冬のカラズラスを越える。 それが何を意味するのか、まったくわからないわけではない。 迫り来る雪山に、誰もが戦々恐々としていた。本当の恐ろしさを、まだ知らないにせよ。 足元がうっすらと白く色付いてくる。粉雪が、風に乗って舞いあがる。 高台に上ると、眼下の向うに小さな宿場町が見えた。 もうどれくらい、暖かなベッドで眠っていないだろう? 「山に入る前に、一晩くらい屋根のあるところで眠りたいな」 ピピンが呟くと、ガンダルフが鋭い視線を向けた。 「だめじゃ」 思いがけない激しい否定の言葉に、肩をすくめる。 前を歩いていたアラゴルンは、苦笑いをして見せた。 「ブリー村での一件を、忘れたわけじゃないだろう?」 町に入れば、足どりを掴まれやすくするし、もし襲撃を受けた場合、 町の者たちを巻添えにすることになる。 「だが、雪に埋もれる前に、焚火で暖を取ることくらいは許されるだろう?」 ボロミアは肩を落すピピンの頭をくしゃくしゃにしながら言った。 せめて、それくらい。 ガンダルフはアラゴルンとなにやら話合い、日の落ちぬうちに、 今日はゆっくり休むことに決めた。 雪の入り込まない岩屋を見つけ、一同はそこに一夜の宿を設えた。 ボロミアとサムが薪を拾いに行き、ギムリは寝やすいようにごろごろしている岩を片付け、 アラゴルンは周囲の見回りに行った。 フロドもギムリを手伝い、寒々とした土の上に毛布を広げる。 「こんな雪は初めてだよ」 メリーとピピンが、肩を並べて雪景色を眺める。 「今夜は凍えるかもな」 自分の腕を抱いて、ぞっと身を奮わせるふりをする。 すると、どこからともなく小さな雪玉が飛んできて、ピピンの額に命中した。 「うわっ」 驚いてしりもちをつく。メリーが岩屋の外を見回すと、そこにエルフが立っていた。 手には雪玉を持っている。 「食事ができるまで、体を温めてるといい」 そう言って、また雪玉を投げてくる。メリーはそれをひょいと避け、 雪景色の中に走り出していった。ピピンもそれに続く。 いつしか笑い声がこだまし、二人のホビットと一人のエルフは雪玉の投げあいを始めた。 やれやれという顔で、ガンダルフはそれを眺める。 「何をやっているんだ? ヒトが働いているときに」 薪を抱えて戻ってきたボロミアが、二人のホビットに叫ぶ。 とたん、ボロミアは雪玉の標的にされた。薪を岩屋の前に投げだし、ボロミアも参戦する。 散ばった薪をギムリは拾い集め、岩屋の中に運び入れた。 「何をやっているんだか、まったく。ガンダルフ、火をおこしてくれ。 わしは寒くてたまらん」 雪原の中、足をとられるでもなくエルフは走り回り、 ホビットと人間に大量の雪を降らせた。 そのうちサムとアラゴルンも戻ってきた。壮絶な雪合戦に、サムはにやりと笑い、 岩屋に入って食事の支度を始める。 そこでは、フロドとガンダルフが火をおこして待っていた。 アラゴルンはひとつ溜息をついて雪合戦に背を向ける。 その背中に、いくつもの雪玉が当った。振向くと、レゴラスがにっこりと笑っている。 雪をかぶっていないのは、彼だけだ。アラゴルンは雪をすくい上げ、 エルフに投げつけたが、それはやすやすとかわされてしまった。 「相変わらずコントロールがなっていませんね」 エルフの言葉に、ムッとしてまたいくつか雪玉を投げるが、 すべてひょいひょいとかわされてしまう。雪玉を避けながらレゴラスは新たな雪玉を作り、 アラゴルンに投げる。それはアラゴルンの胸に当って崩れた。 「ほら、今のが槍か弓矢だったら、あなたは死んでますよ」 アラゴルンは雪原に走りこんだ。我ながら大人気ないと思うが、 どうしても高飛車なエルフに一矢報いないと気がすまなかった。 ガンダルフはパイプをふかし、サムはシチューの鍋をかき回し、 そんなひとときの静寂の中、フロドははしゃぐホビットと人間とエルフを眺めた。 「誰が始めたんですか、あれ」 サムがフロドに尋ねると、フロドはおかしそうにクスリと笑った。 「レゴラスさんだよ」 「へえ? またメリーとピピンの悪ふざけが、みんなを巻きこんだのかと思った」 ガンダルフは煙を吐きだし、鼻で笑った。 「この近辺は、安全だということじゃろう。 サムよ、エルフがみんなああなわけではないぞ? レゴラスが変り者なんじゃ」 ふざけながらも、レゴラスやアラゴルンは頻繁に空を仰ぎ、周囲を見回し、 神経を張詰めていることにフロドは気付いていた。 ああやって仲間を和ませながら・・・あの二人は、いつ休んでいるのだろう? 不寝番のほとんどが、レゴラスとアラゴルンが行っている。時折ボロミアも。 不寝番でないときでさえ、レゴラスやアラゴルンは一番遅くまで起きていて、 一番早くに目覚めている。 日が傾いて、肌寒い風が身を刺す。 「食事にしましょう!」 サムが叫ぶと、メリーとピピンは、雪塗れになりながら真先に駆込んできた。 「ありがたい! 指は凍えるし、おなかはペコペコだよ!」 たぶん、宿屋に泊るのと同じくらい焚火とシチューの暖かさを堪能する。 同じく雪塗れのボロミアも、暖かな食事を楽しみ、 アラゴルンは食べながらもガンダルフとこれからのことを話しあっていた。 その和やかな雰囲気は、大きな町の一番高い宿屋でも味わえない、暖かなものだった。 「で、だれが勝ったんです?」 シチューのおかわりをみんなに回しながら、サムが聞く。 雪合戦参加者は、いっせいにレゴラスを指差した。一人だけ、まったく雪に濡れていない。 「エルフに勝とうなんて、思わないほうがいいですよ」 レゴラスは、ニッと笑った。 あれだけ走り回っても、エルフは息も切らせていないし、疲れもまったく見せていない。 そして、いつものようにレゴラスが不寝番をかってでた。 程よい疲れに、仲間はみんなすぐに眠りについた。 「フロド、お前も早く寝た方がいい。明日は峠を越える。 しばらくはゆっくり眠ることもできなくなる」 焚火に薪を足しながら、アラゴルンが言う。フロドははぜる炎を見つめ、 アラゴルンを見やった。 「レゴラスさんは、休まなくて大丈夫なんですか?」 おかしそうにアラゴルンが笑う。 「エルフのすごさは、これからもっと実感できるよ。 エルフってのは、歩きながらでも休むことができるからな。心配しなくていい」 体を横たえると、フロドにも睡魔が襲ってきた。うつらうつらしながら、 アラゴルンを見つめる。アラゴルンは、みんなが寝付いたのを見届けて、 ゆっくりと立ち上がり、岩屋を出て行った。 (どこに行くんだろう?) ぼんやりと考える。 (きっと・・・レゴラスさんと、交代するんだ) でなければ、きっと二人で雪を眺めるに違いない。 フロドは、あの二人の絆がぼんやりと見える気がした。 たぶん、自分にとってサムやメリーやピピンの存在がかけがいのない安らぎのように。