若葉が生い茂る頃、レゴラスは裂け谷を訪れた。

 二度目なので従者はいらないと断ったのだが、父王はそれを許してはくれなかった。

 館主、エルロンドが彼らを迎え入れる。その尊大な姿が、レゴラスは好きだった。

 

 挨拶を済ませ、部屋を与えられた後、レゴラスは風当たりのよいポーチに呼ばれた。
エルロンドは落ち着いていて、そして、どこか楽しげだ。

「息子たちと会ったそうだね?」

「ええ」

 エルロンドの後から、旅装束でない双子が現れる。

「是非君とゆっくり話がしたいそうだ」

 双子はレゴラスに微笑みかけ、腕を開いて招く。
嬉しそうに笑い返し、レゴラスは双子の後についていった。

 微笑ましくそれを見送るエルロンドに、
離れて様子をうかがっていたエレストールが近付く。

「本当に、よろしかったのですか?」

「何がだ?」

 双子はきっと、普段見せない無邪気さで闇の森の王子をもてなすだろう。
オーク狩りばかりに日々を費やす彼らにとって、レゴラスはよい安らぎになってくれれば・・・
エルロンドはそうも考えていた。
ロリアンから戻った彼らはしきりに闇の森の王子の話をしていた。
まるで、初めて出会った異種族のように。

「グロールフィンデルのことです」

 エルロンドの笑みが消え、エレストールを見る。

「王子の来訪を知っていながら、
それに合わせるようにグロールフィンデルを灰色港に遣わしましたね。
顧問の中には、グロールフィンデルを追い出したと噂する者もおります。
グロールフィンデルとレゴラスの関係は、公然の秘密ですから」

「何か問題でも?」

 顧問を取りまとめるのはエレストールの勤め。
くだらない噂を否定するのは簡単だ。

「グロールフィンデルは重要な書状を持ってキアダンに会いに行った。
彼以外の者を行かせるとしたら、何人もの護衛が必要となる。
私や君が谷を離れるわけにはいかない。
そして、我々以外の者は直接キアダンと話し合いはもてまい。
グロールフィンデル以上に、地位と信用と品格のある者がいるか?」

「仰せのとおりです」

「闇の森の王子の来訪とは関係ない」

「・・・・・・」

 エレストールはわずかに眉根を寄せる。

「そして、たまたまエルラダンとエルロヒアが谷に帰って来ていた、と?」

「それは違う。息子たちは王子が来るのを待っていた。
君も知ってのとおり、彼らはロリアンからの帰りに王子に会っている。
そして、独自に会う約束をしていた」

「できすぎ・・・ではありませんか」

「偶然だ」

「幸運の偶然、ですな」

 珍しく食い下がる顧問長に、エルロンドは苛立ちを覚える。

「・・・何が言いたいのだ?」

「いいえ。今回のエルロンド卿の措置は正しいでしょう。
これが偶然だとしたら、私は非常に喜ばしい偶然だと思います。
とても。ただ」

「ただ?」

「そう何度もグロールフィンデルに・・・・
毎年、谷を出る用を与えることはできません」

 エルロンドはエレストールをじっと見つめる。

 自分は、グロールフィンデルを追い出した。・・・否定はしない。
確かにその通りだ。

 何故そんなことをする必要があるのか。王子を守る為? 
それとも・・・

 

 嫉妬

 

「王子の出方を見たい。
エレストール、王子の監視は、息子たちに言いつけてある。
グロールフィンデルと違い、息子たちの立場は王子と対等だ。
それによって今後を考えよう」

 本当に、そう思っているのか。

「私も、それには興味があります。
グロールフィンデルの存在が
レゴラス王子の何らかの歯止になっているのでしたら、
今回それもわかりましょう」

 頭を下げ、エレストールは背を向けた。
実際、エレストールはエルロンドほどに
闇の森の王子を信用しているわけではない。
グロールフィンデル不在のこの館で、
もしもあれだけの弓の腕を持つレゴラスが何かしでかしたら・・・・。
いや、最悪の事態を考えるのはやめよう。
エルロンドは、最後の連合の戦いから帰還してきた勇士なのだ。

 

 

 

 物静かな顧問たちと違い、エルロンドの息子たちは自由奔放に見えた
。小走りに廊下を駆けていく彼らの後を追う。
時々振り返り、まるで悪戯でもするように彼らはニヤリと笑った。

 館の奥の奥。

 客人たちが入ってこない奥まで走っていき、双子はやっと足を止めた。
レゴラスに人差し指を立て、
静かに合図をすると隠し扉になっているそれを押し開く。
素早くその中にレゴラスを押し込み、
自分たちも入ると、ぴたりとドアを閉めた。

 そこは、中庭になっていた。見たことがある。

 そう、あの時・・・・林の外側からこの中庭に入り込んだ。
あの時は、もと来た道をたどって遠回りをして帰ったが、
・・・こんなふうに中から出られる仕組みになっていたのか。
中庭の外郭を植え込みが迷路のように植えてある。
森のエルフの目は誤魔化されないが、
人間は入ることができないかもしれない。
そして、人間の子供が逃げ出すとは思わないだろう。

「エステル! 客を連れてきたよ!」

 石を積み上げて遊んでいた子供が、目を輝かせて走ってくる。

「お待ちかねの、不思議な緑色のエルフだよ」

 驚いて呆然とするレゴラスに、
ひとまわりもふたまわりも大きくなった子供が抱きつく。

「・・・エ・・・ステル・・・?」

 恐る恐る名前を呼んでみる。まだ、名前を正式に教えられてはいない。

「どんぐり!」

 子供は、はじけるような笑顔で握った手を差し出した。

「まだ持ってるよ! 大切にしてるよ!」

 開いたその手の中にあるのは、
あの日、レゴラスがそっと落とした一粒のどんぐりだった。

 内側から笑みがこぼれてきて、膝を落とし、子供を抱擁する。

「エステル、レゴラスだよ。
でも、約束したとおり、このことは秘密だからね」

 エルロヒアに言われて、子供が大きく肯く。

 レゴラスは戸惑った笑みのまま、双子を振り返った。

「・・・・どうして・・・?」

「グロールフィンデルに言いつけられていたのさ。
レゴラスが来たら、エステルと遊ばせてあげるように」

 その名前に、レゴラスの表情が固まる。

「・・・グロールフィンデル・・・殿?」

「彼は今、灰色港に使いに行ってる。その間の君の監視も頼まれてる。
詳しい話は後にしよう。
エステルがこの庭にいられるのは、日暮れまでだ。
日暮れ前に迎えに来る。林に出てもかまわないが、
俺たちが迎えに来る前にはここに戻ってきていてくれ」

 興奮した子供はレゴラスの周りを走り回っている。

「信用・・・されているのか?」

 レゴラスの言葉に、双子はニヤリと笑う。

「この先にある川は絶対に越えられないよ。魔法がかかっているから。
行動範囲は限られているし、
俺たちはグロールフィンデルに直接仕込まれた追跡者だ。
もし子供をつれて逃げても、すぐに見つける。それに・・・」

 エルラダンはエルロヒアと目を合わせ、クスクスと笑った。

「君が本当に危険だったら、
グロールフィンデルはエステルに君を合わせないだろう」

 応えに迷うレゴラスを残し、
双子はエステルにいい子にしているように言いつけて出て行った。

 

 

 

 静かで美しい中庭に、二人、残される。
エステルは、何か新しい遊びを教えてくれるかと瞳を輝かせている。

「・・・じゃあ」

 腰を落としたまま、レゴラスは微笑みかけた。

「かくれんぼでもしようか」

「かくれんぼ?」

 そんな子供らしい遊びは、したことがないのか。

「エステル・・・僕が目を閉じている間に、どこかに隠れてごらん。
僕がそれを見つける。僕に見つからないように隠れるんだよ?」

 エステルは大きく肯いた。

 レゴラスが目を閉じると、小さな足音があちらこちらと走り回る。
音がしなくなってしばらくして、

「いいかい? 探すよ」

 レゴラスは声をかけてから目を開けた。

 

 少しも迷わず、子供の隠れていた木の影を見つける。
エステルは楽しそうに笑った。

「もう一回!」

「いいよ、また目を閉じるからね」

 そうやって、何度も何度もかくれんぼを繰り返す。
少しずつエステルは隠れ方を覚えてくるが、
それでもレゴラスはあっという間にエステルを見つけた。

「ねえ、今度はレゴラス、隠れて! ぼくが見つけるよ!」

 無邪気に笑うエステルに、おかしそうにレゴラスも笑う。

「僕は隠れるのが上手だよ?」

「やって! やって!」

 エステルが目を閉じると、レゴラスはすぐに気配を消した。

 目を開けたエステルがあちこち探し回る。中庭の隅から隅まで。
木にも登ってみる。でも、どうしてもレゴラスを見つけることはできない。

「レゴラス? どこ?」

 だんだんと不安になってきて、エステルは声を張り上げた。

「レゴラス! レゴラス!」

 すると、真上から木の葉がハラハラと落ちてきて、
木の葉と一緒にレゴラスはエステルの目の前に舞い降りた。

「ここだよ」

 笑うレゴラスの顔を見たとたん、エステルは泣き出してレゴラスにしがみついた。

「・・・いなくなっちゃったかと思った!」

 しがみついてくる子供を、優しく抱き寄せる。

「ごめん。ずっとそばにいたんだけど、気がつかなかったね? ごめん」

 しゃくりあげるエステルの涙をぬぐい、額を寄せる。

「もう、隠れたらヤダ!」

 ただの遊びなのに、何がこの子をこんなに不安にさせるのだろう? 

「じゃあ、別の遊びにしようか。的当てだよ。
ほら、小石を拾ってごらん。一番近い木に当てるんだ。やってごらん」

 足元に落ちていた小石を拾い、木に投げる。三回目に小石は木に当った。

「上手いね!」

 褒められて、エステルの表情に笑みが戻る。

 それから日が沈むまで、二人は遊び続けた。

 

 

 

 双子が中庭に現れた時、エステルはレゴラスの膝の上で居眠りをしていた。

「楽しかったかい?」

 エルロヒアに訊ねられ、レゴラスは笑って見せた。
うつらうつらしていたエステルも体を起す。

「時間だよ、エステル。夕飯の後、エルロンド卿と本を読む約束だろう?」

「ヤダ! レゴラスともっと遊ぶ!」

 唇を尖らせるエステルに、レゴラスはそっとキスをした。

「わがままを言ってはいけないよ」

 エステルは、また泣き出しそうな顔になる。

「エステル、レゴラスはまだしばらくここにいるんだ。また遊べる。
でも、約束を守れなかったら今日でおしまいだ」

 エルラダンに言われ、エステルは慌てて双子のそばに駆寄った。

「絶対だよ! また遊ぼうね!」

 レゴラスが肯いてみせると、子供は笑い、
エルラダンに手を惹かれて庭を出て行った。

「・・・かくれんぼに的当て、かけっこ・・・・か」

 エルロヒアの言葉に、レゴラスが口元をゆがめる。

「見ていたのでしょう?」

「一応ね。最初くらいはちゃんと監視しておかないと、
グロールフィンデルにも父上にも叱られる。
もっとも、父上は君がエステルと会ってることは知らないはずだけどね」

 エルロヒアはクスリと笑った。

「エステルは・・・そういう遊びをしないのかい?」

「肉体の訓練なら、グロールフィンデルの担当だ。
でも、そういう遊びはしない。レゴラス、君らはそういう遊びをよくするのか?」

「どれも子供の頃からよくしてたよ。訓練として。
特に、かくれんぼなんか最初に教わる。
上手に隠れられるようになるまで、いくつになってもするよ」

 森のエルフらしい。

 エルロヒアが先に立ち、中庭を出る。

「夕食の後、俺たちの部屋に来ないか? 
広間で歌を歌っているのでもかまわないけど。
せっかくだから、ゆっくり話がしたい」

「うん、行くよ」

 速答するレゴラスの肩に触れ、

「では、また後で」

 と言って、エルロヒアはエルラダンの後を追っていった。