午前中、広間で谷のエルフたちと談笑していたレゴラスは、 風のあたる場所に彼らを誘い出し、心地よい春の空気に触れながら歌ってすごした。 昨日のレゴラスの様子を心配していた彼の従者たちも、 いつもの王子に戻ったことで安心して歓談に参加していた。 闇の気配を感じさせない、守られた谷で、 シルヴァンエルフは大地の恵みを称える歌を歌った。 「久しぶりじゃの」 声をかけられ、レゴラスは笑みを深めた。 「ガンダルフ!」 老人の姿をした魔法使いが、楽しそうなエルフたちを見回す。 「こんなところで会うとは、奇遇じゃ」 「また・・・。私がここに来ているのを知っていたのではありませんか?」 ガンダルフは意味ありげにニヤリと笑って見せた。 「スランドゥイル王はご健在かの?」 「おかげさまで」 おかしそうに、レゴラスがくすくすと笑う。 「毎日天気のことを気にしていますよ」 「天気とな?」 彼ら流の冗談だというように、レゴラスの従者たちも笑いながらささやき合う。 「よい天気が続かないと、美味しいぶどうが採れませんからね!」 「そう、美味しいぶどうが採れないと、美味しいぶどう酒が造れない!」 従者の言葉に、それぞれが声を出して笑った。 「相変わらずじゃな」 微笑むガンダルフに、レゴラスはちょっとだけ真剣な視線を向けた。 「何か、私に話でも?」 ガンダルフは、意味ありげな笑みを消さない。 「昼食を一緒にどうだね?」 不思議そうに見る従者たちを残して、レゴラスは立ち上がった。 「もちろんです」 案の定、その部屋にいたのはエルロンドである。 簡素な食べ物と飲み物が置かれている。 「かけなさい」 指し示された椅子に、レゴラスは座った。 「何か食べ物を持ってこさせよう」 「いいえ」 それでも、レゴラスは微笑を消さない。 「空腹ではありませんので」 ガンダルフと、エルロンドとレゴラスは、対面するように座った。 「王に内緒で私に話が?」 すぐさまレゴラスが切り出す。ガンダルフは、用意されていた水を一口飲んだ。 「・・・レゴラス、アラゴルンには会ったかね?」 アラゴルン・・・その名前に、一瞬息を飲み、レゴラスは慎重に首を横に振った。 「いいえ」 「エステルに面識はあるのであろう?」 一瞬、エルロンドに助けを求めようとも思った。 が、視線を移すことさえ、レゴラスはしなかった。 「素性の知れない子供には会いました。 しかし、アラゴルンという人間には会っていません。 その名前を聞いたのも、昨日が初めてです」 慎重すぎる答えは、かえってガンダルフの猜疑心を呼ぶ。 「エルロンド?」 ガンダルフがエルロンドに目を向けると、 エルロンドは館主らしい、厳しい表情を返した。 「アラゴルンの保護はイムラドリスの重要秘密だ。 信用できるかどうかもわからない闇の森の使者に、 おいそれと打ち明けたりはしない」 突き放すようなエルロンドの口調に、 レゴラスは驚きもしなければ憤りも感じない。 むしろ、それが当然だという表情をする。 いろいろあったのだな。 ガンダルフは察した。 さっきまでとは打って変わって、 レゴラスの表情はプライド高いスランドゥイルの息子のもになっていた。 「うむ・・・・で、信用は得られたのか?」 「顧問長の判断は、無害である、と。 グロールフィンデルは、 信用はしないがお互いに不利になるような言動はしないであろうと判断した。 闇の脅威を前に、くだらない仲たがいに時間を割くほど、 スランドゥイルも無能ではあるまいと」 「エルロンド、貴方の意見はどうなのだ?」 「私も二人と同意見だ。 それに、スランドゥイル王と手を結ぶことは、 アラゴルンにとって必要不可欠なことでもある。 であるから、昨日レゴラス王子にアラゴルンの素性を知らせた」 ガンダルフはエルロンドを見、レゴラスを見る。 お互い、己の国を背負う気高さを見せている。 「そうか。では、スランドゥイル王はこの事を知らぬのだな?」 「はい。早急に帰って報告をするつもりです」 堅苦しいレゴラスの口調に、ガンダルフはふうとため息をついた。 「では、間に合ってよかった。 レゴラス、そのことについて、もう少し話しておきたい」 ガンダルフは、レゴラスの前に置かれている水や食べ物を指し示したが、 レゴラスは首を横に振った。 レゴラスも、この問題を真剣に受け止めている証拠だ。 「わしもまだ、アラゴルンには会ってはおらん」 ガンダルフの言葉に、レゴラスが不思議そうに眉を寄せる。 「まだその時ではないからだ。後三年もしたら・・・・」 「アラゴルンを一度谷に呼び戻す。その時、ガンダルフと引き合わせる予定だ」 エルロンドが続け、レゴラスは納得したように頷いた。 「その後、わしはしばらくアラゴルンと行動を共にするつもりだ。 ロスロリアンと、灰色港にアラゴルンを連れて行く。闇の森にもだ」 レゴラスは黙ってガンダルフを凝視している。 「スランドゥイル王にも、人間の王の血筋を持つものを、認めてもらいたい」 「王の血筋の人間を、連れて来られるのは初めてですね?」 レゴラスの問いに、ガンダルフが頷く。 「スランドゥイル王に受け入れられるように、慎重に話をしてもらいたい。 これはとても重要なことなのだ」 レゴラスの心の奥で、エルロンドの腕の中で見た情景が、不意に広がる。 人間の王が、光を取り戻す、と。 「アラゴルンという人間は・・・・本当に王になりうる存在なのですか?」 当然の質問だ。ガンダルフはひとつため息をついた。 「今、王が生まれ出でなければ、間に合わないかもしれんからな。 そうあって欲しいと願っている」 ガンダルフをじっと見据えていたレゴラスは、 すうっと息を吸い込み、輝きを持った意志の強い瞳を見せた。 「承知しました。スランドゥイル王は私が責任を持って説得しましょう。 ただし、ご存知のとおり王は気難しい方です。 接見の時、人間の態度にはくれぐれも気をつけるようお願いします」 レゴラスの答えに、ガンダルフはやっと肩の力を抜いた。 「ああ、難しいのう。 気に障れば、すぐに地下牢に引っ立てるような男だかな、スランドゥイルは」 「いつかのドワーフのようにね」 レゴラスも、緊張を解いて笑んで見せた。 レゴラスを退室させた後、 ガンダルフは改めてエルロンドと向き合い、用意されていた食事を口に運んだ。 「アラゴルンがホンモノであるという確証が?」 エルロンドの問いに、肩を落として首を振る。 「貴方はどう思う? 今まで、王の血筋のものをずっと見てきた」 エルロンドは食事には手をつけず、指を組んで考えをめぐらせる。 「・・・・・幼き頃のアラゴルン、エステルは、 レゴラス王子との出会いを運命のように捉え、そこに友情を結んだ。 今までなかったことだ。 エルフとの確固たる友情を手にし、私の娘、アルウェンと恋の語らいをした。 エルフと人間の結びつきを、無意識にこれほどまでに固めるのであれば、 彼は間違いなく運命を握っているからであろう。 闇の動向も緊迫している。私は、アラゴルンは王の運命を握っていると考える」 ガンダルフも、同感だと頷く。 「辛いな、エルロンド。 もしそれが運命であるなら、アルウェン嬢は人間との恋に身を焼くだろう。 歴史は繰り返される」 それが運命であるなら・・・・エルロンドは苦々しく口元を歪めた。 「アラゴルンが本物であるなら、やがてイシルドゥアと同じように、 闇の誘惑と戦わなければならぬときが来るだろう。 辛い戦いに身をおくことになるだろう。 そのとき、隣にいるのはレゴラスではないかとわしは思う」 今度は、エルロンドが頷く。 「人間は、エルフが期待するほどの友情を、返してはくれないかもしれぬな」 かつての、エルロンドとイシルドゥアのように。 あるいは、裏切られることはなくとも、 喜んで人間の盾になったフィンロドのように。 「レゴラスは」 エルロンドは、哀しげに笑んだ。 「それを本望と言うだろう」 今回の滞在は、長いものではなかった。 レゴラスはその翌日、エルロンドの書状を携え、森に帰っていった。 それまで姿を現さなかったグロールフィンデルが、ガンダルフの前に現れた。 「レゴラスを避けているのかの?」 ガンダルフの問いに、グロールフィンデルがほくそえむ。 「闇の森の王子は、私を恐れている」 「なぜじゃ?」 グロールフィンデルは、ただ笑って見せ、踵を返した。