館から少し離れた木立ちで、レゴラスは一人草の上に身を横たえていた。

 仲間と騒ぐのは好きだが、一人になれる時間も欲しかった。
自室にこもれば一人になれたが、閉じこもっているのは性に合わない。
谷のエルフたちと交流を取ることで、従者たちの警戒も和らいできた。

 草に触れ、風に触れながら、ゆっくりと考え事をしたかった。

 

 そもそも、なんで父の反対を押し切ってまで裂け谷に来たのか。
和解の為だけではない。自分の運命が、こちらに向っているような気がしたからだ。
これは「予感」か。

 

 なのに、何も収穫がない。

 求めている答えは、何も与えられていない。

 苦難に耐えることが、運命そのものではないはずだ。その先に何かあるはずだ。
・・・・何か。

 

 ここには、自分の求めている「何か」があるはず。

 

 心地よい風に瞳を閉じていたレゴラスは、その気配にぱっと起き上がった。

「ひとりとは、無用心だな」

 声の主を睨み、視線を外す。

 なぜ、その男は自分に関わってくるのだろう?

 ただの肉欲とは思えない。歌に聞く英雄が、そんな短絡的であるはずもない。

「貴方は・・・・何が目的なのですか? 私を追い返すことですか? 
私に知られてはならない秘密でもおありなのですか?」

 グロールフィンデルの笑みは、曖昧で不可思議だ。何を考えているのか、わからない。

「私のテリトリーに迷い込んできた小鳥を、愛でているだけだ」

「私のような田舎者の世間知らず、貴方のような方が本気で相手をするとは思いませんが?」

「あまり、私を挑発しない方がいい」

「挑発・・・?」

 グロールフィンデルののばした指が、レゴラスの喉もとを掴んで草の上に突き倒す。

「お前は、よほど自信過剰のようだ。多少弓の腕が優れているとはいえ、私の敵ではない。
私の足元に諂っていればよい。でなければ、また痛い目にあうぞ」

 喉を押えられ、苦しさに顔をゆがめたまま、レゴラスはグロールフィンデルを睨んだ。

「い・・・・痛みには、慣れました。知ってしまえば・・・どうということは、な、い」

「痛みは、恐怖ではないのだな?」

「痛み・・・で、屈服することは・・・ありません・・・」

 面白い。グロールフィンデルは手を離し、鼻で笑った。

 実に楽しませてくれる。

「私の質問に、答えていませんが?」

 喉に手をやり、息を荒げてレゴラスが問う。

 膝を落としたグロールフィンデルは、レゴラスの顎を掴んだ。

「別の屈辱を与えてやるとしよう」

「私の質問は!」

 声を荒げる前に唇を吸い、優しげに囁く。

「私を楽しませてくれたら、ヒントをやろう」

 ゾクリ、と身を震わせて、レゴラスが息を飲む。

「・・・・そんな、交換条件には応じられません」

 おかしそうに、グロールフィンデルは目を細めた。

「お前に選択権などない。嫌なら剣を抜け。私の腰に下がっている」

 レゴラスは、視線をグロールフィンデルの腰帯に走らせる。
美しい装飾の施された短剣が、美しいレリーフの描かれた鞘に収まっている。

「どうした?」

 目の前にある武器に、それを欲する指がふるふると震える。

 それを抜いて、この高貴なエルフを刺し、森に逃げ帰るか・・・・己の喉も切り裂くか。

 レゴラスはぎゅっと手を握り、視線をグロールフィンデルの瞳に戻した。

「痛みに恐怖などありません。私を犯したければ、ご自由になさるといい。
私は、貴方の思い通りになどならない!」

 そう。そうでなければ面白くない。

「これから私がお前に与えるのは、痛みではなく屈辱だ。慣れれば快楽になる」

 

 服を剥ぎ取られてすぐに、レゴラスは痛みだけの強姦の方がずっとマシだと思った。

 その感覚に、耐えるのは至難だった。

「や・・・・・」

 やめてください、と、何度も哀願しそうになり、慌てて唇を結ぶ。
それを楽しむように、グロールフィンデルは開かせたレゴラスの足の間に顔を埋めた。

 初めて与えられる感覚に、体中がゾクゾクと震える。
両手で口を覆っても、甘い吐息が殺しきれない。

 柔らかな口膣で包まれ、吸われ、頭の中が真っ白になる。

 

 嫌だ・・・・イヤダ・・・・こんなの!

 

 どうして痛みを与えてくれないのか。どうして引き裂いてくれないのか。

 唇で犯され続ける場所に、神経の全てが集中してしまっているようだ。

 

 イヤダ・・・・・おかしくなる・・・・壊れてしまう・・・・・

 

「快楽に酔え。淫靡な欲望に身を任せろ。屈辱に震えながら」

 唇を離して、耳元でそう囁く。
硬く起ち上がったレゴラスのそこを指でなぞると、レゴラスは背を仰け反らせた。
かろうじて、悲鳴だけは食いしばる。
人気のない木立ちでも、大きな声を出せば誰に聞かれるかわからない。

 抗えない波にさらわれ、否定したい心とは反対に、肉体は解放を求める。

 

 イヤダ・・・・・イヤ・・・・・イヤ!

 

 何度も何度も心の中で叫びながら、
レゴラスはついにグロールフィンデルの口の中に欲望を吐き出した。 

 自分に何が起こったのか。
頭は混乱しているが、身体は初めて経験した快楽の解放に弛緩している。

 

 羞恥。

 屈辱。

 

 すすり泣くレゴラスの顎を掴み、
グロールフィンデルは口の中の苦い欲望を口移しで注ぎ込んだ。

「!?」

「お前自身の欲望だ。存分に味わえ」

 激しく咽ながら口の中の液体を吐き出す。

 グロールフィンデルの勝ち誇ったような笑みが、目の端に映る。

 

 もういやだ・・・・・タスケテ

 

 息が落ち着くと、レゴラスは上目使いにグロールフィンデルを睨んだ。

「・・・・・私を侮辱して、楽しんでいる!」

「そうだ。はじめから、そう言わなかったか? 
この谷にいる間は、私から逃げられない。
嫌ならとっとと逃げ帰るか、エルロンドに保護を頼め。
エルロンドのものになると誓約するなら、私はお前に触れることはできない」

 館主の、愁いを帯びた表情を思い出し、そこに逃げ道があることを実感する。

「私は・・・・誰のものでもない!」

 グロールフィンデルは、唇を吊り上げて笑った。

「・・・ここを少し降りていくと、浅い支流に突き当たる。
誰かに詮索されたくなければ、身体を清めてから戻るのだな。
今のお前の表情は、快楽を楽しんだ後がはっきりとわかる」

 はっと目を見開き、レゴラスは首を横に振った。

 楽しんでなんかいない。決して、楽しんでなんか!

「もっと楽しみたければ、いつでも私の私室に来るといい。
お前の求めるものを与えてやろう」

 誰が! 

 叫びたいのをこらえ、レゴラスは下半身を引きずるようにゆるい坂を下って行った。

 

 

 

 言われた川は、流れはゆるいがそれなりの深さはあった。
一度全部の服を脱ぎ、身体を洗ってまた服を身につける。

 身体の奥が、まだ火照っている。

 膝を抱えて腕の中に顔を埋め、レゴラスは身体が冷えるのを待った。

 

 やっと心が落ち着きを取り戻した頃、物音に気付いて顔を上げる。

 うかつだった。何かがこんなに近くまで来るまで気がつかないなんて!

 すぐ後の茂みが揺れ、リスが走り出してきてそのまま木の上に登って行った。
その後を追ってきた小さな生物に、一瞬目を疑う。

 

 人間の、子供?

 

 谷のエルフの服を着ている。でも、紛れもない人間だ。

 子供はレゴラスを見ると、驚きに動きを止めた。レゴラスもじっと子供を見る。

 裂け谷は、旅人に解放されている。
だから、人間でもドワーフでも(エルフが嫌いでないドワーフがいるとすれば)
他の種族でも、館に滞在している可能性は十分にある。

 しかし、人間の「子供」が?

 しかも、身なりはエルフのものだ。

「・・・・ご・・・ごめんなさい!!」

 子供は突然頭を下げた。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 怒らないで!」

 怒る? レゴラスは首を傾げた。
子供の言葉は、たしかにエルフ語だが、どこか不慣れな感じがある。

「・・・・怒らないよ」

 レゴラスは、共通語で言って、微笑んで見せた。

「本当?! 約束を破ったこと、誰にも言わない?」

「約束?」

「お館を出てはだめだって・・・・」

 館に、幽閉されているのか?

「それから、お母様の言葉を使ってもいいの?」

 お母様の言葉? 共通語のことか?

「・・・僕は・・・・館のエルフではないもの」

 安心させるつもりで言ったのだが、また子供の表情が強張る。

「お客様! お客様には会っちゃいけないって・・・お話もしちゃいけないんだ!」

 

 人間の子供・・・・。館に幽閉されて、誰にも会わせない。

 それは、何を意味しているのか。

 

「じゃあ、秘密だね」

 レゴラスはにっこりと笑って見せた。

「君も、僕に会ったこと、秘密にするんだよ? ね?」

 秘密。その言葉に、子供の表情がぱっと輝く。

「秘密!」

「そう、秘密だよ」

 子供はレゴラスに走り寄って、目の前にぺたんと座った。

「秘密なんだ! あのね、あのね、お庭に銀色の蝶がいたんだよ。
それでね、蝶を追いかけてたら黄色いお花が咲いてて、お花にはミツバチがいて、
ぶーんって飛んで行ったんだよ。
それでね、ハチを追いかけてたらちっちゃなねずみがいてね・・・・・・・」

 息つく暇もないほど子供がしゃべりだす。いきいきと、目を輝かせて。
その瞳の輝きに、レゴラスは見入った。
きらきらと輝く瞳の色は、乱れた心を和ませてくれる。

 

 ああ、この瞳に会いたかったんだ・・・・!

 

 豊かな子供の表情は、レゴラスを魅了する。
口元で微笑みながら、レゴラスはうっとりと子供を見つめた。

「・・・・・・でね、リスを追いかけていたらここに来たの」

 思っていることを全て話し終えて、子供は満足げに肯いた。

「聞いてる?」

「聞いてるよ。つまり君は、銀色の蝶とミツバチと小さいねずみと風に乗る木の種と、
おもしろい形の雲と甘い匂いのする風とやかましいツグミと
つやつやのどんぐりと茶色いリスを追いかけてきたんだね?」

 最初から最後まで話を聞いていてもらえて、子供は嬉しそうに満面に笑みを作った。

「銀色の蝶がどこに行ってしまったのかはわからないけど、
ハチとねずみの家は探せるし、風が運んでくる甘い匂いの木の実の場所もわかると思うよ。
ツグミがやかましい理由とリスがどんぐりをどこに運んだかも、教えてあげられる」

 きらきらする子供の瞳が、もっと輝く。

「・・・・・そんな簡単なこと、誰も教えてくれないの?」

「毎日本を読めって。大きい本なんだよ! 絵も字もいっぱい描いてあるの! 
毎日走ったり飛んだりもするんだよ! 剣の練習もするんだ!」

 自慢げな口調ではあるが、瞳の輝きは少しかげる。

 レゴラスは、子供の瞳を、もっときらきらさせたかった。

「じゃあ、とりあえずリスの家を探そうか。
それから、君が来た順番を逆にしていけば館につくよ。
・・・・雲の形、変ってしまったかな?」

 子供は大きく肯いてレゴラスの腕にしがみついた。

 

 子供を片手で抱き上げ、リスの登って行った木に登る。
リスの巣を見せてあげ、それから順番に子供の発見したものを探して行った。

 

 楽しい。

 

 子供は一つ一つに感激し、瞳を輝かせ、自分の発見したことを報告する。

 レゴラスは、そこに喜びを感じていた。
この谷に来てから、初めて楽しい、嬉しいと感じた。

 

 自分が出会いたかったのは、この新しい冒険者なのだ。

 長く生き、戦いに疲れ果てたエルフではなく、何もかもを新鮮に受け止める人間の子供。

 

 自分の運命は、ここにあるのか。

 

 黄色い花の咲くところに着くまでに、子供はレゴラスの腕の中で寝息をたて始めていた。

 なんて愛しい冒険者。

 瞼に口づけをし、より深い眠りを誘うように子守唄を口ずさむ。

 

 この子供と、運命を重ねたい。

 

 館の中庭に足を踏み入れ、緊迫した雰囲気に足を止める。

 そこに、眉根を寄せた館主と、泣き出しそうな人間の女が話をしていた。
レゴラスの存在に気付き、振向いたエルロンドが驚きの表情を隠す。

 レゴラスは一瞬子供を見下ろし、この子供が特別な存在であることを悟った。

「下の川のところで拾いました。・・・疲れて眠ってしまいましたが」

 歩み寄ってきたエルロンドに子供を手渡す。
子供を受け取ったエルロンドは、すぐに母親の腕にそれを返した。

「・・・・・レゴラス、あとで私の部屋へ」

 ここで事情を話せないほど、特別な子供。

 レゴラスはエルロンドの瞳の色を神妙に見つめ、わずかに口元を吊り上げて了承した。

「とても好奇心旺盛な子供です。目を離さないほうがいいでしょう」

 女に微笑みかけて見せ、レゴラスはそのまま館の中に入っていった。