キアダンの名で書かれた書状を、オロフェアは受け取った。
持ってきたのは、ファラスリムで、オロフェアは見覚えがあった。
「書状は確かに受け取ったと、キアダン殿にお伝え願う」
「お返事は、いただけないのですか」
 旅装束ではあるものの、その使者は水夫独特の髪の結い方をしている。
その姿を、懐かしいとも思う。オロフェア王の隣りにスランドゥイルは立ち,
ファラスリムを目を細めて眺めた。使者はスランドゥイルをちらりと見て、懐かしさに顔をゆがめる。
だが、声をかけることはできない。オロフェアやスランドゥイルを知っているということは、
彼らの受けた苦しみを、知っているということなのだ。
 スランドゥイルもまた、口を開くことはない。
「ノルドールの傘下に入るつもりはない、とだけ」
 ファラスリムは打ちひしがれたように肩を落とし、オロフェアの王宮をあとにした。 
 王宮から森に入るところで、追いかけてきたスランドゥイルに呼び止められる。
「スランドゥイル殿!」
 スランドゥイルはファラスリムの使者に、ワインの小瓶を手渡した。
「帰路に喉を潤してください」
「ありがとうございます、スランドゥイル殿」
「キアダン殿に、お伝えください。いつかまた、お会いしたいと。
私の森に是非いらしてください、あなたを歓迎します、と」
「わかりました。必ず」
 ファラスリムを見送ったあと、スランドゥイルはオロフェアの書斎を訪れた。
オロフェアは机の前に書状を広げ、指を組んでじっとそれを見つめている。
「オロフェア王……父上」
 スランドゥイルはオロフェアの隣に立ち、その書状を見る。
それには、今後の作戦がびっしりと書き込まれていた。挨拶文は一切ない。
作戦の内容だけ。
 キアダンの字ではない。
 スランドゥイルは書状を手に取り、じっくりと、隅から隅までを読んだ。

 日が落ち、夜が訪れ、それさえまた更けていく。
 スランドゥイルは書状をオロフェアの手元に戻した。
「……どうなさるおつもりですか」
 ふう、とオロフェアがため息をつく。まるで、疲れきった老人のように。
「父上、ワインでも持ってまいりましょう。少しお休みになられた方が」
 慌ててスランドゥイルが出て行こうとする。
「よい、スランドゥイル、ここに来なさい」
 胸をざわつかせながら、スランドゥイルはオロフェアの前に立った。
「戦況はわかっているな」
「はい」
「サウロンの力は増しており、それを無視することはできぬ。
奴を倒さねば、すぐにでも我等の森も焼き払われるであろう。
奴を倒さねば、我らに平穏はないのだ。そして、奴は強大で、我らは対抗する手段を持たぬ」
「……戦いの準備を」
「そうだ。これは、避けられぬ戦いだ」
 手元を凝視しながら話していたオロフェアは、顔をあげてスランドゥイルを見た。
「すぐに会議を招集しなさい。戦いの時が来た。これは我等の戦いであり、ノルドールのものではない。
ノルドールとは手を組まない」
 スランドゥイルは、わずかに目を見開いた。
「ノルドールの先手を打ってモルドールに攻め込む」
「………………それでは…」
 勝ち目はない。
 オロフェアは立ち上がると、息子の頬に触れた。
「よいな、スランドゥイル」
「父上……」
 オロフェアはスランドゥイルの顔を引き寄せ、耳元に囁きた。
「!!!」
 スランドゥイルは驚きに言葉を失った。呆然とするスランドゥイルに、驚く事に、オロフェアは微笑みかけた。
「会議の招集だ、スランドゥイル」
 オロフェアは書斎を出て行った。



 我らは先陣を切る

 何故ですか? そんなことをすれば、我らは全滅も必至

 ノルドールと手を組むくらいなら、我らシンダールは戦場で打死する方を選ぶ

 それは……そうですが

 ギル=ガラドに、道を作る

 ………!!



 あの日、あの雨の日、ギル=ガラドはひとりオロフェアを訪ねた。
そして、重苦しい王というマントの下から、黒く光る瞳でオロフェアを見上げ、オロフェアの真意を尋ねてきた。
 ギル=ガラドからのこの書状は、まさに同じものだ。
(あなたなら、どうする)
(あなたは、どうしたい)
 その答えをギル=ガラドは聞かない。聞く必要はない。
 話し合いなど、必要ない。
 もし、行動を共にするなら、書かれた地点で合流すればいい。
 逃げたいなら、期日までに逃げればいい。
「戦況は以上。この作戦に異論がある者は?」
 会議を進めるスランドゥイルに、ロリアンから会議に参加していた者が手を挙げる。
「戦い慣れておらぬ若者は置いてゆくべきでは」
 それは、スランドゥイルのことを指しているのか。
会議参加者たちの視線がスランドゥイルに集まる。
「我らは誰も戦い慣れてなどおりませぬ。負ければ森は滅びる。
戦場に出ようと出まいと、選択肢はないのです。
武器を取れる全ての者が戦場に出る、それが最善の策と思われます」
 そして、オロフェア王の意見を請うように、王を見る。
 それまで静かに会議を見守っていたオロフェアは、ゆっくりと口を開いた。
「これは、我らにとって、最初で最後の戦争になる。
我らは、黙って滅ぼされるのを待ったりはしない。
シンダールの、シルヴァンの、力を、今こそ見せつける時だ。我らは打って出る」
 おお、と歓喜の声が上がる。
 これを、最初で最後の戦としよう。
 スランドゥイルは、胸の中で決意を固めた。



 進軍するギル=ガラドたち同盟軍のために、道を作る。
それは、ギル=ガラドの本意ではないだろう。共に戦うことを望んでいるだろう。
だが、シンダールがノルドールと決して手を組まない事も、理解しているだろう。
 緑森がこの第二紀と呼ばれる三千年以上もの間、
他のエルフ(ノルドールたち)からの干渉を受けずに来られたのは、
ギル=ガラドの采配があっての事だとも、また理解している。
 だから、共に戦うことはなくとも、ギル=ガラドの作戦に従うのだ。



「父上、王を、私はこの命を懸けて守ります」
 スランドゥイルの言葉に、オロフェアは複雑に唇を吊り上げる。
そして、息子の肩を一度強く掴み、頷いて、背を向けた。

 お前を、死なせはしない。