スランドゥイルは明かりの灯った長い廊下をくねくねと曲りながら歩いていた。

「もう、3日・・・になります」

 後からついてきた従者が、肩を落とす。

「イムラドリスから戻ってから、もう三日、王子はお目覚めになりません」

 裂け谷から帰ってきたレゴラスの一行は、王に報告を済ませた後、
簡単な食事を取っただけで休息に入った。
他の従者たちが目覚めた後も、レゴラスだけは眠り続けていた。

「本当に、何もなかったのか?」

「・・・・たぶん。申しわけありません。私たちがついていながら・・・。
王子は単独で谷の館主や顧問と会っていたもので。
何があったのか、私たちには話してくださいません。
ただ・・・王子がそのような対応を取った後には、待遇はよくなりました。
交渉をしたのでしょうが」

「ノルドの連中など、信用できんからな!」

 レゴラスの私室の前で立ち止まると、スランドゥイルは従者を下がらせた。

 ノックもせずに部屋に入ると、案の定、レゴラスはまだ深い眠りの中にいた。

 よほど、疲れたのか。

 スランドゥイルはベッドの隅に腰掛けると、息子の髪を優しく撫でた。

「・・・・目を覚ましなさい。でなければ、お前の心に入って、何があったのか覗き見るぞ」

 耳元で囁き、こめかみを指でなぞる。

「レゴラス」

 歌うようなその声に、すうっとレゴラスの瞳に光が戻る。
ぼんやりと父を見上げ、暖かなその指の感触を確め、そして身を起した。

「父上・・・」

「ずいぶんと疲れているようだ。谷で何かあったのか?」

 何か・・・。それを悟られぬように口元で微笑む。

「緊張しました。・・・・とても・・・・。
エルロンド卿はお優しい方ですが、顧問の方々は厳しくて。
正直、ゆっくり休むこともできませんでした」

 甘えるように、父の肩に額を乗せる。

「森に帰ってきたら、安心して・・・。すみません。私はまだ未熟者です。
虚勢を張ってみても、結局はまだ父上に守られているのです」

 スランドゥイルは息子の髪を優しく撫でる。

「お前を守っているのは、わしではなく、この森だ」

 今では闇に犯されてしまった大森林。

 森で暮らすシルヴァンの血を強く感じる。

「・・・・そうですね」

 もう一度、森に光を取り戻したい。若いレゴラスがまだ見た事のない、光溢れる森を。

「無理にイムラドリスに通うことはない」

「でも・・・・協調は必要です」

「次には他の者を行かせよう」

 顔を上げたレゴラスは、じっと父の瞳を見つめた。懇願するように。

「いいえ! ・・・・彼らは私たちを卑下してみています。
明らかに、シルヴァンの田舎者だと。貴族が赴けば険悪になるかもしれません。
シルヴァンの者が行けば相手にされないでしょう。私なら・・・上手く立ち回れます。
今回のように。ですから・・・・ですから!」

 真剣な瞳の色に、スランドゥイルが溜息をつく。

「・・・何がお前をそこまで突き動かすのか?」

「わかりません。でも、私が行くべきだと思います」

 意志の強い息子だ。強情なのは、自分譲りか。

「よいか、レゴラス。決して一人では無茶をするな。
わしは、お前を人質に出すつもりはない」

「大丈夫です」

 にっこりと笑って、胸の中の黒い煙を吹き払う。

「父上を裏切るようなマネだけは、決して致しません」

 それからまた、スランドゥイルの肩に額を乗せる。

「・・・もう少し、眠らせてください。そうしたら、また辺境警備の仕事に戻ります」

 息子の身体をゆっくりとベッドに倒し、邪魔にならないように髪をはらってやる。
それから額に手を当て、自分の胸を触り、
立ち上がったスランドゥイルはレゴラスの部屋を出て行った。

 

 

 

 

 エルロヒアとエルラダンは、半年をロスロリアンで過した。
父の所用でロスロリアンを訪れたのだが、急いで戻る必要もなかった。
度重なるオークとの対激戦で、少々疲れていたのかもしれない。
美しいロリアンの森で、身体と心を十分に養った。

 ガラドリエルは、近い親者であるふたりが、
憎しみと復讐にのみ時間を費やしているのを、心苦しくおもっていた。
が、それも仕方のないこと。

 冬が来る前に、二人は裂け谷の館へと帰るべく、ロリアンの森を出た。

 

 

 

 途中、またしてもオークの足跡を見つけた。

 闇の森へ、続いている。

 二人は目配せをした。すぐに帰るつもりであったが・・・・・見逃す気は毛頭ない。

 闇の森へは、まだ入ったことはなかった。
その周辺を巡ることはあっても、奥まで踏み込むことはない。

 なぜか。

 そこの闇はあまりに濃く、邪気に満ちている。
そして、その更に奥にはスランドゥイルを王とするシンダールの隠された国があるという。
彼らはノルドールに敵意をもっていて、どんな善意さえ捻じ曲げてしまう。
今では闇に飲み込まれた、愚かな王国。そう、教えられていた。

 恐れはしないが、無駄な波風は立てたくない。だから、闇の森の奥には近寄らなかった。

 

 しかし、今回は違った。

 オークを追うのに、夢中になっていた。
ロリアンで英気が養われ、半ば興奮状態にあったのかもしれない。
気がつくと、辺りは闇に包まれていた。

「匂うか?」

 エルロヒアが問う。エルラダンは闇の中に立ち、しばし頭をめぐらせた。

「こっちだ。腐敗した匂いが強い」

 

 闇を恐れない勇敢な戦士が森を走り抜けると、出し抜けに醜い悲鳴があがった。

「?!」

 オークだ! 何かに・・・襲撃されている?

 一匹のオークが、こちらに走ってくる。エルラダンはそれを切り倒した。
逃げようと右往左往するオークたちを、一匹残らず仕留める。

 最後の一匹に矢を放った時。

「・・・・・・・」

 オークの残骸の中から、一人のエルフが現れた。

 双子は息を飲む。

 金色の髪、深い緑と茶色の服。ほっそりとした顔立ちは、若いが威厳を讃えている。

 双子の切り殺したオークたちに目をやり、細い顎を突き出して双子を見据える。

「迷い人か。放浪者か」

「違います」

 エルラダンは、その風変わりなエルフをじっと見返す。

「私は裂け谷、エルロンドの息子エルラダン。隣は同じくエルロヒア。
地位あるお方と見受けられる。貴方は?」

「私は、闇の森スランドゥイルの息子、レゴラス」

 ざわ・・・・と、周囲の闇が揺らいだ。囲まれている。
レゴラスのすぐ後に、同じような出で立ちのエルフが現れ、何か耳打ちをする。
どうやら、うかつに名乗るなと言っているらしい。

「裂け谷のエルロンド卿は知っている。
オークの追撃者たるエルロンド卿の子息の噂も耳にした」

「しかし・・・・本物かどうか」

 レゴラスは双子をちらり、と見やり、唇を吊り上げた。

「エルロンド卿にそっくりだ」

 エルラダンとエルロヒアは、手にしていた武器をしまった。

「お前たちは、帰って王に報告を。オークの死骸は放っておいてよい。
じき、蜘蛛どもが跡形もなく片付けるだろう」

 双子はぞっと身を震わせた。闇に呪われた森。うようよしている毒蜘蛛。

「王子・・・・レゴラス様」

「私は、この者たちを森の出口まで案内する。
いくら強靭な腕を持っていても、慣れない者は森に迷う」

 反論しようとする者を、片手で制する。

「行きなさい、早く」

 指示をして、双子に向き直る。

「我が王国に招待はできません。そのかわり、私が森を出るまでの案内をしましょう。
私と共にいれば、蜘蛛どもは襲ってきません」

 レゴラスは、笑って見せた。

 

 三人は、歩きながら話をした。

 それぞれの国の主の息子であるという立場は、微妙なものだった。
だが、それぞれに父親である主の画策と一線を引いているという共通点がある。
打ち解けるのに、長い時間はかからなかった。

 森を出たところで別れる時には、友情さえ芽生えていた。

「次に君が谷を訪れる時には、俺たちも帰っているとしよう。また、ゆっくり話がしたい」

 エルロヒアの言葉に、レゴラスも微笑む。

「いつか、私の国にも招待したいですよ。
頭の固い連中を説得するのには時間がかかりますけどね」

 笑い合い、挨拶を交わし、それぞれに己の国に帰っていった。