やわらかな、風が火照った体を冷やしていく。

 

 体温の低い彼の膝に頭を預けて、
アラゴルンはぼんやりと空を見上げていた。

 日は暮れ、ひとつ、ふたつ、星が輝きだす。

 

「秋に染まる木の葉を、美しいと思わない?」

 それまで何かの歌を口ずさんでいたレゴラスが、
そんな言葉を出す。

「赤や黄色に染まって・・・。
それは、木の葉が年老いて死んでいく、その一瞬手前。
ひらひらと舞い落ちる木の葉も、僕は美しいと思う。

 ねえ、このアルダは、森のようなものだと思わない? 
いろんな樹が生えているんだよ。種族という、いろんな樹木が。
若葉が育ち、緑濃く染まり、樹木に栄養を与え、そして色付き落ちていく。
でも、そのあとまた、新しい若葉が生まれる。
何百年も何千年も、繰り返される。同じ葉はひとつとしてない。
古い木の葉が落ちなければ、新しい命は生まれない。
かの冥王は、森の樹木を枯らそうとしている。
一本の樹もない森を、手に入れようとしている」

「エルフは・・・紅葉することもない」

 力ない呟きに、ふとレゴラスは笑う。

「そんな樹もあるよ。常緑樹、だね。
たしかに、見た目はずっと変わらない。
でも、やっぱり落葉樹と同じだよ。
いつしか役目を終えた葉は、落ちて帰っていくんだ。
人間とは、別の場所だけど。
そして、エルフという樹は、もう朽ちかけている。
すべての葉を落とすまで、そう長くはない。
そして二度と、芽吹かない」

 レゴラスの膝の上で、アラゴルンは腕を伸ばしてその頬に触れる。

「・・・・・お前の名は・・・・緑の葉、だったな」

 無骨な指に撫でられ、レゴラスは微笑む。

「僕は、もう行くよ」

 アラゴルンはレゴラスの膝から頭を上げた。

「・・・・朝まで、一緒にいてはくれないのか?」

 アラゴルンが退くと、
レゴラスは乱れた服を整えて、頭を横に振った。

「朝まで一緒にいたら、
僕は偽りの森に君を閉じ込めてしまうかもしれないから」

 愛している、と。

 アラゴルンも立ち上がり、自分の服を整えた。

「アルウェンは、幸せなのだと思う。
この愛すべきミドルアースで、命を終えることができて。
僕らはやがて、海を渡る。
永遠が幸福だなんて、僕にはまだわからない」

 アラゴルンの髪を撫で、その瞼にキスをする。

 それから、くるりと向きを変えると、
指を口に当てて口笛を吹いた。
丘陵の向こうから、レゴラスの白い馬が駆けて来る。
ひらりと馬に飛び乗ると、レゴラスはまた微笑みだけを見せ、
何も言わずに駆けて行った。

 まるで、ちょっと席を外すだけのように。

 この先、また何年も彼には会えないだろう。

 約束も余韻も残さず、レゴラスは視界から消えていく。

 アラゴルンは、もう一度泉の水面を覗き込んだ。

 

 あと少し・・・・・あと少し、がんばって、ロリアンに行こう。
アルウェンに会いたい。

 

 その数年後、アラゴルンは疲れた体を引きずるようにして、
ロスロリアンの森に静養を求めた。

 

 

 

 その後も、アラゴルンは幾度かレゴラスに会い、
肉体の安らぎを求めた。

 いつだって、レゴラスは拒否しない。

 まるで疲れた子供に、木の実を手渡すように。

 それから20年も過ぎた頃、
ガンダルフと行動を共にしながら、
アラゴルンは来るべき予感を感じ始めた。
ガンダルフは、無くなったひとつの指輪について、
目星をつけているようであった。

 ガンダルフからの伝言を携えて闇の森に入ったアラゴルンは、
再びレゴラスと会った。

 ガンダルフは、ひとつの指輪を捜しているのだと言い、
それについてスランドゥイルに協力を申し出てきたのであった。

「できうる限りの協力はしよう」

 スランドゥイルはそれを承諾した。

 

「もうしばらく、ここには来ない」

 アラゴルンはレゴラスに言った。

「運命は動き始めている」

 王宮の中で、内緒話はできない。

「そう」

 レゴラスは曖昧に答えるだけであった。

 

 数日の滞在の後、アラゴルンは王宮を出た。
森の外までレゴラスは送ると言い、
森の西の端までアラゴルンに同行した。

 たとえ闇に侵された森の中の旅でも、
二人だけですごせる時間は貴重だ。

 森を抜けるまでの数日は、
気を抜けるものではなかったが、
空が再び臨める場所まで来ると、
二人は最後の休息を取った。

「これが最後だから」

 アラゴルンは言った。

「もう俺は、お前を求めない。
友としてのお前を必要とする時はあるだろう。
この先、俺はお前に、友としての誠意を尽くしたい」

 レゴラスの微笑みは、何を意味しているのだろう。

 アラゴルンの決意を歓迎しているのか、それとも・・・・。

「うん」

 レゴラスは、小さく頷いた。

 

 がむしゃらに求めるほど、若くは無い。

 唇を重ね、舌を絡めあうことに時間をかける。

 これが最後だ、と、何度も自分に念を押しながら。

 選んだ選択肢は、もう後戻りできない。

 後悔はしない。

 ただ求めていただけの、青臭い若者ではない。

 レゴラスに、何をしてやれるのだろうと
・・・・そんなことを考えられるようになった。

 そして、

 レゴラスにしてやれることは、たったひとつ。

 彼の森に、光を取り戻してやること。

 どうすればいいのか、わかっている。

 己の天命を全うするのだ。

 木陰に横たわる、レゴラスの四肢を見下ろして、
アラゴルンは自分に誓う。

 

 彼を守るのだ、と。

 

 心を許し合える友人、それほどの宝が、
それ以上の宝が、存在するであろうか。

 レゴラスは、決してアラゴルンを裏切らない。

 だから、

 自分も決して彼を裏切ることは無いだろう。

「君の命が燃え尽きるまで、僕は君の隣にいる」

 髪に絡んだ草の葉を取り除きなながら、レゴラスは微笑む。

「ああ」

 アラゴルンは肯定の微笑を返し、最後のキスをした。

 

 

 

 ゴラムという者を見つけ出し、
捕らえるまでに、更に10年の月日が流れた。

 約束どおり、その者を闇の森に連れて行く。

 約束はしたものの、その醜い生き物に、
スランドゥイルは顔をゆがめた。

「預かります」

 そう言って、ゴラムを縛っているロープを握ったのは、
レゴラスだった。

「すぐにガンダルフも来るでしょう」

 アラゴルンの言葉に、王は頷いた。

 

 アラゴルンと連れ立って、
ゴラムを地下牢に引っ張っていき、閉じ込める。
とりあえず。

 ガンダルフが到着するまでの数時、
アラゴルンはレゴラスと時間をすごした。

 探索の話や、その理由、今後のことなどを話し合う。

「嵐が、来る」

 レゴラスは言った。

「たくさんの木々をなぎ倒し、
若葉をもぎとり、小鳥たちを追い払う」

 それが比喩であることに、アアゴルンはすぐに気が付いた。

「どんなに酷い嵐でも、いつかは終わる。
そして、大地は新しい芽を育てる」

「俺は、嵐の中を、歩く運命だ」

「わかっている」

 レゴラスは、アラゴルンの肩に触れた。

「私も、あなたと共に嵐を歩く」

 アラゴルンも、レゴラスの肩に触れる。

 

 まるで、今友情が芽生えたばかりのように。

 

「レゴラス」

 その名前に、もう、甘い響きは無い。

「共に歩こう。光を目指して」