ドワーフたちが、どうやって逃げ出したのか。
牢の鍵はかかったままだし、
13人ものドワーフが逃げ出す姿を見た者は、一人もいない。
 まるで、魔法でも使ったかのようだ。
「不思議な事もあるものです」
 玉座で腕を組んで考えるスランドゥイルに、側近が声をかける。
 総出で王宮中を探したが、その痕跡さえなかった。
 不思議な事といえば、
食堂や調理場で食料がなくなることがしばしばあったらしい。
 それと、今回のドワーフが消えた事件と、
何か関係があるのかはわからないが。
「………ドワーフたちは、ちゃんと食っていたか」
「? はい、それはもう、十分に」
 組んでいた腕を解いて、スランドゥイルはため息をついた。
「ならばよい。
どんな魔法で消えたにせよ、当分は餓死する事もあるまい」
 一瞬の間をおき、側近はクスリと笑みを漏らした。
「ドワーフの腹の心配をなさるなら、
牢になど閉じ込めなければ良かったものを」
「ドワーフ族とは折り合いが悪いのだ。客人扱いなどできるか」
 それもそうですね。側近は肩をすくめて見せた。

 自室の窓辺に一人座り、スランドゥイルは考えに耽っていた。
 ドワーフの目的。
 ドワーフがこんなところをうろつく目的など、一つしかなかろう。
 エレボール。
 はなれ山。
 ドラゴン・スマウグの住処。
 エレボールの財宝は、それはすばらしいものだった。
一度謁見したのだから、間違いはない。
 数々の財宝と、
「アーケン石」
 ドワーフの王の玉座に飾られた、あの至玉。
 身震いするほど、美しい。
 思い出しただけでも、ぞっとする。
「………シルマリル…」
 己の言葉に吐き気を覚え、スランドゥイルは片手で口を覆ってうずくまった。
 一つの壮健な王国を、いとも簡単に崩壊させてしまった、宝玉。
 あんなもの、いつまでもドラゴンに抱かせておけば良い。
 トーリンと言う、あのドワーフの族長の、あの強く鋭い目。
 再び、あれを求めてはならぬのだ。
 言葉をいくら重ねても無駄だろう。
あきらめろと、言えば言うだけ執着は強くなるものだ。
 冷たい地下牢で、頭を冷やせばよかったのに。
エレボールは、あれでよかったのだ。
 失ったものを求めず、なぜこれから手に入るものに満足しようとしないのか。
 ガンダルフは、何を考えている?
 イムラドリスの王は、このことを知っているのか? 知っていて、許したのか?
 ドワーフたちがドラゴンを挑発したら、
 今度は………エスガロスの町まで襲われるかも知れない。
 武器を手にする事は出来るが、ドラゴン相手では、犠牲が余りに大きい。
 己の国民を守るためには、
 戦をするわけにはいかぬのだ。
 卑怯者と呼ばれても、臆病者と蔑まれても。
 ドリアスのメネグロスの崩壊、そして、3千年前の敗北。
永遠に続くと思われた安住の地を追われ、信頼し、敬愛していた父王を失い、
 それでもここに、
 喜びを見出す。
 それが、父との約束であった。
 ここで。
 森のシルヴァンたちと
 ヴァラールの恵みに感謝し。
 ここを
 失ってはならぬのだ。
 ここで生まれ、優しいシルヴァンの血を引いた息子には、
 あの心を犯す闇を、見せてはならないのだ。
 ああ、
 失った宝石を求めてはならない。
 シルマリルのためにシンダールの王を殺し、自らも破滅に陥った、
あのドワーフたちと、同じ道を歩んではならない。

「父上」
 ぐるぐると、
目眩がするほどの暗い思いに頭を抱えていたスランドゥイルは、
その声に、ハッと顔を上げた。
「どうされたのですか、父上」
 部屋の入り口に、レゴラスが立っている。
瞬間、息子を睨み、すぐに窓の外に顔を向ける。
「何をしに戻ってきた?」
 冷たく言い放つ。
「鳥たちが……」
 レゴラスの声は不安げだ。
「様子がおかしいのです。落ち着かなくて。何か、あったのですか?」
 窓の外を見つめたまま、スランドゥイルは応えない。
「父上……ドワーフを捕らえたと聞きましたが……」
 表情を見せないように気を配りながら、
スランドゥイルは奥歯を噛みしめる。
「どうして、なにも教えてくださらないのですか」
 同じ言葉を、強い口調で言う時もあったが、
今のレゴラスは不安げで、哀しげな色も見せる。
「お前には関係のないことだ。
これからしばらく、王宮を出ることを禁じる。
私が許可を出すまで、王宮を一歩も出ることは許さない」
 何か反論したげなレゴラスの息遣いが聞こえる。
そして、諦めたようにレゴラスは王の部屋を出て行った。
「………」
 足音が遠ざかっていくと、スランドゥイルは肩の力を抜いた。
 本当は、
 先ほど、レゴラスが声をかけてきたとき、どんなに安堵したか。
暗い闇の中でもがいていたのが、ふわりと暖かな光で救い上げられた。
両腕で包み込みたい衝動を、歯を食いしばって耐えた。
 
 守りたい。
 この森を、
 国民を、
 そして、息子を、
 守りたい。
 願いは、それだけだ。