はなれ山に向かう途中、 スランドゥイルの一行はエスガロスからの救援の要請を受けた。 すぐに進軍の向きを変える。 「宮殿に伝令を出せ。 ありったけの食料と燃料をかき集めろ。 食料は川を使って運べ。燃料は」 一呼吸おき、 「王子に持って来させろ。 兵士でない者も連れて来い。女たちも役立つだろう」 そう指示を出す。 伝令は、宮殿に走り戻った。 闇の森のエルフたちは、怠惰だと言われる。 畑を作ることもせず、金を掘るわけでもない。 ただ、毎日歌って遊んでいる。 だが、彼らの行動は早かった。 要請を受けてすぐ、王宮中の食料や燃料、薬草の類を、 驚くべき速さでエスガロスに運んだ。 疲れを知らないエルフは、途中で休憩を取る事もなく、 重い荷物を素早く運ぶ。 そして、焼け落ちた町に着くと、すぐに食べ物を分け与え、 火をおこし、森の木を切り倒して避難所を作った。 そこには、「怠惰」とう言葉は微塵も見られなかった。 レゴラスは他の者たちと働きながら、 町の中央で威厳ある男と話しこんでいるスランドゥイル王を見つけた。 王の腕には、幼い子どもが抱かれている。 焼け出されたのだろう、体中すすと泥で汚れ、泣きじゃくっている。 そして、すすと泥と涙で汚れた手で、 しっかりと王の銀の衣を掴んでいる。 王は優しく子どもを抱きかかえたまま、男と相談しながら周囲に気を配り、 どこに小屋を建てるか、食料をどのように分配するか、指示を出していた。 「ドワーフどもは」 まだ若く生気溢れるその男は、 興奮冷めやらぬ様子でエルフ王に話しかける。 「財宝をもたらすと言うので、 エスガロスの住民は彼らを歓迎し、食べ物を分け与えた。 その結果がこれだ。 ドワーフどもは死んでしまったかもしれないが、 町の人々の怒りは収まらない。 ドラゴンが死んだ今、ドラゴンの財宝は、我らがもらうべきだ」 王は幼子の髪を撫でながら、真剣に聞き入っている。 「それで、町の皆の気が済むのか」 「そうだ。せめてそれくらいの希望を持っても良いだろう?」 王は、少し考え込むように、腕の中の幼子に顔を寄せる。 「…スマウグの死の知らせは、四方八方にもたらされている。 くろがね山のドワーフも、財宝の所有権を主張するだろう。 それでも、財宝は必要か」 「町を再建するために、必要な経費だ」 泣きつかれた幼子は、王の胸に顔を着け、寝息を立て始める。 「ご尽力を願いたい。森のエルフ王よ」 スランドゥイルは、その男をしっかりと見据える。 その男も、怯まずに見つめ返す。 「わかった。バルド殿。だが、これだけは約束してくれ。 何があっても、先に剣を抜いてはならない」 男は不審気に眉を寄せる。だがすぐに、 「わかった」 と頷いた。 「レゴラス!」 突然名を呼ばれ、離れた所で見ていたレゴラスは、慌てて駆け寄った。 「子どもを女たちが避難している場所に連れて行け。 両親を亡くした子だ」 泣き疲れて眠る子どもを受け取る。 王は、幼子の額にそっと口づけ、 「目覚めた時には、きっと笑える」 そう囁いた。 王の魔法だ、とレゴラスは思った。 スランドゥイルは強い魔法を有してはいない。 それは、人を眠らせるもの。悪しき心の持ち主には悪しき夢を、 良き心の持ち主には良き夢を。 慰めの必要なものには安らぎを。 レゴラスは軽く頭を下げ、子どもを安らげる場所へ連れて行った。 体の疲労を感じるわけではない。 が、一息ついて、避難所を見渡す。 森のエルフたちは、貴族と呼ばれる強い戦士でもあるシンダールの者も含め、 よく働いている。 おかげで、焼け出された町の人々は、 食べるものと寝る場所を得て、落ち着きを取り戻し始めている。 「父は」 レゴラスは、王の指示通りに森のエルフたちを動かしている、 王の側近の隣に立って、語りかけた。 「王は、こうなる事を予想していた」 「危惧しておられました」 「兵を集め、エレボールに向かうのは、 人間とドワーフの争いを止めるため?」 側近の男はレゴラスを軽蔑するように見下ろす。 「…そんなことも、わからなかったのですか」 レゴラスは、ぎゅっと唇を結んだ。 「あなたは、求めるばかりで真実を見ようとしない。 王の本当のお姿を、見たことがおありですか? 壮健なるドリアスの大宮殿で過ごしていた我らシンダールの生き残りが、 闇の森で生きる理由を。 なぜ、スランドゥイル王に忠誠を誓うのかを」 「…王を、愛していますか」 「愛しております。 われらは皆、スランドゥイル王を心より愛しております」 レゴラスは、 急に世界が開けた気がした。 父を、 王を、 愛している。 心から、愛している。 「王を、守りたい」 レゴラスの言葉に、王の側近は、微笑んだ。 「王の、力になりたいんだ。どうしたら、いい?」 「ご自分で考えなさい。レゴラス王子」 レゴラスは頷くと、エスガロスの避難民のために働き出した。 エスガロスの者たちは、仮住まいであっても、 とりあえずの寝場所を得た。 死者たちを葬り、怪我人には治療が与えられる。 混乱が過ぎた後は、町の統治はエスガロスの頭領の手に戻された。 そして、バルドと人間の兵士、そしてエルフの軍勢は、 再びはなれ山に向かう事となった。 「父上、私も行きます」 レゴラスの進言に、スランドゥイルは諦めのため息を漏らす。 「ダメだと言っても、付いて来るのであろうな」 レゴラスは真剣に頷いた。 「では、後方の弓矢隊の指揮を取れ」 「はい」 王の指示を、素直に受ける。 「進軍の用意をしろ」 王に敬礼をし、去っていく。 「ひとつ、大人になりましたな」 王の側近はニヤリと笑って見せる。 「まだ子どもだ」 スランドゥイルは吐き捨てるように呟いた。