熱い吐息で、うなじが焼ける。 人間の体温は、エルフには熱すぎる。 その、やけどしそうな熱が、 麻薬のように心を犯す。 見上げると、高いところにある木々の葉が、森からの風にかさかさと揺らめいている。 この風景は、何度見ても心地よい。 自分の心と身体が、自分のものでないような、 自分の意思ではどうにもならない、まるで他人に乗り移ってしまったような、 それでいて、感覚だけは酷く敏感になっていて、 今まで以上に風の音を聞き、空気の匂いをかぎ、 内側に入っている男の体温を感じる。 キモチイイ エルフは眠る時、夢の世界へと心を彷徨わせる。 この森で生まれ、この森で育ったレゴラスは、この森をいつも夢見ている。 蒼い蒼い空と、新緑の葉と、水の匂い。 「レゴラス」 その男は、眉を寄せ、肩を揺さぶった。 「レゴラス」 何度目かに名前を呼ばれて、レゴラスは目を覚ます。 眠っていたのだ。 人間には、その区別はつかないだろう。瞳を開けたまま、心が心地よい夢を見る、それがエルフの眠りなのだから。 レゴラスは起き上がり、髪をかきあげた。 「よい眠りを?」 複雑に顔を歪ませる男に、首を傾げる。この男は、なぜいつもこんなに困惑した表情をするのだろう。 この男にとって、肉体のつながりは、心地よい夢にはならないのか。 人間の中でも、この男は特別だ。高貴な血筋を持つ。 レゴラスの父、森のエルフ王も、特別に目をかけている。そして、この男が森のエルフと港街の人間とを繋いでいる。 誘ったのはレゴラスの方だ。 誘いを断らなかったのは、エルフ王の子息の命令に逆らえなかったからか。 不意にレゴラスは、夢の世界に雪が一片、落ちるのを感じた。 バルドは、レゴラスが求めるから応じるのであって、 自ら求めているのではない。 夢を見ているのは、自分だけ。 バルドの瞳の奥を覗き込んだレゴラスは、そこに、まるで甘えてくる子どもをあやす父親の、困惑した憂いを見た。 おもむろにレゴラスは立ち上がると、乱れた衣服を整え、髪を撫で付けた。 「帰るのか」 「………」 「怒っているのか? よくなかった?」 振り向いてバルドを見たレゴラスは、眉をひそめる。 「よくなかったのは、あなたの方ではないか? あなたはぼくと繋がる事に、心地よさを感じていない。 迷惑なら、なぜ断らない? ぼくは怒ってあなたを切り殺したりはしない」 「レゴラス」 「バルド、もうあなたに夢を要求しない」 なぜレゴラスは急に怒り出したのか。一瞬バルドは驚いたが、すぐに立ち上がってレゴラスの腕を掴んだ。 「レゴラス、きみは難しい。俺より何百年も長く生きているのに、生まれたばかりの俺の息子より手がかかる。 きみと繋がることは、気持ちいい。すべてを忘れてしまうほどに。ただそれは………」 快楽であって、愛ではないのだ。 強引に腕を引き寄せ、抱きしめて唇を重ねる。レゴラスの冷たい唇は、それに応える。 繋がっている間中目を閉じる事のない彼は、キスの間も目を閉じない。 バルドは思う。 彼との関係は、快楽であって、愛ではない。 その違いを、彼はわかっていない。 自分は、知ってしまったのだ。 女性に好意を寄せ、結婚し、結ばれ、子供が生まれ、 彼女を、子供を、家族を、心から愛する。これが、愛なのだと。 エルフ王の子息に出会ったのは、まだずっと若い頃で、 その頃の自分は愛の何たるかも知らず、彼との快楽を楽しんだ。彼が好きだった。 それが愛だと思っていた。そう、彼を愛したときもあったのだ。 何年かに一度、彼は気まぐれに現れ、バルドと身体を交わし、また森へ戻っていく。 会う度にバルドは成長し、大人になり、いつしか守るべき家庭を築いた。なのに、 レゴラスは、微塵も変らない。 そう、エルフの時間は、人間とは違う。 レゴラスは、何も変らない。 その美しさも、貪欲に求める快楽も、損なう事のない井戸の奥の泉も。 冷たく甘い口膣の感触に酔っていると、不意に突然、レゴラスは身体を離した。 「父上が、呼んでいる」 森の方を見て、呟く。 いつもそう。いつもそうやって突然、終るのだ。 バルドの腕をすり抜け、小鳥のように地面を飛び跳ねて森へ向かう。振り向きもせず。 さよならも言わず、次の約束もせず。 「レゴラス」 バルドは、その名を呼ぶ。レゴラスは立ち止まって振り向いた。 「………きみは、笑わないのか」 質問の意味がわからない、というように、レゴラスは小首をかしげ、何も答えず森へ帰っていった。 「俺は、きみに快楽を与える事はできても、喜びを与えることはできなかった。 きみが、俺に快楽をくれても、愛はくれなかったように」