処遇が決定してからの闇の森のエルフたちは、大分緊張が解けたように見えた。

 レゴラスにしても、エルロンドの決定は十分な措置として受け止められた。

 

 グロールフィンデルは、中庭が少々うるさいのに気を止めた。珍しいことだ。
小さな塊の後に、木に背を持たせかけたエレストールが立っている。
顧問長が騒ぎを傍観しているというのも珍しい。彼は、静寂を好む男だ。

「何の騒ぎだ?」

 エレストールに近付くと、彼はニヤリと笑った。

「ああ、グロールフィンデル。君も騒ぎを聞きつけたか。
闇の森からの客人が、弓の腕を披露している」

 目配せした先、レゴラスの従者たちが弓を持ち、谷のエルフの指し示した的を射ている。
その腕は確かだ。

「お前がこんな馬鹿騒ぎに交わるとは、珍しい」

「シルヴァンの腕を見ておこうと思ってね」

 シルヴァン? グロールフィンデルは眉を寄せた。

「シンダールではないのか」

「君も知っての通り、シンダールはこの谷に近寄らない。
エルロンドに服従を誓う者以外はね。王子もシルヴァンの血が入っているそうだよ」

 グロールフィンデルは、従者たちの的当てを微笑みながら見ているレゴラスに目をやる。
シンダールの王子にしては、どこか風変わりなところがあると思ったが・・・・。
大地と風に溶けるような風体は、シルヴァンのものであったか。

「少し私も考えを変えたよ」

 従者たちの弓使いを見ていたエレストールの瞳が、真剣なものになる。

「極力、彼らを敵に回すのは避けよう。私は、シルヴァンの能力を甘く見すぎていたようだ」

 二人の顧問の前で、矢が唸りを上げて、また的を射る。

 頼りなさ気に見えた従者たちは、確かに王子を守るだけの弓の使い手だ。

 それにしても、レゴラスはただ笑って従者たちを見ている。
自慢するほどの腕が無いのか。下々の前で腕前は見せないというわけか。
谷のエルフたちがレゴラスに何とか弓を持たせようとする。
断り続けるのも失礼、と、レゴラスは弓を取った。
ふと振向いた先にエレストールとグロールフィンデルの姿を見つける。

 笑みが消える。

 グロールフィンデルは、舞い落ちてくる木の葉を、指先で器用に受け止めた。
それを横に差し出してみせる。レゴラスの表情が、真剣みを帯びる。

 きりきりと引き絞り、ぱっと放すと、矢は唸りを上げて木の葉を真っ二つにし、
グロールフィンデルの後ろの木に突き刺さった。
矢先を見つめるレゴラスは、どこか不満気だ。

「外しました」

 エレストールが振向くと、矢の先に木の葉が2枚突き刺さっている。

「ご披露するほどの腕ではありません」

 グロールフィンデルは、腰からヒカリモノを引き抜いた。
何の前動作もなく、その短剣を投げる。煌きながら刃はレゴラスの髪をかすめ、
その後ろの木に突き刺さる。

 木の葉が3枚、縫いつけられている。

 レゴラスは短剣を抜き取り、大切そうに両手で掲げてグロールフィンデルに差し出す。

 グロールフィンデルは、レゴラスの矢を持っている。その矢羽を指でなぞる。
馴染みのない形だ。シンダールのものではなく、シルヴァンの文様。

「粗野で文明も持たぬ森のエルフ」

 蔑むように口にする。短剣を差し出しながら、レゴラスはわずかに口元を吊り上げた。

「そうです。洗練された知的で高貴なノルドールの方々と違い、戦争より平穏を望みます。
そして、ミドルアースで生きる術は、海を渡って来られたノルドールより心得ております」

 短剣を受け取り、収めると、レゴラスもまた矢を受け取った。

「スランドゥイルの国は、シンダールの領地か」

「いいえ、王はシルヴァンの王であらせられます。王の望みは、融合、です。
そして、シルヴァンに見習っております」

 数歩身を引き、くるりと背を向ける。

 グロールフィンデルは、鼻で笑った。

 つくづく生意気な王子だ。何度でも、あの鼻っ柱を折りたくなる。

 エレストールに肩に手を置かれ、グロールフィンデルは振向いた。
彼は、矢の突き抜けた跡のある木の葉を二枚と、明かに矢のかすめた跡のある葉を更に二枚、
手にしていた。グロールフィンデルが手にしていた木の葉を含めれば、5枚。

「君の負けだよ」

 エレストールがニヤリと笑うと、
グロールフィンデルはその木の葉を握りつぶして地面に棄てた。 

 その腕に免じて、今日は見逃してやろう。

 

 

 

「宴はしないんですか!」

 谷のエルフと談笑していたレゴラスは驚きの声をあげた。

「夏至の日に、大きな祭りがあるだけだよ」

 そう答えるエルフに目を丸くする。

「貴方の森では、祭りを?」

「毎日が宴会ですよ! 雪がとけたとか、木の芽が顔を出したとか」

「月がきれいとか、風が気持ちいいとか」

 従者が苦笑する。

「王の気分次第だけど」

 格式のある祭り、ではなく、宴会。

 そんな話をしていて、気分がいいのか、レゴラスは口を開いた。
その唇がメロディーを奏でる。

 

   空に うつれ

   水に 響け

   空気に 染まれ

   みどり

 

 優しい音楽。

 風のようにその歌は、谷を吹き抜けていく。

 

 図書室にいたエレストールは、ふと聞き耳を立てて眉を寄せた。

「君の苛立ちの元凶・・・・だな」

 座って薬草の本を広げていたグロールフィンデルが、顔も上げずに鼻で笑う。

「いい声だ」

「君が歌を嗜むとは知らなかったよ」

「私の腕の下で、顔を歪ませながら歌わせてやろう」

 エレストールは、溜息をついた。

 

 書斎にいたエルロンドは、ペンを置いて聞き耳を立てていた。

 よく通る透明な声色。

 何故だろう、忘れ去った遠い昔を思い出す。

 母はシンダールであった。そんな思いが込み上げてくる。美しい女性であった、と。

 父は強い男であった。強い意思を持っていた。
「男」であるがゆえ、抗えない願望のまま、海に出て行ったのだ。

 どうしてもグロールフィンデルと対立してしまうのは、父の「影」のせいかもしれない。
グロールフィンデルは、ゴンドリンから脱出する父らを助け、バルログと対決したのだ。
グロールフィンデルの目は、父の強さの象徴のように思えた。

 ・・・・馬鹿げている。グロールフィンデルと、あんな「若者」を取り合うなんて。
彼の好きにさせておけばいい。

 組んだ指に額を乗せ、目を閉じる。

 なのに・・・・・ああ、自分は、レゴラスが欲しい。手元に置きたい。籠の鳥のように。

 それとも、グロールフィンデルのように「奪う」か。

 母の面影を求めているだけだ、と、ギル=ガラドには嘲笑されるだろう。

 もし、自分がもっと大人だったら、あの日、海に飛び込む母の腕を掴んでいただろうか。
置いていかないで、と。

「愚かな」

 

   空に うつれ

   水に 響け

   空気に 染まれ

   ・・・・・みどり

 

 指輪が、自分をこの地に引き止める。

「歌など・・・・・」

 自分には、歌えない。

 レゴラスや、スランドゥイルほどこの地を愛してはいないから。

 

 だから、愛されたいのか・・・・・

 

 自分を嘲り、頭を振る。

 わかっている。彼は、私のものになどなりはしない。   









(「風になれ〜みどりのために」谷山浩子)