研がれた真剣を交わす。
 それでも、エレイニオンが槍を使わないのは、ハンデだ。
あらゆる武器を使いこなせるよう訓練されているとはいえ、
やはり一番使いやすいのは、愛槍なのだから。
「遠慮はいらない。もっと本気で踏み込んでおいで」
 そう言ってみせる。スランドゥイルには、まだ躊躇がある。それでは、戦場では勝てない。
 スランドゥイルの真剣な眼差しは魅力的だ。
真っ直ぐに向けられた瞳の照準が、自分を捕らえている。
 興奮する。
 もし自分に隙があったとしたら、スランドゥイルの瞳に見惚れていたせいだろう。
いや、隙などなかったかもしれない。スランドゥイルが腕を上げただけ。
ハッとしたときには、スランドゥイルの剣が上腕をかすめていた。
痛みなどまったく感じないが、刃に服が切れ、数滴の鮮血が飛び散った。
「………!」
 驚いたのは、スランドゥイルの方だった。
目が見開かれ、エレイニオンの血の雫に心を持っていかれる。驚きに開かれた唇が、わずかに震える。
「す…すまない!」
 まるで極悪な罪を犯してしまったかのように青ざめる。
「あやまるな」
 エレイニオンは、己の剣を強く握り直した。
「謝るなぁ!」
 血が滾る。興奮する。スランドゥイルの懐に飛び込み、切りかかる。
スランドゥイルは切先を防ぐのが精一杯で、後ずさっていく。
「!」
 砂に足を取られたスランドゥイルが、仰向けに倒れる。
エレイニオンは剣を振り上げ、馬乗りになって顔をめがけて剣を突き立てた。
 その切先はスランドゥイルの頬をかすめ、こめかみの辺りに一文字の傷を作る。
そこから、輝く宝石のような赤い液体が溢れ零れる。
「………」
 スランドゥイルは目を見開いたまま、エレイニオンを見上げている。
エレイニオンは、捕らえた獲物にかぶりつくように、スランドゥイルの血を舐めた。
「エレイニオン……!」
 怯えたような声をあげ、スランドゥイルは必死にエレイニオンを押し戻そうとするが、
その屈強な体はびくともしない。心臓が高鳴り、スランドゥイルは歯を食いしばって目を閉じた。

「エレイニオン!!」

 背後からの、叱咤するような厳しい声色に、エレイニオンは我に返った。
 びくりと体を震わせ、振り向く。
 少し離れたところに、キアダンが立っていた。
「………キアダン…?」
 ゆっくりと体を起こして立ち上がる。
束縛から解放されたスランドゥイルは、安堵のため息をついていた。
「エレイニオン、話がある」
 立ち上がったエレイニオンは、スランドゥイルを見下ろし、
「家に戻って怪我の手当てをしていなさい」
 力なくそう言って、キアダンに歩み寄っていった。

 キアダンは厳しい視線でエレイニオンを一瞥しただけで、先ほどの件に関しては何も言わなかった。
興奮が冷め、エレイニオンは肩を落とす。理性を失わせた事を恥じる。
「キアダン、ありがとう。自分でもあんなことをするなんて………」
 つい言い訳が口をつく。キアダンに止められなければ、
自分は本当にスランドゥイルを殺していたかもしれない。
憎しみではなく、愛しさから。
自分のものにならないとわかっているから、その全てを食らいつくしたいと、本能が求めている。
それは、恥ずべき行為だ。求めるものを手に入れるためなら手段を選ばない、ノルドールの血が騒ぐ。
そんな己のたぎる血筋を、嫌悪する。
「トゥオル殿の船が出来上がった」
 キアダンの言葉は、意外なもので、エレイニオンを一個人から王の位を持つ者へ引き戻した。
「トゥオル殿の…?」
 キアダンは頷く。エレイニオンは眉を寄せる。
「それで、トゥオル殿は何て?」
「すぐにでも出港したいそうだ」
 エレイニオンは腕を組み、考えをめぐらせた。
「うむ………」
 小さく唸る。
「心配かね?」
「そうだな、いや、トゥオル殿の心配ではない。
トゥオル殿はかの地へ赴くだけの功績があり、何よりウルモに愛されている。
キアダンの船だ。沈むことなくかの地へたどり着けるだろう。
私が心配しているのは、トゥオル殿が旅立ったことで、
エアレンディル殿の海への憧れが強まらないかという事だ」
「エアレンディルの、海への憧れ、か」
「そうだ」
 エレイニオンは遥かな海を眺める。
「エアレンディル殿は以前、海への憧れを話していた。今は妻子持つ身だ。
妻子への愛情からそれを押さえてはいるが、トゥオル殿が海に出たとなれば、
憧れの気持ちも否応無く高まるだろう」
 キアダンも、エレイニオンの視線の先、水平線に目をやる。
「モルゴスはゴンドリンを落としたことで活気付いている。
今はまだこの辺一帯は無事だが、いつ包囲されてもおかしくはない。
そして、わしらは完全にそれを打ち負かすほどの抵抗力を持たぬ。
…ギル=ガラド王」
「諦めはせぬ」
 エレイニオンは、キアダンを見た。その表情は、王のものだ。
「だが、キアダン、トゥオル殿の出港は祝おう。その後、会議を招集する。
もし、最後の決戦となるなら、マエズロス殿にも協力を仰がねばならぬであろうが」
 言葉を詰まらせ、数秒押し黙る。
「いや、もう少し時間が欲しい。明日にでも、トゥオル殿は港を出るといい。
私もこれから宮へ行く。見送りは、私たちと、エアレンディル殿だけで」
「御意」
「それから、スランドゥイルの傷を見てやってくれ」
「一旦家に戻らないので?」
「一刻も早くトゥオル殿と話がしたい」
 キアダンは一瞬引きつったような笑みを唇につくり、すぐにエレイニオンの家に向かった。



 エアレンディルとトゥオル、イドリル親子は、長い間話し込んでいた。
それは一昼夜にも及んだが、ついにトゥオルはイドリルの手を取って立ち上がった。
 エレイニオンは、ただじっとトゥオルの旅立ちを待っていた。
トゥオルとイドリルは、ギル=ガラド王とキアダンの手を取り、深く礼を述べ、
そして、「海の翼」に乗り、日没の方向、遥か西へ向けて旅立った。