高い樹の上で、レゴラスはひとり物思いに耽る。
 まだ、何かを忘れている気がする。
 運命と呼ぶべきか。
 誰かに、呼ばれているような。



 レゴラスは馬を駆り、イムラドリス「最後の憩いの館」にたどり着いた。
 王にだけ行き先を告げ、供も連れず。

 スランドゥイルは、やはり引き止めたが、レゴラスの決心は揺るがなかった。
レゴラスの瞳の奥に、そうすべき運命の光を見出したのだ。
(苦難の道ぞ)
 スランドゥイルは、ギル=ガラドの保護を断り、旅立った、オロフェアを思い出す。
 最愛の息子もまた、苦難の道を歩もうとしている。
(この愛は、揺るぐ事はない)
 たとえ、どんな逆境に立たされようと。
ダゴルラドへ旅立つオロフェアの背は、そう語った。
(スランドゥイル、愛しているから、旅立つのだ)
 
「待っていたよ」
 出迎えたのは、エルロヒアとエルラダンの二人だった。

 レゴラスは、館の者に素性を告げることなく、二人の私室に通された。
「公務ではないのだろう?」
 エルロヒアの言葉に、頷く。
「なら、流浪のシルヴァンということにしておいた方がいい。
俺たちにとっても、父にとっても」
 そうだろう。
国交のないスランドゥイルの王国の王子が、
個人的理由でイムラドリスに出入りするのは、問題になる。
「公然の秘密、ってやつだな。グロールフィンデルはきみの素性を知っている。
でも逆に、グロールフィンデルが知っていて公言しないという事は、
きみは安全と言うことだ。
グロールフィンデルは、エルロンドの不利益なる事はしないからね」
「ワインでも、飲むかい?」
 繊細なグラスに注がれた、真紅の液体を差し出される。
「毒も睡眠薬も入っていない」
 レゴラスは苦笑し、グラスを受け取った。
「思い出した?」
 グラスに口をつけるレゴラスに、エルラダンが問う。レゴラスは頷く。
「きみが再びここを訪れたのは、俺たちを非難するため……かな?」
 軽い口調で言うが、目は笑っていない。
「覚悟はできてる」
 エルラダンの言葉に、レゴラスはしばし考え、ワインを飲み干す。
「僕は、もう、子供ではありません」
 空のグラスを弄びながら、そう言う。
エルロヒアは、レゴラスのグラスにワインを注いだ。
それもまた、一気に飲み干す。
「行為の意味は、理解しているつもりです。
………いいえ、理解できない、と言う方が正しいかも。
体を交えるのは、愛し合う者がすべき事」
 双子はくすくすと笑い、またワインを注ぎ足す。
「そうだな。きみたちにとっては、そうかもしれない。
でも俺たちにとっては、違う。
もう、そういった愛情は、ここにはないんだよ」
 レゴラスは首を傾げる。
「自虐的な、喜び?」
「そう。ちゃんと覚えているんだね。心の闇を鎮めるための、残酷な癒し。
そういう交わり方しか、できない」
「愛している者は、いないのですか」
「今、俺たちの中にあるのは、復讐だけ。オークに対する、憎しみだけ。
だけど、それだけでは、闇に落ちてしまう。
世界の均衡を保つという大義名分だけが、かろうじて理性を保たせる。
時折、誰かと交わり、一瞬の安らぎを得る。それは、誰だってかまわない。
今回は、たまたまそれが、父が略奪してきたシルヴァンだった、ってことだけ」
「怒っている?」
 きみは、俺たちを非難するだろう、そう二人の目の色は語る。
それは、あまりに哀しい。
「僕には、よくわかりません。なぜ、喜びを見出せないのか。
肉体を交える事でしか癒しが得られないことも」
「きみは、愛されているんだね」
「あなたたちは、愛されていないのですか」
 苦笑しながら、エルラダンとエルロヒアは、ワインを酌み交わした。
「父の愛は、歪んでしまった。
俺たちが憎しみに生きることを止められなかったことを、悔いている。
でもそれは、仕方がないことなんだ。どうしようもない。
復讐という気力で肉体をつなぎとめておかなかったら、
俺たちはもう、肉体を捨てていただろう。
だからせめて、俺たちも、父も、妹だけはと思い、妹を手放した。
妹は、ロリアンにいる」
「妹君と愛しておられるのなら、何故そこに喜びを見出さないのですか」
「きみは………」
 エルロヒアは、レゴラスの頬に触れた。
「きみほど純粋なシルヴァンは、会った事がない。
きみは、本当に愛されているんだね。
どうしたら、この夕暮れの時代に、そんなに真っ直ぐに愛を信じられるのだろう。
………だから、妹、アルウェンとは、一緒に暮らせないんだ。
アルウェンも、きみのように愛を信じている。
それは神聖なものだけど、遠い存在となってしまった妹は、
それだけでは、俺たちの憎しみを止められないんだよ」
 レゴラスの唇に、そっと口づける。
レゴラスは、真っ直ぐにエルロヒアを見つめている。
「もう一度、俺たちと繋がらないか? もう、強制はしないけど」
 レゴラスの唇が、
「いいですよ」
 と動く。
「繋がった時の体の感覚は、覚えていないんです。もう一度、確かめてみたい」
 真面目な顔で言う。
 エルロヒアはレゴラスの手を引いて立たせ、ベッドに導いた。



 レゴラスは、ぼんやりとベッドに横たわっていた。
「肉体の快楽は得られなかったようだね」
 エルラダンは、服を身につけながら、苦笑する。
 二人に代わる代わる抱かれ、繋がり、
二人の快楽の後を体に残しながらも、レゴラスは高ぶりを見せなかった。
「森で………歌っている方が、ずっといい」
 つまらなそうに体を起こす。
「きみの愛は、揺るがないんだ」
 そう言うエルロヒアの目は、哀しそうだ。
 自分が亡くしてしまったものが、そこにあり、もう二度と、手にする事はできない。
 レゴラスは手を伸ばし、エルロヒアの首筋に触れ、引き寄せてキスをした。

 服を身につけ、髪を整える。
「そろそろきみを、館主のところに連れて行こう」
「もう、父もきみの来訪を耳にしているだろうから、あまり遅れると機嫌を損ねる」
「レゴラス、父に会うのは、怖くないかい?」
 意識に繋がる事で、エルラダンとエルロヒアは、レゴラスに愛着を抱くようになっていた。
 レゴラスがまた、不思議そうな顔をする。
「怖い? なぜ?」
「きみを拉致し、強姦した」
 言葉の意味がわからないように、レゴラスは目を瞬かせる。双子はため息をつく。
「レゴラス、父はきみを犯した。会えば、またきみを傷つけるかもしれない」
 レゴラスは二人を交互に見て、首を傾げる。しばらくそうしてから、首を横に振った。
「僕の目的は、世界の情勢を知ること。この館の秘密を知ること。
僕の体で快楽を得る事で、僕に知りたい情報を教えてもらえるのなら、
それはかまいません。
でも」
「でも?」
「エルロンド卿の真意は、僕の中にはない」
 レゴラスは、一度目を伏せ、
「エルロンド卿のところに、案内してください」
 決意を込めて言った。