「レンジャーではない。アラソルンの息子、アラゴルンだ。
忠誠を誓うべき者だ」

「エルロンド卿はおっしゃられた。指輪を葬れ、と」

 そのエルフは、発言を求められる前に立ち上がり、
ことごとくボロミアに歯向かった。

 エルフとは偉大な種族である、そう教えられてきたし、そう信じてきた。
が、このエルフは違うようだ。
何より・・・会議の出席者の中で、一番若く見えた。
夕日に映し出される表情は、幼ささえ残している。

 何度もアラゴルンに目配せをし、たしなめられたりもする。

 いったい、何者なのだ。

 いったい、こんな若造にどれだけの権限があるのか。

 指輪を滅ぼせと言っていながらも、
それだけの戦力になるというのだろうか。

 

 気に入らない。

 

 何もかも、気に入らない。

 王の末裔を名乗るレンジャーも、口の軽いエルフも。

 

 

 

 会議は決定され、出発までの時を、谷で過す事となった。

「王子、本当に行かれるつもりなのですか? 王に何の相談も無く」

「私は本気です。エルロンド卿もそう決定なさりました。
父に報告してください」

「ご子息がモルドールに向うなど・・・私どもが叱られます。
今からでもエルロンド卿にお願いして、誰か他の者を・・・・」

「決定です。今夜谷を発ちなさい。
報告が遅くなると、王の機嫌もそれだけ悪くなります」

「レゴラス様・・・・・」

 従者は眉をしかめる。

「まさかとは思いますが・・・アラゴルン殿のために・・・・」

 何かの気配を察したレゴラスが、人差し指を立てて従者を黙らせる。
そして、柱の影に隠れた男に、ちらりと視線を送った。

「・・・滅多なことを口にするものではない。私はそれほど愚かではない。
さあ、行きなさい。私を怒らせる前に」

 従者は歯噛みをして頭を下げ、見ていたボロミアと反対方向に歩き出した。

 王子・・・か。なるほど。若くて世間知らずなくせに口だけは達者なわけだ。
ボロミアは柱の影で皮肉な笑みを漏らした。あれでは、父王も苦労するだろう。

「・・・・・!」

 目を上げたとき、ボロミアはハッと息を飲んだ。
そこに、その問題の王子が立っていた。
ボロミアの侮蔑した表情に明らかに気分を害したように。

「・・・ボロミア殿。立ち聞きとは不躾ではありませんか」

「失礼した、レゴラス殿。立ち聞きをするつもりは無かったのですが」

 王子、と、皮肉めいた言葉を添える。
レゴラスは、その呼び名が自分を馬鹿にしていること悟り、怒りの表情を作る。

「貴方とは、ゆっくり話をする必要があるようですね、ボロミア殿。
ここでは誰に邪魔されるかわかりません。どうぞ、私の部屋に」

 前を歩き出すレゴラスに、苦笑しながらボロミアはついて行った。

 

 

 

 彼に用意された客間は、ボロミアのものと作りも広さも変りはなかった。
が、たぶん、彼は何度もこの谷を訪れ、
そのたびにこの部屋を使っているのだろう。
彼に似合うような装飾品が設えてあり、彼の弓をかける台も置かれている。

(ここの主に、寵愛されているのだな)

 何故かボロミアはそう思えた。

 彼が他のエルフの国の王子であると言うのなら、それも納得のできることだ。

 それに・・・・・

 

 彼には華やかさがある。

 

 誰からも愛されるような、美しい顔立ち。
子供っぽさの残る言動でさえ、それは彼の魅力となってしまう。

(アラゴルン殿のため・・・・)

 従者の言葉が蘇る。

 それは、何故か友人と呼ぶより愛人と呼んだほうがふさわしいように思える。

「ワインでも?」

 小さなテーブルに、レゴラスはワインの瓶と、細い足のついたグラスを二つ、
持って来ていた。

「エルフの食べ物は、お口に合いませんか? ヘンなものは入っていませんよ。
むしろ、私は人間の食べ物が好きな方なので」

 人間が好きなのだ、と、暗に言っているようだ。

「いただきましょう」

 ボロミアは、椅子に座った。

 目の前で注がれる、深紅の液体。芳醇な薫り。
それを一口口に含むと、
それが上等の(まさに最上級の)ぶどう酒であることがわかる。

「ワインがお好きなのですかな?」

「意外ですか?」

「・・・・いや、食事時以外で酒を飲まれるようには見えないもので」

 レゴラスは目を細める。それは、酒も飲めない子供だ、と、言いたいのか。

「私は貴方の思うような子供ではありませんし、
私の国ではお茶よりワインを好んで飲みます。
・・・そうですね、この谷ではない習慣かもしれません。
人間は、食事の時以外にお酒を召し上がらないのですか?」

「そんなことはない。ですが、王子、私はワインよりビールの方が好きです」

 いちいち突っかかるような言い方をする。

 レゴラスは自分のグラスにもワインを注ぎ、上目使いにボロミアを睨んだ。

「私を、王子などと呼ばないでください。
ここは僕の国ではありませんし、貴方にそう呼ばれる筋合いはありません」

 そんな言い方が、子供っぽいのだ。ボロミアは苦笑した。

「失礼。では、なんとお呼びしたらよろしいですかな?」

「ただ、レゴラス、と」

 彼は、他者と自分を同等に扱って欲しいのだ。
王子などと言う身分に惑わされること無く。
あくまで強気だが、ボロミアにはそれがおかしかった。

「ではレゴラス殿、私に何か話が?」

「話があるのは、そちらではありませんか? ボロミア殿。
貴方は、会議の決定に不満なようです。
私は、不満を抱えたままの貴方と旅をしたくはありません。
・・・危険だからです」

「危険!」

 ワインのグラスをテーブルに置き、ボロミアはハッと笑った。

「ではレゴラス殿、お聞きしますが、あなたはどれだけ今回の旅の、
モルドールの、危険をご存知ですかな! 
オークの軍勢と戦ったことがおありですか!」

 ボロミアの問いに、レゴラスは口元を吊り上げた。
想像通りの質問だったからだ。

「知っていますよ。黒門は・・・見たことはありませんが。
でも、私の国はモルドールの脅威と常に戦っています。
私自身、オークとの戦いは心得ています。
ボロミア殿、貴方はたぶん勘違いをされている。
私は、たしかにエルフとしては若い方ではありますが、
貴方方人間よりははるかに長く生きています。
貴方より、貴方のお父上や、そのお父上よりも」

「ゴンドールのことを、知っていると?」

「私は訪れたことはありませんが、アラゴルンから聞いて・・・・・」

 アラゴルン、という言葉に、ボロミアの目の色が変る。
レゴラスは、ボロミアが何を考えているのか、察したようだった。

「アラゴルンは、友人です」

「友人? どのような? 
あの会議での態度、お二人のね・・・・
ただならぬ関係のように見受けられましたか? 
先ほど、貴方の従者も指摘しておられたようですが」

「・・・・それは・・・・どういう意味ですか」

 立ち上がったレゴラスの瞳は、憤慨して潤んで見える。
頬が紅潮し、唇が紅く染まる。

「言葉どおりの意味ですよ、レゴラス殿」

 素早く立ち上がったボロミアは、レゴラスの胸を掴んで壁際に押付けた。

「私は、貴方たちの痴情などどうでもいい。
だが、そんなことにゴンドールの運命を預けられない!」

 壁に押さえつけられたまま、レゴラスは両手を宙に漂わせた。
武器を捜しているようにも、何かを躊躇しているようにも見える。
ボロミアは、それを無視した。

「あ・・・貴方は勘違いをしている! 
ボロミア殿、私はアラゴルンとは・・・そんな関係では・・・・」

「では、貴方の肉体に直接訊ねて見ましょうか? 王子。
今ここで私が貴方を犯して、貴方がそれを受け入れられれば、
貴方は人間の男との痴情を知っている。
受け入れることができなければ、貴方の肉体は潔白を証明できる。
どうですか? それとも、試されるのが怖いですかな?」

「ボロミア! こんなことをして・・・・
執政の子息である貴方が、こんな野蛮な詰問をするなんて、
許されることじゃない!」

「私には、綺麗事を言っている余裕などないのだ!」

 くっとレゴラスは押し黙った。

 ボロミアの手が、エルフの繊細な服の留め金を外していく。

「助けを呼びたいのなら、呼ぶがいい」

「貴方・・・・切り殺されますよ? 私は、この谷では優遇されている」

「王の子、だからでしょうな」

「・・・・・・・・」

 一瞬言葉に詰り、レゴラスは「そうだ」と答えた。

「その称号を嫌う貴方は、助けなど呼ばない。
では、ご自分で抵抗なさってはどうです? 
力には自信がおありなのでしょう?」

「・・・・・・私は・・・・人間を傷つけるわけにはいかない」

「なぜです?」

「人間は・・・・エルフの同盟者・・・・だ」

 ボロミアの指が素肌の上を這っていき、レゴラスは唇を噛んだ。

「ひとつ・・・・」

 押し殺すように、レゴラスは唇を開いた。

「ひとつ、約束をしてください。・・・・・・・
貴方の気がすんだら・・・・会議の決定に従う・・・・と」

「気がすむ? どう気がすむというのです?」

「・・・・・貴方は・・・・会議の主催であるエルフに対して不満を持っている。
人間の方が優位であると思っている。
だから、私を・・・・エルフの中でも若輩だが地位のある私を犯したい。
・・・・言っておくけど、私はアラゴルンのために旅に志願したわけではない。
指輪を葬ることは、私の国を守るためだ。貴方と同じようにね。
・・・・アラゴルンとのことなど、関係ない。
その証拠に、私は今ここで、貴方の暴力を受けよう。
わかっているだろうけど、これは、暴力以外のなにものでもない!」

「答えになっていませんよ、レゴラス殿」

「貴方は・・・・ボロミア、はじめから答えなど求めてはいない。
ただ私を犯したいだけだ。貴方を信用していない私を、辱めたいだけだ!」

 そう・・・・そうかもしれない。

 理由など、どうでもいい。この高飛車なエルフをこの手で辱めてやりたい。
人間を、自分を、認めさせたいだけなのだ。

「怖くは、ないようですね? 犯される経験が、おありのようだ」

「そうだよ。・・・・私を支配したがるのは、貴方だけではないからね。
でも私は、誰にも屈しない。
肉体に与えられる辱めなど、たいしたことはないからだ。
貴方の好きにするといい。私は、自分の意思を曲げない。
それを、貴方自身の手で確めてみるといい! 
指輪は葬らなければならないのだ! 貴方が何と言おうと! 
ゴンドールを敵にまわすことも、厭わない!」

 挑発に乗るように、ボロミアは怒りのまま、
この若いエルフの服を剥ぎ取って床に押し倒した。

 

 

 

 このエルフの肉体は、驚くほど敏感で、そして痴情に慣れていた。
男をすんなりと受け入れてしまうのだ。
きつく拒絶しようとしても、押し戻すことも無い。
そして、その相手に絶え間ない快楽を与える。

 それでも、このエルフは情事を楽しんではいない。

 己自身は、快楽の兆候さえ見せない。

 それは、征服欲を掻き立てられる。

 痛みに瞳を潤ませ、歯を食いしばって嗚咽を殺す。
そんな態度に、ボロミアは我を忘れるほど彼を攻め立てた。

 どれだけの男が、この肉体を楽しんだのだろう?

 あの、アラゴルンも?

 そう思うと、何故か嫉妬に駆られる。

 自分だけのものにしたい・・・・と。

(私を支配したがるのは、貴方だけではない)

 そう彼は言った。

 他に誰が、彼を欲したのだろう?

 否、誰でもいい。

「私と共に、ゴンドールに来ないか」

 何人が、そう誘ったのだろう。

 紅潮した頬で、レゴラスはボロミアを見上げた。

「・・・・・アラゴルンは・・・・ゴンドールの王となる男・・・・・。
私は・・・・彼につき従い、いずれゴンドールに赴くだろう・・・・・」

 アラゴルン・・・・アラゴルン、か。

「アラゴルンと言う男、どれだけのものか!」

 激しく突き上げられ、レゴラスは僅かに悲鳴をあげた。

「彼の運命は・・・・ゴンドールと共にある」

「貴方は・・・・!」

 無意識に、ボロミアは両手をレゴラスの細い首にかけた。

「アラゴルンと言う男と、運命を共にすることしか考えていない! 
本当は、指輪などどうでもよいのだ!」

 それまで喘いでいたレゴラスの瞳が、怒りに煌く。
驚くほどの力でボロミアの腕を振り払う。
そんな力が、どこにあるのかわからないほどに。
それだけの力があるなら、人間の男の欲望など、
簡単に跳ね除けられるだろうに。

「私を侮辱するな! 私の運命は、私の国と共にある! 
私は・・・私が忠誠を捧げるのは、我王だけだ! 
我王は指輪を必要としない! 
だから、私はその意志を継いで指輪を葬る旅に志願するのだ! 
そして、それができるのは・・・・私の国を救えるのは、人間の王、
アラゴルンだけなのだ!」

 強い、意思の力。

「わからないのか、ボロミア! 私と貴方と、志は同じなのだと! 
指輪を葬らなければ、次に滅ぼされるのは、ゴンドールと闇の森だ! 
もう、我父の力も限界なのだ! 私も貴方も、愛しているものは同じなのだ! 
守りたいものは、同じなのだ!」

 ボロミアの額を、汗が滴り落ちる。

 唇が、わなわなと震える。

「貴方の協力が、必要なのだ。
ボロミア・・・・手を貸してくれないか・・・・。
その代わりに、私は、私が与えられるものは何でも与えよう。だから・・・・」

 唇を噛んで、ボロミアはレゴラスの滑らかな胸に額を寄せた。
なんて、冷たい肌。

「・・・・・国に・・・・弟を、残してきた。・・・・・心配だ・・・・」

 ふわり、と、エルフの細い指がボロミアの髪を撫でる。

「ボロミア・・・・一緒に、旅に出よう。共に戦おう。
私は、アラゴルンと同じくらい貴方を信用する。
そして全てが終わったら・・・・・貴方の国を見せてもらおう。貴方の弟もね」

 ボロミアは、ひとつ溜息をついて体を起した。
身を引こうとすると、その腕をレゴラスが捕まえる。

「・・・・最後まで、して、いいよ」

「しかし・・・・・・」

「中途半端じゃ、辛いでしょう?」

 やっぱり、貴方は人間としたことがあるのですね? 
ボロミアは口元をゆがめた。

「・・・よろしいのですか?」

「いいよ。慣れてる」

 

 

 

 ボロミアは、快楽のうちに彼の中で果てた。

 乱れた服を整えていると、ドアの向うに気配がした。
服を着かけていたレゴラスの顔色が変る。

「レゴラス、いるんだろう? 入るぞ」

 ドアの向うの声に、レゴラスは自分の服を引き寄せて叫んだ。  

「入らないで!」

 ドアの向うの相手に、ボロミアも息を飲む。

「レゴラス、どうかしたのか?」

「どうもしないよ!」

「レゴラス?」

「なんでもない! 話があるなら、あとで行くから・・・・・」

「レゴラス!」

 部屋の主の了承を取らずに、そのドアは開けられた。

 そして、その男は呆然と立ち尽くした。

 そこには、明かに強引な情事のあとが見て取れたからだ。

 アラゴルンは大股にボロミアに近寄り、腰のナイフに手をかける。
レゴラスは素早く、二人の男の間に入った。

「これは・・・どういうことだ?! レゴラス! 
お前・・・・ボロミアに・・・・・」

「私が誘ったんだ! それに、君には関係のないことだよ、アラゴルン!」

 ボロミアを睨み、アラゴルンはレゴラスに視線を向ける。

「愚かな! レゴラス、こんなことがスランドゥイル殿に知れたら・・・・」

「このことを父に話すと言うなら、君のことも話すよ、アラゴルン」

 レゴラスの瞳に、アラゴルンは一瞬唇を結んだ。

「君が私にしたこと、父に告白する。
父は君を殺すことはできないけど、
永久に君はシンダールを敵に回すことになる」

 言葉を失ったアラゴルンの前で、レゴラスは手早く服を整えた。
それから、黙ったままでいるボロミアに振り返る。

「さあ、もう帰って。気がすんだでしょう? 
貴方の言うとおり、私とアラゴルンの関係は、そういうことだよ。
昔の話だけどね」

 ボロミアは眉を寄せ、アラゴルンを見る。

「私は誰のものでもない。
アラゴルン、君のものでも、ボロミア、貴方のものでも。
もちろん、エルロンド卿のものでもない。私は私の父にだけ従属する」

「レゴラス・・・しかし、なんで・・・・」

「ボロミアは仲間だ」

 レゴラスはアラゴルンを睨む。

「仲間として必要なんだ。
ボロミアの、国を思う気持ちが君にはわからないかもしれない。
でも、私にはわかる。理解しあうために必要な儀式みたいなものだよ。
君がそれを望んだように」

 アラゴルンは首を横に振った。

「ボロミア、帰って。またあとで話をしよう。
今は、アラゴルンと話をしなきゃいけないみたいだから。
それに私は、そんなに暇じゃない。
従者に渡す王への書状も書かなきゃならない」

 ボロミアの腕を掴み、ドアまで押しやる。そして、僅かに微笑みかける。

「レゴラス殿・・・・・」

「ボロミア、私が貴方を信頼するように、私のことも信頼して欲しい」

 ボロミアは肯き、そして部屋を出てドアを閉めた。

 その向うで、アラゴルンが怒鳴っているのが聞える。
それは、むしろおかしかった。彼も、結局は人間なのだ。

「すぐ感情的になるのは、僕の悪い癖だよ。わかってる。父譲りなんだ。
軽率なのも。でもね、僕は軽薄じゃない。気をつけるよ。わかってる。
きっと、ガンダルフにも言われるよ、黙ってろって」

「そんなことを言っているんじゃない。なぜボロミアに許したりしたんだ! 
お前ならいくらでも回避できただろう?」

「人間と争いたくはない。それに、彼は僕に危害を加えたりしない」

「危害! 犯されることが危害じゃないと言うのか?」

「あのねえ、じゃあ君は僕に危害を加えていたわけ? 違うでしょう?」

「それとこれとは・・・・」

「同じだよ」

 口争いは、痴話喧嘩というより、一方的にレゴラスがなだめているようだ。

 ボロミアは、ゆっくりとその場を去った。

 レゴラス本人が言っていたとおり、彼は肉体を求められることに慣れている。
そしてそれは、彼にとってそれほど酷いダメージにはならないのだろう。

 何が彼をそうさせてしまったのか。それは、ボロミアには計り知れないこと。
ただ、彼がただの世間知らずの王子ではない、ということだろう。

(とりあえずは、貴方を信頼しましょう、エルフの王子。
貴方がおっしゃるのなら、あのアラゴルンと言う男も)

 ボロミアは、ひとつ溜息をついた。

 

 

 

 暗くなった部屋にひとつ明かりを灯し、レゴラスは一人机に向っていた。

 父に、なんて言い訳をしよう。

 貴方が最も恐れるモルドールに、
貴方が最も愛する息子が向おうとするなど・・・。
きっと、何を書いても怒るに違いない。
志願を承諾したエルロンドを、罵るだろう。

 それでも、レゴラスはすっと決めていたことなのだ。
いつか機会があったら、自分はサウロンに立ち向かう道を選ぶだろうと。
愛する森のため。父のため。今は亡き祖父のため。

「エルロンド卿のお呼びだ」

 背後からかけられた声に、レゴラスは振向きもしない。

「いつ戻られたのですか?」

 黒髪の双子のエルフは、苦笑しながら「ついさっき」と答えた。

「戦況は、どうなのです?」

「かんばしくないね。でもまだ、最悪と言うほどでもない。
旅立つなら、今がチャンスだ」

 双子の片方が、レゴラスの肩に手を置く。

「スランドゥイル殿への言い訳かい?」

「そう。父の顔を見ないで旅立てるのが幸いだよ。
近くにいたら、きっと殴られるもの」

「へえ、暴力的なんだねえ」

「逆上しやすいんだ」

「では、お前のここでの生活を知ったら、大変だろうね」

 肩越しにレゴラスはエルラダンを見上げた。

「ゴンドールの公子に襲われたそうじゃないか」

「知ってるんだ?」

「私たちに隠し事なんかできないよ」

 レゴラスが大きく溜息をつく。

「なあ、悪いことは言わない。父上のものになってしまえよ。
そうすれば、誰もお前に手を出せない」

「・・・・・・・」

 冗談なのか、本気なのか。レゴラスは口元を吊り上げた。

「シンダールの王子である私が、ノルドールの王に跪けと? 
それこそ私に対する侮辱だよ」

「人間には簡単に情を許すのに?」

「人間は・・・・・」

 レゴラスは視線を落とした。

「いいんだ。彼らは、すぐに死んでしまうもの。
人間は、消えてなくなってしまうもの。
存在しないものへの愛情なんか、すぐに忘れて思い出になる。
痛みが消えるのに、そんなに時間はかからない」

「父上の愛情を受け入れてしまったら、その痛みは永久に続く、と?」

 自分の手のひらを見つめ、窓の外の星を仰ぐ。

「私は・・・・エルロンド卿を愛してなどいない」

「父上の求愛から逃げるために、エステルの愛を受け入れたのだろう? 
そして思いがけず、深くエステルを愛してしまった。
お前は、ベレンを助けるために命を落としたフィンロドのようにないたいのかい?」

「違うよ、エルロヒア。
レゴラスはベルクのように愛するものの手にかかって死にたいんだ」

 エルラダンは言い、笑って見せた。

 瞼を閉じ、自分の想いを締め出す。それからレゴラスは首を横に振った。

「どちらも違う。私は、死を望んでなどいない。
それに、エステルを愛してもいない。彼は・・・・友人だ」

「お前は嘘がつけないよ、レゴラス。
お前を諦めきれないエステルに見せ付けるために、
ゴンドールの公子に体を許したのだろう?」

「それも違う」

 エルラダンとエルロヒアは笑い合い、交互にレゴラスの髪にキスをする。

「父上はお見通しだ。それでも、そんなお前を欲しがっている」

「お前を癒せるのは、自分だけだと思っている」

 レゴラスは、それにも首を横に振った。

「私が望んでいるのは、私の森に光を取り戻すことだけ」

 そう、自分に言い聞かせる。

「お願いだから、邪魔をしないで。
月が昇るまでに書状を書き上げて、従者を送り返すのだから」

 双子はクスクスと笑い、体を離した。

「そうしたら、そのあと父上の寝室に行きなさい。人間の匂いを消してくれる」

「悪いけど、消したくないんだ。今夜は、行かないよ」

 少し困ったように首をかしげ、二人は肩を落とした。

「強情だな」

「私は私だし、誰のものにもならない。
それくらいのプライドは持ってるつもりだ」

 双子は溜息をついて、「わかった」と言い残して出て行った。

 レゴラスは、また書状に視線を落す。

 

 エルロンドの優しさに、甘えたくはない。

 自分を保っているために。

 

 体の中に残る、人間の情熱に身震いをする。

 父は、私を許してくれないかもしれない。

 

 それでも・・・・・

 

 これが自分にできる精一杯なのだ。

 

 たとえ、

 あの森に帰れなくなったとしても。