静かな部屋に、本のページをめくる音だけが響く。

 集中して本を読みたいと思ったことは、あまりない。
それでも、時間を潰すには最適な行為だ。

 真夜中と呼べる時間が過ぎていく。夜明けまで、あとどれくらいだろう。

 天上を航行するエアレンディルの星。

 いつまでもそれを眺めていたこともあった。

 

 今宵は、嫌なことばかりを思い出す。

 エレストールが余計なことを言ったせいだ。

 

 グロールフィンデルは、エルロンドのたしなめた文字に集中しようとした。

 

 気配を感じて、顔を上げる。

「入れ」

 グロールフィンデルの言葉に、そっと私室のドアが開かれた。

 

 遅かったな。

 迷っていたのか。

 

 レゴラスは複雑な表情のまま入ってきて、ドアを慎重に閉めると、
グロールフィンデルの前に立った。

「明後日の夜明けに、森に帰ります」 

 レゴラスを見上げ、本を閉じる。

「その前に・・・・・一度だけ・・・・」

 戸惑いながら、一度口を閉じ、小さく深呼吸してからレゴラスは言葉を続けた。

「あの子に、会わせて下さい」

 思惑どおりだ。グロールフィンデルは意地悪く唇を吊り上げる。

「そんなことはエルロンドに頼め」

「できません! エルロンド卿には口止めをされ、私はそれを承諾しました」

「なら、あきらめろ」

「・・・・だから、貴方にお願いをしているのです!」

 うわずった叫び声に、グロールフィンデルはほくそえんだ。

「声が大きい」

「部屋の中の声が外には漏れないことは伺いました」

 そうか。教えたのか。だが、それもまたよし。思う存分泣き声を楽しめる。

 グロールフィンデルは本をサイドテーブルに置き、レゴラスに身体を向ける。

「いくら私でも、子供のことをお前に教えるわけにはいかない。
お前が私の奴隷になると宣言してもだ。エレストールにも釘を刺されているしな」

 レゴラスは息を飲み、眉根を寄せてグロールフィンデルを見つめる。

「・・・・素性を知りたいと言っているのではありません。
名前も、教えていただかなくてけっこうです。私は・・・・ただ、あの子に会いたいのです」

「何故だ?」

 なぜ?

 レゴラスは、ここに来るまでの間、ずっと考えていたことを噛締める。

 何故、と。

「・・・・わかりません。ただ・・・あの子に会いたいのです」

 ふ、とグロールフィンデルは肩で笑った。

 人間に魅了されるエルフは少なくない。

 何故かと問われて、答えられるものでもない。

 だが、たとえ友情が成立したとしても、そこにあるのは・・・・不幸な結末だ。

 

 それを、変えることができるか?

 

「私に頼みに来たということは、それなりの覚悟があるのだろうな?」

「もちろんです」

「それでも、子供に会いたいか」

「会わせて下さい」

 子供の、あの高貴なまでの純粋さを、レゴラスは渇いた喉を潤すように欲している。

 

 嫉妬するほどに。

 

「・・・・私は、子供に剣術を教えている。
私を楽しませてくれたら、時間と場所を教えよう。
ただし、近付くことも話し掛けることも厳禁だ。一時眺めるだけだ。良いか?」

 レゴラスの表情が、嬉しげに変化する。

「約束を守らなければ、お前はこの世が終わるまでこの谷に幽閉されるか、
この私の手で切られるかだ」

「約束します!」

 表情を輝かせるレゴラスを眺めながら、
エルロンドはこんな表情を見ることはできないのだと思う。
レゴラスが、あくまでエルロンドと対等な立場に立とうとしているかぎり。

「私は・・・・何をすればよいのですか?」

 子供と会える喜びの余韻を残したまま質問する。そんなレゴラスを愚かしく愛しいと思う。

「簡単だ。昼間、私がお前にしたことを私にすればよい」

 なんのことか、と、レゴラスが小首をかしげる。

まだわからないのか。どこまで愚鈍なのだ。
グロールフィンデルはおかしさに口元をゆがめた。

「お前の口で、私をいかせろ。今日はそれだけで許してやる」

 レゴラスの目が見開かれる。

 まだ、わかっていないのだ。

「跪いてしゃぶれ」

 やっと意味を悟ったレゴラスの表情が、怯えたものになる。

 そう、それでいい。

 おずおずと膝をつき、レゴラスは躊躇するようにグロールフィンデルを見上げた。

「早くしろ。私はそれほど気長ではない」

 自分が何をされたのか、何をどうされたのか、ちゃんと理解しているわけではなかった。
戸惑いながらその部分を見つめ、恐る恐る手をのばす。

 こんなことは、当たり前だが初めてのことだ。

 それでも、それを我慢すれば・・・・・

 

 また、あの子に会える!

 

 震える手でそれを探り出す。目の前に現れたものに、息を飲む。背筋を悪寒が走る。

 唇を震わせながら開き、たぶんそういうことだろうと見当をつけて口の中に入れる。

 グロールフィンデルはレゴラスの髪を掴んで、無理矢理奥までそれを押し込んだ。

「!」

 息に詰まって目を閉じ、促されるままに頭を揺する。
口の中のそれは、大きく変化していった。

「歯を立てるな。舌を使え」

 言われるままにしながら、息苦しさに涙が浮かぶ。

 

 いつまでそうしていればいい?

 いつになったら終わる?

 

 頭の中が麻痺して、口の中の感覚を失う。

「ん・・・・ん」

 知らず嗚咽が漏れる。唾液が滴る。

「そんなことでは、いつまでも終わらないぞ?」

 嘲笑するような言葉に、頬が熱くなる。

 昼間のことを思い出す。少しずつ、少しずつ。思い出すことに集中する。
ただ唇を前後に動かすだけではだめなのだ。

 レゴラスの頭の中で、何か・・・・理性のようなものがはじけた気がした。

「ふ・・・ん・・・」

 鼻で息をしながら、ねっとりと嘗め回す。口の中で舌を使う。
唇の感覚が、その変化を告げていた。時に吸い上げ、時に先端をついばむ。
夢中になって刺激を与え続けると、
レゴラスの耳にグロールフィンデルの息遣いが聞えてきた。

 早く終わらせたい。

 それだけを考えるようにして、唾液を絡めてしゃぶる。

 どれくらいそうしていたのか。
グロールフィンデルの手が、再びレゴラスの髪を掴んだ。
激しく前後させられ、喉の奥が苦しくて拒絶したくなる。
それさえ我慢していると、突然その手の動きが止まり、レゴラスの喉に苦い液体が溢れた。

「・・・・!」

 驚いて顔を離す。グロールフィンデルの手が、今度はレゴラスの口をふさぐ。

「飲み干せ。一滴残らず」

 命令されるままに、吐き出したいのを我慢しながら飲み込む。
気持ち悪くて、また涙が溢れる。

 何度も喉を鳴らしながら、なんとか口の中が空になると、手はどけられ、
レゴラスは大きく深呼吸をした。

 両手をついて息を整える。口の中に残ったおぞましい味を、吐き出したくてたまらない。
飲み込めない唾液が、唇の端から滴り落ちる。

 それを手でぬぐいながら顔を上げると、
グロールフィンデルはじっとレゴラスを見下ろしていた。

 レゴラスは、いつもと違うグロールフィンデルの瞳の色を、じっと見据えた。
吸い込まれるような、引き込まれるような、感覚。
周囲の色が失せ、身体の感覚もなくなる。

「・・・・・・白い・・・・?」

 呟いたレゴラスの声に、グロールフィンデルは己の心の扉が開いていたことに気付き、
音を立てるほど勢いよくそれを締めた。レゴラスも驚いたようにぴくりと反応する。

 何てことだ。
だが、レゴラスが他者の心に入り込んでくるほどの強い力も持っていなくて助かった。
もし相手がエルロンドやエレストールほどの力も持っていたなら・・・・
グロールフィンデルは己の全てをさらけ出したことになる。

 

 レゴラスは、そこに深い悲しみを感じ取っていた。

 まるで・・・・夢にうなされる父のような・・・・。

 

「待って・・・行かないで・・・・!」

 夢の残像を追うように、レゴラスはグロールフィンデルにすがった。
夢の欠片を、美しく優しい記憶を、なぜに締め出そうとするのか。

 そんなレゴラスの身体を乱暴に抱き寄せて、グロールフィンデルはその耳元で囁いた。

「そんなに私に犯されたいか?」

 自分が愚かな幻影を追っていたことに気付き、レゴラスは慌てて体を離した。

「や・・・約束は果たしました」

 獣から身を隠すようにあとずさるレゴラスに、
ほくそえんでグロールフィンデルは時間と場所を告げた。

 

 エレストールの言うとおりだ。

 腑抜けにされるのは、自分の方かもしれない。