
それから、頭をさすりながら起き上がり、

「やっぱりついて行けないや・・・」

 と、ぼやいた。

 いや大丈夫。十分ついていってた。三人は腕を組んだ。

「グロールフィンデルさんって、やっぱりすごいですね」

 レゴラスに片手を差し出し、
助け起こしてやりながらグロールフィンデルは口元に笑みを作る。

「いや、半時でこれだけできれば上出来だ。
私は組み手の訓練に何ヶ月も要した」

 起き上がったレゴラスは、ぱたぱたと泥を払う。

「グロールフィンデルさんの先生って、よっぽどすごい人だったんですね」

「ああ・・・そうだな。結局、追いつくことなどできなかった」

 さらりと昔の話をするなど・・・・本当に変わったんだな。
エルロンドは苦笑した。

「お前を見ていると、昔の自分を思い出す」

 不思議そうにレゴラスが首を傾げる。

「強制的にでも自分の方に引っ張ってみたくなる。
可能性を試してみたくなる。
私を引きずりまわして楽しそうに笑っていた、エクセリオンの気持ちがわかる」

 無意識に、エルロンドはグロールフィンデルに近づいて、その肩に触れた。
グロールフィンデルは安心させるように笑いかけた。

「へえ! 楽しそう! 
時間があったら、またいつでもいろいろ教えてくださいね! 
僕、少しでもグロールフィンデルさんに近づきたいな!」

 グロールフィンデルの記憶の闇を吹き消すように、レゴラスは無邪気に笑った。

「簡単なことではないぞ」

 意識せずに、グロールフィンデルはレゴラスの肩にかかる髪を後ろに払った。
やたらと触れたがるのは、エクセリオンの癖だった。

「大丈夫ですよ! 体力には自信がありますから!」

「では、まず料理を覚えるのだな。私はエルロンド卿の飯炊きではない」

 ぎくり、とエルロンドは一歩後退る。

「ええ〜? 
・・・・・でも、エルロンド様の好きなものくらいは作れるようになりたいですね」

「やめておけ、レゴラス」

 エルロンドの後ろで、双子は両手を振り回した。

「料理を甘く見るな! 
俺たちがどれだけナイフで手を切ってフライパンでやけどをしたか・・・」

「それは、訓練が足りないからだ」

 グロールフィンデルにたしなめられ、双子は父親の後ろで縮こまった。

 幼少の頃の記憶とは、恐ろしいものである。

 

「おう、皆揃って何やってんだ?」

 生垣の向こうにラウンドクルーザーが停まり、
機嫌のよさそうなスランドゥイルが顔をのぞかせる。

「あれ、父さん、どうしたの? こんなところに」

「お前が注文とって来たブローチがな、出来上がったんで持ってきた。
明日持っていくんだろう?」

「だったら、明日朝一で取りに行ったのに」

 ニヤニヤ笑うスランドゥイルは、それ以上答えない。

「相変わらず男くさいなあ」

 悪態をつきながら、生垣をかき分けて入ってくる。

(だから、門から入ってきなさい!)エルロンドは後頭部に一筋汗をかいた。

「あのね、グロールフィンデルさんと遊んでたんだ」

 ニコニコするレゴラス。・・・・遊びだったのか、やっぱり。

 不意に思いついたように、グロールフィンデルは足元の小石を拾うと、
スランドゥイルに向けて指で弾いた。

「!」

 気付いているんだかいないんだか、
微動だにしないスランドゥイルの数センチ手前で、
レゴラスがそれを受け止める。

 いい反応だ。

 ぱっと身をかがめて、スランドゥイルに蹴りを繰り出す。
驚くほどの素早さでレゴラスがそれを防ぐ。

 グロールフィンデルが想像したとおり、
さっきまでより数段動きが速くて正確だ。
レゴラスは、誰かを守る時の方がいい動きをする。
グロールフィンデルの速さは変わっていないのに、
やすやすとレゴラスはそれを全部防ぐ。
が、相手がグロールフィンデルでは分が悪い。
レゴラスの一瞬の隙をついて拳を繰り出した時、

「!」

 ぱっと振り向いたスランドゥイルが、グロールフィンデルの拳を握った。

 そして、ムッとしたように反対側の手を出し、人差し指を弾いた。

 

 今・・・・グロールフィンデルに、でこピンをしなかったか?

 

 双子が凍りつく。

「おい、エルロンド! この狂犬をちゃんと繋いでおけ!」

 防がれたグロールフィンデルも、目を白黒させる。
(黒目じゃないので、この表現は間違っているが)
確かに、寸止めをするつもりだった。
が、それより一瞬早く拳をつかまれた。

 さすがレゴラスの父親、侮れない・・・。

「ごめんね、父さん。間に合わなかった」

 息を切らせてレゴラスが顔をゆがめる。

「いい。それだけ動ければ十分だ」

 父親の言葉に、にやーっと笑う。レゴラス、本当に父親が好きらしい。

 しばらく呆然としていたエルロヒアが、突然ぽんと手を叩いた。

「昼飯」

 エルラダンも慌てて賛同する。

「作ってくるわ。おじさん、食べていくだろう?」

 おじさん呼ばわりされたスランドゥイルは、ニヤーと笑う。

「いらん。何が楽しくて男どもと顔を突き合わせてメシを食わねばならんのだ」

「またそういうことを言う!」

 レゴラスが唇を尖らせる。
そんなすねた息子に、スランドゥイルは頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「これから打ち合わせだ。メシ食いながら仕事なんでな」

 何やら楽しそうな父親に、レゴラスは眉を寄せた。

「・・・・・もしかして・・・あの、女社長落としたの?」

「おう! ランチを誘うのに2ヶ月もかかったわ! 
おかげでこれから巨乳ランチだ!」

 双子は乾いた笑いを見せ、エルロンドはめいっぱい引きつる。

「あー・・・だから品物今持ってきたんだね? 
あわよくば、そのまま泊まりのつもりだったでしょう!」

「過去形にするな過去形に!」

 エルロンドがグロールフィンデルをちらりと見やる。
わりと本気の拳を簡単に防がれてしまったショックと、
下品な(巨乳ランチだと?!)言葉に、呆然としている。

「信じられないー! 後で邪魔しに行ってやる!」

「仕事だ! 仕事! 邪魔をするでない! お前はエルロンドにでも甘えていろ」

 それはそれで嬉しいのだが・・・・。エルロンドもレゴラスも、ちょっと頷く。

「レゴラス」

 正気に戻ったらしいグロールフィンデルが、
顔の上半分に影をつけてレゴラスを呼ぶ。

「はい?」

 無邪気に走り寄るレゴラスを、さっと両手で抱きすくめる。

「!!」

 エルロンドの額に、怒りマーク。

「父親の邪魔をしてはいけない。
暇なら、今夜私がいろいろ個人的にレッスンをしてやろう」

 エルロンドが口をぱくぱくさせる。レゴラスは、無邪気に笑った。

「えー? 何教えてくれるんですか? 楽しみだな!」

 本気で楽しそう。

 怒りマーク10個くらいつけたエルロンドが、何かを言い出す前に、
ずかずか歩み寄ってきたスランドゥイルが息子を取り返した。

「くぉら! ウチの大事な箱入り息子に触るんじゃない!」

 箱入り・・・・でないことだけは確かだが。

「女性を口説くのにお忙しいのでしょう?」

 狡猾な、ぞっとするようなグロールフィンデルの笑み。

「ほう? いつからそんな生意気なことを言うようになったのだ? 
ええ? 番犬のくせに!」

「番犬ですので、いつ噛み付くかわかりませんよ?」

 エルロンドとグロールフィンデルの陰湿な口論も恐ろしいが、
今のグロールフィンデルほど恐ろしいものはない! 
双子はびくびくと身を寄せ合う。

 ばちばちと花火が飛ぶにらみ合い。

「もう! やめてよ父さん! 
グロールフィンデルさんのこと、嫌いなの?」

 恐れを知らないレゴラスが、父親に膨れっ面を見せる。
そんなレゴラスを、グロールフィンデルはひょいと抱えあげ、
くるりと背を向けた。

「あー! わかった! わかったから返せ!」

 またくるりとグロールフィンデルが体の向きを変える。
再び息子を取り戻すと、スランドゥイルはレゴラスを開放した。

「ほら、レゴラス、お前は旦那のところに帰ってろ。
エルロンドが血管ぶち切れそうな顔をしている」

 ニコッと笑って、レゴラスはエルロンドのところに走っていった。
息子が後ろを向いた隙に、
スランドゥイルがグロールフィンデルのこめかみに軽くキスをする。

「本当に仕事なんだ。大人しくしてろ。あとで連絡する」

 早口に囁く。

 それから、エルロンドと双子に、スランドゥイルは手を振った。

「んじゃ、息子をよろしく。番犬のオモチャにさせんなよ!」

 そして、また生垣を乗り越えて出て行った。
(だから、門を使えっての!)

 

 エルロンドは、レゴラスを抱きすくめながら息子たちを見た。
双子は、何も見ていないというように、必死でぶんぶん頭を振る。
絶対に口外しないし!! 
当然だ、と、エルロンドは双子に厳しい視線を送った。

「もう、父さん大人気ないんだから!」

 エルロンドにキスをしてから、レゴラスはグロールフィンデルに振り返った。

「すまない。拳を防がれたのがショックで・・・私も大人気なかった」

 冷静さを必死で保ちながらグロールフィンデルが言う。

「あ、僕の基礎トレーニングは父さん仕込みなんで。
でもきっと、まぐれですよ」

 まぐれじゃない。
グロールフィンデルはスランドゥイルのすごさを知っている。
でもまあ、そんなことはどうでもいい。

「メシ、作ってくるよ」

 逃げるように去っていく双子。

「レゴラス、シャワー浴びてきなさい」

 エルロンドに優しく囁かれ、にっこりと笑ってレゴラスも家に入っていった。

 二人だけになると、エルロンドはグロールフィンデルをキッと睨んだ。

「二度と痴話喧嘩にレゴラスを巻き込むな。今度やったら、コロス!」

 エルロンドの睨みを真っ向から受け止め、グロールフィンデルはニヤリと笑った。

「安心してください。私はレゴラスには手を出しませんから」

 ああ? そうくるか? いい態度だ!

 エルロンドは、もしかしたら、
今のグロールフィンデルを操れるのは自分ではなく、
スランドゥイルだけなのかもしれないと思った。