ケレボルンは、その美しい森に足を踏み入れた。 汚れなき森は、懐かしささえ呼覚ます。 つけられていることには、ずっと前から気づいていた。それが、何者なのかも。 それほど敵対心は感じられない。 この森の警備兵は、きっとこの束の間の平和に甘んじているのだろう。 「私はケレボルン。イムラドリスから参った。 ロスロリアンの王、アムディル殿に接見したいのだが」 「アムディル王は討死された」 「では、今の王はアムロス殿か」 「アムロス王の行方は知れず」 では、噂は本当であったか。 「イムラドリスのケレボルン殿、ロリアンの森に入ることは許されぬ。 即刻帰られたし」 姿も見せぬシルヴァンの兵に、ケレボルンは肩を落した。 警戒されても致し方ないこと。 最後の連合の戦いで、ロリアンは緑森の王と共に戦い、 ノルドールとは和解せぬままなのだ。 「王不在のこの森を、では、誰が守っておられるのか」 上空の木々がざわめく。 「私はシンダールであり、アムディル殿もアムロス殿もよく知っておる。 姿を見せ、私の話を聞いてもらいたい」 高い梢から舞い降りた兵は、ケレボルンに武器を向けはしなかった。 シンダールとは、交友があったのだ。 「あなたは流浪のシンダールなのですか。それとも、ノルドに帰依されたのか」 シルヴァンの特徴を備えたその兵に、ケレボルンは悲しげな笑みを見せた。 「それは私にとってはくだらないこと。種族の誇りより愛を取ったのだから。 そして今は、種族の壁を超え、この国の未来を案じている」 幾人かが、ケレボルンを取り囲むように舞い降りる。 「・・・お噂は耳にしております。ドリアスのケレボルン殿」 シルヴァンにしては世情に詳しそうな、その男にケレボルンは視線を向けた。 「そなたは?」 眼光の厳しいその男は、頭を垂れた。 「ハルディアです。 ケレボルン殿、貴方の使われる言葉は、この森では少数の者しか理解できません」 「先の王は・・・シンダール語を使われなかったのか」 「時によって使い分けれおられました。 多分・・・・ケレボルン殿にとってこのロスロリアンと緑森は異国となるでしょう」 そうか・・・・。ケレボルンは、遠い昔に思いを馳せた。 ドリアスの生き残りは、二つの運命を選択したのだな。 己は、ロリアンと緑森に君臨するシンダールとは、袂を分かったのだ。 「ではハルディア殿、改めてどなたかと話合いを持ちたい。 この森と世界の運命について」 「私は反対です!」 シンダール語を解さないハルディアの弟は、感情を露に食ってかかった。 先の戦争は、彼はまだ幼いからといって出兵しなかった。 「ルーミル、落着きなさい」 「いいえ! たしかにアムディル様はシンダールでおられました。 しかし、信頼に足るお方でした!」 「ケレボルン殿は誠実なお方だ」 突然の来客を擁護する兄が信じられないというように、ルーミルは頭を振った。 「しかし! ノルドールを娶ったのですよ! 先の戦い、あの苦しく辛い戦いで、何をしてくれたというのですか!」 敗北の記憶は、まだ新しい。それぞれの背負ったキズは、まだ癒えない。 「そう思うだろう、オロフェン?」 ルーミルは兄弟に同意を求めるように顔をしかめる。 オロフェンは考え込むように肩を落した。 「・・・・でも・・・・王は必要だ」 苦しげな声色は、理解できる。 結局は、森のエルフ、シルヴァンの力になど限界がある。 王を戴いているあの緑森でさえ・・・・暗雲の予感を払いきれていないのだ。 「我々にとって、もっとも大切なのは、何だと思う、ルーミル? オロフェン?」 ハルディアの問いに、ふたりは口ごもった。 「先の戦いでの恨みか、種族の誇りか? そもそも、種族とは何であるか? もうずっと長いこと、我々はシンダールを受けいれてきたではないか」 「しかし・・・」 「ルーミル、大切なのは、この森を守ることではないのか? このままでは、我々だけでは森を守りきることはできない。 我らは、国をなくしたからといって、どこまでも放浪し、 新しい国を築けるノルドたちとは違う。この森を離れて生きては行けぬのだ。 そう、我らの血は、アマンにさえ憧れない。 ならば、何にすがっても森を守らねばならぬ」 「しかし、兄上」 押黙っていたオロフェンが、苦しそうに口を開く。 「確かにそうです。・・・しかし兄上、 シルヴァンの誇りを受けいれてくださっていた先の王は、 今回の決断を快くは思わないでしょう」 一瞬、ハルディアも口ごもる。 ハルディアの脳裏に浮んだのは、アムディルでもアムロスでもなかった。 緑森の王。 主導者を失った我らを、森に導いてくれた、新しき王。 あの者なら、きっと半狂乱になって怒るだろう。 「私は、この森を、ロスロリアンを守りたい。そのためなら、どんな犠牲も払おう」 でなければ、戦場から帰ってきた意味などないのだから。 「兄上は、信頼なさるのですか」 弟たちの視線を全身に感じながら、ハルディアははっきりと頷いた。 そう決断した瞬間に、自分はきっとスランドゥイル王を裏切った。 「私は、ケレボルン殿を信頼し、受け入れる」