うつろいゆくものと、うつろわざるもの。

 変りゆくものと、変らないもの。

 世界には、そのふたつがある。

 人間は前者で、エルフは後者。

 エステルと呼ばれる少年は、いつしか自分だけが
この裂け谷で変っていくことを実感した。花は咲いては枯れ、
高い木々に芽吹く木の葉は、やがて色づき落ちる。

 そんな変りゆく季節の中で、自分だけが成長していく。

 

 めったに子供を産み増やさないエルフは、
その郷に子供の姿は皆無に等しい。
ましてや、エルフの時代が終りつつある昨今では。

 裂け谷で最も若いエルフは、主の子供たちであったが、
それでも彼らはもう何千年も生きている。

 エステルの身長が、若木より早く伸びていっても、
エルフたちには何の変化もない。

 それは不思議であり、

 孤独でもあった。

 エルフの目に、変りゆくものはどう映るのだろう?

 咲いては枯れる花も、芽吹いては落ちる木の葉も、
ただ同じ事のくり返しで、興味の対象にはなりえないのだろうか。

 人間の命など、ただ咲いては枯れる花と、同じにしか見えないのだろうか。

 やがて彼は成長し、運命のままに谷を出た。

 

 

「レゴラス、何をしている?」

 白い花の咲く草原で、そのエルフは座りこんでいた。

 アラゴルンは、たびたび谷に戻った。
それは、うつりゆく世界に疲れたときの、ひとときの休息であった。

 そして、谷はいつ来ても変りはなかった。

「花をね」

 黄金色の髪をしたエルフは、ふり向いて微笑む。

「編んでいたんだよ」

 

 初めて彼に会った時の、強い印象を忘れない。

 彼は、自分と同じ異邦者であったから。

 現存するエルフの郷は4つ。キアダンとエルロンドは古い知り合いであったし、
ケレボルンの娘はエルロンドの妻であった。
だから、その3つの郷の結びつきは強い。
アラゴルンも、幼い頃からそれらの使者をよく目にしていた。

 だが、残りのひとつは・・・。

「闇の森から使者が訪れることは、この三千年、初めてのことだ」

 最高顧問の一人、グロールフィンデルは、幼いエステルにそう教えてくれた。

 それが彼、闇の森スランドゥイルの息子、レゴラス。
緊張している従者をなだめる、最も若きエルフ。

 エルフは誰も美しい。もちろん、彼も。

 彼は王族の証の冠をつけていたが、
それは生きた花と見間違うほどの美しいものだった。
あとから知ったのだが、実際いくつか生花が添えられていたらしい。
そんなうつろいやすいものを身に付けることが、エステルには驚きだった。

 うつろいゆくものを愛するエルフ。
幼い人間の子供は、すぐにその変り者のエルフと仲良くなった。
その若きエルフは、エステルの些細な要求ものんでくれたし、
小さな悩みや孤独を、辛抱強く聞いてくれたから。
彼にとっても、うつろいゆく世界のすべてが、新しい発見であり、
興味の対象であったから。

「本当だね、どうして花はいっせいに咲くのだろう。
咲く時期を知っているのだろうか? 
みんな一緒に咲いて、散ってゆく。面白い発見だね、エステル」

 そんな小さな発見にも、彼は喜んでくれた。

 

 彼は唯一の、友達になった。 

 

 気がつくと、彼より自分の方が大きくなっていた。

 彼は、そんな自分の成長の一つ一つを発見し、己のことのように喜んだ。
これ以上、己は成長しないことを知っているのだ。

「花の冠?」

「そう。きれいでしょう?」

 子供のままの無邪気さを向ける。
今では、アラゴルンはそのエルフを幼くも思えていた。

 まるで、子供のまま成長を止めてしまったようだ。

「何にするんだ?」

 レゴラスは手招きしてアラゴルンを隣に座らせ、その戴きに冠を乗せた。
そして、おかしそうに笑う。

「似合わないね」

 アラゴルンもつられて笑い、冠を取ってレゴラスの頭に乗せる。

「似合うよ」

 彼の父も、花の冠を頭に乗せる。幾度か接見したことがある。
闇の森の王は、それが似合うし、また好んでもいた。
春には花を飾り、秋には色付く木の実を飾る。

 彼の父もまた、うつろいゆくものを愛でていた。
同時に、うつろわざる輝く宝石も。そんな二面性を、若き王子は受け注いでいる。

 アラゴルンは、冠となったやわらかな花びらに触れ、
その指でレゴラスの頬を撫でる。同じ滑らかさ。

「レゴラス・・・しよう」

 そっと口づけて囁く。

「今、ここで?」

「そうだ」

 くすくすと笑いながら、レゴラスも口づけを返す。

「こんなところで?」

 同じ質問を繰り返す彼に、アラゴルンはにやりと笑った。

「すぐすむから」

 シャツのすそから手を忍び込ませて、その素肌を撫でる。

 それ以上、彼は何も言わず、ただアラゴルンの欲望を受入れた。

 

 裸になってベッドで愛し合う。そんな接し方をしたことがない。

 ただ欲望のはけ口のように、彼を抱いた。ほとんどが、服さえも脱がず。

 それは、本来なら許されざる関係だから。

 そんな欲望さえ、なぜ受入れてくれるのか。

 望みのない愛情なのに?

 アラゴルンには、自ら望んだ婚約者がおり、
スランドゥイルの唯一の世継である彼が人間と肉体的に結ばれることなど、
王が許すはずもなかった。

 

「人間は、いつでもしたがるものなの?」

 レゴラスは、相手が人間であれエルフであれ、肉体の結合を許したことがなかった。
子孫を残す意思が、欠落しているためか。

「会うたびに求めてくるけど」

「誰にでも欲情するわけじゃない。お前だけさ」

 それは、本当だ。

 アラゴルンは、婚約者を愛してはいたが、姿を見ただけで欲情することはない。

「どうして?」

「さあ。俺にもわからない」

 幾重にも重なった服の布越しに、彼を強く抱しめて、進入を果す。

 背徳的な、快楽に身を落す。

 いつしかレゴラスの頭から花の冠は落ち、生きた花に囲まれて、その死を迎えた。

 

 余韻さえ残さず、乱れた服を整える。

 レゴラスは、しおれた花の冠を拾い、そっと唇を寄せた。

「摘んでしまった花は、すぐにしおれてしまう」

 まるで花の死をいたんでいるようなレゴラスの手から、アラゴルンは冠を取り上げた。

「レゴラス、なぜお前は、死にゆく運命のものを愛する? 花も、木も・・・人間も」

 それ以上花を摘むことはせず、レゴラスは生きた花の花弁を撫でた。

「なぜだろうね。いずれすぐに枯れてしまう花だからこそ、
その命の輝きに惹かれるんじゃないかな。
僕の生まれた森は、エルフの魔法がかかっていても、
花を枯れる運命から救い出すことはできないもの。
ロリアンのように、強い魔法はないから。
ほんの一時の命だから、その強さに惹かれるんじゃないかな。
花も、木も、人間も」

 どんなに愛したところで、永遠の別れはすぐにやってくる。

 だから、愛を口にしない。

 去る者より、残された者の方が、辛いから。

「永遠のものに心を囚われるのは、まだ先でいいよ。
僕はまだ、うつろいゆくものを愛することに疲れていない」

 花弁を指でもてあそびながら、アラゴルンに向けた笑顔に、陰りはない。

「ほんの一時、死にゆく運命の者から愛されることに、幸福を感じるんだよ。
秋には枯れてしまう花に囲まれたり、冬には落ちてしまう木の葉と戯れることに、
幸せを感じるようにね。それは、いけないことだと思うかい?」

 そっと手を伸ばし、アラゴルンの髪に触れる。

「あなたの成長を見ているのは、楽しい。年老いてゆく姿さえ、
きっと僕は愛せる。あなたが命を終えたとき、
僕は永遠のものに目を向けるかもしれないけど
・・・今はうつろいゆくあなたを愛しているよ」

 だから、あなたをもっと教えて。

 どんな些細なことでも。

「レゴラス・・・」

 それは、自分の知らない愛し方。

 永遠に生きる、エルフだからこそ。

「アラゴルン、さあ、話して聞かせて。
離れている間、あなたが見て聞いたことを。
あなたが経験したこと。今、考えていることも」

 知ることに、喜びを感じる。

 その対象が、エルロンドのように過去の事象や世界の動向でないだけ。

「俺は、お前に救われている」

 アラゴルンは、うつろわざるエルフを、その腕に抱いた。

 

 うつろいゆくものは、喜び。

 うつろわざるものは、安らぎ。

 お互い持たざるものを、求めるのは摂理。

 

 今、この一時がすべて。

 

 やがて時代の波にのみ込まれても、

 ふたつの心を引裂くことは、できないだろう。

 






この話は、ユウホ様からいただいたイラストからイメージして書きました。
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